第30話 愛は手段に優先する

 市民のパニックを恐れた警視庁は、緑地公園で発生したベビー・ファントムによる事件を野生生物によるもので、その野生生物の正体は調査中だと発表した。


『ファントムの卵は、人間の体内に産み付けられるのではなかったの?』


 リンクボールの中で杏里は、警察庁のデータを盗み見た小夜子に尋ねた。彼女がその答えを持っているはずないと知っていても、訊かずにいられなかった。


『様々な環境で繁殖が可能ということでしょうね。それだけに手強いと思います』


『今頃はS区で誘拐された被害者の中で……』


『止めて!』


 声を上げたのは向日葵だった。


『向日葵、今は感情に流されないで。事実を受け止めて対処しましょう。考えたくないのはわかるけれど、出来ることなら子供のうちに殺しておきたい。そう思わない?』


『それはそうだけど、子供を狙うなんて卑怯だわ』


 声が怒っていた。


『私たちがやっているのは、武道大会ではないのよ。生存競争なの』


『パパやママなら、どうしたかしら?』


 向日葵の抵抗が続く。


『どういうこと?』


 杏里の気持ちが毛羽立った。


『たとえ憎い敵でも、子供を殺したり、根絶やしにしたりするかな? ということよ』


 杏里は言葉を失った。返事をしたのは小夜子だ。


『確かに、前の社長なら無用な殺戮さつりくは避けるでしょう。共存の道を模索するかもしれません。でも、私たちにそれができるでしょうか? ファントムは常に人の命を狙っているのです。私は許せません』


 彼女の声は珍しく感情的だった。


 小夜子さんは父を愛していたのかもしれない? だから彼女は自分たちとファントムと戦う危険なミッションを引き受けたのではないのか?……想像した杏里は複雑な思いを抱いた。


『それはわかっているわ。だから戦うけど、子供はどうかということよ!』


 向日葵がリンクボールを出て歩き出す。


 リンクボールのハッチを開け、歩き回っている彼女に声をかけた。


「子供だって、もう森林公園で人を殺しているのよ」


「わかっているわよ!」


 彼女が地団駄を踏む。


「とにかく今は、大人であれ子供であれ、ファントムの発見を優先しましょう。子供の扱いは見つけてからのことよ。彼らとコミュニケーションが取れるようなら、向日葵の望むようにできるかもしれない……」


 杏里は自分の言葉を信じてはいなかった。とても、彼らとまともなコミュニケーションが取れるとは思えない。


「……研究陣がドローンを作ってくれたから、明日、K市の森林公園とS区の上空からファントムを探してみましょう。向日葵の気持ちはその時ぶつけなさい」


「そうね。わかった」


 向日葵が笑った。彼女の感情の変化は、杏里の理解の遠く及ばないところにあった。まるで天気雨のようだ。


 翌日、聖獣戦隊は二手に分かれてファントムの捜索に出た。視覚に頼らず、他のセンサーを最大にして……。戦闘になった際の力量を考慮し、朱雀と玄武が組んで森林公園に、白虎と青龍がS区上空を飛んだ。


 聖獣戦隊のドローンが見えると、地上の子供たちが手を振った。スマホを手に、追いかけてくる若者も少なくない。ファンクラブもできていて、エロチックな玄武と凛々しい青龍の人気が高かった。


 S区の空を飛ぶと、誘拐事件が発生した住宅街と神奈川県が、多摩川ひとつで向かい合っているのがよくわかる。白虎は自分の甘さに気づいた。


『以前、S区で捜索したのは間違っていたのではないかしら?』


『川を使ったら、向こう側に行くのは簡単そうだね』


 青龍が応じた。


『そうなのよ。ファントムはタコの遺伝子を持っているくらいだから、水にだって入れるに違いないわ』


 プッと青龍が吹いた。


『何よ?』


『理系なのに、タコの遺伝子の一部が組み込まれているから水の中も得意だなんて、単純なんだ。いつもの杏里さんとは違いすぎる。安直過ぎない?』


『いつもいつも難しいことばかり考えている訳じゃないわよ。対岸は神奈川県警管轄。警視庁も捜索していないでしょう?』


『うん。僕らも地面ばかり歩いていたからね。大地に縛られていたということだ』


 白虎と青龍はドローンで川を越えた。


 川の下流のK市は、再開発が進んで近代的な街を形成していたが、そんな街の中にも取り残された工業地区があった。工場の多くが廃墟と化している。


『ファントムが隠れるには絶好の場所ね。この辺から調べてみましょう』


 2人は周囲に人がいないのを見計らってドローンを飛び下りる。着地するまでの間に、見た目を派手な戦闘服スタイルから、地味な普段着に変えた。


 都市開発から取り残された工場地帯は、恋人たちが歩くような場所ではなかったが、白虎と青龍は手をつないで恋人を装った。そして、意外な早さで異常音を耳にした。


『ざわざわする音だ』


 青龍が足を止めた。


『私も。虫が肉を食う音だわ』


 言ってしまってから、白虎は自分が嫌になった。想像が当たっているなら、それは誘拐された被害者が食われている音だ。


『向こうだ』


 白虎の言葉を聞かなかった風を装い、青龍が音のする方向へ足を速めた。


 行きついた先はブロック塀に囲まれた廃工場で、鉄の門扉もんぴが固く閉ざされている。その取手も蝶番ちょうばんも錆びていて、最近開いた形跡はなかった。だからこそ、その奥で音がするのは不自然だ。


 2人は軽く跳躍ちょうやくして2メートルほどある門扉を飛び越えた。


 敷地は雑草におおわれていた。壊れた手押し車や錆びたドラム缶があちらこちらに放置されている。近代的に変わった周囲と比べれば、異次元空間だ。


 足音を忍ばせて音がする建物に近づいた。汚れた窓ガラス越しに覗いたが中は見えない。視覚センサーを指先に集中させ、紐のように伸ばして割れたガラスの小さな隙間から差し込んだ。


 半透明の袋が天井からぶら下がっていた。中には赤黒く変色した遺体があって、風もないのにゆっくり揺れている。中でベビー・ファントムが移動するからだろう。視覚センサーにファントムは映らないが、赤外線センサーには小さな人型が捉えられた。


 食べてる。……リンクボール内の杏里と千紘は吐き気を覚えた。一瞬、白虎と青龍の形がくずれる。気を取り直すとそれは元の姿に戻った。


『大丈夫?』


 杏里が言ったのは、千紘を励ますためではなく自分を叱咤するためだった。


『なんとか……』


 青龍が蒼い顔で親指を立てる。白虎は工場の壁にもたれて息を整えた。


『朱雀、玄武。見つけたわ。こっちに来て』


 ネットワークで2人を呼ぶ。


「ソラ、ダイチ、ヒカリ、エース、ゼット。私のかわいい子供たち。早く大きくなるのよ」


 こりこりと肉を食はむ音に混じって大人のファントムの声も聞こえた。


『子供の名を呼んでいる。5人、いえ、5体』


『大変じゃない!』


 向日葵の驚愕がネットワークを走った。


「あなたたちは、幸運な子供たち。元気に育ってね」


 子供に語りかけるファントムの声は白虎の胸を打った。ファントムにも母性があるのだ。子供を殺すのは卑怯だと言った向日葵の言葉が頭の中で弾けた。

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