第13話 穏やかなパーティーと死の影

 向日葵は、パーティーの人垣の中に両親を捜した。


 スマートエナジーテクノ社の副社長、鈴木大和は科学界、経済界において天才科学者としてよく知られていた。〝eチップ〟を開発したのは彼だ。研究開発が何よりも好きで研究・技術部門を統括している。人付き合いには興味がなく、妻のカレンを社長に据えて経営は任せていた。


「パパは会社の人と一緒ね」


 向日葵は父親が同僚と熱心に語り合っているのを見つけてホッとした。


「あの雰囲気は仕事の話ね。パーティーなのにお父さんの部下は可哀そうだわ。……お母さんも大丈夫ね。警察の人と話している」


 カレンは、浜村警察庁長官と談笑していた。


「警察が役に立つのかしら?」


 向日葵は思ったことを率直に言う。


「今は信じるしかありませんよ」


 そう言って姉妹の間にはいったのは、カレンの秘書の嶋小夜子しまさよこだった。金色のスパンコールを散りばめた黒いドレス、高いヒールが足首をさらにキュッと引き締めていて、モデルのようなスタイルを一層引き立てていた。


「いざとなれば私が、……微力ですがお嬢さまを全力でお守りします。社長に命じられていますので」


 彼女が優美な笑みを作った。


「小夜子さんが?」


 向日葵は眼を瞬かせた。彼女は美しく知的だけれど、バレーボールもバドミントンもできない運動音痴だと知っている。彼女と比べたら、空手を習っていた自分の方が強いに違いない。彼女が暴漢から、ましてファントムから自分たちを守ることなどできないだろう。杏里も、頬をひきつらせるように笑いをかみ殺していた。


「信用ありませんね。……まあ、いいです。会場周辺はファントムの襲撃に備えて警官が十重二十重に取り囲んでいます。パーティーには電気事業を所管する経産省関係者や電波を所管する総務省関係者が招待されていますから、警視庁も警官の派遣依頼を拒みませんでした。警察庁長官まで顔を見せている。きっとファントムに対する警備を自分の目で確認するためです」


「ふーん、信じていいのね?」


「はい。日本の警察は優秀ですから」


 小夜子が姉妹に向かってうなずいた。


「どうして政府はSETに冷たいのですか? 今日は警察庁長官まで来ていますが、普段はお父さんやお母さんを守っていない。他の企業の経営者の家には、警察が派遣されていると聞きます」


 杏里が真剣な眼差しをしていた。


「政治のことなのです。学生のお嬢様にはまだ早いかと思うのですが……」


「学生でも政治のことは分かります。いえ、分かりたい」


「私も知りたい。小夜子さん、話して」


 彼女が姉妹に向く。


「そうですか……」スーと長く空気を吸った。「……ご両親がセット社を作った時、政府とエネルギー業界団体は笑っていたのです。エネルギーを宇宙から自動車や家電に直接送ることなど不可能だと」


「実験では成功していたのですよね?」


「もちろん。彼らは技術的問題を指摘した風を装って、自分たちの既得権を守りたかっただけなのです。実際、SETの電気事業は成功し、次々と発電衛星を打ち上げて業績を伸ばした……」


 SETは世界に進出し、どこでも電力会社や送電会社の抵抗を受けた。しかし、電線やバッテリーのいらない生活を消費者は望んだ。砂漠や孤島、ジャングル、山間部で暮らす人々にも平等に電気の恩恵をもたらすから、発展途上国ほどSETを歓迎した。


「……それに伴って既存の電気供給事業社や電気設備業界の業績は低下し、与党への献金も減った。政府は独占禁止法を持ち出して、SETの分割まで言い出しました」


「従わなかったのよね?」


「ええ、今もSET社はひとつです。社長は、エリア単位の分割はコストを増やすだけで国民の利益にならないと反対しました」


「それで?」


「社長は、全国への電気供給が独占になるのなら、東京圏だけ電気供給エリアからはずすと言い出したのです」


「東京圏を! 一番大きい市場じゃない」


「だからです。SETが電気を止めたら、架線を廃止していた電車はすべて止まってしまう。もし架線を設置し直すとしたら莫大な費用が要ります。多くの電気自動車もコンセントがなくなった高級住宅地の家電も、スマホも動かなくなる。……政府も経済界も妥協するしかありませんでした」


