【一章:炎。】


 その後、僕は彼女を連れて村へと戻り、村長に事情を説明した。


 すると村長は「外周の魔物たちから逃げて、森の中に迷い込んだのかもしれない」と、彼女をこの村の一員として受け入れてくれた。


 僕はその事を嬉しく思ったけど、どうやら彼女は違ったらしく、不満げというより訝しむように口を開いた。



「随分と軽いんだな。こんな得体の知れない女を容易く招き入れるなんて」


「ここに暮らす人達は、みんな良い人しかいないからね」


「……良い人、か」



 僕の言葉に、納得がいかない様子のテラは、何処か遠くを見つめるように空を見上げた。

 

 僕は彼女に何があったのか、なぜ石碑の前で佇んでいたのか、聞かない事にしていた。


 聞いてしまう事で、彼女の心を抉ってしまうのが怖かったからだ。


 誰にだって、触れられたくはない心の傷がある。


 彼女の様子を見るに、何か事情があってここまで来たのだろう。


 それが一体どんな事情なのかは、今はまだ聞かなくてもいい。



「ほら、早く行こう? 父さんと母さん、妹が帰りを待ってるんだ。君の件で話し込んだから、すっかり遅くなっちゃったし」


「ちょっと待て。まさか私は、君の所にお邪魔するのか?」



 驚いた表情のテラに、僕は何の迷いもなく頷いた。



「……お人好しが過ぎるんじゃないか?」


「そうかな。でも、さっき言った通りだよ。ここで暮らす人たちは良い人しかいないって」


「ハハ。まさかそれに、自分も含まれているのか?」


「当然」


  

 そう返すと、テラはふっと吹き出して笑ってくれた。


 その時の彼女は、初めて会った時と比べても表情が柔らかく、そして少しだけ心の内側を覗かせてくれたように見える。



 僕はそれが嬉しくて、彼女の手をひき、駆け出した。


 


 それから僕は、テラを父さんと母さん、そして妹に紹介した。


 三人とも僕が「嫁を連れてきた」なんてはしゃいで少し恥ずかしかったけど、みんなテラを快く受け入れてくれた。


 それから彼女は、僕たちと共に暮らす事になり、一年もの間を過ごした。



 その間に僕とテラは、親密な関係を築いていた。


 それこそ家族が言った通り、本当に嫁になって欲しいと考える程に。


 そしてそれは、向こうテラも同じだったようで、時折二人きりになっては「おまじないだ」と言って、口付けをかわしてくれた。




 ※




 それから僕は、彼女テラが村に来てから一年経った事の記念と、僕自身の想いを伝える為に、再び石碑のある場所へとやって来た。


 理由は一年ぶりにこの場所を訪れたかったのと、ここにしか咲かない花──シロバの花があるからだ。


 四つの葉が開き、そこから白く美しい花になるシロバには花言葉がある。


「約束」「幸運」「私のものになって」。


 最後のは少し重い気がするけど、彼女とずっと一緒にいたいという想いは、変わらない事実だ。


 初めて会ったあの日から、僕の脳裏には、涙を流す彼女の姿が焼きついて離れなかった。


 なぜ彼女は泣いていたのか。


 いくら聞いてもはぐらかされるばかりで、理由はわからず終いだった。


 だから聞くのはやめたけど、もしかするとこの先も彼女は、ああして心にも無い笑顔をしたまま涙を流す事があるかもしれない。


 そのとき僕は、何が出来るだろうか。


 それもわからないけど、共に生きて、彼女を支える事は出来るんじゃないか。


 そう思い、僕は再びこの場所へと足を踏み入れた。


 今にして思う。僕が偶々この場所に来なかったら、彼女は一体どうしていたのかと。


 ──自死。


 ふと、そんな物騒な言葉が脳裏を過り、僕は慌ててかぶりを振った。


 今日はやけに、余計な事ばかり頭に浮かぶな。


 そんなふうに考えながら、僕は石碑から何本かのシロバの花を摘み、テラ達のいる村へと帰った。



 そして、帰る道中。


 村で何か異変が起きている事に気付き、慌てて駆け出した。




 ※




 村から聞こえる、悲鳴、叫声。 



 黙々と立ち込める黒い煙に、ごうっと燃え上がる紅い炎。


 は村を、そして村に住まう人々をたちまち呑み込み、蹂躙してゆく。



「……何だ、これ」



 思わずそんな声があがり、僕は森の奥から凄惨な光景を見下ろしていた。


 巨大な「それ」に、全てを壊されてゆく、その光景を。



 竜は大きな爪で母の腹を裂き、臓物を放り出した。


 今度は鋭利な牙で父の首を斬り、頭を噛み砕いた。


 巨大な口で、まだ10歳にも満たない幼い妹を頭から齧り付き、咀嚼した。


 口から吐き出した炎で、村を赤黒く、死色に染めていった。


 家族を。友を。村を。


 その全てを壊し。殺し。焼いて。飲み込んで。


 涙は出なかった。


 今朝食したものも、吐き出す事は無かった。


 理解が出来ず、それをする余裕すら無かった。



「……テラ?」



 思わず溢れた、彼女の名前。


 血や煤で汚れた竜は、僕の声に反応し、鋭い眼光を此方へと向ける。



 青く輝く、美しい瞳をしていた。




「どうして」



 答えは無い。


 静寂から程遠い轟音が、村から響いてくる。


 焼けた家々が次々に燃え広がり、家族の亡骸を、そこで暮らしていた人々を、焼き尽くしていった。



 テラは背を向け、一言だけ「すまない」と言い、飛び立っていった。


 そこでは、ようやく気付いた。


 彼女との出会いそのものが、間違いでしか無かったのだと。



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