3-7 武器商人の息子

 いかにふわふわの布団が魅力的といえども、出番にはまだ早すぎる。宿屋自慢の夕食にだって結構な時間を潰す必要があった。

 なので、暇を持て余したピーノとエリオが、興味本位でアローザの街へ繰り出すのはごく自然な流れだっただろう。

 といっても字が読めない二人には、どういった見所がこの街にあるのかを知る術はない。大きな通りを適当にぶらつくより他なかった。


「ねえエリオ、何だか黒い服を着た人が目立つねえ」


「ああ。ちょっと窮屈そうだよな」


 曇り空の下、歩きながら彼らが気にかけていたのはセス教の修道士たちだ。立ち襟の黒い長衣がセス教の僧服である。

 ウルス帝国には定められた国教というものがなく、少し多めの税さえ払うことができれば、どの神を信仰するのかは個人の自由とされていた。

 そういった事情もあり、ここ旧都アローザにおいてはセス教を信仰する者とタリヤナ教を信仰する者とが混在している。

 黒一色のセス教徒とは対照的に、時折見かける全身真っ白な者たちはタリヤナ教徒。この二色が共存しているのは、帝国以外の都市ではそうそうお目にかかれない光景だ。


 ノルベルトからもらったお金を特に使うつもりもなかったピーノたちだが、二人が揃って「あれ、美味しそうだな」と反応したのが蒸したての芋を売っている露店だった。しかし世話になったノルベルトを除け者にして自分たちだけ芋を堪能するのも抵抗があった。

 ぐっと堪え、足早にその場を後にする。


 アローザへ着いた当初は「まるで石でできた山だ」とさえ感じていた建物群にようやく彼らが慣れてきた頃、またしても未知のものに行き当たった。

 つい最近まで皇帝ランフランコ二世の居城であった宮殿前、そこへ大掛かりに造られていた噴水の数々である。

 だがエリオは慣れ親しんだ風景と信じて疑わなかった。


「あそこ見ろピーノ、湧き水だぞ湧き水! すげえ、いくつあるんだよ!」


 はしゃぎながら走り寄っていくエリオの後ろ姿に、彼よりは冷静に観察していたピーノが疑問を投げかける。


「湧き水……なの? 湧き方があまりにも不自然に整いすぎじゃない?」


 その言葉通り、ピーノの知っている山中での湧き水とは似て非なるものだった。

 高く噴き上げた中心部から等間隔に八方向へ、美しい放物線を描きながら落ちていく。これを自然の湧き水と呼ぶのはさすがに無理があるように思えたのだ。

 ピーノの声に反応したエリオは、振り向いて「ふむ」と口元へ手をやった。


「言われてみれば確かに。都会はこんなところまですげえんだな」


「結論がそれ?」


 あくまで湧き水だと信じて疑わない物言いの親友へ、体の力が抜けそうになりつつもピーノがようやく追いついた。

 そのとき、少し離れた場所から悪意のこもった罵声が飛んできた。


「おいおい聞いたか? 噴水を湧き水だとさ。こいつはとんでもない田舎者がアローザに紛れ込んできたもんだよ。額縁に入れて飾ってやりたいくらいだぜ」


 聞こえよがしに大声で揶揄しているのは、ピーノやエリオと同じ年頃と思しき少年だった。身なりは随分とよさそうだ。

 周囲には他にも四人の少年がいたが、いずれも彼の言葉に追従して派手に笑い声を上げている。


「ははっ、物を知らないにも程がありますよ」


「あんなのをこの街に入れちゃだめでしょ。特に妙な髪の色の方」


「そうそう、品位が下がる」


「着ているもんもえらくみすぼらしいですよね。全体的に汚いっていうか」


 これにはさすがにピーノも少しむっとしてしまう。


「何あれ。ぼくらに喧嘩売ってるのかな」


「ほっとけほっとけ。変に揉めたらノルベルトに迷惑かけちまうだろ」


 それもそうだね、と納得したピーノは少年たちを無視することにした。

 そんな彼へエリオが言う。


「ところで噴水っていったい何だよ。あれ湧き水じゃねえのか?」


「ぼくに聞かれても。でも、とりあえず湧き水ではないね。どう見たって綺麗すぎて不自然なんだもん」


「ちぇっ。親父たちへの土産話にしようと思ったんだけどなあ」


 他愛もない会話を交わしつつ、二人はまたぶらぶら歩きだす。

 しかしそれに合わせて先ほどの馬鹿にしてきた連中も、どういうつもりなのか距離を少し空けてついてきた。


 気配でわかったピーノは目配せで「どうする?」と傍らのエリオに問う。

 彼の答えは変わらなかった。わずかに首を横に振り、「構うな」と口の動きだけで伝えてくる。

 頷き返したピーノも、エリオの方針に従って無視を決め込んだ。

 それでも連中は執拗に付きまとってくる。

 特に中心人物らしき少年からの暴言はひっきりなしに続いた。


「何だよ、相手にしてくれねえのかよ。びびって逃げてるのか、それとも耳に糞でも詰まってるのか? なあ田舎者さん、答えてくれよ」


 取り巻き連中の一人が相槌代わりにピーノたちを煽ってくる。


「もしかしたらですよ、ルカさんが話していることの内容もろくに理解できないくらい無学で愚かなんじゃないですかね」


 こいつらなんてどうせ辺境の獣みたいなものなんですから、と吐き捨てて、えらく誇張された動物の鳴き真似を演じてみせる。

 癇に障るほどだったその物真似のひどさに、ピーノはきつい視線とともについ後ろを振り返ってしまった。


「へ、やっと反応しやがったな」


 ルカと呼ばれていた少年がにやりと笑う。

 そのまま彼はピーノのところまでずかずかと近づいてきた。


「なあおまえら、アローザへいったい何しに来たんだよ」


 ピーノは黙ったままで冷たく睨みつけているだけだったが、一方のルカはそんな態度にもおかまいなしだ。


「当ててやろうか。今度、帝国軍に新しく創設される部隊の選抜試験を受けに、はるばる遠方からやってきたんだろ。田舎者のガキがこの時期にアローザへ来る理由なんてそれしか考えられねえ」


