第20話 厳しいスタート ――臨時役員会――
1月6日、スマートエナジーテクノ社の臨時役員会が開かれ、席に着いた役員たちは大株主となった杏里を待っていた。そわそわした空気が流れている。
小夜子に伴われた杏里が会議室に入ると、役員たちの表情が引き締まった。彼らの視線が杏里を値踏みする。いくつかの瞳は、まだ若いな、と彼女を軽んじた。
杏里は顔が熱くなるのを感じた。
「私が……」
声は震え、奥歯が鳴った。深く息を吸って、もう一度、最初からやり直す。
「……私が鈴木杏里です。両親の持っていた株の90%を私が相続し、妹の向日葵が10%を相続します。私、単独で54%を保有することになります。株主の権利として、私自信が当社の社長に就任することを臨時株主総会に
弱気な自分を必死で鼓舞した。
役員のほとんどは杏里の能力を疑っていた。若干二十歳の大学生なのだから当然だった。おまけに彼らの頭にはホリデーパーティーでファントムに睨まれた恐怖がこびりついている。杏里がどれだけ株を持っていようと、あるいは天才科学者2人のDNAを受け継いでいようと、抵抗を覚えるのは当たり前だった。
杏里の声は前半こそ上ずっていたものの、徐々に落ち着きをみせる。
「……つきましては、副社長にはエネルギー伝送技術を担当している白河常務に就任していただき、常務の席には企画担当の本宮役員に就任していただきたいと考えています。役員会の賛同をお願いします」
杏里は役員一人一人と視線を合わせ、その名を心の内で呼んだ。それから、ゆっくりと頭を下げた。それは小夜子の指示通りの行動だ。
その落ち着いた態度に感心し、姿勢を前傾して注目する役員が現れる。反対に、那須の表情が険しくなった。格下の白河が副社長に指名されたのも、その一因だった。
彼は、役員たちを睨み回したかと思うと突然、口を利いた。
「社長になって、何をするつもりです?」
威圧的な太く大きな声だった。あの夜の、下手に出た様子はみじんもない。
杏里は彼の顔を見据えてから、並んだ役員たちの顔を一つ置きに見回した。
「今、私たちがやらなければならないのは、SETの使命と理念を再確認して団結することです。それから、ファントムに対抗するための技術的手段を確立すること。そして、企業として社会貢献し、利益を上げることです」
パチパチパチと軽い拍手が鳴った。ホリデーパーティー前に渡米し、ファントムの恐怖を知らないビクトルの拍手だ。それから昇進の話があって遠慮していた白河と本宮が拍手をした。それにつられ、役員たちの多くが賛同の拍手を送った。
「ありがとうございます」
杏里は素直な気持ちを言葉にした。
苦虫を噛み潰したような表情の那須が勢いよく立ち上がり、口を開いた。
――フォンフォンフォン――
「……」那須の声を、けたたましく鳴る火災報知機の警報音がかき消した。
「何事だ?」
役員たちが一斉に立ち上がった。
――フォンフォンフォン……、警報が鳴り続ける。
流会にして、不利な状況を立て直そうというのだろう。那須が席を離れてドアに向かう。それに数人の役員が追随する。
「待ってください。外は危険です」
止める小夜子を役員たちが押しのけた。
臨時役員会が流れる!……杏里は失望した。
廊下に火の気はなかったが、通路奥のエレベーターホール前で騒ぎが起きていた。
§ § §
その日、警備員たちは役員会があるフロアへの人の出入りに注意を向けていた。エレベーターのそのフロアのボタンが押されると、警備室の警備員はすぐさまエレベーター内の防犯カメラのモニターに眼をやった。そこには何も映っていない。
「だれも乗っていませんね」
ひとりの警備員が言った。別の警備員が計器を指した。
「見ろ」
エレベーターの積載重量センサーは、そこに何かが乗っていることを示していた。
「やつだ」
警備員は、手筈通りに小夜子の携帯端末に連絡を入れた。
知らせを受けたのは、小夜子の自立モードのNRデバイス、玄武だった。もちろん警備員は、報告した相手が玄武だと知らない。彼女は朱雀と共に役員会議室用の倉庫から飛び出してエレベーターの前で待機した。
向日葵はNRデバイスを操作して髪を赤く変え、顔には赤いマスクを描き、身体には真っ赤なレオタード風の戦闘服模様を作っていた。
小夜子は違った。向日葵ほど上手く操作できないため、ライダー用の黒いゴーグルとマスクで顔を隠し、カーボンナノ繊維の黒いライダースーツを玄武に着せていた。
エレベーターが到着して扉が開く。
「私は炎の戦士朱雀。熱き太陽に変わって、悪を成敗する!」
空っぽに見えるエレベーター内にむかって朱雀が名乗りを上げる姿は、風車に挑む
玄武は警棒を握る手に力を込めた。
すると、黒いボディースーツ姿のファントムが姿を現した。その容姿は紛れもない。ホリデーパーティーで大和とカレンを殺害したファントムだった。それを目の当たりにして、リンクボール内の向日葵は震えた。怖いのではない。武者震いというやつだ。
「小夜、じゃなかった、玄武、名乗りを」
向日葵は玄武に向かって催促した。
