第一章『初心者』

夜空大兎ー1

「よし、行くか」


 六畳一間の部屋で冴えない見た目の男、柳大都が呟いた。

 

 もっとも顔立ちはそこまで悪くないのだが、ボサボサの髪にヨレヨレの服が、今の彼の冴えなさと生活のダラシなさを現している。

 先月26歳になったばかりの彼の部屋には長いこと他人が立ち入ったことはなく、当然のように女性経験も皆無だった。


「これで準備完了か?」


 彼の頭に取り付けられているのは、フルダイブVRを可能とする最新型のヘッドギア。1年ほど前に少ない貯金をはたいて購入したものだが、実際に使用するのは初めてでかなり準備に手間取っている。


「……まさかこんなことになるなんてな」


 ログイン前の最終確認をしながら、彼は今までの人生で一番激動だった今日という1日を振り返る。


 1年ほど前の発売から一世を風靡し続けている『The Earth in Magic』の運営からプレイ可能のメールを受け取ったのが、今日の午前中のこと。

 昨日確認したときには200人以上が待機していたため、実際にプレイできるのはまだまだ先のことだと油断していたことは、今後現れるかもしれない視聴者には秘めるべきだろう。


 しかしながら心構えはできていなくともプレイに向けた下準備は少しずつ進めており、午前中のうちに前もって用意していた退職届を散々嫌がらせをしてきた上司に叩き付け、溜まりに溜まった有給の申請を済ませることができていた。


 大学卒業後すぐに今の会社に入社してから約4年。

 引き継ぎ等で数回出社する必要はあるが、ここ最近は休日を返上して働き詰めだったため清々した気分、というのが正直なところである。


「ふぅ……」


 少し大きな音を出して深呼吸する。

 この瞬間をもって人生が大きく変わるかもしれないことに不安な気持ちもあるが、それよりもやはりワクワクする気持ちの方が大きかった。


 大都は、間違いがないか一つ一つ確認しながら『The Earth in Magic』のログイン画面へと移行する。IDとパスワードは事前に登録済であり、そのまま入力を完了させると、ゆっくりとベッドに横たわる。

 

 これで全ての準備は完了。ログインのボタンを押せば、いよいよゲームが開始となるのだ。


「さて、始めよう……」


 心臓が激しく鼓動するのを感じながら、意を決してログインボタンを押す。

 しばらく眠るときのような浮遊感を感じながらじっと待っていると、視界は一気に暗闇に包まれ、少しすると次第にぼやけていた視界が明るくなっていく。


「おぉ、またいらっしゃいましたか。今日は中々忙しいですね」


 男の声が聞こえた。

 自分に向かって話しかけてきたようだが、まだ視界が定まっていないため一度スルーする。


「なるほど……」

 

 しばらくして全身に五感が宿り、大兎は周りをゆっくりと見渡す。

 予想通り大兎が立っていたのは、多くの本棚と本に囲まれた部屋。ここは所謂チュートリアル部屋であり、足元の魔法陣は今まさに召喚を終え、輝きを失いつつあるところだった。

 こういった部屋はこの世界に10ヶ所ほどあり、プレイヤーは登録後ランダムにどこかの部屋へと飛ばされるのだ。


 話しかけてきたのは、シックな服装に渋い雰囲気を携えたダンディーなおじさん。すぐに返事をしなかったのは、大都の少ない事前知識に彼の情報があったからである。

 

「お名前を教えてください、渡り人さん」


 事前知識通りの定型文。

 渡り人というのは、いわゆるプレイヤーのこと。ここでは異世界から召喚されたちょっと強い人くらいの認識のようである。


「夜空大兎(よぞらたいと)といいます」


 大兎の名前を聞いて、おじさんが手元の書類に何かを記入する。記憶が確かなら、書類を記入し終えた後、この部屋がある街のことや政情に関する簡単な知識を教えてくれることになっているはずだ。


 コンセプトがコンセプトのため、登録中のプレイヤーもプレイ待機者もゲーム外で情報を取り入れることは基本的には禁止されている。大兎も例に漏れず、運営から与えられた必要最低限の知識しか持っていないため、ここで教えられる情報はかなり貴重なものだと思っていた。


 しかし次の瞬間だった。


「はっ……?」


 およそ初対面の人には言ったことがないような汚い言葉が、大兎の口から思わず飛び出す。

 おじさんが書類を見て満足そうに何回か頷いたかと思うと、右手に持っていたペンを置き、親指と中指でパチンと音を鳴らしたのだ。


「えっ……?」


 急に切り替わる風景。

 パチンと音がなった瞬間から何となく予想した展開だったが、それでも唖然として立ち尽くしてしまう。聴覚は先ほどまで聞こえていなかった風の音を捉えており、どこかへワープしてしまったことを嫌でも理解させられる。


