第4話 純朴な好奇心

 土曜日のこと……。ルミルはシンゴさんを連れてスラム街に入った。もちろん、母親には内緒だ。


「そんなに簡単に見つけられますかいのう……」


 シンゴさんが物憂げに言った。


「大丈夫よ。すっごく目立つ人たちだもの」


 ルミルは買い物気分でルンルンと脚を進める。


「いた!」


 見つけたのは、超悪魔団の赤い髪の青年だった。彼は人けの少ない裏通りを肩を怒らせて歩いていた。その頬にはホワイトに蹴られた足形がくっきりと打撲傷だぼくしょうになって残っていた。


「ねえ、ねえ、ねえ」


 ルミルは目の前を通り過ぎようとする青年に声を掛けた。


れ馴れしいやつだな」


 振り返った青年は、声の主がルミルだと気づいて腰を抜かしそうになった。


「な、なんだよ。お前……」


 スラム街で危険な目にあったルミルが、再びそこに足を踏み入れると想像もしていなかったのだろう。


 弱いルミルがスラム街に入る以上、ホワイトが一緒かもしれないし、警官を連れてきたのかもしれない。そう考えたのだろう。怯えた顔で周囲を見回した。


「おまえ、この前のやつだな。あんな目にあって、また来るなんて馬鹿か?」


「うぅーん。そうかもしれない」


 君子、危うきに近寄らず、と教えてくれたホワイトの顔を思い出し、ルミルは笑った。比較するまでもなく、ホワイトには劣っているという自覚がある。


「ちぇっ」


 彼はつばくと頬を押さえた。


「まだ痛むの?」


「当り前だろう。下手へたをしたら、首が折れて死ぬところだったんだぞ」


「そうなんだ。大丈夫?」


 ルミルは小首を傾げながら、彼が隠した打撲傷を覗きこんだ。


 青年がルミルを見下ろした。


「それで、今度はなんだ。やっぱり俺たちと来たのか?」


「お兄さんも馬鹿だね」


 ルミルは笑った。


「犯すぞ!」


 彼がガンを飛ばしたが、ルミルは平気だった。


「今日は、シンゴさんが一緒だからね。安心だよ」


「シンゴさん?」


 青年は、ルミルの後ろに立っている老人に目をやった。


「ただの老いぼれじゃないか」


「年寄りは敬うものじゃよ」


 シンゴさんがにっこりと笑った。


「バカバカしい」


 彼はシンゴさんに背中を見せ、その胸に向かって右足を蹴り上げた。強烈な後ろ回し蹴りだ。


 ――ガツン――


 鈍い音が空気を震わせ、青年が満足げに笑った。


「やったぜ」


 満足げにつぶやいた彼が顔色を変えた。シンゴさんに背中を見せたまま、脚を下ろすことができない。


「な、なんだ……、足が……」


 彼の右足はシンゴさんの左手で受け止められ、しっかりと握られていた。


「なかなか良い蹴りじゃったよ」


 シンゴさんが。足を握った手にジワリと力を入れる。


「いててて……。ギブ、ギブ、放せよ」


 シンゴさんは、彼の足を投げるようにして解放した。


 バランスを崩した青年が、ト、ト、ト、とたたらを踏んで転んだ。


 ルミルは彼の隣に屈む。


「ねっ、シンゴさん、強いでしょ」


「くそが!」


 青年は座り込んだままシンゴさんを見上げた。


「こいつ、ヒューマノイドだろう?」


「当たり」


「ちぇっ。お前、どこの金持だよ」


「ないしょー。個人情報だからね」


 青年は立ち上がり、パンパンと尻を叩いて埃を払う。


「くそが。それで、俺になんか用か? この前の件で謝れとでもいうつもりか? それなら謝らねえ。もちろん、慰謝料いしゃりょうなんてものも持ち合わせがねえ。逆さにしたって小銭ひとつ落ちないぜ」


