第5話 地下大空洞

 レッドヘッドのジェイの背中が敷地中央の山の陰に消えてから、ルミルは廃墟はいきょの暗闇に向かって1歩だけ足を踏み入れた。


 ヘアピンに手を添え「ライト、オン」とつぶやく。


 ヘアピンに付属したLEDが光を放つ。その向きを調整して前方を照らすと、地下へ続くコンクリートの階段が姿を現した。


 傷んだ建築物の亀裂から細い木の根が伸びていて、足の沢山ある虫がライトの明かりに驚いて逃げ惑っている。


 ルミルは階段の2段目で立ち止まり、背後のシンゴさんを振り返った。彼の眼球には種々のセンサーが内蔵されていて、暗闇でも迷うことがない。


「シンゴさん、先に行ってくれる」


 無口なシンゴさんは小さくうなずいてからルミルの前に立った。彼は周囲の景色と危険性を認識しながら地下の大空洞に向かって降りた。


 侵入者に驚いたコウモリが飛び立ち、足元をネズミが逃げ惑う。


 地の底で鳴っていたカーン、カーンという音が止む。


 私たちに気づいたのかしら? ずいぶん遠いのに。……ルミルは考えた。


「ゼットさん、話があるのぉ!」


 彼を驚かさないように叫んでみる。


 耳を澄まして待ったが、反響した自分の声が聞こえるだけで返事はなかった。代わりに、侵入者が誰かわかって安心したのか、カーン、カーンという音が鳴り始めた。それは想像していたよりずっと遠く、地獄のような地の底で鳴っているようだった。


 階段は20メートルほども下りた大空洞の床で終わった。かつて何かの施設があった場所らしい。内装は崩れ落ち、建物の瓦礫や壊れた機械、朽ちた家具などが積み上がっているために、巨大なゴミ箱にしか見えなかった。


 大半の機械やスチール製の家具は焼けただれて原形をとどめていない。スラム街の住人たちがそこからスクラップとして金属くずを持ち出さないのは、そのためだろう。


「戦争の跡みたい」


 歴史の授業で見た写真を思い出す。


「ファントム殲滅せんめつ作戦の結果のようじゃ」


 シンゴさんがデータベースと照合して情報を教えてくれた。


「ファントム?」


「20年ほど前に、ファントムとオーヴァルというテロリストたちが世界中で暴れ回ってのう。世界に残るオーヴァルたちは、その生き残りですじゃ」


 シンゴさんは、まるで自分が見たことのように話した。


 ルミルは、【異種族の文化を理解しよう】とあったテキストを思い出した。


 20年前、異種族たちは人間に成りすまして世界中に進出し、テロによって政情の不安定な地域の人々を駆逐くちくした。人類とオーヴァルの間に3年に及ぶ戦いがあって、人間は再び核兵器を使った。それでもオーヴァルを滅ぼすことはできず、戦争に疲れた人類と異種族は居住エリアを分ける形で平和協定を結んだ。……それが社会科学の教科書にあった内容だ。


