迫田茉莉花ー4

 この世界に降り立って2日目。

 ログイン後まずは視聴者への挨拶をしてから昨日使い方を覚えたスマホを確認すると、唯一連絡先を交換したシルヴィアからメッセージが入っていた。


[12時にギルドに来れます?]


『おっと……?』

『えー遅刻確定です』


 茉莉花は慌ててこれまた使い方を覚えたばかりの時計アプリを立ち上げ、時間を確認する。どうにか間に合っていてくれと願う茉莉花だが、非情にも時計の針は13時前を指していた。

 昨日戻ったときに日本との時差が9時間であることに気付いていたため特に驚きはないが、じわりじわりと焦りは増しており、何故かどこか裏切られた気分になっている。

 日本の現在時刻は22時少し前。配信を開始するタイミングは今までと変わらないが、『The Earth in Magic』配信者としてはもう少し早い時間から始める必要がありそうだ。


「あれ……これって遅刻になるのかな?」


 我に返ってとりあえず冒険者ギルドに向かうことにした茉莉花は、昨日紹介してもらった宿屋の一室で急いで身支度を整える。冒険者ギルドまでは歩いて数分の距離なので、走ればすぐだ。


『シルヴィアちゃんに連絡入れずに直接向かおうとするのがマリちゃんらしい笑』

『……ところで寝癖ついてない?w』

『あっ、ほんとだ』


「寝癖?嘘っ!?」


 たまたまコメントで見かけて、頭をガシガシと触り寝癖を探す茉莉花。


「あった!いや、本当じゃん……」


 頭の右上の方に派手に折れた髪を発見し、思わず心の声が漏れ出る。現実でも寝癖がつきやすい髪質の茉莉花だが、ゲーム内にこんな再現度は必要ないと叫びたい気持ちだった。

 自分の時間はほとんど配信に費やしているため日本では滅多に私用で外出しない茉莉花だが、華々しいキャンパスに通う現役大学生であることに違いはなく、外出するときの身だしなみは一応気になるお年頃である。


「いや。んー、まぁいっか」


『いいんかい!w』

『これもありっちゃあり』


 すでにシルヴィアに知らされている時間は過ぎている。しばらく頭の中で寝癖をどうするか考えてみて、少しでも早く辿り着くために身だしなみは放棄して出発することを決意した。

 どうせ遅刻するならバチバチに決めていくよりも、むしろ寝起き感があった方がいい。茉莉花の考え方は言葉を変えれば、完全に開き直ったとでも言うべきだろうか。


「よし、準備完了っ!」


 自分に気合を入れるようにそう声を出した茉莉花は、何も持たない手ぶらの状態で宿屋を飛び出す。昨日は数時間の座学を終えて宿屋に直行したため、アイテムボックスや荷物は空のままだ。


『まさかの手ぶら笑笑』 

『昨日ガッツリ街で過ごした人とは思えないんだが笑』

『昨日から水分しか摂ってないけど大丈夫?w』


 そんなコメントを横目でチラチラ見つつ、走り出そうと勢いよく足を踏み出した瞬間。


「うわっ!!」


 いきなり茉莉花の目の前が白い冷たいもので埋まる。

 外が雪で滑りやすいことを完全に忘れていた茉莉花が盛大にコケたのだ。


『あーあ……』

『まぁ何か予想してた』


 コメント欄に茉莉花を心配する声は見当たらない。茉莉花はすっと立ち上がって、軽く服についた雪を払ってから何事もなかったかのように早足で歩き始める。

 昨日と同様に通行人が少なく目撃者が殆ど居なかったのが唯一の救いだが、内心は恥ずかしさと寒さでいっぱいだ。茉莉花は今度こそ雪を踏みしめるように一歩ずつ丁寧に歩き、結局昨日よりも時間をかけて冒険者ギルドまで辿り着くことができた。


「あ、茉莉花さん!」


 茉莉花が冒険者ギルドに入ってすぐ、昨日と同じ場所の受付に居たシルヴィアが茉莉花に気付いて大きな声を出す。


「シルヴィアちゃん、こんにちは!」

「早く早く!行きますよ!」


 受付から勢い良くこちらへと向かってきたシルヴィアが挨拶もそこそこに茉莉花の手を握り、ぐんぐん奥の方へと引っ張っていく。どうやら方向的に、昨日も案内された応接間へと向かっているようだ。