「私は、……えっと、暗黒の戦士玄武。月に変わってお仕置き、じゃなかった、悪党は無明の闇に落としてくれる」
玄武は小夜子の人格をものの見事に写し取っていて、緊張で全身を硬くしているだけでなく、ゴーグルとマスクの下の顔を赤らめていた。
「聖獣戦隊ユニバース、参上!」
2人が決めポーズを作る。一瞬だが、朱雀の広げた両腕が赤い翼に変わった。
決まった!……思い通りの演出ができて、向日葵は満足だった。
「エッ!」と朱雀と玄武。
ファントムが降りる前にエレベーターの扉が閉まった。
朱雀は急いでエレベーターのボタンを押した。
再びエレベーターの扉が開く。
「間に合った……」
大きな嘆息。
「風変わりなやつがいるものだ」
ファントムが呆れたように言いながらホールに降り立った。
その時、警備室で押された非常ベルが鳴りだした。防犯カメラに写った朱雀と玄武を不審者と思った警備員が鳴らしたのだった。
「そこをどけ」
ファントムが威圧する声は、まるで地獄の底から噴火口を通ってきたようだ。
ホリデーパーティーの惨劇が脳裏を過り、朱雀と玄武はひるんだ。
ファントムが歩みだす。
朱雀は回し蹴りを繰り出した。「アチョー」と、かん高い声と同時にしなる脚が空気を切り裂き、ファントムのわき腹に当たった。
『やったわ』
玄武の喜びはネットワークを通じて杏里にも届いた。
しかし、ファントムは歩を止めたが、体勢を崩すことはなかった。
『やっぱり体重が軽すぎる』
「アチョ、アチョ、アチョー」
朱雀は頭部を狙って2撃、3撃と繰り出したが、それはいなされた。
「ハッ」
小さく息を吐いたファントムが手刀を振る。それは朱雀の胸を切り裂いた。赤いコスチュームが裂けてパックリと開いた傷が黒い影をつくった。朱雀が飛びのいて態勢を整えたとき、その胸の傷は消えていた。
ファントムが目を細めて首を傾げる。
このままではやばいかも。……考えながら正拳と前蹴りを繰り出してファントムを押し返した。
「お前、不死身か?」
ファントムの声に朱雀は応えない。
一瞬のすきをつき、「エイッ」と玄武が警棒を振り下ろした。
気合を声にするのが早すぎた。ファントムが体を逸らす。玄武の警棒はヒョロヒョロと空を切った。
ファントムは玄武に向かって後ろ回し蹴りを繰り出す。ヒュンと空気を裂いた。
蹴りを受け止めた警棒が切断、玄武の腰も大きく切り裂かれた。彼女は驚きのあまりに尻餅をついた。
「何だ、あれは?」「何が起きている」
廊下がざわついた。エレベーターホールで繰り広げられる戦いを目にした役員たちの声だった。
「邪魔だ」
ファントムが朱雀の蹴りをかいくぐるようにして背後に回り込む。
「危ない!」
朱雀のピンチに、役員たちが声を発した。
ところが、ファントムは朱雀には見向きもせず、役員たちに向かって走り出した。その距離を詰める間は一瞬で、彼らが会議室に逃げ込む余裕などなかった。
最前列に立っていた本宮の腹に鋭い手刀が突き立てられる。
「えっ?」
驚いたのは、自分が狙われていると考えていた杏里だった。
不意を突かれてバランスを崩したファントムの後頭部に、追ってきた朱雀が踵落としを決めた。
ファントムはグラリと揺れたが、すぐに態勢を立て直して杏里の胸元に向かって水平に腕を振った。
刃物に代わった手が胸を切り裂いた。こうした事態を想定し、その日の杏里はNRデバイスだった。切られた肉体はすぐに復元したが、スーツとブラウスは本宮の血で赤く染まった。
「うぁー」
役員たちが無様な悲鳴を上げながら、会議室に逃げ込んだ。
会議室の出入り口に玄武が立ちはだかり、朱雀が執拗に攻め立ててファントムが会議室に入るのを阻止した。
チッ。……ファントムが舌打ちした。役員が退いてひらけた通路を走り、非常階段から逃走を図った。遅れて朱雀と玄武がファントムを追った。
非常階段には、あらかじめシンゴさんが配置されていた。しかし、ファントムの鋭い手刀がシンゴさんのボディーを貫通、一瞬で機能が停止した。
朱雀が倒れたシンゴさんを隅に寄せる。その時、ファントムの姿は幻のように消えていた。
役員たちが会議室に退避した後も、杏里は廊下で懸命に本宮を助けようとしていた。彼は刺されたものの肝臓を取られておらず、息もあった。
「本宮さん! しっかり!」
声をかけながら腹の傷口を素手でふさいで出血を押さえた。が、彼の心臓はほどなく止まった。杏里は蘇生処置を試みたが、背中に達した傷口から流れる血液が床に広がるだけで、彼が息を吹きかえすことはなかった。
ファントムが逃げた後、小夜子が機転を利かせ、臨時役員会ではすぐさま決がとられた。
役員たちはファントムの脅威を痛感していた。本宮の血で赤く染まった杏里を前に、ファントムに立ち向かった彼女の勇気と責任感を認めざるを得なかった。ほとんどの役員は杏里が社長であることに同意し、共にファントムと戦う覚悟を決めた。
臨時役員会を乗り切れたものの、杏里は本宮を失い、その胸には苦いものが残った。
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