 彼はルミルの返事も待たずに歩き始めた。


「ねえ、ねえ、ねえ」


 ルミルは、彼について歩く。


「なんだよ。ついてくるな。疫病神やくびょうがみ!」


「ねえ、ねえ、ねえ。ゼットの家を教えて」


 彼が、背中を丸めて振り返った。


「ゼットの家?」


「そう。ゼットの家」


「なぜ?」


「んー、わかんない」


「馬鹿か?……馬鹿なんですかぁ」


 青年は天を仰いでなげいて見せ、再び歩き出す。


「何かを感じるのよ。教えて」


 ルミルはあきらめなかった。


「教えてほしかったら、1万円払え。それが資本主義社会というものだ」


「はーい」


 ルミルの気持ちの良い返事に青年が足を止める。ルミルに目を向けてほくそ笑んだ。


 ルミルは、シンゴさんに持たせていたバックからクレジットカードを取り出す。


「待て。カードはだめだ。スラムではそんなもの信用されない。偽物が山ほど出回っているからな。第一、俺は入金口座を持っていない」


「もう、仕方がないわね。現金なんてあったかしら?」


 バッグの中をガサゴソ漁り、ポケットティッシュに紛れていた現金をみつけた。


 彼は差し出された紙幣に目を落とし、それからルミルの顔に目を移し、最後にシンゴさんの顔を確認した。


「いいんだな?」


 シンゴさんが小さくうなずく。


「毎度あり」


 青年が満面の笑みを浮かべた。意外に可愛らしい笑顔だった。


「ついてこいや」


 彼は背筋をそらすと、かかとから先に歩くような格好でスラム街の路地に入った。


「ねえ、ねえ、ねえ。あなたの名前は?」


「個人情報だからな。知りたかったら、1万出せ」


「それなら、訊かない」


 ルミルは口を閉じた。彼はむっとしたが、道案内は止めなかった。


「ジェイだ。レッドヘッドのジェイ。かっこいいだろう」


 突然、彼が言った。


「ふーん」


「なんだよ。話し甲斐のないやつだな。あんたは?」


「私の名前は、前の晩に呼ばれたわ。覚えていないの?」


「当り前だ。こんなに蹴られたら、クソと一緒に流れちまう」


 ジェイが自分の頬を指した。


「ふーん、ルミルよ」


「ルミル……。そんな名前だったかな? 変な名前だな」


 ジェイが振り返り、ルミルの容姿を改めて確認した。


「そう?」


「そうだ。乳酸菌にゅうさんきん飲料みたいな名前だ」


「そうなの。知らなかった」


「まったく、とぼけたガキだ」


 それからしばらく、ジェイは歩くことに専念した。


「ここだ。ゼットは母親と住んでいる」


 ジェイに案内された場所は、3階建ての公営住宅の2階だった。


 スラムという言葉の持つイメージとは異なり、建物は壊されたり落書きがされたりすることなく清潔だった。それは防犯カメラで行政に監視されているし、公共施設の破壊は罪が重く、もし、それを行ったのが住人ならば、居住資格を失い刑務所に送られることになる。


