3-5 木こりと羊飼い、帝都へ向かう
ウルス帝国が周辺の小国を次々に攻め落とし、版図を広げたといってもいまだその領内の多くを占めているのは山岳地帯である。
ピーノたちが生まれ育った僻地から帝都へと向かうには二つの山脈を越えていかねばならない。
ノルベルト・ボニーニという帝国軍兵士に連れられ、エリオとピーノは初めての経験となる長旅の途上にあった。
「二人とも、体調に異変はないかい?」
前を歩くノルベルトが振り返り声をかけてくる。大柄で、まだ若い青年兵士だ。
人のいい彼は旅の当初からしきりにこうやって気遣ってくれていた。
「うん、大丈夫」
ピーノは軽く頷いて見せた。確かに長い距離の山越えではあったが、ウルス帝国によってある程度の整備がされている道だ。
父の死も無駄ではなかったのだ、と内心で思う。
「心配性だぜノルベルト。このくらいどうってことないっての」
年上の相手に対し、エリオが普段通りの態度で接する。
しかしここまでの旅程で、温厚なノルベルトは一度も咎めたり声を荒げたりすることはなかった。
「はは、そいつは頼もしい。でも何かおかしいと感じたら遠慮なくすぐに言ってくれよ。君たちはいずれ僕の上官になるかもしれない人材なんだからね」
目を細めて笑顔でおどけるノルベルトへ、ピーノの隣を歩くエリオは逆に真剣な表情を浮かべて反論めいたことを口にする。
「さすがにそれはないだろ。だいたいおれたちみたいな物を知らない田舎のガキなんて、帝都で人として扱われるかどうかさえわかったもんじゃない」
「なあに。君たちほどの才能があれば、きっと中央でも認められるはずさ。うちの部隊の上層部にも中央軍出身者は多いんだけど、そういった人たちが口を揃えて『こいつはとんでもない掘り出しものだぞ』って興奮していたらしいから」
すでに最初の選抜試験は四日前に終了していた。
帝国全土は非常に広い。十三の地域に分割されて統治が行われているのだが、まずはそれぞれの地域ごとに少年少女が集められ、
その場において二人の少年が見せた、圧倒的なまでの身体能力の高さを指してノルベルトは称賛している。
エリオとピーノは本当に何も知らない子供だった。いわゆる田舎者であるところの彼らには、自らの力を相対的に測る術がなかったのだ。
だから手を抜くこともできず、馬鹿正直にその能力を披露してしまった。
「でも、ぼくたちはただの木こりと羊飼いだ。それも半人前の」
ピーノも会話へ加わる。
「自分たちとは別の言葉を話す人たちがいるのを知ったのだって最近のことだよ。ウルス帝国全域にどういう人たちが暮らしているのかもわかっていないし、まして戦争相手のことなんてこれっぽっちも想像つかない」
そうだね、とノルベルトが相槌を打つ。
「帝国内でさえいろんな人々がいる。言葉、服、信じる神、それらは様々だ。目下の敵であるレイランド王国やタリヤナ教国に至ってはなおのこと。はるかな昔からこの大陸はずっとばらばらなんだ。だから争いも絶えない。しかし、そんな人々を陛下が一つにまとめようとされている」
ランフランコ二世、それがウルス帝国皇帝の名だ。
エリオもピーノもつい先日にその名を知ったところである。
「本当にできるのかよ、そんなことが」
よりにもよって帝国兵に対して、皇帝批判と捉えられかねないことをエリオが口走ってしまった。
だがノルベルトは何事もなかったかのように話を続ける。
「陛下の理想はあまりに遠大だ。僕のような一兵士には目映いほどにね。その理想の正しさはいずれ歴史によって証明されるはずさ」
「そういうもんかね」
納得したのかどうかが長い付き合いのピーノにもわからないくらい、曖昧なエリオの返事だった。
それからしばらく三人は黙ったまま歩みを進めた。いくらか道の勾配がきつくなってきたが、特に問題はない。淡々と先を目指して歩いていく。
「──やっぱり、君たちにも話しておかないといけないな」
沈黙を破ったのはノルベルトだ。
「先頃、レイランド・タリヤナの二大国を中心とする大同盟との会戦がセルジ平原で行われたんだ。陛下によって戦端が開かれて以来、最大規模なのは間違いない。ここで勝てば大陸統一へ大きく近づくと言われていたんだが……帝国軍は大敗を喫してしまった。しかも単に敗北しただけじゃない。ヴィンチェンツォ・スカリエ、帝国軍でも指折りの名将と謳われていたスカリエ将軍まで戦死されてね。大同盟側は勢いづいているし、その報を耳にした僕たちの部隊も暗澹たる気持ちになったもんだよ」
不利な情勢を語っているのもあって心なしか沈んだ口調だったのが、ここから一転して熱を帯びていく。
「けれども希望は残った。スカリエ将軍を失った部隊をすぐさま立て直し、敵兵の追撃を食い止めて撤退を成功させた若き士官。これまでにも幾度となく戦功を挙げている、スカリエ将軍の息子にして右腕だった彼の存在こそが、今の軍の士気を維持させていると言っていい。加えて陛下の厚い信頼も得ている」
「ふうん。その人の名前は?」
ピーノからの問いかけに、ノルベルトは足を止めて振り向いた。
「ニコラ・スカリエ。そして彼こそが、今回の新しい部隊創設を陛下へ願い出たんだ。おそらく君たちは彼を師と仰ぐことになると思うよ」
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