第38話 苦い取引
ファントムの襲撃に備え、スマートエナジーテクノ社の株主総会は異例のスタイルで開かれることになっていた。役員は本社の会議室、株主はコンベンションホールにいて、二つの会場を3D映像でつなぐというものだ。
ファントムは役員を狙うので、株主を守るために計画したことだが、オーヴァル出現によって会場を分けたのは裏目になった。4人の聖獣戦隊で本社とコンベンションホールを同時に守ることは不可能だ。
「聖獣戦隊は株主を守りましょう」
それが杏里の決断だった。
杏里と小夜子は株主総会に出席するために白虎と玄武は自立モードで、朱雀と青龍は通常モードで総会に臨む。浜村警察庁長官の好意で、両会場に50名規模の武装警察官が派遣された。
役員会議室は内部から鍵をかけ、コンベンションホールの舞台上にホログラムの役員たちが並ぶ。株主総会は杏里の挨拶から始まった。
「ファントムの手で社長他役員2名が殺害されたのは、わずか半年前のことです……」
営業報告の中で両親の死の経緯を報告する際には言葉がつまった。泣くまいと決めていたのに涙がこぼれた。
うつむく杏里に向かって株主の激励の拍手があがる。
「……ありがとうございます」
杏里はどうにか応じ、大きく息を吸って頭を上げた。気丈な瞳が輝いていていた。役員たちはもとより、株主たちもホッと安堵の吐息を漏らした。
議事は順調に進んだ。杏里に対する同情もあり、批判的な質問や意見はなかった。終盤には、ファントムやオーヴァルが来ると考えたのは取り越し苦労だった、とさえ杏里は考えた。
「……これにてスマートエナジーテクノ社の株主総会を閉会いたします。株主の皆様、ありがとうございました」
カメラに向かって深々と頭を下げる。スピーカーから流れる拍手を聞くと、再び目頭が熱くなった。達成感と安堵がもたらす涙だ。
――パチパチパチ――
その拍手は役員会議室の後方で鳴った。カメラを操作していた技術者の背後だ。……そこに人はいない。
杏里は音だけの空間を見つめた。
誰も動けず、口さえきけなかった。いや、那須は後退して壁を背中にした。
拍手の音が消え、空間がしゃべった。
「株主ではないが、提案がある」
「ファントムね」
そのやり取りは、株主たちの耳にも届いた。席を立った株主たちが足を止め、正面のホログラムに注目する。カメラの背後を凝視する杏里の姿があった。
『どういうこと?』
向日葵が声を上げる。
『本社会議室にファントムが侵入したようです』
応じたのは、防犯カメラで会議室を確認したアキナだった。
二つの会場を沈黙が支配した。
「ファントムとは心外だ。……私にはオクトマンという名がある」
声に続いて、オクトマンが姿を現した。
「提案とは、なんですか?」
杏里は他の役員たちより前にでて、交渉の席に着くことを示した。
オクトマンも進み、カメラマンや技術者が転がるように逃げ散った。
「我々は、まもなく人の命を必要としなくなる。今日、この時をもって日本においては人間を襲うことを止めよう」
「それは素敵な提案だわ」
言葉に余裕は見せたが、握った拳は冷や汗で濡れている。
「私は、人類との共存を図りたい」
「共存?」
杏里は首を傾げる。そんなことが可能なのだろうか?
「数千万もの命を奪っておいて、そんな話を信じられると思うのか!」
ビクトルが感情に負けて叫んだ。
「それは、オーヴァルのことを言っているのか?」
「皆、お前の仲間だろう。お前だって多くの人間を殺したはずだ」
「そう。私は生きるために殺した。しかし、オーヴァルは仲間などではない。日本人が我々との共存を受け入れるなら、オーヴァルの所在を教える用意がある」
「あなたたちは、これまで多くの人間を殺してきた。共存と言われても、感情がそれを認めないのではないかしら?」
ビクトルが言ったのは、大半の日本人の気持ちだ。それで杏里は、まず彼に共感を示した。
「ならば、これからも死者が増えることになる。それはスピリトゥスの期待するところだが、それを人類も望むということか?」
「スピリトゥスとは、だれ?」
「我々の創造主だ。人類を粛清し、地球を再生するために私たちをこの世に送り込んだ神」
「その創造主とは、ユリアナ・トトのことかしら?」
オクトマンが無表情な顔を傾けた。
「スピリトゥスはスピリトゥスだ。私の提案を呑むか?……呑まないと決まったら、私はこの場で、全員を殺して立ち去ることもできる」
驚いた役員たちが後ずさりする。
「私に脅迫が通じると思っているの」
杏里の脳裏には、ホリデーパーティーの壇上で「脅迫には屈しない」と拒絶した父の姿があった。
§ § §
「向こうに行こう」
青龍は言ったが、他の3人は同意しなかった。
「これがファントムによる陽動作戦でないという確証がありません。私たちがここを離れた後に襲われたら、出口の少ないこの会場では大惨事になる。私たちが取った作戦です。その責任は最後まで取りましょう」