 ルミルはインターフォンを押した。


「返事はないと思うよ」


 ジェイが言った。


「どうして?」


「2人とも仕事に出ているからさ」


「ひどい! 知っていて、連れてきたのね」


 つかみかからんばかりに詰め寄った。


 ジェイはルミルの反応をニヤニヤしながら楽しんでいる。


「ゼットのところに案内してくれるんじゃなかったの」


「おまえがゼットの家を教えろと言ったんだぜ」


「あ……、それはそうだけど。普通、たずね人のところに案内してくれるものじゃないの?」


「俺は、人を案内するのが初めてだから知らないよ」


 ジェイがルミルをからかって面白がった。


「ゼットはどこにいるの?」


 ジェイが手を出す。


「情報料、1万」


「ぼったくりだわ。いい、ここで待つから」


 ルミルは頬を膨らませてドアの前にしゃがみ込んだ。


 シンゴさんがルミルを見下ろして困惑していた。少女の気持ちは、シンゴさんの量子コンピューターでも計算しきれないらしい。


「まったく……。こんなところにいたら、エンジェル団に拉致されるかもしれないぞ……」


 ジェイは言ってから、シンゴさんに気づいて言葉を替える。


「……警察に補導されるぞ。この辺りは、監視が厳しいんだ」


 脅かされてもルミルは動かない。ジェイとシンゴさんは困惑し、目と目を合わせた。


「わかったよ。ただで案内するよ」


 彼が赤い髪をかき上げ、階段をはねるようにして下りた。


「サンキュー」


「しかしなぁ。後で恨まないでくれよ」


 彼が歩きながら言った。


「どうして?」


「行けばわかるけどな。そこは俺たちが大空洞だいくうどうと呼んでいる危険な場所なんだ」


「お化けでも出るの?」


「えっ! 知っているのか?」


 ジェイが目を丸くした。


 ルミルは、プルプルと頭を横に振る。


「ジョークのつもりだったのよ」


「そうか……」


「どんなお化けが出るの?」


「誰も見たことはないんだ。ただ、誰もいないのに人の声が聞こえたり、物が動いたりする」


「ポルターガイスト現象ね」


「難しいことは知らないが……」


 ジェイは言葉をにごし、それからは黙々と歩いた。


 20分ほど歩いたところに高い塀に囲まれた広い空き地があった。塀には至る所に亀裂や穴がある。


 ジェイがその中の大きな亀裂から敷地内に入っていく。


 かつて、そこに大きな建物の痕跡こんせきがあった。見上げるような瓦礫がれきの山だ。倒壊とうかいした建物のものに違いない。堆積したそれの上に樹木が茂っているので、建物が倒壊してからそれなりの年月が過ぎているのだろう。


 奥には温室があったらしく、日本では見かけない樹木がいくつも成長していて、地面にはガラス片が散乱していた。樹木の中にひと際高い大木がある。秋になっても肉厚の葉が変色しない珍しい木だ。


 ジェイはそこに向かって歩いた。


「あら、これってオーヴァルの木?」


 ルミルは足を止めて大木を見上げた。


「知っているのか?」


「ホワイト先生の家にオーヴァルの森の写真があったわ。異種族オーヴァルの国の主要輸出資源よ。日本でも育つのね」


 ルミルは、背伸びをして葉を一枚むしり取った。切り口から白い樹液が流れ、甘酸っぱい香りがした。


「こいつは冬にも葉を落とさない。代わりに花も咲かせないし、実もつけない」


「どうしてこんなところに育っているのかしら?」


「さあな。切りだしたら金に換えられるかもしれないな」


 ジェイが真面目な顔で言った。


「切ってしまうの?」


「それは無理だろうな。見てみろよ」


 木の側に強化プラスチックのパネルが立てられていて、【英雄オクトマンここに眠る】と書かれていた。


「お墓なの?」


「さあな。これを立てたのはゼットだ。どうやらゼットにとってはオクトマンが英雄らしい。この木はゼットが大切にしているから、切ったら殺されるかもしれない」


 ジェイは冗談のように言った。


「オクトマンって、だあれ?」


「俺は知らない。あいつは、ほとんど話をしないからな」


 ジェイが歩き出す。ガラス片をじゃりじゃりと踏みくだきながら進むと、崩れかけた鉄筋コンクリートの建物に案内した。残っているのは柱やはりばかりで、屋根や2階の床は落ち、壁もほとんど残っていなかった。


 広い廊下だった場所を歩き、部屋であったはずの場所に足を踏み入れる。そこに、地下へ続く階段がパックリと口を開けていた。


「ここが入り口だ。中は広い空洞だが、ほとんど瓦礫で埋まっている。その瓦礫の中を、狭い通路が網の目のように広がっているんだ。ゼットはその奥で遺物を掘り返している。あいつ以外、そこまで下りた者はいないそうだ。耳を澄ませてみろ。音が聞こえるだろう?」


 ルミルが屈んで暗闇に頭を近づけてみると、カーン、カーンという固い物で岩を砕くような音がかすかに聞こえた。


「うん、聞こえる」


「あれがゼットの仕事だ。中は瓦礫や壊れた機械が積み重なっていて危険な状況だ。迂闊うかつに物を動かすなよ。崩れるかもしれない」


「わったわ。それじゃぁ、下りましょう」


 ジェイが首を振った。


「俺はここまでだ。怖いからな。ゼットが見つからなかったら、自分の足跡を頼りに戻って来るといい。ライトはあるな?」


「ウエアラブル端末のライトはあるけど、中にエネルギー波は届いているの?」


 世の中の機械のほとんどは、空気中を飛び交う極超マイクロ・エネルギー波を受信し、電気に変換して動いている。


 宇宙空間で強烈な太陽光を使って発電し、地球全域に極超マイクロ・エネルギー波を送り届けているのはスマートエナジーテクノ社で、ルミルの祖父母の鈴木大和とカンナが40年ほど前に設立した企業だ。祖父母の亡き後、SET社は杏里が引き継いだ。今のままなら杏里のあとはルミルが継ぐことになるのだが、真剣に考えたことはなかった。


「ああ、それは心配ないと思うぜ。ゼットだって明かりがほしいはずだ。中継アンテナを置いているだろう。それがないと、この爺さんも動かないんだな?」


 ジェイがシンゴさんを指して微笑んだ。


「一緒に行きましょうよ」


「俺はお化けと警察が嫌いなんだ」


 ジェイは、右手をひらひらと振り、ルミルに背中を向けた。

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