第43話 殲滅作戦

 浜村は総理に呼ばれた。


 執務室では、河上総理がふんぞり返るように座っていた。隣には大道寺だいどうじ防衛大臣が寄り添うように立っていた。


「ファントム殲滅作戦の準備が進んでいるそうですね?」


 河上の口調は穏やかだ。いつも何を考えているのか読めない人物だった。今回もそうだが、突飛なことを言い出して周囲を困らせる。しかし多くの場合、彼女の言ったことや、やったことは国民に支持される。何らかの形で彼女に反対した者は、SNS上で袋叩きにあうから、近頃は彼女に反対する者がなくなった。


 多くの政治家や官僚が、河上に抵抗する力を奪われた中、例外があるとすればSETの経営者だけだった。


 しかし、彼女もオクトマンと取引したことで世間の批判にさらされている。変化を恐れない者、いや、その身をなげうって挑戦する者を評価する社会であるべきだが、どうやら日本はそうではない。……そんな社会にしてしまったのは、自分のような老人か? SNSを駆使して杏里を叩く若者か?……そんなことを考えながら、目の前の総理におもねるように答えていた。


「報告しました通り、二日後には実施予定です」


「時期ですが、1週間ほど遅らせてください。その日、自衛隊によるオーヴァル殲滅作戦も実施します」


「同時にやれというとですか?」


 浜村は、大道寺に視線を移す。その顔が、満足そうに頷いた。


 警察庁と自衛隊に競わせようというのか?


「ファントムの掃討に失敗した場合のことを考えているのですよ」


 大道寺の目が笑っていた。


「もちろん両者ともに成功するでしょう。でも、万が一ということがあります。その時は、成功したほうだけを発表するつもりです。何かと暗いニュースが多い。選挙の前ぐらい、明るい話題を提供したいものです」


 河上が微笑みながら言い放った。どちらか一方が失敗しても政府が、いや、総理自身が傷つかないようにするための保険なのだろう。浜村は、ただ苦笑した。


「国民はともかく、私を失望させないでくださいね」


 彼女の顔から笑みが消えていた。


「しかるべく……」大道寺が応じた。


「最善を尽くします……」浜村は言い換える。「……部下が先にご報告したように、彼なら上手くやるでしょう」


 浜村流の保険だった。


§   §   §


 河上が指定した日曜日の深夜、自衛隊は1万名規模のオーヴァル殲滅作戦を開始した。地下鉄の駅及び操車場を封鎖したうえ、20カ所の地下鉄駅から隊員を送り込んだ。


 一方、警視庁公安部は、編成した特殊部隊5百名を大東西製薬敷地内のインフェルヌス研究所周辺に展開した。


 4カ月間の監視の結果、現在は2体のファントムが研究所の2階で過ごしているとわかっている。SETはベビー・ファントムを3体確認したということだが、公安部自体がそれを確認したことはなかった。


 物体の熱量を視覚化するサーモゴーグルを装備した特殊部隊は、研究所に侵入するA組、敷地を厳しく包囲するB組、ビルの建つブロック全体を緩やかに取り囲むC組に分けて配置し、ファントムの逃走経路を遮断した。


「よく聞いてくれ」


 自ら作戦の指揮をとると決めた公安部長の淡島は、指揮車内のマイクに向かった。


「我々警察は、これまでファントムの攻撃に対して守勢だった。今日はじめて攻めに転じる。各人、そのことを肝に銘じてくれ。……ファントムは体温が低く、サーモゴーグルを使っても背景に溶け込んで識別が難しいだろう。しかし、夜間、我々がファントムを識別するにはこの方法しかない。外部を取り囲むB組とC組の各班は、指示があるまで持ち場を動くな。動く熱源はすべてファントムと考えて射殺しろ。警告は不要だ」


