第37話 エクスパージャーはどっちだ?

 河川の氾濫を防ぐために掘られた地下調圧水槽は、天井を支えるコンクリートの柱が林立し、古代神殿に似ている。人は莫大な資金を投じて都市を守っている。


 そもそも河川の反乱を招くゲリラ豪雨は、人類が自然を破壊し、温暖化ガスを作り出したのが原因だ。そうした人類を粛正すべく、自分は生み出された。……オクトマンは、人間がつくった神殿を自分の隠れ家に使うことに歴史の皮肉を感じていた。


 11体のオーヴァルを案内したのは、そんな場所だった。


「ここは大雨が降らない限り使われない安全な場所だ。君たちが子孫を増やす環境として申し分ないだろう。私もここに、子供たちを隠している」


 オクトマンはその場所にレディー・ミラが逃走中に産み落とした子供と、レディー・ソフィアの子供を隠して育ている。ミラの子供たちは半ば野生化してしまったが、それでもソフィアの子供らと一緒に暮らすことで、エクスパージャーとしての行動様式を身に着け始めていた。


 オーヴァルを地下調圧水槽に導いたのは、彼らによって、子供たちが人間の手から守られるだろうと考えたからだ。数日の動きを見ても、オーヴァルたちの戦闘能力は評価に値する。それ故にスピリトゥスが彼らをソルジャー戦士と呼んだのだと理解していた。


 暗闇の中から真っ白な子供たちが駆けてくる。


「良い子にしていたようだな」


 オクトマンは腰をかがめ、胸元のポケットから取り出した新鮮な人間の肝臓を与えた。


「この子たちを守ってもらえると助かる」


 オーヴァルに話すと、彼らのひとりがジロリと大きな目で見下ろし、「ああ……」と応じた。


 彼らは無口で迫力があった。オクトマンでさえ、見下ろされると脅威を覚える。先人はよく言ったものだ。上には上がある、と。


「よかったら、そこの薬を使ってくれ。まだ試作段階だが、私が開発したものだ。人間の体液を摂取しなくても、寿命を延ばすことができる」


 オクトマンは、トンネルの隅に積んだ金属ケースを指した。


「そんなものは、いらない。我々は長生きするために人を狩るのではない」


 オーヴァルはオクトマンの用意した薬品を受け入れなかった。


「そうか……、毒ではないから安心してくれていいのだが……。まぁ、自由にしてくれ。ところで、スピリトゥスからSETをかく乱するように指示を受けているのだろう?」


「我々は、ここで人を狩り、仲間を増やすだけだ。そしてオーヴァルの国を建てるのだ」


 オーヴァルの国? スピリトゥスはオーヴァルに何をさせようとしているのだ?


「トアルヒト共和国大使館を襲った件、スピリトゥスは承知しているのか?」


「もちろんだ。、遺体を粉砕するように命じたのはスピリトゥス自身だ」


「そうなのか……」


 自国民を犠牲にするスピリトゥスとは何者なのだろう?……神とあがめてきた存在に、初めて疑念を覚えた。


 これまで聞かされたスピリトゥスの言葉を思い出しながら立坑を上り、取水口の金網を外して渋谷川の護岸に出た。


 研究所に戻り、オーヴァルたちに会った感想をミラに伝える。


「まったく愛想のない連中だ」


 それをミラが笑った。朱雀に切り落とされた腕は不完全だったが確実に再生していた。ほどなく元に戻るだろう。


「愛想がないのは、あなたも同じです」


「なるほど……」


 オクトマンはソファーに腰を下ろし、ミラの肩を抱く。レディー・ソフィアを失ってから、彼女だけが心の支えだった。


「薬はできたのですか?」


 ミラが話を変えた。オクトマンが新薬を作っていると知っていた。それは、人間の肝臓を摂取しなくても、エクスパージャーが生きられる希望の薬剤だ。


「ああ。大東西製薬の研究者たちは、免疫抑制剤だと信じて開発してくれた。こと研究においては優秀な科学者ばかりだが、政治的センスはゼロだ。オーヴァルたちにも薬を分けてきた。あれで彼らが凶暴にならずに済んでくれたらいいのだが……。彼らの暴力性は、人類との交渉の邪魔になる」


