夜空大兎ー4

「エドさん、おはようございます!」

「おう、大兎。今日も早いねぇ」


 ゲームを開始して3日目。

 昨日に続けて大兎が訪れているのは、ハニアサルンの中心部近くにある赤い屋根が目立つ3階建ての建物。実はここはムギさんが団長を務める傭兵団讃美歌のクラブハウスだ。


「妖魔の森は大丈夫そうですか?」

「あぁ問題ねぇ。そもそも一昨日が警戒しすぎってもんよ」


 大兎が話しているのは《讃美歌》の物資調達を担当するエドワードさん、通称エドさんだ。立派な髭を携えた強面で言葉遣いも荒いため最初はビクビクしたものだが、話してみると意外にも世話焼きな優しいおじさん。

 傭兵団の縁の下の力持ち的存在のエドさんは団員の中で誰よりも早くこの世界に現れるため、昨日も早い時間からログインした大兎と話し込んで仲良くなったのだ。


「今日は何をするってェ?」

「午前はクラフトの練習をして午後から素材の採集に行くことになってます」

「おぉ遂に大兎も街の外に出るんだな」


 昨日の最後にムギさんから告げられたスケジュールをエドさんに共有する。傭兵ギルドでムギさんが傭兵団の団長だと明かされた後、ムギさんに誘われるまま初心者研修のために傭兵団の体験団員として一週間の間お世話になることになったのだ。

 初日は城郭都市に閉じ込められた状態だったため殆ど何もできなかったが、2日目である昨日は《讃美歌》のクラフト担当の一人であるノラさんにクラフトの基本を教わり、効率的に熟練度を得るための色々な練習方法を教わることができていた。


「ムギさんの話では午後の採集はエドさんも一緒だそうですよ」

「あぁ?俺も?まったく団長も困ったもんだなァ……」


 困った表情で苦笑いを浮かべるエドさん。大兎とムギさんとは出会ってまだ3日目だが、ムギさんは間違いなく思い立ったら即行動タイプであり、エドさんを含めた団員たちが日常的に振り回されていることは想像に難くない。

 エドさんの苦笑いも大兎に同行することに対してというよりも、団長のいつもながらの突然の指名に対してのものだろう。


「てことは急いで準備を終わらせねぇとな。すまん大兎、俺は市場に行ってくるから留守番しといてくれ」

「は、はい。行ってらっしゃいです」


 点検作業途中の武器を床に置いて、大慌てでクラブハウスを飛び出していくエドさん。留守番と言われても初心者の大兎に出来ることなどあるはずがない。

 大兎は作業部屋へと移動し、とりあえず当初の目的を達成するために初心者用のクラフトキットをアイテムボックスから取り出す。


 今のこちらの時間は午前9時過ぎ。日本の標準時とはちょうど6時間の差があるため、日本の時間は15時過ぎである。

 渡り人の多くは日本のゴールデンタイムに合わせてプレイしているが、数日前まで規則正しい生活を送っていた大兎にとっては深夜帯に起き続けるのは難しい。

 この時間は渡り人が少ない時間ではあるが、体が慣れるまでしばらくお昼過ぎから日付が変わる頃までのプレイを続けることにしていた。


「まずは水を煮沸してっと」


 大兎は早速、昨日使えるようになった唯一の魔法である火属性魔法で火を起こし、水を沸騰させる。現在進行形でしっかりと煮沸されているのを確認してから、大兎は片手間に次の手順で必要なものを用意し始めた。


「回復草はっと。よしっ、これか」


 大兎がクラブハウス内のアイテム収納ボックスから手に取ったのは、緑色の細長い草。日本でもそこら中に生えていそうな見た目だが、体力回復薬を作るために必須のアイテムである。

 本来は別の正しい呼び名があるらしいのだが、体力回復薬の主材料であるために現地人からも渡り人からも回復草という通称で呼ばれているそうだ。


 大兎は手に取った回復草を煮沸した水が入った容器に入れ、目を閉じながら容器に向かって手をかざし魔力を込める。

 自分の身体から少しずつ何かが抜けていくような感覚が続くこと数十秒。


「これくらいで大丈夫かな……?」


 目を開けて確認すると、回復草が完全に水に溶け、目の前の容器には緑色の液体が出来上がっている。


「……完璧な最低品質の体力回復薬だな」


 体力回復薬は低品質であるほど緑色で、高品質であるほど青色に近付いていく。今出来上がった体力回復薬は綺麗な緑色をしており、低品質の中でも特に際立った色だ。


「ま、まぁこんなもんだよな」


 落ち込むわけではないが、《讃美歌》が集めた素材を使わせて貰っているため若干の申し訳なさを感じている。クラフトは才能よりも経験値が物を言うため、仕方がないこととはいえ最低品質であることに変わりはない。


 体力回復薬は時間経過で効力が落ちていくポーションだ。例えこの最低品質の体力回復薬であったとしても、数日以内であれば十分な効果が期待できることが唯一の救いといったところだろうか。

 師匠であるノラさんの話では、最初の頃はクラフトに使用する魔力が多く、そもそもの魔力保持量も多くないため毎日コツコツと続けるのみという話だった。


「おい大兎、傭兵ギルドに顔を出したら渡り人の新人が何人か居たぞ〜今時間あるなら行ってこい」

「は、はーい!」


 しばらくクラフトを続けていると、大兎を呼ぶエドさんの大きな声が玄関の方から聞こえた。ちょうど魔力が少なくなりかけていたタイミングであったため、大声で返事を返してから、すぐに作業を切り上げて片付けを始める。


「ま、まだやってたのかよ」


 作業部屋を覗きにきたエドさんが、驚いたような、あるいは呆れたような口調でそう言った。スマホで時間を確認してみるとすでに正午前。無意識のうちに約3時間ほどクラフト作業に熱中していたようだ。


「よくそんなに集中力が持つなァ……」

「はい。単純作業は元々嫌いじゃないですから」

「いや、そういうことじゃねぇんだが……」


 エドさんが言うにはクラフトには集中力が必要であり、大抵の人は1時間おきに休憩を挟みつつ作業を行うらしい。エドさんは直接的な表現を避けているが、どうやら隠しステータスのようなものがあり、それぞれ異なる得意分野や苦手分野があるようだ。


 エドさんに言ったように、大兎は昔から単純作業を苦にしたことがなく、一つのことに熱中すると周りが見えなくなるタイプだった。最近退職届を提出したブラック企業も、『The Earth in Magic』というきっかけがなければ辞めることはなかっただろうし、とにかく忍耐力だけは人一倍強い自信がある。


「さァ行くか」

「一緒に行ってくれるんですか?」

「まぁ……案内だけはしてやるよ」


 大兎が片付け終えたのを見て、エドさんがそう声をかけてきた。この街ハニアサルンの傭兵ギルドに行くのは初めてであり、エドさんの申し出は正直とてもありがたい。見た目が厳つくて面倒見がいいエドさんは、大兎にとってまさに兄貴分という感じだ。


「傭兵ギルドはここから10分ぐらいだ。少しだけ歩くゾ」


 準備の整った2人は玄関から外に出た。ハニアサルンの街は、ほとんどの住民が退避中で人気のなかった初日とは打って変わって、かなりの賑わいを見せている。


「……すごい」

「まァこの辺は飲食店も多いからな」


 場所によっては通行人の肩と肩がすれ違うほどの賑わい。まさに大兎が想像していた通りの異世界の街、という光景だった。

 エドさんと大兎は仲良く露店を物色しながら、ゆっくりと傭兵ギルドへと向かった。


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