第3話 家庭教師が最強!

「ルミル!」


 声は空から降ってきた。


 見上げると赤と青の認識灯を点滅させたドローンが3メートルの高さの所に浮かんでいる。そこから見下ろす知的な白い顔は、薄暮の中でもよくわかった。そのときほど嬉しいと感じたことは、かつてなかった。


「ホワイト先生!」


 湯川ゆかわホワイトは、4年前からルミルの家庭教師をしている大学院生だ。国際先端技術大学細胞システム研究センター長の湯川麗子ゆかわれいこ博士の娘で、まだ二十歳はたちだが飛び級で大学院に進学した天才だ。


 ドローンから身を乗り出したホワイトが、頭から落ちてくる。彼女はスカートを翻し、宙でクルリと一回転して、驚くルミルの隣、ゼットの反対側に着地した。ドローンは、ホワイトの上空で次の命令を待っている。


「獲物が増えたぜ」


 ギャングたちが声を上げて笑った。


 彼らは新たな獲物をゼットが手にする前に確保しようと動く。足を1歩2歩と進めて包囲の輪を狭めたとき、ホワイトが膝近くまであるスカートをたくし上げて白い太ももをあらわにした。


「なんだ。積極的だな」


 六芒星は、ホワイトがルミルの身代わりになるために降りてきたと思ったようだ。


「ものわかりのいい女じゃないか」


 青い髪がにやりと笑い、ホワイトの手を取ろうと動いた。


 ホワイトの眼は男たちの動きを捕らえていて、青い髪が腕に触れるのを許さなかった。長い右足が空気を切り裂き、彼の横面よこっつらを襲った。


 ――フゲゲェ!――


 彼の顔はゆがみ、身体は横に飛んだ。


「なにをしやがる!」


 エンジェル団のリーダーがすごむなか、ホワイトの足は地面に着くことなく隣の超悪魔団のリーダーの顔にまで届き、鼻にぶら下がっていたアクセサリーを吹き飛ばした。肉の千切れた鼻から鮮血が飛び散り、隣にいた赤髪の頬を染めた。それは、ホワイトの足形をしていた。


「キャッ……」


 ルミルは悲鳴を上げ、両手で目をふさいだ。血を見るのも怖かったし、ホワイトが暴力をふるう姿も見たくなかった。


「このやろう!」


「殺すぞ!」


 ホワイトを取り囲んだギャングたちは威嚇いかくしたが、3人の男性を蹴り飛ばしたホワイトは平然としていた。カンフー映画のヒーローのように、右足を浮か せたまま微動だにしない。彼女は自分の中に流れる時を静かに感じているようだ。呼吸で上下する胸のリズムさえも乱れていなかった。


 フッ!……それはホワイトが胸の奥に溜まった空気を吐き出した音であり、スイッチが入った印だ。


 右足が地面に着き、代わりに左足が冷たい空気を切り裂いた。ホワイトのシューズは、エンジェル団のマントを吹き飛ばした。マントを失った男が2人、ボーリングのピンのように倒れた。


「死にやがれ!」


 ボキャブラリーの少ないギャングたちが息を合わせて接近すると、ホワイトの拳が頰を打ち、鼻をつぶし、膝蹴りが大男の股間にくいこんだ。ボコ、ガツッという骨と骨のぶつかり合う音が響いた。


 ――ギャッ――


 ――グエッ――


 ――ゲェホ――


 ――ホゲッ――


 ギャングたちが悲鳴を上げ、のけ反り、転倒し、もだえ苦しむ。


 私、情けない。……目を閉じているルミルは、周囲で繰り広げられる暴力になすすべもなかった。


 ホワイトの背後から忍び寄ったエンジェル団のリーダーのコメカミに後ろ回し蹴りがくいこむ。彼がはじけ飛ぶ様子は、映画のスローモーション映像のように、まだ無事なギャングたちの目に映った。彼らが慌てて距離を取る。逃げることを考え始めているようだ。


 ゼットはルミルの肩に手を置いたまま、ホワイトが男たちを蹴散らすさまをリラックスした表情で静観していた。


「ゼット、手を貸せ」


 よろよろと立ちあがったエンジェル団のリーダーが助けを求めた。


「俺は、女とは戦わない」


 ゼットの声を聞いたルミルは目を開け、ゼットの口元を見上げた。女性とは戦わないという彼に魅かれた。


「その女は強い。それに、外から来たやつだぞ。俺たちの敵だ」


 超悪魔団のリーダーがすがるように言った。


「だが、女だ」


 ゼットが拒否する。


「外のやつを守るのか?」


「誰も守りはしない。外のやつも、女も、スラムの男たちも」


 彼は冷たかった。そんな彼にルミルは、ますます興味を深めた。


「覚えてろ!」


 超悪魔団とエンジェル団は伝統的な捨て台詞をはいた。それから白猫にいじめられたミニチュアプードルのように逃げた。


 ゼットが肩の手をどけ、ルミルは解放される。身体が軽くなるのを感じると同時に、どこか心もとないものを覚えた。


「大丈夫、怪我はない?」


 ホワイトがゼットに警戒しながらルミルを引き寄せた。


「私は大丈夫」


 ルミルはホワイトに抱き着くと、胸が異様にドキドキしているのに気づいた。経験した恐怖やホワイトに救われた安心感のためではなく、ホワイトの匂いがそうさせるのだ。ゼットとホワイトの匂い、そして爬虫類はちゅうるいのような黒い瞳はよく似ていた。まるで兄妹のように。


