夜空大兎ー2
「シートベルトはちゃんと締めてね!」
そう言われて大兎は、日本と同じように左上の方からシートベルトを下ろして固定する。車の中はところどころ木で出来た部分があり、やはり量産初期の車という感じだが、シートは革張りで意外にも乗り心地は悪くなかった。
大兎がシートベルトを着用したのを確認すると、女性はすぐに車を発進させる。エンジン音はほとんどせず、日本の車と比べてもかなり静かな運転だ。
「そういえば自己紹介がまだだったね。私は大笹ムギ。半年前からこの街を拠点に傭兵をしてるんだ。君の名前は?」
「夜空大兎です。よろしくお願いします。」
今更ながらに簡単に自己紹介をする。
大笹ムギさん。綺麗系の見た目に反して、性格は快活で積極的な印象だ。
「よろしく!大兎くん、だね。私のことは気軽にムギさんって呼んでくれると嬉しいかな。早速だけどおじさんにどこまで教えてもらったのか聞かせてもらえる?」
「ほとんど何も、ですね。名前だけ聞かれてすぐにあの場所にワープさせられました」
「なるほどね。……まったく、あのジジィ」
大兎の返答を聞いた瞬間、運転席から不穏な言葉が低い声で発せられる。ムギさんの反応を見るに、先程のおじさんの対応は珍しいものなのだろう。
「よし分かった。まずはアイテムボックスのことからかな」
「アイテムボックス、ですか?」
「そう。アイテムボックスって心の中で唱えてみて?」
目的地までドライブを続けながら、大兎はムギさんに基本的な情報を色々と教わっていく。
アイテムボックスは渡り人が持つ異空間収納で、時間経過がないために様々な場面で重宝するらしい。初期は10枠だが条件次第では枠上限を解放することができるようだ。
次にスマホ。
これまた渡り人のみが持つアイテムで、主な用途は連絡先を交換した相手との電話・メッセージのやり取り、所属するグループ内でのチャット。写真や動画を撮る機能もあり、魔物の情報共有に活用することがあるらしい。
「Magical Tube」で配信中の画面も確認でき、視聴者数やコメントも見られるようだがムギさん曰く、コメントはなるべく見ない方が良いとのことである。
「色々あったからね〜」
ムギさんが少し気まずそうな表情で笑う。
「それは聞いてもいい内容なんでしょうか」
「うん。大兎くんも知っておいた方がいいと思うから。最近起こったばかりのことだしね」
大兎は言葉を発さず、静かに頷く。正直気になることはたくさんあったが、ゆっくりでも一つ一つ丁寧に片付けていかねばならない。
「渡り人にはいくつかのルールがある。当然大兎くんも知ってるよね?」
「はい。3つ、ですよね」
直接的な表現は避けた言い方だが、ルールとは発売前に発表された3つのゲームコンセプトのことで間違いないだろう。
「そう。一度死んだら二度と生き返れない。当たり前のことだけど我々渡り人はこのルールのせいで嫌というほど慎重に動いてしまう節があったの」
「それはムギさんの言う通り当たり前のことでは?」
リアル志向のゲームである以上、死なないように慎重に動こうとするのは通常の思考だ。
大兎が選考を通過してゲームに参加できる権利を得たのは発売直後のことだが、そのときの待機人数は約500人。昨日の朝に確認したときには200人強だったことから、約1年で300人ほどしかキャラエンドしていないのだ。
「それはそうなんだけど……配信されている以上エンタメも必要だし代わり映えのない毎日だと我々も飽きてしまうからね」
ムギさんは言葉を選びながらゆっくりと話している。現実の話をするのがタブーである以上、配信に関する話題はギリギリのラインであるように思えた。
「そして1ヶ月前この国で一番規模の大きい傭兵団の団長が妖魔の森への大規模遠征を計画した。慎重過ぎるという声を払拭するためにね」
「妖魔の森、ですか?」
「ごめんごめん。妖魔の森はここハニアサルンから見て西に20キロほどの位置にある大きな森のことさ。長いこと魔物の巣窟になっていて人の立ち入りが禁止されている場所なんだ」
大兎は自分の持つ情報と照らし合わせて、少しずつムギさんの話の概要を掴みつつあった。声というのはコメントのことで、コメントを無視しきれなくなり大規模遠征の計画に至ったということなのだろう。
そして昨日から今日にかけて一気に待機人数が減ったのは、その遠征が失敗したからに他ならないはずだ。
「だいたい私のしたい話は分かってもらえたかな。大兎くんの予想通り遠征は大失敗。他国からも出来る限りの傭兵を集めて戦ったけど魔物の数が多すぎて多勢に無勢だった。」
