第2話 記憶にない日常
5歳の今は、とにかくひたすら家の手伝いだった。男だった時はまだ自由にさせてもらったのだが、女だとこうも不自由なのかと、俺はベッドに転がりながら考え込んでいた。
力の訓練もしたいものの、お袋の目がほぼ届く位置にしか居られないので、隠れて身体強化を使うくらいしかできない。あの力を使いこなす事ができれば、おそらく今の俺でも近所の魔物は倒せるはずである。だからこそ、今の状況がもどかしくてたまらないのだ。それもこれも、全部あのドラゴンのせいだ。
いろいろ思うところもあるのだが、今はまだ5歳。せめて倍の10歳くらいまでは村の中で我慢せざるを得ない。何をやるにしてもまだ小さすぎるし、能力も低すぎる。実にもどかしいな。
「アリス、ちょっと手伝ってちょうだい」
「はーい、ママ」
相変わらず可愛い5歳の少女を演じる俺だ。
生まれた直後に急に泣きやんだ時は、ものすごく両親が慌てたのを覚えている。生まれたばかりの赤ん坊ってのはずっと泣きっぱなしだったんだな。赤ん坊を見た事ないから知らなかったぜ。そういう事もあってか、なるべく両親には心配をかけないようにしてきた。だからこそ、いい子を演じているというわけだ。
そういえば、どうしてベッドがあるのだろうか。俺の記憶には、床に藁と毛皮を敷いて寝ていた記憶しかないんだが……。
急に疑問に思った俺は、お袋を手伝いながら、その辺りの事を聞いてみた。
「ねえ、ママ」
「なあに、アリス」
「どうして、私はベッドで寝ているの?」
「ふふっ、この村では組み立て式のベッドを子どもが生まれた家に貸し出しているのよ。6歳までの子どもはそのベッドの上で寝かせてもらえるの。だから、アリスも来年まではベッドで眠れるわ」
なんとまあ、そういう仕組みがあったのか。まったく覚えてなかったぜ。だけども、まだすっきりしないので、俺は続けて質問をする。
「どうしてそんな風になっているの?」
「うーん、この辺りを治める領主様の意向としか分からないわね。私たちは、どんな姿でどんなお名前の方か分からないけれど、その領主様のおかげでこうやって生活できているのよ」
「ふーん。ありがとう、ママ」
なるほど、領主様とやらのおかげってわけか。しかし、6歳までってのはまた中途半端だな。まっ、小さい頃に硬い床の上で寝ないで済むだけマシだから、そこは感謝させてもらうぜ。
ベッドの疑問が解消したところで、俺は再びお袋の手伝いに精を出していた。一時的にでも使える身体強化のおかげで、ずいぶんと手伝いの幅が広がったものだ。なんてったって水くみだってできるんだからな。これができるか否かで行動範囲が大きく違ってくるんだもんな。
そうやって行動範囲が広がってみる事ができた村の中の様子だが、男の時と同様に実に平和な光景が広がっていた。これでも結構近くで魔物の出現報告がされるような場所なのだが、本当に村の中は平和そのものだった。それというのも、村に存在する自警団のおかげだ。おおよそ男ばかりで構成される自警団が村の周りを警戒して魔物を撃退してくれているので、この平和が維持されているというわけだ。だからこそ、一度目の時の俺は自警団に憧れたものだった。
……そういえば、騎士団に拾われる直前に起きた魔物の大量出現。あれが今世でも起きるのだろうか。だとしたら、本当にのんびりしている間はないという事になる。あの件では自警団もかなりの被害を出していたのだから、その事態は何とか避けたいものだ。
いろいろと思い出しながらも、俺はとにかく家の手伝いを続けていた。今の俺の目標には親の目を盗みながら、一度目で扱えるようになっていた力を今の体でも操れるようにする事しかないのだ。そのタイミングは現状では水汲みと寝た後くらいで、本当にわずかな時間しかなかった。それでも、なんとか鍛錬を続ける事はできたのだった。
そんな平和な日が続いていたある時の事、俺はいつものように母親に頼まれて水くみへと向かった。身体強化のおかげで軽々と持ち運べるのは大きい。
それにしても、5歳児が水の入った桶を軽々と持っている事に、両親は何とも思わないのだろうか。聞いてみたいところだが、変に自分の方へと矛先が向くのが嫌なので、俺はあえてその質問はしないようにしていた。聞かれた時にどう答えればいいのか、俺には理由が思いつかなかったからだ。両親が納得しているのなら、その方が断然いいに決まっている。
いろいろと思いながら、いつも水を汲んでいる川へと到達する俺だったが、不意に妙な視線に気が付いてしまった。
(なんだ、この寒気がするような視線は……)
ばっと顔を上げる俺。
「なっ!!」
思わず声が出てしまう。
なんと川の対岸には魔物の姿があったのだ。
川が流れているとはいえ、それほど川幅は広くない。魔物が本気を出せば軽く飛び越えられそうなほどだ。しかも、周りには誰も居るような気配はない。つまり、完全に俺は魔物と1対1になっているという事である。
(あれは見るからにウルフだな。駆け出しの冒険者でも相手にできる魔物だが、さすがに5歳児の俺にとっちゃ厳しすぎる……)
俺が考えている間にも、ウルフはじりじりと俺に狙いを定めてきていた。
(これは……、やるしかないのか?)
俺の中には、もう助けを呼ぶというような選択肢はなかった。そのくらいにもう切羽詰まっていたのである。
俺がじりっとかすかに後ろに引いた足を動かした時、対岸のウルフが勢いよく川を飛び越えてきたのだった。
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