白虎が凛と言った。
「君自身が、危ないんだよ」
「それは、総会が始まる前に説明したはず。すべて覚悟の上のことです」
白虎は白いマスクの中の表情を引き締めた。もし、会議室の杏里が殺害されたら、自立モードの白虎が永遠に活動するようにプログラムされている。
コンベンションホールのステージ上に映るのは、正面を見据えた杏里と後ずさりする役員の姿。
『事実を言ったのみだ。すでに、オーヴァルは多くの卵を産んだ。放っておけば近いうちに日本は滅びる。私に殺されても、オーヴァルに殺されても、お前たちには同じだろう』
株主たちの間に不安と恐怖が
『共存について、私が答えを出す権限がありません』
『日本政府にもその答えを出す力はないだろう。国連で論議するといって先延ばしにするのが落ちだ。さて、どうしたものか……』
スピーカーから流れる白々しい声が、人々にプレッシャーを与えた。
「何とかしろ!」
会場で声があがる。すると、それまで杏里に好意的だった株主たちが、「そうだ、何とかしろ!」と同調しだす。
『どうにかなるものなら苦労はしないさ』
青龍が拳を握りしめ、苦悶する杏里の姿に目をやった。
『わかりました』
スピーカーから杏里の声。株主たちが次の言葉を聞き逃すまいと口を閉じた。
『あなた方が、今後、人間を傷つけないと約束するのなら、SETは日本政府と国際社会に人類とファントムの共存を訴え、その方法を模索しましょう。ただし、あなた方はこれまで沢山の人間を殺した。多くの恨みを買っている。しばらくは双方とも、茨の道を歩むことになります。その覚悟はしてほしい』
『良かろう。殺し合いより、茨の道を選ぼう』
オクトマンが即答した。
株主たちの間に賛成と反対の声が入り乱れた。
『株主の皆さん……』
杏里の声に、再び株主たちが鎮まる。
『……スマートエナジーテクノ社の社長として、私はオクトマンと取引を行い、日本政府と交渉に入りたいと思います。質問のある方は、マイクの前に立って発言ください』
中年男性が質問席に立った。
「日本政府はテロリストとは取引をしないといっている。その意見に私は賛成だ。社長は、そのことについてどう考えている?」
それは、質問というより抗議に聞こえた。
『私の目の前にいるオクトマンは共存を望んでいます。それは、他者を無差別に排除するテロとは真逆のものです。交渉の余地があります』
「相手は人間じゃないだろう。信用できるわけがない」
『私たちは、ファントムのことをほとんど知りません。だからこそ対話が必要です。オーヴァルが現れた今、事は急を要します。……つい先日、南米の人口2万の都市は、オーヴァルによって3日で全滅したと言われています。ここにいるオクトマンが日本は滅びると言ったのも
「社長がそこまでおっしゃられるのなら、私は同意しましょう」
中年男性はすっきりした表情を作ってマイクの前を離れた。
§ § §
杏里は改めて株主総会の閉会を告げて通信を切り、オクトマンに向き合った。
「見てのとおりです。SETは、あなたを信じて提案を受け入れます。それで今後、あなたと連絡を取るにはどうしたらいいのですか?」
オクトマンは満足そうにうなずき、那須を指した。
「そこの専務さんに聞くといい。今日の予定も彼が教えてくれた。待つのは退屈だったが、成果が得られて良かった」
彼は、オーヴァルが地下調圧水槽にいると言い残して姿を消した。
鍵が開く音がしてドアが開く。新鮮な空気が流れこんで役員たちは正気に戻った。ドアが閉じると、いくつも安堵のため息があがった。
「また政府との関係を悪化させることになりましたね」
白河が言った。
「申し訳ありませんね」
「いえ。いいのですよ。政府との確執には慣れています。しかし、今度の相手は日本政府だけでなく、世界中の政府になりそうです」
「本当に申し訳ありません」
他の言葉が見つからなかった。
§ § §
SETから通報を受けたマタギは地下調圧水槽周囲に集結、偵察用のドローンを投入した。それは立坑を50メートルほど降下したあと、東西3キロに及ぶ貯水トンネルを3往復したが、何も発見することができなかった。
その時、オーヴァルはサッカースタジアムを襲撃していた。マタギは急行したが、オーヴァルの姿はなく、300ほどの遺体だけが残されていた。
防衛省は、SETの誤った情報の結果、スタジアムの国民を守ることができなかったと発表した。
SETがファントムとの取引に応じたニュースは、あっという間に世界に広がった。予想通り、全ての国家やメディアがSETを非難した。
ちょうどそのころ、アフリカ中部の三つの国と南米の一つの国がオーヴァルに滅ぼされた。生き延びた国民は国外に亡命政府を樹立した。
国連は国連軍を組織、禁止していたナパーム弾の使用を認め、オーヴァル掃討作戦に入った。
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