2-9 結んで繋いで
誰もいない暗い倉庫で、膝を抱えたピーノは自問自答を繰り返していた。イザークの商会が所有する積荷用の倉庫だ。
チェスターからは「しばらくここで待て」と指示を受けており、新しい着替えの服や返り血を拭うための濡れた布なども用意されていた。
応急処置とはいえいくらか身なりはまともになったが、それでも血の匂いだけは体にしつこくまとわりついてくる気がして仕方ない。
結局のところ、メルラン一家も自分も何ら変わりはないのだ。圧倒的な暴力で自らの敵を叩き潰すだけ。
思い起こせばこれまでだってそうだった。
いきさつはどうあれメルラン一家を皆殺しにしてしまった今、一刻も早くこの街を去るべきなのはわかっている。でなければきっとジゼルやコレットたちに迷惑がかかってしまう。
そう、去るべきなのだ。
だとしても、せめて別れの挨拶をするくらいは許されるんじゃないか、と幾度も自らに訊ねてみる。もちろん答えは返ってこない。
眠れない夜に似た不毛な時間が過ぎ、外から賑やかな話し声が聞こえてきた。
程なくして倉庫の大きな扉が音を立てて開きだす。
ピーノはすぐに腰を上げ、軽く身構えてどのような事態にでも対応できる体勢にしておく。これはもう彼の身に染みついた習性といっていい。
真っ直ぐに差しこんできた陽光の先にはチェスター・ライドンが立っていた。
「おうピーノ、迎えが来たぞ」
だがそれだけしか言わせてもらえず、彼はすぐに脇へと押し退けられてしまう。
「よかった。ちゃんといてくれたね」
「本当、よかった」
揃って安堵しているのはマダム・ジゼルとコレットだ。
しかしそんな二人も、さらに後ろから来たソフィアによって強引に間を割られてしまった。
彼女は「無茶すんじゃねえよ、ばかっ」と罵声を浴びせながら、いきなりピーノへと飛びこむようにして抱きついてきたのだ。
これにはさすがにピーノの理解も追いつかない。
困惑しながらなだめるのが精々だった。
「ちょっと、だめだって。血で汚れるって」
「何だよおまえ、あたしに抱きつかれるのが嫌なのかよ。生意気だぞ」
「いやそういうことじゃなくてさ」
どうしていいかわからないピーノは、たまらず助けを求める視線を二人の大人の女性へと送ってみた。
なのにマダム・ジゼルとコレットはにやにやと笑みを浮かべるばかりだ。
「あらあら、これはチェスターくんが妬くね」
「妬くわねえ」
そんな悪乗りをする彼女たちに対し、すぐさまチェスターが切り返す。
「んなわけないでしょうが。その手のからかいには乗りませんよ」
「はあ。なんだ、君はつまんない男だな」
心底がっかりした、と言わんばかりの調子でマダム・ジゼルがこれ見よがしなため息をつく。
彼へと振り向いたソフィアも「ばーか」と吐き捨てた。
女性陣相手では分が悪そうなチェスターは、もう反論を試みようともせずただ肩を竦めてみせただけだった。
「なあピーノ、これひどくないか?」
「そういう扱いだったんだ……」
この街にやってきたばかりの自分がまだ知らないでいた人間関係を垣間見て、ほんのわずかではあったがピーノの目元も緩んでいた。
そんな彼のところへとマダム・ジゼルが歩み寄ってくる。
そしてソフィアごと、ピーノを抱きしめてきた。
「あのメルラン一家を私たちにどうこうできたとは思えないし、他にいい方法があったとも思えない。だからまずは礼を言わねばなるまいよ。ありがとう」
同時に、と彼女はその先を続ける。
「結果として力を持つ君に甘え、後ろ暗いことをさせてしまったことへの謝罪をしないわけにはいかない。すまない、本当にすまない」
「あなたたちが気にする必要はないよ。すべてはぼくが勝手にやったことだ。それにぼくはもうスイヤールを離れ──」
だがピーノが最後まで口にする前に、ソフィアが鋭く牽制してきた。
「マダム、こいつはもうあたしたちの家族だからね。どこにも行かせたりしないからね」
「もちろんだよソフィア」
小柄な身でまだ両腕をピーノとソフィアへと懸命に回したままで、マダム・ジゼルが力強く言い切る。
「ピーノ、私たちはただ護られるだけの女じゃない。及ばずながらも君の支えになりたいと思っている。新しい家族としてね。君が望んでくれるならここへいてほしいんだ。もし仮に今回の後始末が長引きそうであっても、いざとなったらチェスターくんが上手くイザークを使ってどうにかするさ」
「これだもんなあ」
チェスターの反応は呆れているような物言いにみえて、どこか柔らかい。
「ま、心配すんな。メルラン一家に睨まれていたとはいえ、この街にはドミニクの旦那を慕っていた人間が数多くいる。陰ながら支援していた長老連中だっているんだ。内心では皆この結末に喝采を送るだろうさ。そういう奴らがここで働かずしていつ働くんだよ」
「そういうことね」
場を締めくくるように、少し離れて立っていたコレットがぱん、と手を打ち鳴らした。
「さ、みんなそろそろ帰りましょうか。レベッカだってきっと待ちくたびれているわ」
「もしかしたら疲れてお昼寝中かも。あの子、昨日からずっとおまえがいないのを気にしてたみたいだったからなー」
好かれてるねえお兄ちゃん、とソフィアがからかってくる。
ようやくピーノたちを解放してくれたマダム・ジゼルも大きく頷いた。
「そうだな、レベッカに会えばちゃんとわかるだろうね。君とメルラン一家とでは比較しようもないほどに別物なんだってのが、君自身にもはっきりと」
あっさりと内心を言い当ててきたマダム・ジゼルに驚き、ピーノは弾かれたように彼女へと顔を向けた。
「何でわかったの、って間抜けな表情をしてるな。わからないわけがないだろう。言っておくが、君ら男たちはそのくらい単純な生き物なんだぞ」
娼館を束ねる彼女の言葉に、コレットやソフィアも口々に「バカよね」「バカだもんな」と同意する。チェスターはといえば「おれを見るなおれを」と情けなくも視線を逸らしてしまう。
エリオとハナを失ってしまった後の人生に望むものなど何もない。
ピーノはそう思って生きてきたし、そんな彼をどうにかこの世界へと繋ぎとめていたのはいつ切れてもおかしくない細い細い糸のようなものだった。自らの手で断ち切ったりはしなかったというだけだ。
だけど、まだもう少し、この街に留まることが許されるのであれば。娼館に生きる彼女たちを護り、ともに日々を過ごし、みんなで一緒にレベッカの成長を見守ってあげたい。
そんなことを願ってしまう自分が図々しいような、苦笑いを浮かべたくなるような、でも悪い気はしないような。
だからピーノは、整理のつかない自身の気持ちをあえてまとめようとはせず、ただ一言「帰ろうか」とだけ口にした。
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