第45話 業火

 自衛隊のオーヴァル殲滅作戦は、淡島がうらやむほど順調ではなかった。


 マタギの他に重機関銃と火炎放射器を配備した20の小隊が六本木駅の半径5キロメートルの駅から地下鉄線路に降りてオーヴァル包囲網をつくった。しかし、地下鉄の路線は複雑なうえに、駅構内に限らず退避通路や設備など、身を隠せる場所が予想以上に多く、時々オーヴァルの足跡を発見するものの、その姿はようとして発見できなかった。


 隊員たちは重火器を背負い、あるいは抱え、暗視装置を身に着けた状態で前後を気遣いながら足を進めた。


 1時間も歩くと部隊全体に疲労とあせりの空気が広がった。そんな状況の中、渋谷駅から東に向かっていた第9小隊が内壁の亀裂を発見した。


 亀裂は幅30センチメートル、高さ2メートルほどの細長いもので、ライトを照らしても、その奥に何があるのかは分からなかった。ただ、風があることから外部へ通じていると推測された。


「ここから出入りしているということはありませんか?」


 桑原くわばら1等陸士は、ファントムが姿を消すのだからオーヴァルが身体を縮めることだってあるだろう、と続けた。


 疑問に答えられない立花たちばな小隊長は、本部へ問い合わせた。


『そんな狭い隙間で、あの巨体のオーヴァルが通れると思うか?』


 本部の回答は常識的なものだった。


「すでに予定のルートの調査は終わっています。想定外のところに潜んでいると考えられませんか?」


『つまらないことに時間を浪費するな。貴様らは命じられたことをやればいいのだ。想像する暇があったら、目の前の物を良く見ろ。目標地点に到達しても発見できなかったら、折り返せ』


 無線は一方的に切られた。


「ゴキブリなら、どんな狭い隙間にももぐり込みますよ」


 自分の着想に執着する桑原に、立花は顔をしかめた。普通なら叱責するところだが、自分自身の疑いを払拭ふっしょくできず独断で穴の奥を覗くことに決めた。


「モスカメラを出せ」


 それは名称の通り大型の蛾の形をした偵察用のカメラだ。松田まつだ陸士長がケースを開けた。蓋の内側がモニターになっていて、カメラがとらえた映像と位置情報を映す。


 AIに前方の偵察命令を入力すると、体長7センチメートルほどの灰色の蛾は、羽を上下して穴の奥に向かった。


 隊員たちがモニターを囲み、画像を注視する。


 AIが操縦するモスカメラは、700メートルほど飛ぶと巨大な空洞に出た。その瞬間、映像が乱れて黒く変わった。


「チッ、コウモリにやられました」


 松田が、真っ黒になった画面を残念そうに見つめた。


「オーヴァルは映らなかったな」


 本部の意見を無視したうえに装備を失った。立花は狼狽えた。


「小隊長、この場所を見てください」


 松田がGPSの記録を地図に重ね、モスカメラが消失した位置を指した。


「ここは……」


「地下調圧水槽の立坑です」


 松田が念のためにデータを再確認し、立花を見上げる。


「あいつらは、まだ調圧水槽にいるのか……」


 状況から推測すれば、立坑から目の前の隙間を通ってオーヴァルが移動している可能性が否定できなくなった。しかし、オーヴァルを視認したわけでもない。


 立花は意を決した。


「こちら第9小隊、亀裂から飛ばしたモスカメラが立坑に到達、何者かに破壊された。再調査されたし」


 コウモリが破壊したと報告したら、再調査が認められないので隠した。


 進言が功を奏し、再び地下調圧水槽に偵察用ドローンが飛んだ。その暗視カメラは、調圧水槽の底でたむろするオーヴァルを映していた。


『寝ているようです』


『何体いる?』


『30、いや50体ほどでしょうか』


 その声に本部は静まった。


『ゆっくり降下させろ』


 ほとんどのオーヴァルは寝ていたが、見張り役のオーヴァルは起きていた。ゆっくりと立ち上がりドローンを見上げた。


『気づかれたようだな』


 画面に数百の発光があり、タンタンタンと自動小銃の発砲音が聞こえた。刹那、ドローンの信号が消失。


『自動小銃を持っているのか……』


 オーヴァルは卵の調査チームが所持していた自動小銃を使ったのだ。


 報告を受けた陸上幕僚監部は、公式には保有を否定していたナパーム弾の利用を決定した。国連軍が使用を認めている今が、その所持を公表してもダメージが少ないと判断してのことだった。


