第44話 消えたファントム

 ファントム殲滅作戦は出鼻をくじかれた。


『……ファントムがA2班を襲った。A1班は2階廊下を経由して後ろ階段へ向かえ。A3班は現在地から裏口に向かって通路、及び研究室内を捜索。順当にいけば1階のどこかで挟撃できるはずだ。A4班は裏口から出るファントムに警戒』


 淡島の緊迫した声が飛ぶ。


 2階を経由したA1班は、2階から裏口に続く狭い階段にA2班の遺体が折り重なっているのを発見した。皆、一突きで殺されていた。


「くそ!」


 大小の差はあれ、A1班の隊員は憤り、それを口にした。


『どうした?』


『A2班、全員死亡。2階廊下にファントムの姿なし』


 班長の藤川が報告する。


「班長、2体分の血液足跡があります」


 隊員が流した血で出来た足跡が二つ、並行して階下へ延びている。


『ファントムは1階です』


『A3班、捕捉できたか? 挟み撃ちにできるはずだ。同士討ちに注意しろ』と淡島。


『A3班、ファントムを発見できず。足跡を探します』


 その声は極度の緊張で震えている。


 血液足跡を追ったA1班は、事務室のドアの前にたどり着いた。血液足跡はドアの前で途切れている。


『ファントムは中央の事務室内』


 藤川は報告するとゴーグルを掛けなおして、そっとドアを開けた。バルコニーに陣取ったA4班のライフルが、事務所の窓に照準を合わせる。


 A1班は内部に警戒しながら足を進めた。サーモゴーグルに映るのは青く映るスチール家具で、赤い色をしているのは稼働している情報機器だ。


 機器の陰はもちろん、天井にも目を凝らす。


「いないぞ……」


『足跡はどうした?』


 1人の隊員がゴーグルを外して床を探した。


『ドアの内側で途絶えていたのですが、室内にそれらしいものが見当たりません。血液をふき取ったのかもしれません。鑑識を……』


 藤川の声を淡島が遮る。


『ここに鑑識はいない。よく探せ。たとえファントムでも幽霊のように消えるはずがない。A3班、A1班に合流してファントムを捜索』


『了解……』


 藤川たちは床を這うようにしてファントムの痕跡を探した。


「あった……」思わず声になる。


 拭いきれなかったのだろう。わずかだが血痕があった。それは床の一点で消えている。床下収納の金具がある場所だった。


 藤川は手のひらで合図を出し、隊員を集めて床下収納を指した。そうしてから、小さな床下収納にファントムが2体も隠れられるはずがない、と釈然としないものを覚えた。


「こんな所に?」


 部下の1人が首を傾げた。


 藤川は人差指を唇に当てた。もし、床下収納に隠れているのなら、……そんな小さな場所に、という疑問と矛盾しているのだけれど……、発見したことを悟られたくない。


 隊員が銃を構えたのを確認してから、藤川は部下に命じて床下収納のふたを持上げさせた。床下にあったのは収納ではなく、長い階段だった。


「地下室か……」


 階段に足跡らしきものは付いていなかったが、他に隠れる場所はない。地下へ降りたと考えるのが妥当だった。


『地下室があるのか?』


 映像は指揮車にも届いているはずだが、淡島が訊いてくる。


『地下に向かって長い階段が続いています。隠し部屋のようです』


『ヨシ、ファントムはそこだ』


 声が弾んでいた。


『降ります』


『注意しろ。A3班はバックアップ。A4班は研究所内に入って出入り口を封鎖。警戒態勢を取れ』


 淡島の指示を聞いてから、A1班は1列になって階段を降りた。


 階段はおよそ20メートルほどあった。下りた場所に金属製のドアがあり、その陰からモーター音がする。


 藤川の渇いたのどを唾が流れ落ちる。


 ドアを開けると、奥は無人の工場だった。殺菌用の紫外線ランプの青い光の中で、数台の大きな機械が黙々と薬を製造している。


『大東西製薬の地下工場のようです。設備が多く、ファントムを探すのに手間取りそうです』


『なんだと……』


 淡島が大東西製薬ビルの図面に目を走らせた。そこにA班が下りた階段はなかった。


『工場の出入り口はビル側だぞ。……急いで捜せ。ビルを通って脱出する可能性がある』


『了解。できたら、応援を下さい』


 藤川は恐る恐る告げた。一捜査員からすれば淡島は雲の上の人間だ。物を頼むだけでも身が縮む思いだった。


『わかった』


 すんなり受け入れられてホッとする。


 藤川たちは二手に分かれ、工場内の捜索に着手した。


 ほどなく、配置転換命令があった。


『A4班も工場内の捜索に向かえ。周辺警備のB1班、B2班は、研究所内のA2班の遺体収容に向かえ。C1班、2班はB班の後に入れ。C1班、C2班の配置転換が完了するまで、B・C警備部隊の発砲を禁じる』


 てきぱきと指示する淡島の声を聞きながら、警官たちは作戦が失敗したのだと考え始めていた。


 地下工場内には多くの設備があり、いくつものドアがあった。そこで姿を消すことのできるファントムを探すことなど不可能だったが、15名の隊員は上司の中止命令があるまで探すしかない。


「まいったな」


 藤川がボソッと口にした時、ズン、と鈍い音がして地下室全体が揺れた。


§   §   §


「地震か?」


 地上で警戒していた隊員の間で、同じようなつぶやきがあった。


「パルスによる雑音あり。何らかの爆発のようですが……」


 淡島の隣で、通信担当の緑山みどりやま技官が言った。


「煙が見えます。渋谷辺りです」


 指揮車を守備していた隊員が、群青色の空に漂う白色の煙を指した。


「自衛隊が調圧水槽でナパーム弾を使ったそうです」


 警察庁から連絡を受けた緑山が報告した。


「ナパームだと!……戦争をやっているのか」


 淡島は大火力を使える自衛隊に嫉妬を覚えた。


「ナパームならオーヴァルをやっつけられますか?」


 緑山が訊いた。


「ナパームにもいろいろあるが、高温高熱を出す傷痍しょうい兵器だ。焼くだけでなく、酸素を消費して生物を窒息死させる。調圧水槽のような狭い場所で使ったら、たとえオーヴァルでも生き残るのは無理だろう」


 淡島は指揮車を出て白み始めた渋谷川上空に眼をやった。流れる煙が煌めく星を隠している。その下で全滅したオーヴァルを想像しても気持ちは晴れなかった。


「こっちはファントムを見失ったというのに……、まったく、泣きたいよ」


 上司が激怒する姿が頭に浮かび、肩を落とした。

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