第5話 元婚約者が関係修復を迫ってくる

 メッセージアプリをブロックしておけば良かったかもしれない。

 でも、俺にはそれが出来なかった。半分忘れていたというのが正しいが。


 可奈はなぜ今になって、俺に会いたいのだろうか。


 正直もう会うつもりもなかった。

 二度と会うこともないと思っていたし。



「…………」

「どうしたの、お兄ちゃん」

「いやぁ、ちょっと知り合いから連絡があってね」

「そうなんだ」



 詩乃を心配させるわけにはいかない。

 今は彼女の為に尽くそう。

 決めた以上は責任を持たないと。


 メッセージアプリを既読スルーして、俺は邸宅いえの案内を続けた。キッチンやお風呂、トイレの場所。それから娯楽施設も。


「こっちにはビリヤードや卓球、トレーニングルームもある」

「わぁ……すご。なんでもあるね」

「ダーツもあるぞ」

「外へ遊びに行かなくても楽しめちゃうね」

「ああ、これから一緒に遊びまくろう」



 一通りの案内を終え、広間で紅茶と高級菓子で一服でもと思った。だが、再びスマホが鳴った。……まさか、また?


 画面を見ると、やはり『可奈』からだった。


 しつこいな……。


 しかも、今度は電話ときた。


 なぜだ。

 なぜ俺なんかにこだわる……!


 可奈は、凍夜を選んだ。

 あの男と幸せにやっているのなら、俺なんかもうどうでもいいはず。なのに。


 震える指で俺は通話を押すかどうか悩んでいた。


 ……話す?

 なにを話せばいい。



「顔色悪いよ、お兄ちゃん」

「……俺は」

「泣いてるの?」


「……苦しいんだ」


「どうして?」

「俺には婚約者がいた。でも……奪われたんだ。大切な彼女だったんだけどね」


 気持ちは冷めても、記憶には残り続ける。

 ……もしかして俺は柄にもなく、引きずっているのかもしれない。認めたくないけど……。



「そうだったんだ。ごめんね」

「いや、いいんだ。今は詩乃がいるから楽しいよ」

「ありがと」



 俺は詩乃の笑顔に救われた。

 もし義妹がいなかったら、今の俺は廃人と化していただろう。それこそ東尋坊に身を投げていたはずだ。


 そうだ、気持ちを切り替えよう。

 ポジティブに考えて生きればいいんだ。


 そう思ったが。


 ジークフリートがやってきた。



「坊ちゃん、御来客でございます」

「なに……?」

「八塚様が来られております」


「……! なんだって!」



 マジかよ。こんなに早く乗り込んできたか。

 とてもじゃないけど会う気分ではない。嫌な思い出をフラッシュバックするだけで、いいことなんて何一つない。


「いかがなさいましょうか」

「帰ってもらってくれ」

「分かりました。では、そのように――」


 帰るように伝えてもらおうと思ったが、廊下の向こうから可奈がやってきた。お構いなしに、ズカズカと。


「ちょっと、八一くん! どうして無視するのですか! 既読スルーとか……やめてください!」


 目尻に涙を溜め、可奈が飛びついてきたが俺は回避した。


「……」

「え……八一くん、ウソでしょ」


「なにを言っているんだ君は。可奈、君から離れておいてよく言うよ」


「そ、そのことで話があるのです!」

「今更話すこともない」


 そう、あの時点で俺と可奈の関係は終わった。終わったんだ。

 俺の気持ちはもう完全に虚無でしかない。

 なにを言われても変わらない。


「そんなこと言わないで聞いてください!」


 しつこいな。

 ていうか、可奈のヤツ……なんだか顔とか腕にアザがあるような。


「なんだよ、一分だけだぞ」

「それでいいから。あのですね、八一くん……私とやり直しましょう」


「……やり直す?」


「そうです! 確かに……私は凍夜さんを好きになってしまったこともありました。でも、あれは偽りの気持ち。体だけの関係だったんです」


 俺は目頭を押さえた。

 涙が出そうになったし、頭痛がしたからだ。


 それを浮気というんじゃないのか。

 そもそも、あの男と寝た時点でアウトだろうが!



「それで?」

「それでって……見て分からないんですか? 私、あの人から暴力を受けているんです。だから逃げてきて……助けて欲しいんです」



 そうか、凍夜のヤツは豹変してDV男になったか。でも、それは可奈の望んだことだろう。自業自得としか言いようがない。


 同情の余地すらもない。


 むしろ、俺はその状況を聞いて心が少しだけ和らいでいた。


「残念だけど助けられない」

「なんで! てか、そこの女の子は誰よ!」


「俺の義妹いもうとだよ」

「い、妹? 八一くん、妹さんがいたの……?」


「義理の妹さ。俺は妹と結婚を前提に付き合うことにした」


「……は? え? え? い、意味わかんない」


 唖然となる可奈。

 当然の反応だろう。

 でも俺は至って冷静だった。

 俺の気持ちは本気だからだ。


 あの時、東尋坊で詩乃を助けたあの瞬間から、俺はコイツを幸せにすると決めていた。心に誓ったんだ。


「可奈、君の居場所はもうここにはない」

「…………そんな」


「お客さんのお帰りだ」


 俺はジークフリートに命令を下し、可奈を玄関まで送ってもらった。いや、摘まみだした。だが、可奈は激しく抵抗した。



「あ、諦めない。私、絶対に諦めないですからね……! 八一くん、あなたを絶対に取り戻す。今日は帰るけど、近い内にまた……来るから!!」



 涙を滝のように流して叫ぶ可奈。だが、俺の心にはなにも響かなかった。


 もう他人だ。


 さようなら……初恋の人。


 別れを告げ、俺は詩乃の手を握った。


「お兄ちゃん……? あの人……」

「気にするな」


「でも、震えているよ」


 詩乃は、俺の手を握り返してくれた。

 おかげで震えが止まりつつあった。


 かなり無茶をした。俺らしくないけど、でもこれで正解だった。



 これで可奈と会うことは二度とない。



 そう思っていたが――三日後に事態は急変した。

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