第27話 卵
その事件は、3月初旬、東京都S区内で起きた。毎日1人ずつ、連続4日間、人気の少ない住宅街で人が消えた。失踪者の性別も年齢も様々なうえに身代金の要求もなく、警視庁は家出として処理した。
ところが5日目、5件目の失踪事件が発生。そこには失踪者のバッグが残っていた。事件は連続誘拐事件の様相を帯び 警視庁は変質者による誘拐の可能性を疑って捜査を開始した。
最初の誘拐事件が始まってから10日後、今度はN区で同じような連続誘拐事件が発生した。やはり行方不明者は5人。
S区の事件と違ったのは、コンビニの防犯カメラに4人目の被害者が映っていたことだった。被害者は仰向けの状態で、何者かに両足を持たれて引きずられていた。
捜査陣を驚かせたのは、足を握っているはずの犯人が映っていないことだった。そうして初めて、誘拐犯がファントムである可能性が浮かんだ。
一連の誘拐がファントムによる犯行で、被害者は一般市民だと発表されると社会はパニックに陥った。それまでのファントムは富裕層を脅かすだけの痛快な存在だったが、今度は多数の庶民が標的になったからだ。
一般市民は富裕層のように警備員を雇う余裕もなければ、武装警官による保護も期待できない。外出を自粛するしかなかった。
街から人が減り、他人の眼が少なくなると、商店や通行人を襲う強盗や強姦魔が増えた。それに対応して武装警官のパトロールが強化され、平穏だった都会が戦場のような緊張感に包まれた。
『街がゴーストタウンのようです』
ネットワークの中で玄武が言った。
『ファントムによる被害より、強盗による被害の方が大きそうだね』
青龍が言う。その声には初陣を期待する弾みがあった。
『市民を誘拐して、どうするつもりなのかしら?』
白虎は首を傾げる。……富裕層からは肝臓だけを取った。一般市民からは、全身を奪うのだろうか?
『私たちもファントムを捜しに行きましょう』
朱雀が声を上げる。
『むやみやたらに歩いたところで、ファントムには出会わないと思うよ。それに僕らが出歩いたら、警官に職質されるだけさ』
『ファントムの行動には理由があるはず。目的は何でしょう?』
玄武の疑問。
『そもそも、誘拐という点がこれまでのファントムと異なるわ。S区で5人、N区でも5人。人数が同じことにも理由があるのかもしれない』
白虎は頭をひねる。オーヴァルの存在も頭の隅にあった。
『5人ねぇ』
朱雀が手のひらを広げ、立てた指を数えた。その指を青龍がわしづかみにする。
『被害者がどこに監禁されているのか、気になるな』
『ブルー・サザンクロス号事件を思い出さない?』
『船員の遺体が冷凍にされていたという貨物船ですね』
白虎たちの持つ情報はメディアに流れたものばかりで、ワイドショー程度の分析しかできなかった。
『コンビニの防犯カメラの映像はみられないの?』
訊くと玄武が遠慮がちに応じる。
『警察が押収しているはずです。ハッキングすれば、見ることはできると思いますが……』
『見たい!』『俺も』
朱雀と青龍が手を上げた。
『それじゃ、少しだけですよ』
玄武が壁面のコンピューターを操作してアサさんのネットワークに接続する。アサさんは、いくつかのサーバーを経由して警視庁のサーバーに侵入、誘拐現場の防犯カメラ映像を探してコピーを取った。それは、わずか数分の出来事だった。
『さすがに優秀な秘書はハッキングも一流なのね』
朱雀が、微妙なほめ方をする。
『優秀なのはアサさんですよ』
玄武が澄まして応じた。
『これといって、特別なものは映っていないな』
映像を視る青龍が目を細めた。
『写っていないことが問題なのよ』
被害者は20代の女性だった。映像はバッグのブランドや柄まで分かるほど鮮明で、彼女は意識を失っているだけだとわかる。
新たに得られた情報はなかったが、映像は感情を刺激した。誰もが彼女を救いたいと思い、捜索することを決意した。
いつものユニフォームで歩くわけにはいかないので、思い思いに地味な変装をした。
『浮気調査みたいだね』
メガネとマスクをかけたのは皆同じで、顔を見合わせて笑った。
『必ずファントムの痕跡があるはずよ』
NRデバイスのセンサーの感度を最大限に上げた4人は、N区のコンビニを中心に捜査の範囲を広げていった。
『ファントムが現れるのは明るいうちが多いわよね』
朱雀がいう。
『ホリデーパーティーの夜を除けば、富豪が襲われるのは白昼堂々ビル内でのことがほとんどです』
日陰の通りに立った玄武が、まぶしそうに空を見上げる。眩しいのは帰宅途中のサラリーマンを誘うネオンサインだ。それは太陽のあるうちから灯っていた。
『気づかなかったわ。パーティーの事件の印象が強くて、夜も同じように事件が起きていると考えていた』
白虎は、妹が自分よりも冷静に事件をとらえていたことに驚いた。
『人間が視覚に頼って生きているという弱点を突いているのでしょう。カメラの眼もあざむける彼らは、電子機器が活用される夜より、多くの人間が活動する昼間のほうが安全だと考えている』
玄武が自分の足元に視線を落とした。淡い影が頼りない。
『それで合同葬儀の会場に赤外線センサーと重量センサーを入れたのね』