 ――キキキキキィ……怪しげな鳴き声がする。


 瓦礫の隙間から見上げた天井は10メートルほども上にあり、コウモリがゴマ粒のように並んでいた。彼らが時折鳴いているのだ。


「ここは体育館みたいな場所?」


「大東西製薬の地下プラント跡だなぁ」


 シンゴさんはその場所と用途をデータベースで調べ出した。


「地下プラント?」


「研究施設と製薬設備が設置されていた記録があるなぁ」


「ふーん。それで、あのカンカンいう音は、どこから聞こえるのかしら?」


 ルミルは、ぐるりと見渡した。瓦礫の中に通路のような隙間が何本もあって、音がどちらから聞こえるのか、反響するのでわらない。


「こっちじゃ」


 シンゴさんが歩き出す。ルミルがついて来られるようにゆっくりと……。


 床にはコンクリートや機械の残骸が散らばっていて足の置き場を選ばなければ危なかった。場所によっては、瓦礫の下をうようにくぐって通り抜けた。


「ここは、どうして再開発されていないの?」


幽霊ファントムが出ると噂になっているからかなぁ」


「シンゴさんも、幽霊を信じるの?」


「壊れたデータの残骸が量子コンピューターの誤作動の原因となるという意味では、幽霊は存在するなぁ」


「それはコンピュータの幽霊ね。人間の幽霊はいる?」


「先人の不完全な意志が不完全に引き継がれて政治理念のように再現されるという意味において、幽霊は存在するなぁ」


「ふーん。よくわかんない」


「そうして不幸な歴史が積み重ねられているのじゃよ」


「シンゴさんは、哲学者ね」


「そうかのう」


 シンゴさんの目尻が下がる。喜んだのだ。


 ルミルは足元に気を配りながらシンゴさんの後を追った。




 シンゴさんは音の反響を計算して、進むべき通路を的確に選んだ。やがて、ドアの無い出入り口を抜けて、再び短い階段を降りた。


 階段の先にあったのは廃線になった地下鉄の廃駅と線路だった。そこまで来ると、ツルハシが岩を砕くような音がルミルの耳にも明瞭になった。


 線路を慎重にたどっていくと、シンゴさんが再び分岐点を見つけた。それはコンクリートの壁を爆破したような穴で、その奥は土がむき出しの洞窟どうくつだった。


 じめじめした長い洞窟をしばらく歩くと、直径20メートルほどの立坑たてこうにぶつかって洞窟は終わっていた。


 ルミルたちが歩いてきた横穴は、立坑のちょうど中間ぐらいの高さの場所に、ぽっかりと口を開けていた。


 土を掘る音が消える。ゼットに近づいた証拠だ、とルミルは考えた。


「酸素濃度は十分、一酸化炭素、メタンガスの濃度は低い。人間の健康に異常は及ぼさない。……行きますじゃ」


 シンゴさんが壁に固定された梯子はしごに足をかける。立坑への侵入者に驚いたコウモリが不気味な羽音をたてて飛び回った。


 立坑の天井は遠くてわからないが、壁面はガラスが溶けたように結晶化していて、ルミルのヘアピンが発する光をダイヤモンドのようにキラキラと屈折させていた。


 底に下りると、足元も堆積したものが安物のセラミックのように固まっていた。それは壁のように平坦ではなく大きく波打っている。へこんだ部分にはヘドロが堆積たいせきしてぬかるみをつくっていて、生物が腐ったような臭いを発していた。


 ルミルは鼻を押さえた。


「気持ちの悪い場所ね」


 ルミルの独り言と解釈したのか、シンゴさんは返事をしなかった。


 2人は、少なくともルミルは、滑りやすい足元に注意を払いながら、立坑の中央に移動した。そこに立っても景色はかわりえしない。


 周囲に向かって、ぐるりと光を走らせてみると、東西に延びる二本のトンネルがあった。


「ゼットさん。ルミルです。居るのでしょ?」


 声は空気の冷たさに震えていた。


 突然、よどんだ空気が流れ、ネズミの群れが走り回った。


 シンゴさんのセンサーが大きな生物が移動したのを察知する。


「何者かが、梯子を上っているようじゃ」


「ゼット?」


 ルミルは明かりを梯子に向けたが、そこに人影はない。


「可視光線には反応がない。人間ではないようじゃ」


 シンゴさんも梯子を見上げている。


「幽霊?」


「いやいや、眼には見えないが赤外線センサーには反応がある。明らかに生物じゃ」


「モンスター?」


「モンスターの定義がわからんですじゃ」


「ドラキュラ?」


「ドラキュラならば、梯子など上らず、飛ぶに違いないですじゃ」


 シンゴさんは落ち着いていて、天井から落ちてくる水滴をヒョイとかわした。


「ゼット!」


 ルミルの叫びは立坑にしばらく反響し、床のぬかるみに吸収されて消えた。


 静寂は、完璧な無音ではない。空洞を流れる風の音と、コウモリの羽ばたきの音は残った。


 2人は東西にある二つのトンネルの入り口に立ち、シンゴさんがセンサーをフルに使って人間の生命反応を探した。


「この奥に、生きた人間はおりませんですじゃ」


「死体はあるの?」


 ルミルは冗談を言った。


「遺体と有機物のごみは、区別がつきませんですじゃ」


 シンゴさんが申し訳なさそうに頭を下げる。


「仕方がないわね。別の場所を探しましょう」


 ルミルは寒さに震え、意気消沈して梯子を上った。


 地下のどこでも極超マイクロ・エネルギー波は届いていたから、シンゴさんが止まることはなかったし、照明も消えなかった。ウエアラブル端末から送られる音楽とシンゴさんのお蔭で、ルミルは恐怖を感じることも飽きることもなく冒険を楽しんだが、時折、ラジオの電波は途切れて音楽にも雑音が混じった。


 ルミルたちは長く彷徨さまよった。いつまでもあきらめず、ゼットを求めて地下迷宮を歩き続けたのはルミルの意思の強さを示すもので、母親譲りの性格ゆえだった。


 結局、どこに行っても人間の生命反応がない、とシンゴさんが言うので地上に戻った。太陽は少し傾きかけていて、疲労と空腹がルミルを襲った。


 ルミルは空腹を抱えたままゼットの住む公営住宅に向かった。ゼットの顔を見ずに帰るのは小さな意地が許さなかった。


 インターフォンのボタンを押すと、「どちら様?」という中性的な、どちらかといえば低い声がした。


「本宮ルミルといいます。ゼットさんは……」


 インターフォンからする声がゼットの母親のものだと思うと緊張した。


「……」しばらく沈黙があった。


「あのう……」


「ゼットなら、留守ですが」


「どちらに……?」


 ルミルはしつこかった。


 背後に人の気配がする。


「俺ならここだ。話があるならついて来い」


 ゼットがぶっきらぼうに言った。


 彼は自分を母親に会わせたくないのだ。何故だろう?……彼に会えたのは嬉しかったが、小さな疑問が頭をもたげた。

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