第99話 誘い出されし者

 ある日の事、学園に思わぬ客がやって来た。

 実技の授業中に姿を見せた客の姿を見て、俺は思わずぎょっとした。


(あれは隣の領主の……誰だっけ?)


 名前が思い出せなかった。

 姿は見た覚えがあるものの、やっぱり名前は思い出せない。思い出すように悩んでいると、俺はふとブレアの姿が目に入ってしまう。ブレアも露骨に嫌な顔をしている。俺と同じように嫌な思い出があるようだ。


「ブレアさん、あれ誰でしたっけ?」


「何を仰いますの、アリスさん。あれはランドルフ子爵ですわよ。私たちの領地の隣の領主様ですわ」


 俺の質問に驚きながらも、ブレアはちゃんと答えてくれていた。

 あー、思い出してきたわ。

 ただの気持ち悪いおっさんという印象しかなくて、名前をすっかり忘れてたわ。

 俺がフェイダン公爵家に引き取られてからというもの、たびたび目にしていたおっさんだ。隣の領地の領主というのは覚えていたけど、名前を聞いて余計な事をたくさん思い出してしまった。

 本当にさ、視線が気持ち悪いんだよ。鳥肌が立つくらいには恐怖を感じた事もあった。

 しかしだ。今は授業中なので集中しないとな。模擬戦で木剣を使っているとはいえ、気を抜くと怪我をしちまう。

 気持ち悪い視線を我慢しながら、俺とブレアは不快感を振り払うかのように模擬戦に集中する事にしたのだった。


 ―――


「ふん、あれがフェイダンとクロウラーのところの娘たちか。騎士を目指すとかとち狂った事を言い出しおって……」


 アリスたちを見たランドルフ子爵は、そんな事を呟いていた。


「女性の騎士というのも、必要な存在なのですよ。女性ならではの視点というのは、時に必要なのですからな」


 ランドルフ子爵に対応しているのは学園長だった。

 学園長の説明に、どういうわけかランドルフ子爵は機嫌が悪そうである。


「そうカリカリしないでくれたまえ。今の王族は王子と王女が一人ずつだ。王妃や王女にはやはり女性の騎士が護衛に就くのがいいのだよ。性別の違う護衛となると、踏み込めない領域がどうしても出てきてしまうからな」


「ふん、いざとなればそんな事は関係ないだろうが」


 学園長の説明に、ランドルフ子爵はあからさまに不機嫌である。


「いざとなれば……。確かにそうでしょうが、普段からギクシャクさせるような事があればそれはそれで問題ですぞ。特に男女となればいろいろと問題も起きかねませんからな」


 ランドルフ子爵が不機嫌なのとは対照的に、学園長は笑いながら話をしていた。

 それに対して、ランドルフ子爵は聞こえないように舌打ちをしていた。


 学園長とランドルフ子爵は訓練場の見学を終えると、座学の行われている授業棟へとやって来た。

 座学の授業の見物をするのかと思いきや、学園長はそのままランドルフ子爵を連れて、学園長室までやって来る。


「まあとりあえず腰を落ち着かせてくれ」


 学園長に言われて、ランドルフ子爵はソファーに腰を下ろす。

 すかさず、学園で働く使用人がお茶を持ってやって来た。なんとタイミングの良いことか。

 ランドルフ子爵は、不機嫌ながらもその運ばれてきたお茶をグイッと飲み干していた。使用人はその空になったカップに再びお茶を注ぎ入れていた。できる使用人は常に一歩先を行くのである。

 すぐに補充された事に、ランドルフ子爵は固まって使用人を見ている。それに対して、使用人はにこりと微笑むと、頭を下げて部屋を出て行った。


「ははっ、うちで働く使用人は優秀でしょう?」


 学園長はにやりと笑っている。それに対して、さらに不機嫌を増していくランドルフ子爵である。顔に血管が浮かんできている。


「まったく、気分が悪いですな! コーレイン子爵殿、本題をさっさと言ってくれないか? 私は何のためにここに呼ばれたんだ!」


 いよいよ声を荒げ始めたランドルフ子爵である。普通に学園に招かれて接待を受けているだけなのに、どうしてここまで怒れるのだろうか。まったく理解に苦しむ反応である。

 ところが、学園長は何も言わない。ただ、ランドルフ子爵に向けて鋭い視線を送っただけである。

 だが、この視線を受けたランドルフ子爵は、おとなしく座るしかなかった。

 さすがは騎士としてもその名を轟かせてきた学園長である。その目力は今も健在なのだ。


「やれやれ、何かを企んでいるような言い掛かりは、まったくもって心外ですな」


 学園長はお茶を飲みながらそうとだけ呟いた。

 その学園長の様子を見ながら、ランドルフ子爵はうぐぐと唸っていた。ぐうの音も出ないというのはこういう状態の事を言うのだろう。


「それにです。むしろ何かを企んでいるのは、ランドルフ子爵の方ではないですかな?」


「な、何を!? でたらめな事を言うでないですぞ、コーレイン侯爵殿!」


 学園長がちょっと突くと、声を荒げてしまうランドルフ子爵である。どうやら図星を指されたというような反応だった。


「やれやれ、といった感じですか……。ドラゴニル公爵、いかがですかな?」


「なっ、ドラゴニルだと?!」


 学園長の言葉に、うろたえるランドルフ子爵である。

 それと同時に、部屋の片隅からすっと姿を現すドラゴニル。その姿を見たランドルフ子爵は、思わず震え上がってしまったのだった。

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