何処をどう移動してきたものか、別のルートを歩いていた朱雀が玄武に並んだ。
『人間の中からファントムを見つけるセンサーは開発できないの?』
『サーモグラフィーには写って、普通のカメラには写らない生物を区別できればいいのよ』
白虎は答えたが、ファントムはそれに対する対策を取るだろうと、その先を考えていた。どんな生き物でも、生き残るためには手を変え品を変えて進化する。人間が一方的にファントムの上位に立てるはずがない。
『彼らが、消えないでむき出しのまま歩いたら区別できないよ』
白虎の不安を青龍が言い当てた。それに朱雀が答える。
『そうしたら防犯カメラの顔認識システムが使えるじゃない』
NRデバイスは疲労を蓄積しない。しかし、リンクボール内の生身の人間の頭脳は疲労する。
『眠くなってきた』
朱雀が、疲労をそう表現した。その時だ。
『ちょっと待って』
玄武が足を止めた。彼女は、近くの家から呻き声のような物音を聞いていた。
『猿ぐつわを噛まされたような声だ』
同じ音を青龍のセンサーも捕捉した。
『向こうね』
聖獣戦隊が集まったのは荒れ放題の木造住宅。庭木は伸びほうだいで投げ込まれたごみが散乱している。
『空家のようね』
『最近、出入りした形跡があるわ』
白虎は玄関ドアのノブを指した。誰かが握ったのだろう。汚れが落ちている。それを握ったのは血気盛んな青龍。
鍵は閉まっていなかった。薄暗い室内がじめじめしている。梅雨時の森の中にいるようだ。
呻き声は奥の部屋から聞こえた。
青龍がギシギシ鳴る廊下を進み、音の漏れるドアの前で足を止めた。
『開けるよ』
『OK』
後続の朱雀が親指を立てた。
――ギギィ……、ドアがきしむ。窓がふさがれた室内は真っ暗だった。
赤外線センサーと二酸化炭素センサーが人型の生き物を補足する。ファントムに違いなかった。
一瞬、暗闇に刃物が光り、青龍に激突。全てのセンサーの感度を上げていたために、リンクボール内の千紘は鋭い痛みを感じた。
『くそっ!』
青龍は手を伸ばした。指先に硬い皮膚を感じる。刹那、ファントムが素早く移動した。
『ファントム!』
白虎と玄武は、玄関に立って逃走経路をふさいだ。
――ガシャン――
無機質な破壊音が闇に響く。ファントムは廊下の窓ガラスを突き破って脱出した。
朱雀がその窓から、白虎は玄関を出て後を追う。しかし、通りに出た時には、ファントムの姿は影も形もなかった。
『消えたわね』
見えないことには納得できたが、足音が聞こえないのは謎だった。
『潜んでいるのかもしれない。注意して』
朱雀と白虎、玄武は、聴覚とサーモセンサーの感度をいっぱいに上げて家の周囲を捜索したが、様々な街の気配が邪魔してファントムを察知することはできなかった。
朱雀らがファントムを捜索する一方で、青龍は異様な光景を目の当たりにして立ちすくんでいた。彼が声を取り戻したのは、『青龍?』と尋ねられた時だった。
『ひどいことになってるぞ』
彼はやっと言った。
青龍のいる8畳の和室には、天井から袋状の物体がぶら下がっていた。半透明の膜につつまれた5人の人間だった。みな、全裸だ。彼らの衣類やカバンなどは部屋の隅にあった。
低い呻き声を発しているのは、その中の1人だった。
『何があったの?』
ファントムを捜索しながら白虎が訊く。
『誘拐されていた人たちが。……視覚映像を送る』
青龍は目の前の映像をネットワークに載せた。それから膜を切り裂き、被害者を袋から出して床に寝かせた。呻き声を出している者以外は仮死状態のようだ。
公衆電話から警察に通報し、大通りにサイレンの音を聞いてから聖獣戦隊はその場を離れた。
空き家から救出された5人は病院に収容された。彼らの外傷は誘拐された時のかすり傷程度で命に別状はなかった。しかし検査の結果、2人の大腸内に異物が発見されて緊急手術が行われた。
体内から取り出されたのは、人の拳ほどの大きさの柔らかい卵だった。それが周囲に溶け込んで見え難いのは、ファントムと同じだった。
警視庁は誘拐された5人を救出したことを発表したが、ファントムが人体に卵を産み付けた事実は公表しなかった。
杏里たちが卵の存在を知ったのは、警視庁のサーバーをハッキングをしたからだ。
『私たちが踏み込んだ時、ファントムは産卵の最中だったのね』
4人はファントムの卵の画像データを深刻な面持ちで見つめた。
『狩りバチというんだっけ?……仮死状態にした芋虫なんかに卵を産み付ける蜂』
『孵化した幼虫は、宿主を餌にして成長するのよね』
『すると、N区より1週間早くS区で誘拐された5人は……』
4人は言葉を失った。
最初に口を開いたのは白虎だ。やるべきことは決まっている。
『早く救出しましょう。それができなければ、ファントムの子供が生まれるのは確実ということだもの』
ファントムの繁殖を恐れた警視庁も捜索を強化。S区の空き家を全て確認した。しかし、被害者たちは見つからず、僅かな手がかりさえ発見できなかった。
手がかりを得られないのは、聖獣戦隊も同じだった。
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