3-6 旧都アローザに皇帝はいない

 二十日間に及ぶ長旅をようやく終え、一行は目的地である帝都へとやってきた。

 道沿いには石造りの堅牢で巨大な建物が整然と立ち並んでいる。

 田舎暮らしの経験しかないピーノやエリオにとって、その光景は想像を絶するほどの別世界感に満ちていた。

 しかし道案内役のノルベルトがあっさりと告げる。


「正確には、半年前に遷都が行われたからもう帝都ではないんだけどね」


「え、そうなの?」


「こんなにでかい街なのに?」


 落着きなくきょろきょろと辺りを見回していた二人の少年だったが、揃って青年兵士の言葉に反応する。


「ここ旧都アローザは古くから栄えていた街だ。大きな川も近くにあり、交易のことを考えれば立地も申し分ない。けれどもその分、様々な利害や思惑が複雑に絡み合っている。絶対的な権力者である皇帝陛下といえど、手を入れて改革を断行するのも容易なことではない、それならばいっそのこと商業と政治の中心地を二つに分けてしまえ──という事情らしいよ」


 そしてノルベルトは声を潜めて先を続けた。


「陛下の敵は何もレイランド王国やタリヤナ教国といった大同盟側ばかりではないってことさ。帝国内部にだって数多く蠢いている。重臣の方々の中でさえ、大同盟との内通を囁かれている人物だっているくらいだからね」


 ただしまだ証拠はつかまれておらず、噂の域を出ていないのだけれど、と言い添える。


「新都ネラはここからさらに進んだ高原地帯にある。野心に満ち能力に恵まれた若き官僚たちを抜擢し、彼らによって造られた、まさに陛下が大業を成すための都だ。もちろん、我々帝国軍だって遅れをとるわけにはいかない」


 小声ながらも熱のこもった口調で語っていたノルベルトだったが、一転してその調子が普段のものへと変わった。


「おっ、見えたぞ。あそこが僕たちの旅の、最後の寝床だ」


 彼が指差した先の看板にはおそらく宿の名前が書かれているのだろうが、あいにくピーノとエリオには字が読めない。

 そんな二人にノルベルトは「食事が美味しいと評判の宿さ。上官が結構奮発してくれたんだよ」と笑う。


「今夜はたくさん食べて、ぐっすり眠って疲れをとって、明日の最終選抜試験に備えておかないとね」


       ◇


 受付をすませたノルベルトの後ろを、少し緊張気味の面持ちでピーノとエリオが続いて歩く。

 彼らの部屋は三階であった。寝台が二つ備え付けられた部屋で、三人が眠るには一つ足りていない。


「問題ないよ。僕は椅子があれば充分だから、気にしないで。ほら行った行った」


 そう言ってノルベルトが、半ば無理やりにピーノとエリオを寝台へと追いやった。しかし二人の少年にとって、この宿屋もまた未知の経験となる。


「こんな場所、初めてだから慣れないね……」


「まったくだ。何だよこのふかふかの布団は。うちにあるのと全然違うじぇねえか」


 布団の柔らかな感触を繰り返し確かめながらエリオは口元を綻ばせていた。

 旅の間はほとんどが野宿であり、運よく民家があれば一夜の宿をとらせてもらう。そういう日々と眼前の厚遇との落差に戸惑っていると言ってもいい。


 そんな二人の様子をひとしきり眺めていたノルベルトだったが、椅子に腰掛けることもなく「さて」と軽く首を鳴らした。


「僕はこれから軍の旧本部へと出向いて、君たちのアローザ到着を報告してこなければならない。あと、明日の予定の確認もね」


 すぐに「えー」と顔をしかめたのはエリオだ。


「てっきりノルベルトが街を案内してくれるもんだと思ってたんだけど」


 だね、とピーノも親友に同意する。

 人のいいノルベルトはいかにも困ったような笑顔を浮かべて言った。


「すまない、こればかりは外せなくて。もちろん街の見物は自由にしてもらっても構わないよ。少しだが僕の財布からお金もあげておこう。二人とも、お金の使い方はもう覚えたよね?」


 ピーノもエリオも大きく頷く。

 ノルベルトが相手にお金を渡し、引き換えに品物を受け取ったり、舟に乗せてもらったりしたのを何度も見てきたからだ。


「あと、もう一つだけ。これはとても言いにくいことなんだけど──」


 その先を珍しくノルベルトは言い淀む。

 だが何を伝えようとしているのかを察したピーノが、先回りしてそのまま続きを引き取った。


「わかってるよ。逃げ帰ったりするな、てことだよね」


「何だ、そんなことか」


 あきれたような口調でエリオが肩を竦めた。


「おれたちが勝手なことをしたんじゃ、結局家族に迷惑をかけちまう。下手したら罪に問われるかもしれない、そうだろ? 最初から選択肢なんてないことぐらい、無知なガキ二人にだってちゃんとわかってるさ」


「そう言ってもらえると、こちらも助かる」


 大きく息をつき、あからさまなほどに安堵しているノルベルトの態度に、ピーノは少しだけ悪戯心を起こしてしまう。


「ま、地図はわかるようになったから、帰ろうと思えば帰れるだろうけどね?」


「ばっかピーノ、おれらにゃ字が読めねえんだから、全然違う場所へ行っちまう可能性だってあるんだぜ?」


「あ、それもそうだ」


 気づかなかった、とピーノは頭を掻く。

 だがいつもの柔和な表情に戻ったノルベルトが、首をゆっくりと横へ振った。


「これまで一緒に旅をして、僕はずっと驚かされっぱなしだった。何事においても君たちは本当に飲み込みが早い。学ぶ環境さえ整えば字だって、他国の言葉だって、きっとすぐに覚えることができると思うよ」


 だったらいいな、とピーノの傍でエリオが優しげな笑みを浮かべている。

 彼の考えていることはきっとピーノと一緒に違いなかった。

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