第46話 愚

 大東西製薬の地下工場でファントムの捜索をしていた特殊部隊は、設備機器の陰にドアを発見した。


 藤川はドアノブを握った。向こう側からファントムが飛び出してくるかもしれないと覚悟を決める。


「開けるぞ」


 仲間に告げ、体重をかけるようにしてドアを押し開けた。


 ドアの先は暗闇だった。ファントムの気配はない。藤川は、ほっと胸に溜まっていた緊張を吐きだした。


 先頭になってドアをくぐる。その先には狭い通路と短い階段があって、地下鉄の古い駅舎に続いていた。ベンチや時刻表が昔のまま残されている。


「廃駅だな」


「東京の地下にも、こんな所があるんですね」


 隊員たちはサーモゴーグルをはずし、サーチライトで周囲を照らしながら廃墟と化した駅を観察した。


「しかし、やけにホコリっぽいな。光が届かない」


「それに臭います。毒ガスじゃないでしょうね?」


「まさか。……自衛隊が毒ガスを持っているはずない」


 ずっと地下にいた隊員たちは、調圧水槽でナパーム弾が使われたことを知らない。そこと地下鉄トンネルが繫がっていることも。


「足跡らしきものがあります」


 積もった埃の上に足跡があった。


「今日できた足跡ではないような気がするが……」


 トンネル内を走った爆風は、オクトマンの足跡もかすれさせていた。


『A1班、何があった? 何をゴチャゴチャ話している。さっさと報告しないか!』


 不機嫌な淡島の声だった。


「こちら藤川。地下工場から地下鉄の廃駅に通じる出入り口がありました。そこにファントムの足跡があります」


 今日ついたものだという確信はない。しかも、研究所内の足跡は二つあったのに、ここでは一つだ。


『図面にはないが……。足跡を良く見せてくれ』


 指示があって、足跡にカメラの焦点を合わせる。


「ファントムのものに間違いありません」


『ああ、それはこちらの解析でも確認が取れた』


「この足跡を追跡しようと思います」


 足跡がひとつしかないことに疑問はあったが、成果を出したいという欲と組織の圧力がそうさせた。


『ヨシ……』淡島の声が踊っていた。『……周辺の駅には自衛隊が守備しているから、ファントムも簡単には逃走できないはずだ。追跡して必ず仕留めろ。A3班、4班も続け。2班の仇、逃がすなよ』


 15名の特殊部隊員はファントムの足跡を追って錆びた線路に降りた。足跡は右へ向かっている。


「隠れている場所を見逃すな」


 特殊部隊は左右に広がって前進した。


 ほどなく線路は使用中の路線に合流、トンネル内の粉塵ふんじんがひどく、視界が悪化した。


 しばらく行くと埃っぽい闇の中に人影が映った。サーモゴーグルの色は黄色。それが大小、多数ある。黄色は、ファントムの体温より高めだが、人間より低いことを示していた。自衛隊の何らかの装備の影響だろう。肌を露出していないのだ。誰もがそう思った。


「あいつら、ファントムに気づかずにすれ違ったのか」


 その夜、地下鉄トンネルにいるのは殲滅作戦に参加している自衛隊と自分たちだけだ。その知識が判断に影響した。


「あんなに広がって歩かれたら、ファントムの足跡は消えてしまっただろうな」


 隊員たちは呆れ、ゴーグルを外して人影に近づいた。


「ファントムが、そっちに向かったのだが、見かけなかったかい」


 そう声を掛け、相手の無能を揶揄した。


「ファントム?」感情の無い返答。


 近づき、姿形が明瞭になったのを見て驚いた。目の前にいるのはナパーム弾で焼かれたオーヴァルの群れだった。中には焼けただれ、身体の一部が炭化したオーヴァルもいる。それは正にバケモノといった有様だ。


 オーヴァルたちは、自衛隊の偵察用ドローンを撃ち落としたあとに移動を始めていた。そこにナパーム弾による攻撃があった。一部のオーヴァルは焼け死んだが、亀裂を伝っていたオーヴァルは生き残った。


 爆風で吹き飛ばされるようにして地下鉄トンネルに出た彼らは、爆風を避けていた自衛隊の第9小隊を易々と撲殺した。今、彼らが所持しているのは、そこで拾った武器だった。


「ヒッ……」


 藤川たちは喉をひきつらせ、慌てて自動小銃を構えた。


『オーヴァルだ、撃て!』


 インカムから緑山の声が耳をつんざく。


 ――タタタタタ――


 藤川たちは撃った。それと同じ速さで、オーヴァルも武器を使った。


 ――ドドドドド――


 火を噴いたのは重機関銃だった。特殊部隊は一瞬で肉塊に変わった。


§   §   §


 ――ドドドドド――


 指揮車のスピーカから重機関銃の音が鳴る。見る間に15名のヘルメットのカメラから送られてくる映像が消えていく。


 発砲音が止むと、オーヴァルの足音だけになり、それも無線機が踏みつぶされて消えた。


「全滅……です」


 緑山が言った。


 太陽が昇った空はすっかり青くなり、作戦に従事する隊員の顔には疲労の色があった。


 大東西製薬の社員が出社し、規制線内にある会社に入れろと騒ぎ出していた。研究中の微生物が死ねば数百億の損害になる。その時に警察は被害の補償をするのか、と詰め寄られると淡島も規制を解くしかなかった。


 淡島は周辺警備に当たっていたC3班から8班までを、連絡の途絶えた3つの班の捜索に出し、作戦が失敗に終わったことを報告した。


 上司の反応は意外だった。


『心配するな。自衛隊も失敗した。かなりの数のオーヴァルが逃げ出したらしい。ウチの15名が遭遇したのが、そのオーヴァルだろう。……いまだ状況は五分と五分だ』


 その発言に、この人は何を考えているのだろう、と疑問を通り越して怒りを感じた。


 自衛隊対オーヴァル、警視庁対ファントム。状況は自衛隊も警視庁も完敗なのだ。それを、警察対自衛隊という権力闘争の観点しか眼中にないのは普通じゃない。20名の警察官が殉職した現実を前に、心配するなとは何事か!……全身が怒りに震えた。


「お言葉ですが、平時ならともかく、今は日本の未来がかかっています。多くの警官の命も、……です。組織の権力問題を語る時ではありません」


 抗議すると、相手が黙った。そして通信が切れた。


「馬鹿野郎が……」


 淡島はマイクに向かってつぶやいた。

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