「マジか……」


 淡島の命令に、現場の隊員たちが顔を見合わせる。そもそも、捜査対象が人間でないことが異例なら、高級官僚の公安部長が現場で指揮をとることも異例だった。


 研究所内に忍び込むのは射撃能力に優れた20名の精鋭で、4班に分けられた。A1班から3班は正面出入り口と裏口、南側窓から同時に侵入する。A4班はバルコニーと屋根に陣取って、ファントムが窓から逃走を図った場合に対応する。


『A1班、配置完了』


『A2班、配置完了』


『A3班、配置完了』


『A4班、配置完了。いつでもファントムを追い出してくれ』


 研究所を包囲した各班長の報告に、特殊部隊員たちは武者震いした。


『作戦開始』


 淡島の低い声が流れる。


 最前線のA班は、侵入口に設置されているセキュリティー装置を電磁パルスで破壊、無力化した。それからガラスを切断、あるいはドアを破って易々と研究所内に侵入した。


「いやに冷えているな。何もかも真っ青だ」


 南側の窓から研究所に踏み込んだA3班の班長、山田がつぶやいた。真っ青と言ったのはサーモゴーグルに映る景色のことだ。


「研究施設だからでしょう。高温に弱い菌等が培養されているのだと思います」


 後ろで次長が応じる。


『無駄話はいらない。さっさと動け!』


 淡島が、隊員のサーモゴーグルから送られる映像を見ながら一喝した。


§   §   §


 セキュリティー装置が破壊された瞬間、機械の異常を知らせる超音波が流れた。人間には聞こえないが、オクトマンは聞き取ることができた。


 彼は神経を研ぎ澄ます。空気がざわついているような感覚があった。生き物が発するオーラのようなものだ。


 ミラに声をかける。彼女はすでに目覚めていた。


「ゼットを連れて、隠れていろ」


「オーヴァル?」


「いや、気配が小さい。人間だろう」


「人間とは協定が……」


「そうだな。とにかく、様子を見に行く」


 そう言い残して廊下に出た。そこの空気は一段とざわついていた。


 オクトマンは、タイル張りの床を這うようにして裏口側に近い階段を目指す。


 セキュリティーの破壊の仕方から、ただの泥棒ではない。日本政府やSETの意向に反した動きをする組織があるだろうか?……あれこれと考えながら階段手すりの陰になる場所まで移動した。


§   §   §


 正面玄関から侵入したA1班は、玄関横にある階段の登り口で2階を警戒し、裏口から侵入したA2班は裏口に近い階段の登り口で待機する。


『A1班、正面階段、配置完了』


『A2班、裏階段、配置完了』


 南の窓から入ったA3班は、2階に上がる班の背後がとられることがないように事務所と複数ある研究室にファントムがいないことを確認して回った。


『A3班、オールクリア』


『前進、計画通りだ』


 淡島が命じる。


 正面の広い階段をA1班が上り、少し間をおいてA3班が階段下に移動した。A2班は一般の住宅と似た狭い階段を上る。


 A2班は不運だった。先頭の警官が階段を上り切って廊下を覗き込んだ瞬間に、目前にオクトマンがいた。


 オクトマンが腕を変形させて作った鋭い刃物は、警官の防刃チョッキを突き抜けて心臓を一突きにした。彼が倒れると、後ろの4人がドミノ倒しになって階段を転げ落ちた。


 ――ダダ……『オッ』……ドドド……『なんだ』……ドン……『む……』『どけ』――


 警官達が聞いたのは、階段を転げ落ちる音と短い声だった。誰もがそれを、A2班の不始末だと思った。多くの隊員が彼らの失態を苦々しく思い、あるいは笑った。


 オクトマンは息絶えた先頭の警官を踏み越えると、上から順に隊員を殺しながら1階に下りた。


 ――タタタタタ――


 自動小銃の音が研究所内に反響した。殺された5人の隊員の中で、たった1人だけがトリガーを引いた。


『A2班、何があった? 応えろ!』


 淡島の声は死者のインカムから虚しく漏れた。

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