 ナパーム弾を乗せたドローンが習志野基地を飛び立つまで10分と掛からなかった。


「本部はナパームを使う。オーヴァルの脱出を防ぐためにここを死守しろとの命令だ。亀裂から熱風が出てくるから注意しろ。全面マスク、酸素ボンベ着用」


 立花は部下に命じた。


 嘘が現実となり、手柄になった。爆風で怪我人が出るかもしれない状況になったが、気持は弾んでいた。


 防具を装着した第9小隊は、亀裂のある壁に背中をつけて待機する。


『ナパーム投下まで10秒。9、8、7……』


 ドローンを無線操縦する爆撃手のカウントダウンが届く。立花たちは、頭を抱え込むような姿勢で身を守り、その時を待った。


『……2、1、投下。爆発まで5秒』


 短い間がある。パラシュートにぶら下がった爆弾がふわふわと落ちる時間だ。


 高温を発するナパーム弾は1発で調圧水槽を溶鉱炉に変え、施設内の鉱物を結晶化させた。


 第9小隊が待機しているトンネル内を赤い閃光が走った。亀裂から漏れたものだ。それから亀裂を走った圧縮空気が猛烈な勢いで地下鉄トンネルに拡散した。熱風と爆音、衝撃波が隊員を襲う。そして大地が揺れた。


 爆風は亀裂を3倍に広げていた。


 熱風と共に飛びかうコンクリート片や砕石は凶器だった。隊員を焼き、傷つける。彼らは必死に熱と痛みに耐えた。


 爆風が通り過ぎた後、トンネル内にはさらさらと砂の落ちる音と化学薬品の嫌な臭いが残った。時折、亀裂の奥から、ガラガラと土砂が崩れ落ちる音がした。


 膨大な粉塵ふんじんはトンネル内を濃い闇に変え、強いライトも隣の隊員を照らさない。


 肘を負傷した立花は、ポケットから絆創膏ばんそうこうを取り出して貼ろうとしたが、傷口が黒く汚れているのであきらめた。


 ジャリ……。小石を踏む音がして、砂ぼこりの中に人影を見た。


「すまない。傷口を洗ってくれるか」


 立花は片手を上げて人影を呼んだ。


§   §   §


 ――オーヴァル殲滅作戦本部内


「オーヴァル沈黙。ナパーム攻撃は成功」


 戦果確認に飛んだドローンのオペレーターの誇らしげな報告があった。


 調圧水槽内は高温なうえに埃が舞っていて視界が悪い。X線センサーや赤外線センサーで確認することも出来なかったが、反撃がないので攻撃が成功したと判断した。


「ヨシ!」


 本部に歓喜の声が響き渡る。隊員たちは肩を抱き、あるいは手を握って作戦の成功を讃えあった。


『なんだ?』……それは本部のスピーカーに流れた立花の最後の声だった。ナパーム攻撃の成功の喜びに沸き立つ本部の隊員たちは、それを聞き逃した。


 ――ギェ!――、――ギャッ!――


 続けざまに隊員たちの悲鳴が流れた。そうして初めて本部の隊員たちは耳を澄ました。


「何が起きている。第9小隊、応答せよ!」


 本部だけでなく、殲滅部隊の隊員全てが第9小隊の応答を待った。


 ――応答はなかった。


「第7、8、10、11小隊は、第9小隊を捜索せよ」


 新たな命令が飛んだ。

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