 今大兎が立っているのは、踏み固められた土でできた道のど真ん中。

 大通りといえるほど広い道ではないが、車2台分がすれ違えるくらいの幅がある。道の両側にはびっしりと建物が建ち並んでおり、看板を見るに宿屋や武器屋などの店も多くあるようだ。

 太陽の位置からするとお昼前くらいの時間だと思うのだが、不気味なほどに人通りがない。


「どういうことだ?」


 チュートリアル部屋からのワープ先は近くの拠点数か所からランダムに選ばれる。おじさんから何の情報も得られていないせいで、この街どころか、どこの国に送られたのかすら分かっていない。

 おじさんの対応に対する怒りとこの現状への戸惑いとで、大兎の頭の中はいっぱいいっぱいだ。


 呆然と立ちながらそんなことを考えていたとき、後方からザザザという音とともに何かが急停止する音が聞こえた。

 嫌な予感……。ゲーム開始後すぐにトラブルに巻き込まれるのはゴメンだ。


「おいっ兄ちゃん!どこ突っ立ってんだ!」


 怒号が聞こえ、大兎は恐る恐る後ろを振り返る。

 車……だろうか。大きさは軽自動車よりも小さいコンパクトサイズだが、タイヤに金属でできたボディ。見た目は量産化され始めた頃の車という感じだ。

 この世界に関する大兎の知識のほとんどは発売前に公開されたゲームの紹介映像で得たものだが、少なくともその映像にこの車のような近代的なものが映っていた記憶はなかった。


「兄ちゃん、どかんかい!まさか喧嘩売ってんのか?」


 車を眺めていただけのつもりだったが、よく考えたらここは道のど真ん中。

 大兎は急いで脇の方に避けるが、車から降りた厳つい感じのスキンヘッドのお兄さんが怒りの表情でこちらに向かってきている。


 とにかく謝罪するしかない、と大兎は咄嗟に結論付ける。厳つい人相だが、意外と優しいなんてことがあるかもしれない。

 ともかく周りに人がいない以上、この最悪な状況であっても少しずつ情報を得ていくしかないのだ。

 大兎が慌てて謝罪の言葉を口にしようとすると、徐々に近付いてきていた男が少し焦った様子で立ち止まった。


「なっ何だよ、てめぇ」

「いやいや、すまないね。私の連れなんだが、まだこの街に慣れていないようでね」


 男の様子を不思議に思う大兎をよそに、よく通る綺麗な女性の声がしたかと思うと、大兎の右肩にポンと暖かく小さめの手が置かれた。


「何言ってん……ちっ、傭兵相手なら言っても仕方ねぇか。ま、ちゃんと言い聞かせておくんだな」


 そう言い残して男は車の方へと引き返していく。

 急に態度を変えた男に一瞬唖然とするが、すぐに我に返ると声の正体を確かめるためにまた慌てて後ろを振り向く。


 美しい女性だ。

 身長は一六五センチほど。勝ち気な表情に少し鋭めの目つきだが、宝石のように綺麗な瞳をしている。赤い長い髪を後ろで結び上げており、見た目はかわいいよりも美人という表現が適しているだろう。

 男が傭兵と呼んだ通り、銀色をした西洋風の立派な鎧で全身を覆っており、刀身が赤みを帯びた大剣を背中に担いでいる。


「は、はじめまして。助けていただいて、ありがとうございます」

「いやいや、間に合って良かったよ。だって君、渡り人でしょ?私も同じ渡り人だから思わず助けに入っちゃっただけだから」

「確かにそうですけど、何で分かったんでしょう?」


 大兎がそう問いかけると、女性は一瞬きょとんとした後、大きな声を上げて笑い始めた。


「何でって全てだよ。初心者っぽい装備も不安そうな感じも。それに渡り人以外だと黒髪はほとんど見かけないしね」


 そう言われて大兎は随分前に運営に登録してもらった自分の見た目を思い出す。

 中肉中背に黒髪。顔は自分の現実の顔をベースに少し整えたもの。確かに西洋風の世界観で純日本人の見た目は渡り人以外にあり得ないのかもしれない。


「君の様子からするとやっぱりあのじいさんは仕事をサボったんだね。まぁ詳しいことは移動しながら話そう」


 そう言って女性はどこからか鍵を取り出し、それを地面に向ける。あのじいさんとは恐らくチュートリアル部屋で会ったおじさんのことだろう。


「車……」

「さぁ乗って!」


 鍵を地面に向けてしばらくして、鍵と同様にどこからともなく車が現れる。先ほどの男の車より少し大きく、装飾も現代に近いシンプルで洗練されたものだった。

 しばらくしてこれまた驚きで大兎が突っ立っているのを見兼ねてか、女性が大兎の背中をポンと押して車に乗るように促してくる。


 立て続けに予想外のことが起きてどこかフワフワした状態だが、この女性は悪い人には見えないし付いていっても問題ないだろう。そう判断した大兎はこの世界で見かけるとは思っていなかった車の助手席にゆっくりと乗り込んだ。


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