「政府はそれを根に持って嫌がらせをしているの?」


「もちろんそれだけではありません。社長は政治献金を出しませんから……」


「それで政府は冷たい。……結局、お金の問題なのね」


 向日葵は少し嬉しかった。両親が金目当ての政治家をらしめたような気がした。


「スマートエナジーテクノ社の役員からの挨拶です」


 司会の声にあわせて役員たちがステージに立った。


 会場全体の照明が半分に落とされ、スポットライトがカレンを照らした。


 パーティーの参加者はカレンに注目したが、向日葵はテーブルに並んだ色とりどりのケーキの味見を優先した。


「みなさん、1年間、お疲れ様……」


 カレンが微笑み、定型的な挨拶を述べた。それから時折つまらない冗談を織り込んで、今年を振り返った。


「……北極、チョモランマ、サハラ砂漠、アマゾン、南極。……昨年、我社の電力は世界中くまなく届きました。SETの世界電力シェアは60%。……重要なのはシェアや売上高ではありません。世界中の全ての人々が、十分な電力を享受できるようになったことです。幸せになるチャンスを得られたことです……」


 電気を使えるから幸せだって? 世界には、まだ飢えた人々がいるのよ。……母親の演説に、向日葵は突っ込みを入れる。チーズケーキ―を貪りながら……。


「……だからといって、利益も無視できません。SETには15万、関連会社を含めれば90万人の社員がいる。その家族を含めたら、何百万人の生活を、人生を、私たちは背負っている……」


 カレンが後ろに並んだ役員に目をやり、覚悟を促した。


「……世界は豊かになったのでしょうか?……世界中が豊かなら、テロで街が消滅してしまうことなどないでしょう。ファントムが世界中の富豪たちを狙うのも、そんなことが理由なのかもしれません」


 カレンの話に会場が静まった。


「……日本のファントムの行動も活発になりました。どうやら、私の肝臓も危ない……」


 彼女が両手を腹部に置いた。


 会場に重い空気が流れる。


「……ここ、笑うところです」


 ママ、そのジョークは笑えないわ!……向日葵は声をあげようと思ったが、口の中はミルフィーユでいっぱいだった。


 ――コホン……、カレンの咳ばらいが人々の鼓膜を震わせる。


「……来年、社員の給与水準を維持したまま、労働時間を月あたり50時間、短縮しようと考えています」


 大幅な勤務時間の短縮宣言に、社員から歓声が上がる。メディアのフラッシュがたかれて薄暗かった会場が真昼のようになった。


「社員の皆さん、本年中に間に合わなくて、申し訳ありません」


 再び会場がわく。


「機械化を進めるということでしょうか?」


 質問したのは経済誌の記者だった。多くの大企業がロボットを導入して効率化を進め、人員を削減している。社員たちの中にリストラという恐怖の波紋が広がった。


「いいえ。時短で不足する労働力相当分は雇用を増やします。失業者の中から国内で1万人、世界で10万人規模の正規雇用を実現するつもりです」


 ――オォォォ――


 会場がどよめいた。カレンが言うのは、労働効率を高めて人件費を削減しようという時代の趨勢すうせいとは真逆だった。


「私は、株価や純利益より、地球で生きる人々の幸福に貢献したい」


 カレンの言葉に再び拍手が沸き起こった。


 大和が前に出て、カレンの話を引き取る。


「皆様もご存じのとおり、わが社はインフェルヌスという組織から共同研究開発の提案を受け、それを断りました。……先日、大東西製薬と提携したインフェルヌスです」


 パーティー会場が一気にシンと静まり返った。


「インフェルヌス、て?」


 向日葵は小夜子に小声で尋ねた。


「バイオテクノロジーに優れた企業です。……半年ほど前、レディー・ボンドと名乗る美女が共同研究の売り込みに来たのです。当社の生物化学研究所で検討したところ、インフェルヌスの技術や研究成果は確かなもので、太陽系外探査や移住を視野に入れれば有益だと判断しました」


「その会社との契約が大東西製薬に持っていかれてしまったの?」


 杏里が訊いた。


「いいえ。副社長が断ったのです。役員の中にはインフェルヌスとの共同研究に固執する者もいたのですが……」


「こちらから断った、……どうして?」


「インフェルヌスがトアルヒト共和国のスピリトゥスというものの影響下にあるとわかったからです。スピリトゥスが政治的な存在なのか、宗教的存在なのか不明なのです」


 小夜子がささやくように話し、ステージ上の大和に目を向けた。


「……インフェルヌスの言葉を信じれば、彼らは世界にを創ろうと考えている。そのために我が社の力が必要だという。……他社がどのような経営判断を下したのか知りませんが、我が社は世界秩序を変えようという政治的判断にはくみしません。これまで通り、世界中に安くて便利な電気を送り続けるでしょう」


 大和がカレンの手を取り、一歩前に出る。会場から拍手が上がると、手を振って応えた。その表情や行動はよく似ていて、誰の目にも仲睦まじい夫婦に映った。

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