第12話 気のおけない友人のように
「……殿下は、ご存知だったのですよね。アンドリュー様のことを」
「……。」
「いつからお気付きだったのですか?私は全然知りませんでしたわ」
そう尋ねる私の言葉に笑みを引っ込めると、殿下も紅茶に手を伸ばし、その後静かな声で答えた。
「だろうな。……別にそんなに長い期間じゃない。だからこそ余計馬鹿げてるんだ。長年そばで仕え努力を重ねてきてくれた公爵家の淑女を放り出し、ある日突然湧いて出た無教養な男爵令嬢に懸想するなど」
「……。」
「3ヶ月ほど前だったかな。偶然学園のとある場所で二人の密会を見かけた。その夜、俺は兄を強く非難した。目を覚ませと。あいつは聞く耳を持たなかった。……おそらく、今が一番燃え上がっている時期なんだ。相手の女がどれほど言葉巧みに言い寄ったかは知らないが、後でたっぷりと後悔することになるだろうな。一時の熱に浮かされて短絡的な行動をとってしまったことを」
「……どうでしょうか」
私に対する気遣いなのか。それとも本心なのか。実の兄である王太子殿下を蔑むようなトラヴィス殿下のその言葉に、私は少し投げやりに笑った。
「そうに決まってる。あろうことか両陛下の不在の時期を狙ってヘイディ公爵に直接婚約解消の書類を叩きつけ、男爵令嬢を王太子宮に招き入れ既成事実を作ってしまうなど。愚の骨頂だ。……あの臆病者が、よくもまぁここまで大胆な行動に出たものだ。……君も腹が立って仕方ないだろう。罵っていいぞ、いくらでも。転がっている野菜以外は誰も聞いていない」
「……ふふ」
その言い草が何だかすごく
「……たしかに、あの方を恨む気持ちはありますわ。だってそうでしょう?分かってくださいますわよね?殿下なら。幼い頃からずっと見ていてくださいましたのもの。私が日々どれほど努力を重ねてきたか。他の子どもたちのように遊ぶ時間など微塵もない、屋敷でも王太子宮でも勉強漬けの毎日。たった一つの目標のために、責任感だけで必死に自分を鼓舞し続けてきたのですわ。……分かってくださいます?」
「分かる分かる。……ほら、食べろ」
「あ、はい。……。それなのに、他でもないアンドリュー様からこのような裏切りを受けるなんて。こちらの言い分も聞かず勝手に私を悪者と決めつけて。……モグ。酷すぎますわよ」
「ああ。あいつは屑だ。……栗のムースもあるぞ。ほら」
「……モグ……モグ……。美味しい……。だいたい、こうして十数年間もみっちり努力してきて“完全無欠の公爵令嬢”とまで言われるようになってしまったこの私の代わりを、他の女性に、あの男爵家のご令嬢に!務まるとお思いになります?!殿下」
「思わない。誰も君の代わりになどなれない。普通はそれくらい分かるんだがな。頭が沸いてるんだろうあの馬鹿は」
「そうですわ!!王太子妃教育をはじめとする過酷な教育の全てが無駄になってしまって……。モグモグ……。……ふう。……だけどこうして今、ずっと抑圧してきた自分の望みを解放できて、すごく楽しくて仕方ない気持ちも本当なんですのよ。このケーキもすごく美味しいし。ふふ。まるで別の人間に転生したんじゃないかって思うくらいですわ。……転生といえば、最近転生ものの小説が学生たちの間で流行ってるんですのよ。殿下はご存知ですか?」
「そうなのか?いや、全然知らなかった。面白そうだな」
「ええ!前にクラスの女子生徒たちが話題にしていたのを覚えていて、最近読んでみたのですが……」
トラヴィス殿下はとても聞き上手だった。私の愚痴や大したことのない話題に少しも面倒なそぶりを見せることなく、まるで私の全てを受け止めるように聞いてくださっていた。だから私も感情が爆発したようにひたすら喋り続けてしまった。
幼い頃から全てを捧げてきた相手から悪者扱いされ、突然一方的に婚約を解消される。普通ならこんな状況の時は、親しい同性の友人たちに話を聞いてもらうのだろう。仲間内の誰かにどうしようもなく辛いことがあった時、女の子たちは集まって慰めたり励ましたりしてあげるものだ。だけど私にはそんな弱みを見せられる相手も、気軽に誘える友人もいない。
トラヴィス殿下はまるで、そんな気のおけない友人たちの役を代わりに引き受けてくださっているようだった。
一緒に出かけようと言われた時は正直がっかりしていたのに、気付けば私は殿下と過ごしているこの時間が楽しくてたまらなくなっていた。
その証拠に……あまりにも自分の胸の内をさらけ出し過ぎてしまった。ふと我に返った瞬間、恥ずかしさと後悔で身悶えしそうになるほどに。
タウンハウスの前に帰り着いた頃には、もうすっかり日が落ちていた。
「……今日は本当にありがとうございました、殿下。お付き合いいただいた上にケーキまでご馳走してくださって……。とても楽しかったですわ」
「こちらこそ、遅くまで連れ回して悪かった。夕食の時間に間に合うといいのだが」
「大丈夫です。まだお腹はすきませんし、食べたくなったら夜中に夜食でも作ってもらいますので」
「ふ……。気ままでいいな」
「ええ。理解してくれている家族や使用人たちに感謝してます」
「そうだな。ゆっくり休むといい」
「はい。お休みなさいませ、殿下」
そう言葉を交わし終えると、トラヴィス殿下はそのまま馬車に戻ろうとする。最後までお見送りしようとその場に立っていると、ふいに殿下がこちらを振り返った。
「そういえば、君がさっき言っていたことだが……、王太子妃教育は無駄になるとは限らないぞ」
「……? え?」
「じゃあ、またな」
そう言ってニヤリと笑うと、殿下は黒髪のかつらを外しハラリと落ちてきた自分の髪を無造作に掻き上げ、今度こそ馬車に乗り込んだのだった。
(……最後のお言葉、どういう意味だったのかしら)
まさか、私とアンドリュー様との仲が元に戻ることになると思ってらっしゃるのかしら?
公衆の面前で他の女性を庇いながらあれほどはっきりと私を
(冗談じゃない。絶対にありえないわ)
せっかく気持ちに区切りをつけて、これから先自由な人生を満喫しようとしているんですもの。それだけはごめんだわ。
私は首をフルフルと振りながら屋敷の中に入っていった。
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