「シルヴィアちゃん……?」

「はい!1時間も待って貰ってるんですからさっさと行きますよ!」


 はい!という元気な返事とは裏腹に、シルヴィアがその後に続けた言葉は茉莉花の思考を一気にどん底へと引きずり下ろした。そのまま考える暇もなく、二人は目的の人物が居るであろう応接間の扉の前に到着する。


『1時間待たせた訳だけど連絡に気付いたのはさっきだからなぁ』

『遅刻……うーん遅刻かぁ』

『難しいところだね』


 コメントも判断の難しい現状に若干のざわつきを見せている。


 見方によれば初対面で1時間遅刻したと思われかねない状況。普段は物事を楽観的に捉えることが多い茉莉花も、ドアノブを持つ手が震えてしまうほど緊張していることに気付いた。

 心を鎮めようと首をぐるぐると回すと、なぜか茉莉花と同じくらい緊張した面持ちのシルヴィアが目に入った。


『シルヴィアちゃん!?』

『セッティングしたから責任感じてるのかな』

『まさか怖い人だったりしないよね?』


 今ここでコメントに反応することはできないが、茉莉花の内心では余計なことを考えさせるな、という気持ちで一杯だった。

 茉莉花は一度大きく深呼吸をしてから、意を決してドアノブをひねり扉を開ける。


「……あれ?」


 一見、無人に見える部屋。いや、よく耳を澄ましてみると寝息のような静かな音が微かに聞こえている。

 茉莉花は足音を立てないように、寝息の発生源へと静かに近付いていった。


『え……、一目惚れしました』

『いつもだけど女の子との遭遇率高いね笑』

『おぉ……』


 白雪姫……。

 年は茉莉花と同じくらいだろうか。同性ではあるが、思わず見とれてしまうくらい美しい女性がソファーにもたれかかるようにして静かに寝息をたてている。光さえ感じるような白い髪に人形のように整った容姿。まるでこの子の周りだけ時間が止まっているかと勘違いするような神々しさがある。

 茉莉花も自分の容姿に自信がない訳ではなかったが、彼女の前ではそんなことを考えることすらおこがましいと思わせる美しさだった。


「雪さん、茉莉花さんが来ましたよ!」


 シルヴィアの呼びかけに、雪さんと呼ばれた女性は目を覚まし、目をパチリパチリとさせながら小さく伸びをした。


「あれ……?もう1時間も経ってたの……?」


 スマホを取り出して時間を確認した雪さんがそう呟く。予想通りの透き通るような綺麗な声は、まるで茉莉花の耳を優しく癒やすようである。


「は、はじめまして!昨日この世界に来た迫田茉莉花です。遅れてすみません!」


 慌てて挨拶と謝罪の言葉を述べた茉莉花を、雪さんがじーっと見つめてくる。思わず胸がドキドキする、吸い込まれるような綺麗な瞳だ。


「こんにちは……。雪です」


 どんな言葉が飛び出してくるかビクビクしていたが、雪さんの口から聞こえたのは挨拶と軽い自己紹介のみ。遅刻に対する怒りなど一切なく、むしろ初対面の茉莉花に緊張して照れている様子である。


「じゃあ雪さん、私は受付業務に戻るので後はお任せします!」


 雪さんの返事を聞くことなく、シルヴィアがすっと部屋から退室する。どうやら雪さんは人見知りのようで、茉莉花の方をじーっと眺めつつも何を話そうか少しあわあわしている感じだ。


「……茉莉花さんは私で良かったの?」

「はい!とても嬉しいです!」


 茉莉花がそう答えると、不安そうな表情をしていた雪さんが一気に笑顔を見せる。


『射抜かれました……』

『天使?いや、むしろ悪魔かも』


 普段は茉莉花を茶化すようなコメントも見られるが、雪さんに関してだけはコメントに完全同意である。

 一応補足しておくが、茉莉花が雪さんに言ったことは確かに本音だ。ただし頼もしさからくるものではなく、どうせ教えてもらうなら美少女が良いと思っただけのことであるが。


「雪さん、今日は何をしますか?」

「……おはなししましょう」


 茉莉花が尋ねると、雪さんはしばらく困った表情で考えた後にそう答えた。


『おはなし……?』

『初心者支援とは』


 おはなし。良いでしょう、どんと来い。

 具体的にどんな話をするのかは一切分からないが、茉莉花は迷うことなく大きく頷いた。


 全肯定ボットと言われたっていい。雪さんの圧倒的美を前にして、今の茉莉花に断るという選択肢は存在していなかった。


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