大兎はムギさんの話を頭の中で整理する。この街ハニアサルンは妖魔の森から20キロということだったから、通りがゴーストタウン化していたのは遠征の失敗を受けて住民が退避していたからだろう。
大きな疑問の一つであった待機人数の急な減少については解決されたが、それでも大兎の中では腑に落ちない点がいくつかあった。
傭兵であるといったムギさん。
仮に遠征に参加したのであれば誰かしらを失っているだろうし、そうでなくともこの規模なら知り合いの一人や二人キャラエンドを迎えてしまっていてもおかしくない。その割にはムギさんからは悲壮感も危機感も感じられず、そこに大兎は引っかかってしまったのだ。
「ムギさんは遠征には参加しなかったんですか?」
その質問をした瞬間、大兎はしまったと後悔した。一瞬ハンドルを握るムギさんの表情に悲しげなものが浮かんだことに気付いたからである。
「今回は参加しなかったんだ。私が所属する傭兵団の団長の方針でね」
「そうなんですね……」
「大兎くんの言わんとすることは分かる。確かに知り合いの渡り人で帰ってきていない人はたくさんいる。だけど私にとってこの世界で大事なのは傭兵団の仲間。傭兵団の仲間はいわば家族みたいなものだから。ドライだと思われるかもしれないけど家族さえ無事ならそれでいいの」
大兎はムギさんの言葉を、重い言葉として受け止めた。ムギさんの考え方は果たしてドライといえるのだろうか。
プレイヤーはもちろん、このゲームではプレイヤー以外のNPCもリアルな人間と変わらない言動をする。人と人の繋がりが大事な世界だから、プレイヤーやNPCに関わらず知り合いは次々と増えていく。
ここは魔物がいて、戦いが日常的に起こる世界である。知り合いを失って悲しむことは大切だが、悲しみ過ぎるのは違うのかもしれない。大兎の中にモヤモヤは残ったままだが、一つ言えるのは、命の価値や重みをどう捉えるのかは人それぞれということだ。
「……なんで遠征は失敗したんでしょう?いくら声を払拭するためとはいえ1ヶ月間の準備期間を設けたんですよね」
「確かに大兎くんの疑問はもっとも。渡り人もかなりの実力者が集まっていたし相手の方が数は多くても戦力的にはこちらが上回っていたはずだから」
そう言い終えると、ムギさんは運転を続けながら、しばらく考える様子を見せた。
ふと大兎は窓の外を見る。
すでに車はハニアサルンの街の外に出ており、見渡す限り低い草木しかない雄大な景色が広がっている。道が土で舗装されているため多少の揺れはあるが、気になるほどではない。
「人生何が起こるかなんて分からない。どれだけ準備しても上手くいく時は上手くいくし、上手くいかないときはあっさりと失敗する」
ムギさんはこれまでと少し違う声音で、独り言のように呟いた。内容はまるで今回の遠征についての話のようだが、大兎にはムギさんが自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
こういった時に気の利いた言葉の一つや二つ言えない自分に、大兎は肩を落とす。
重くなった車内の雰囲気を変えるため、大兎はもう一つの気になっていたことについて尋ねることにした。
「おじさんが僕をすぐに転移させたのは何故だったんでしょう?」
ムギさんの表情が変わり、今度はクスリと笑みを浮かべた。
「あの人はね、普段から適当なんだ。きっと今回も一気に渡り人が来て面倒になったんだと思う。いざというときは頼りになったりもするから憎めないんだけどね」
「……適当。ムギさんが来てくれて本当に助かりました」
「私も偶然あそこに居たんじゃなくて他の街の知り合いから連絡をもらったの。あのおじさんに渡り人が放り出されてるってね。案の定大兎くんが居たわけだけど、きっとこれも織り込み済みなんだろうなぁ」
楽しそうにそう話すムギさん。
これまでの話や態度から、大兎はムギさんのことを信頼できる人だと考えている。その信頼できる人が憎めないと言っているなら先ほどのことは水に流してもいいのかもしれない。それでも次会ったときには不満の一言や二言は言ってやるつもりなのだが。
「さぁそろそろ目的地だよ!」
ムギさんに言われ、大兎は前方を見る。
何の人工物もなかった草原に突然現れた、石でできた長く続く防壁、そして中央に頓挫する重厚な門。まさに大兎が想像していたような立派な城郭都市が直ぐそこに迫っていた。
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