2-8 赤毛のピーノ

 繁華街から外れてひっそりと佇む、とある石造りの豪奢な屋敷がメルラン一家のものであるというのはスイヤールでは公然の秘密だった。


 その邸内の最奥部、通路の行き止まりにある小規模の広間には三十名ほどが集まっており、談笑しながら当主ロベール・メルランによる乾杯の挨拶を待っている。

 畏まった正餐形式ではなく、立食による宴会なのは参加する大半が身内の人間だからなのだろうか。


 すでに料理は中央に設けられた元卓へと運びこまれおり、たとえ百名の客がいたとしても充分賄えるだけの種類と量が揃っていた。

 それよりも奥の場所で陣取っている二人の男もにこやかに会話を交わしていた。

 でっぷり肥え太った中年男性と、痩身の老人だ。


「ようやく目障りな虫めが消えてくれましたな」


「遅すぎたくらいだ。最初からこうして排除すればよかったものを」


 そこに別の男が割って入ってくる。


「いやいや、さすがにそれはご勘弁願いたい。こういう市民の耳目を集める事件ですと、できるだけ何事もなかったかのように後始末をするのも随分と骨が折れるのでね」


「ははは、皆様方にはいつもお世話になっております」


 どうやら後で加わったのが行政府からの客らしい。身なりや雰囲気も、生粋の裏社会の人間と比べればやはりどこか異なっている。

 その彼が少しやきもきした様子で入口と視線を遣った。


「それにしても、なかなかロベール殿は姿をお見せになりませんな」


「確かに。いつもであればとっくに宴が始まっている頃合いだが」


 痩身の老人も頷きながら相槌を打つ。

 折しも彼らの会話に応えるように、入口の重厚な二枚扉が軋んだ音とともにゆっくりと開きだした。

 そして次の瞬間、現れた小柄な赤毛の少年が何やら人の大きさほどの物体を軽々と放り投げた。放物線を描いたその物体はちょうど所狭しと料理が並ぶ元卓の真ん中へと落下する。


 何事か、と駆け寄ったうちの一人がその物体を目にして「ひっ」と息を飲んだ。

 なぜならそこにあったのはロベール・メルランの死体だったからだ。

 両目と喉を潰されており、長らくスイヤールの暗部に君臨していたとはとうてい信じられぬほどの無残な姿となり果てていた。

 動揺のあまりか一同に予期せぬ沈黙が訪れる中、全身に返り血を浴びたピーノだけが悠然と歩を進めていく。


「せっかくの主役登場なんだから、趣向を凝らしてあげたいと思ってね」


 どうだった、と訊ねつつもピーノは四人の人間にはその返答を許さなかった。

 革製のベストの内側から抜く手も見せずに彼が放った四本のナイフが、狙い過たずそれぞれ別の男の首筋に深々と突き刺さっていた。即死だろう。


「さてと、これ以上遊ぶつもりもないし手際よくいこうか」


「ふざけるな貴様!」


 ようやく我に返った男の一人がピーノへとつかみかかってくる。さらに続いてもう一人。

 ピーノは順番通りに始末した。まず最初の男ののろまな攻撃をかわし、すぐさま後ろへと回る。それから躊躇うことなく両手で首の骨を折った。

 次の男に対しては衣服の襟首をつかんで強引に引き寄せ、そのまま顔面へと膝蹴りを叩きこむ。

 どうも力加減を間違えたらしく、相手の鼻が顔の奥までめり込んでしまった。


「誰か、誰かあいつを何とかしろ!」


 半狂乱で叫ぶ声が耳に届く。


「どうにもならないよ。あんたたちは今日、全員ここで死ぬ」


 これからの運命を宣告しながら、ついでにまた一人片付ける。

 いくつかの料理が床に散らばった広間から大半の人間が逃げだそうとしていた。中には腰が抜けて動けないのもいるが、そういった連中は後回しでいい。

 とりあえず入口に近づいた者から優先的に仕留めていく必要があった。


 そんなピーノの前へ、一際体格のいい壮年の男が「調子づいてんじゃねえぞ、クソガキが」と立ち塞がる。


「ここは私に任せて、皆さんは早く外へ!」


 壁役を買って出た彼の姿に、他の客たちはわずかばかりの希望と落ち着きを取り戻したようだった。


「おお、豪腕で鳴らすダニング殿か!」


「流石に北部戦線で数々の武功を立てただけのことはある!」


 そんな声など意にも介さず、ピーノは眼前のダニングという男を冷静に観察していた。彼についてはすでにチェスターから聞かされている。


「幹部の中でもダニングという巨漢には特に注意しろ。並外れた膂力を誇る元レイランド王国の軍人なんだが、あの戦争で奴がもらった勲章は相当の数だ。粗暴で、気に入らなければ部下でも殴り殺してたっていう屑だがな」


