最終話 白い息

 東京では初雪が観測された。雪は積らなそうだが東京の冬は地面が凍結して危ない。厚手のコートとマフラーに身を包みビチャビチャと足元を鳴らしながら大学へと向かう。二年前からだんだんと始めていた就活も無事に終わり重圧から解放された。残りの大学生活はもう数か月も残っていない。大学へ出向くのはちょっとした事務作業と卒業式だけだ。何回通ったか数えきれないほど見なれた通学路、スーパー、駅、校舎あと何回通れるのだろうかと考えると少し寂しい。信号が赤になり少しの間立ち止まる。ふと顔を上げ粉のように舞う雪を眺めあの頃を思い出す。

 あれ以来、読書と紅茶は生活の軸になっている。あの喫茶店には何度も通った。結局借りた本は返せていない。学校から帰ると真っ先に本を読み始め気づいたら朝なんてこともある。続きが気になり授業中にも読んでしまい成績が落ちたことも懐かしい。親も本を読んでいるためか怒るに怒れないようだった。寒い時期の朝は紅茶を飲むのがルーティーンになっている。バイトをしていなかった高校時代はなんとかお年玉とお小遣いを貯めティーセットを買った。そこまで高価ではないが白いティーポットと椿柄のティーカップを選んだ。いろいろな種類の茶葉を飲み比べたが、あの日飲んだ紅茶と同じ味は見つからない。進学と同時に上京した。風のうわさで先輩が東京の大学に進んだということを聞き、同じ土地に行きもしかしたら会えるかもしれないという淡い期待を抱き進路を決めた。大学ではバレーサークルに入った。僕はもともと運動神経が良くないから、ゆるく楽しむをモットーにしたサークルを選んだ。そこで、同じ趣味の友達もでき彼女もできた。あの人と出会ったことで僕の価値観は広がった。もし人生を振り返ることがあれば僕の人生のターニングポイントはあの人との出会いだと間違いなく言える。

 大学の卒業式を一週間後に控えた三月初め。高三の時の担任が定年退職するというので同窓会を兼ねた食事会が開かれた。先生はいつも眉間にシワが寄っている厳しい人だ。バレー部の顧問や学年主任をしていたこともあり、他の生徒には恐れられていたが多くの生徒に慕われてもいた。僕は一度だけ先生が花壇に水をあげていたのを目撃し怖かった先生を微笑ましくなった。

 送別会は思ったより大規模で開催された。ホテルの宴会場で開催された送別会は先生が勤続何十年ということもあり多くの人が訪れた。仕事終わりの人も多く見える。僕たちは三年生のクラスで固まり思い出話に花を咲かせ先生に送別の言葉を送る。僕がこの会に来た理由は先生を送ることもそうだが篠宮先輩が来ていることを期待した。だが、会場を見渡しても先輩の姿はない。どこか張っていた気が抜け、外の喫煙所で一服する。

「吉崎君?」

「…森下?」

「え!久しぶり!」

「おおう!久しぶり!」

久しぶりに再会した森下は可愛さを残しつつ大人の女性になっていた。森下とは高1以降同じクラスにはならなかったが、関係性は卒業まで続き、勉強を教えてもらったり、部活の試合を見に行ったりした。森下はおそらくバレー部の集まり出来ているのだろう。すると気になるのはやはり先輩の存在だ。

「森下、大人っぽくなったね」

「ありがと。吉崎君もなんか雰囲気変わったんじゃない?」

「そうかな。自分ではわかんないけど」

森下に再会できただけでも今日来れてよかったと思う。だがバレー部が集まっているほうに目を向けソワソワする。

「今日はバレー部の集まり?」

「そう。」

「あぁ。そうなんだ。」

「もしかして。篠山先輩?」

「え。なんで。」

「なんとなくわかるよ。吉崎君と私の仲でしょ」

高校の時から森下は周りに気を遣う。それが森下の良さだ。部活でもクラスでも無意識に気を遣い、人間関係を円滑に進めていたのだろう。森下のことを悪く言っている人は聞いたことがない。こんな時まで気を遣わせてしまって申し訳ない。

「うん…今何してるのかなって」

「…うん。」

「…え、なんかあったの?」

「え、あぁいや、吉崎君には言いづらいんだけど。篠宮先輩、結婚したって」

「え?ほんとに?」

「うん、さっきバレー部の先輩に写真をみせてもらってさ。あの美人な先輩が結婚したって、うちらの間で結構盛り上がってさ。ほら、吉崎君さ篠宮先輩と仲良さそうだったじゃん。だけど、いつからか篠宮先輩の話題出さなくなって。だから、何かあったのかなって心配してたんだよ。もしかしたら傷つくかなぁて。でも、喜ぶかもしれないなぁなんて」

僕の頭の中は「結婚」の2文字が頭の中をぐるぐると回る。森下の言葉は全く頭に入らなかった。ハッとしてその森下に問いただす。

「その写真、今見れる?」

「え、あぁ、大丈夫だと思うけど…」

「見せて」

「いいけど…」

森下は会場内の人だかりに戻りバレー部の先輩から写真を借りてくる。

「はい。おまたせ」

「ありがとう」

一葉の写真には、あの懐かしい先輩が写っていた。雪が降る中、緑のコートに身を包み微笑んでいる。背景には深く積もった雪が見えるため、そこが雪国であることが分かる。写真を見て一番驚いたのは腕に赤ちゃんを抱いていることだ。その赤ちゃんは赤い毛糸の服と赤いニット帽で頬が赤らんでいる。この子の目は抱いている先輩にそっくりで先輩がお母さんになったのだと直感的にわかる。先輩の目は昔のような目の奥にある冷たさがなくなり温かみを帯びている。花が咲くように明るく華やいだ笑顔を見せる赤ちゃんと先輩はまるで椿のよう。

「…」

涙があふれてくる。うれしみの涙か悲しみの涙かはわからないが元気そうな姿に涙が止まらない。こんな姿を森下には見られたくない。背を向けてタバコを吸う。

「…タバコが…目に染みるな」

僕の様子を察知したのか、唐突に言い出す。

「あ、私先生に挨拶に行かなくちゃ。吉崎君も冷えるから早く中に入りなね。じゃあまた後で」

森下はいつも気を遣ってくれる。でも今回だけは一緒にいてほしかった。一人になった僕は写真にわずかに届く声で言う。

「ステキですね。…お元気で」

肩を震わせながらつぶやいた声が、冷たく澄んだ夜風にのって遠く幸せに暮らすあなたに届くことを願います。


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吐息 八千代 @yachiyochiyo

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