「あなたが政治のことを言うなんて、不思議です」


「そうか? 我々は、個の能力では人類に勝っているが、社会的連携、歴史、人口という面では劣っている。生き残るためには、政治が必要だと考えることが多くなった。オーヴァルの連中を見たら、その思いを更に強くした。彼らは無知だが、仲間で寄り添いあっている。彼らと共存するためには、彼らの力に勝る知恵が必要だ。それが政治だ」


「男の人は、戦うことばかり考えるのですね」


「スピリトゥスが、そうあることを我々に求めているのだ」


「言う通りにすれば、私たちは幸せになるのでしょうか?」


「それは違う。スピリトゥスは自分の頭で考えろと言った」


「でも、私たちはスピリトゥスの望む者を殺し続けています」


「君は賢いな」


 オクトマンは、ミラの言葉をかみしめた。


 翌日、オクトマンが調圧水槽に下りると、座ったオーヴァルたちは背を向けあう形で円陣をつくっていた。


 何事かと思って見ると、円陣の内側にはおびただしい数のオーヴァルの卵が並んでいた。直径20センチメートルほどの卵は白色で、コンクリートのような質感をしている。オーヴァルは円陣を作って卵を守っているのに違いない。


 壁際には人間の遺体が無造作に置かれていた。食料だろう。


「子供が生まれるのだな」


 オーヴァルはうなずくだけで返事をしなかった。


 面倒な連中だ。……彼らと話すのはあきらめて、子供たちを呼んだ。ところが、子供を呼ぶ声は暗闇に反響するだけで、普段なら駆け寄ってくる子供たちが顔を見せない。


「私の子供たちを知らないか?」


「知らない」


 オーヴァルはそれ以上語らなかった。


 その時、白い物体がコンクリートの柱の影から飛び出してきてオクトマンに抱き着いた。


「ゼット、遅かったな」


 それはソフィアとの間に生まれた子供だった。


「ト・ウ・サ・ン」


「どうしたのだ。兄妹たちはどこに行った?」


「ク・ワ・レ・タ」


 小さなゼットがオーヴァルを指した。


「お前たち……」


 オクトマンは怒りに震えたが、彼にはオーヴァルを裁く権限も腕力もなかった。その時になって初めて、「エクスパージャーといえども呑みこまれてしまう」とスピリトゥスが警告していたことを思い出した。


 地上の研究室にゼットを抱いて戻り、自分の過ちで子供たちが死んだことをミラに告げた。


「すまない。私の判断ミスだ」


「私の子供たちが……」


 ミラが、ゼットを抱きしめて泣いた。


 オクトマンは泣かなかった。ただ、身体がワナワナと震えて止まらなかった。子供を殺されながら、復讐することも、謝罪を求めることもできない。これほどの屈辱と悲しみが他にあるだろうか。


 夜になり、ゼットが眠りについてから、オクトマンは立ちあがった。


「彼らこそエクスパージャーなのか?……放っておけば、全ての生命を食い尽くすだろう」


 それは目の前に突き付けられた現実だった。


「スピリトゥスが、そんなことをするかしら?」


 ミラが仁王立ちでいるオクトマンを見上げていた。


「人類の粛清というならオーヴァルだけで十分だ。我々に富める者だけを襲わせるのは不合理。スピリトゥスには別の意図があるのだろう」


「スピリトゥスは、私たちに子孫を増やせと言いました」


「エクスパージャーは文明を粛正する。資本主義の権化を支配下に置き、それを利用して国家を支配する。それが元々の使命だ。……オーヴァルは不安定な社会を襲い国民を殺してきた。根絶やしにしないまでも、暴力と恐怖で国家を支配するつもりなのだろう」


「それならば、オーヴァルが日本に派遣された理由は?」


「SETが屈しないからだ。日本を滅ぼすつもりだろう」


 その時から、オクトマンの苦悩は深くなった。

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