 力自慢の相手とどう戦うか、そんなのは改めて考えるまでもない。力だ。

 このダニングを圧倒的な力で仕留めて、まだ生き残っている連中の希望を根こそぎ葬り去ってやろうとピーノは決めた。

 ダニングの太い右腕がピーノの首へと伸びてくる。それを避けようともせず、されるがままにつかませた。


「捕えたぞぉ。このまま縊り殺してやるわ」


 血走った目のダニングが犬歯を剥きだしにして笑みを浮かべる。

 だが彼が次に目にしたのは、肘から先がなくなった己の右腕だった。ピーノが力任せに捻じりつつ引き千切ったのだ。

 遅れてやってきたのであろう激痛とともに、ダニングの「ああああ!」という悲鳴が広間に響き渡る。

 血が流れだしている前腕部分を無造作に投げ捨てながら、「これで豪腕?」とピーノはせせら笑った。


「てんで話にならないね」


 彼にしてみれば、このダニングという元軍人などエリオはおろか、傭兵稼業を引退して久しいイザークにだって遠く及ばない。

 出血の量が夥しいダニングはいずれ死を迎えるだろう。それでもつい先ほどまでは体の一部だった前腕を緩慢な動作で取りに行こうとしている。

 ここにきてようやく使い慣れた短剣を抜いたピーノは、彼の喉を容赦なく切り裂いた。


 踵を返し、足早に入口の扉へと向かう。何人かはすでに広間の外へと出たようだが、まだ逃げられてはいないはずだ。

 そのための策は事前に講じてあった。

 案に相違なく、この広間へと客連中が集まってきたときにはなかった「壁」を前に、五人の男は呆然と立ち尽くしていた。


「無駄に警備の人間が多かったからね。材料には事欠かなかったよ」


 ピーノの言葉が示すように、通路を塞いでいたのは大勢の死体でできた壁だった。

 ウルス帝国にいた時分は軍将校の暗殺も成功させたことのある彼にとって、誰にも気取られることなく素人に毛が生えた程度の警備の連中を殺して回ることなど非常に容易い。


 加えて、どうしても助勢をと言い張って聞かなかったチェスターとその配下に死体の運搬と積み上げを手伝わせたのだ。

 前日、冷徹極まりないピーノからの指示に、黙りこんだチェスターはしばらくのちにこう呟いていた。


「何があっても、おまえだけは絶対に敵に回さないことにする」


 ここからはもうただの作業同然だった。

 壁によって逃亡を阻まれた者たちを手早く始末し、再び戻った広間にいる者たちも順次片付けていった。

 最も見苦しく命乞いをしたのは痩身の老人だったが、すぐに殺されたのでむしろ彼にとっては不幸中の幸いだっただろう。


 広間は血の匂いで充満していた。

 このスイヤールという都において思うがままに裏から権勢を振るっていたメルラン一家、その悪行の報いともいえる血だ。

 静かになった空間でピーノは耳を澄ませる。ここまできて取りこぼしは許されない。彼の聴覚がわずかな呼吸の音を捉えた。


 ゆっくりと室内を歩き、当たりをつける。

 冷め始めている料理がずらりと並んだ元卓には真っ白な長いクロスが敷かれていた。いくらかは血で赤く染まってしまったが。

 足を止めたピーノがそのうちの一箇所をめくる。

 そこには怯え切った表情の青年が膝を抱えこんだ姿勢で隠れていた。


「こっちにおいでよ」


 促されるまま、今にも泣きだしそうな青年が四つん這いとなって出てきた。

 誰かの付き人なのか、それとも今回の宴で給仕の役目を担っていたのか。いずれにせよピーノにとっては興味のないことだった。


「ねえ、きみもメルラン一家の人なのかな」


 穏やかな声音でピーノが問いかける。

 震えながらも青年は顔を上げ、振り絞るように返答した。


「え……あ……はい」


「そう。正直ってのは美徳だよね」


 言うなり、ピーノは短剣を握った腕を軽く横に払った。

 切り裂かれた首から鮮血が噴き、彼の赤毛をさらに真っ赤へと染め上げる。

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