 見事な彼の読みに、ピーノの肩がぴくりと動いてしまう。

 それに気づいたルカは滔々とまくしたてる。


「ふん、やっぱりそうか。あのスカリエ将軍の御子息であるニコラ様が直々に編成なさるんだもんな。皇帝陛下の親衛隊になるんじゃないかって噂まである。そりゃ誰だって入りたいと願うだろうさ。入れるもんならな。だけどな」


 おまえらは場違いなんだよ、と傲然と言い放った。


「帝国全土の力を結集してとか何とか、聞こえのいいお題目があるせいで、おまえらごときにも枠を用意しなきゃならないってのはどうにも我慢ならねえ。辺境のお遊戯みたいな試験をくぐり抜けてきた程度で、ニコラ様に選ばれるとでも思ってんのか? ええ? 寝ぼけて夢見るのも大概にしてくれ。おかげで割を食っちまったのはこいつらなんだ」


 いつの間にか近くに寄ってきている取り巻き連中をルカが指差す。

 ここに至って、ようやくピーノにも事情が飲み込めた。


「要は八つ当たりってことなんだね。くっだらない」


 どうやら目の前のルカという少年は明日の最終選抜試験に残っているようだが、それ以外の少年たちはすでに落とされているらしい。

 そんなのはピーノにとって一切関係のない話であった。

 相手にする価値もないとばかりに踵を返そうとした、そのとき。


「てめえ何だその言い草は! 舐めやがって!」


 激高した取り巻き連中の一人によって突き飛ばされてしまう。


「薄汚れた色の髪の分際で、よくも、よくも!」


 よろめきながらも踏ん張ったピーノはエリオとノルベルトを気にかけ、手を出そうとはしない。

 どうやってこの場を逃げだすかの算段ばかり頭の中で立てていた。


 だが当のエリオはそうでなかった。

 ここまで口を挟まず、事態の成り行きを見守っていた彼が取り巻き少年の襟首をむんずとつかみ、そのまま引っ張りこんで往来へと豪快に放り投げてしまったのだ。

 噴水よりも大きな放物線を描いて落下した少年にわずかな同情をしつつ、ピーノは親友の肩へそっと手を置く。


「ほっとけって言ってたの、誰?」


「うるせえな。そういうのは時と場合によるんだよ」


 前言を翻したことに反省などまったくしていない様子のエリオだったが、彼の動きは投擲だけに留まらなかった。

 すぐ近くにいたルカの右腕をねじり上げ、その場に跪かせてしまう。


「痛い痛い痛い! 何しやがる!」


「さすがにちょっと調子に乗りすぎだよな。でもまあ、おとなしく帰るってんなら許してやるぜ」


 余裕の表情とともに、エリオがルカの耳元に顔を寄せて囁いている。

 こうなってしまえばもうピーノに出番はない。後は終わるのを待つばかりだ。

 慌てた取り巻き連中の一人が必死に叫ぶ。


「おいおまえ、その人が誰の息子なのかわかってんのか!」


「あん? 知るわけないだろ」


 どうでもよさそうに受け流すエリオに、さらに焦燥の度合いを強めて別の少年が金切り声を上げた。


「帝国軍の武具防具納入を一手に引き受けているパルミエリ商会だよ! ルカさんはそこの息子なんだよ! おまえら、このままいくとただじゃすまなくなるぞ!」


「心配してくれてありがとう。でも、それがどうした」


 エリオがさらに力を入れると、ルカの口からか細い悲鳴が漏れる。


「なあお坊ちゃん。おまえは明日、選抜試験に参加できるんだろ? だったらそこでちゃんと勝負してやるよ」


「……くそがっ……。絶対死ぬほど後悔させてやる……」


「おー、その意気その意気」


 そう言ってエリオはルカから手を離し、ついでに蹴り飛ばして解放した。

 取り巻きの少年たちが忠誠心を競うように、急いでルカの周りへとしゃがみこむ。その隙にエリオとピーノは目配せし合い、一気に駆けだした。


       ◇


 ノルベルトが宿へと戻ってきた夕暮れ時、薄暗くなってきた部屋の中で、ピーノとエリオはごろごろと寝床に転がったままのだらしない姿勢で出迎えた。


「おかえりー」


「腹減ったぞー」


「やあ、ただいま。遅くなってすまない」


 謝りながら荷を下ろしたノルベルトがさっそく二人に訊ねてくる。


「で、アローザの街には出てみたのかい?」


「少しだけね。でもあまりに規模が大きすぎて迷いそうだったから、すぐに帰ってきちゃったよ。はい、これ使わなかったお金」


 しれっとピーノは嘘をついた。

 隣の寝床では、エリオが苦笑いを浮かべているのが見える。

 本当にもう、とため息をついてしまいたいところをピーノは何とか抑えた。


 新部隊のための選抜試験が待っている翌日のことを考えると、気分がどうにも憂鬱になってしまう。

 あのルカという少年とも間違いなく再会する羽目になるのだろう。

 だから今はそのことを頭から振り払い、お楽しみの夕食についてだけ想像しようと心に決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る