「怪我はない?」


 頭の上から声がした。ルミルは、恥ずかしくなって抱き着いていた手を緩めた。


 屈んでルミルの腰に手を置いた彼女が、「大丈夫?」と訊いた。頭のてっぺんからつま先までつぶさに点検する様子は、まるで母親のようだ。


「先生、どうしてここに?」


 ルミルは元気を装った。ついさっきまで怯えていたことを隠した。


「20時から授業ですよ。ルミルが部屋にいないから、端末のGPSを追ってきたの」


 彼女が、ルミルのヘアピン型のウエアラブル端末をチョンチョンとつついた。


「そっか」


 ルミルは苦笑いを浮かべる。ホワイトが頭を子供のようにでるので、少し身を引いた。ゼットの視線が気にかかった。


 それまで黙っていたゼットが唐突に口を開いた。


「おまえ、エクスパージャーか?」


「エクスパージャー?」


 ホワイトが首をかしげる。


「いや。知らないのならいい」


 それだけ言うと、ゼットはホワイトとルミルに背中を向けた。


「ゼットさん、ありがとう」


 ルミルは手を振った。


 聞こえているはずなのに、彼は足を止めることさえせずに闇の中に消えた。


「さあ、帰りましょう。社長が心配しているわ」


 ルミルはホワイトを無視して歩き始めた。彼女が母親を持ち出したのが面白くなかった。


 ホワイトが呆れたといった表情を作った。


「私のドローンに乗って」


「私、歩きます」


 ルミルは足を止めなかった。すると、ホワイトに腕を取られ、強引に彼女のドローンに乗せられた。


「この方が速いのよ」


 彼女が言った。


 何もかも先生にはかなわない。……今更ながら思い知らされて苦しかった。


「ホワイト先生って、強いのね。知らなかった」


「そう?」


 ルミルの非難めいた言葉にも、彼女は穏やかに応じた。


「そうよ。相手は10人もいたのよ」


「11人よ」


「そうそう。超悪魔団が6人に、エンジェル団が5人で11人」


「足し算は合格。超悪魔団とエンジェル団というのね。おかしな名前」


「もう、先生ったら馬鹿にして」


 思わず笑みがこぼれた。ホワイトに対するわだかまりが胡散霧消うさんむしょうしていた。


「家に着いたら、磁場極性とマイクロマシンのコントロールについて、をやるわよ」


「物理は苦手だな」


「それなら、歴史をやる? 21世紀の資本集中とエネルギー革命について」


「それも苦手だな」


「何だったら、やる気が起きるの?」


 ホワイトが苦笑した。


「ホワイト先生みたいに強くなる方法を教えて」


「武道は精神の鍛練たんれんから入るの。きっと、磁場極性を理解するより辛いわよ」


「私も自分の身は自分で守らなければならないと思うのよ」


 ホワイトがルミルを見上げた。


「人には適性があるわ」


「私は強くなれない?」


「戦って負けるのは下策、勝つのは中策、戦わなくてすむようにするのが上策よ」


「戦わなくてすむ方法なんてあるの?」


君子くんし、危うきに近寄らずというわ」


「敵の方から攻めて来たら?」


「攻められる理由を作ったことに問題があるのよ。そんな時は、さっさと逃げることね。逃げるが勝ちというでしょ」


「ふーん、なんだか、煙に巻かれたような気がするなぁ」


「それが、上策なのよ」


 ホワイトがにんまりと笑った。


「でもでも、先生はどうして強いの?」


「私は特別なのよ」


「そうかな?」


「どうして?」


「さっきのゼットという男の人も、ホワイト先生と同じ匂いがしていたわ」


「匂い?」


 ホワイトが自分の袖口の匂いを嗅いだ。


「その匂いじゃなくて、雰囲気というのかな」


 ルミルはごまかした。体臭を感じたと言うのは恥ずかしかった。


「顔も似ていたような気がする」


「私は男みたいだというのね」


 ホワイトがルミルを見上げた。


「そうじゃないけど……。エクスパージャーか、って訊いていたわよね。それって、なあに?」


「さあ? 私も初めて聞いた言葉よ」


 ルミルは髪飾りに内蔵したウエアラブル端末で、エクスパージャーという単語を検索した。


『該当するデータはありません』


 検索結果が脳内に直接送り込まれた。


「だめだ、ネット上にもない言葉だわ」


「そう……」


 それから2人は黙って歩いた。ほどなく大通りに出た。


 橋につながる広い道路を、大型冷凍コンテナを積んだトレーラーが列をなして走っている。。ルミルも同じだ。


 路肩にホワイトが呼んだロボット・タクシーが待機していた。2人はそれに乗り込みルミルの家に向かう。無人のドローンはタクシーを追尾する。


「今日のことは、ママには内緒にしてね。ばれたら外出禁止になっちゃう」


 ルミルは猫なで声で頼んだ。


「ドローンがなくなったことは、どう説明するの?」


「それくらい小遣いで買うわよ」


「社長も甘いのね。我がまま娘に、そんなに小遣いをあげているなんて」


「ママじゃないわよ。パパがくれるの」


 ルミルは答え、遠ざかるスラム街を振り返った。もう一度ゼットに会いたいと思った。

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