電車と踊る

沖 櫂羽

本文

 いつも通り会社に行く為に電車に乗る。

 人が所狭しと並ぶ車内は昔見た教科書に載ってた奴隷船みたいで辟易する。

 仕事をして家に帰る前に買ったご飯を食べて眠るだけ。それだけを何年も続けてる。

 休日は仕事をするために体を休めるだけで過ぎていく。昔はやりたいことがあった気がするけれどもう思い出せない。

 天国が本当にあるのなら今すぐにでも連れて行って欲しい。

 最近は、ただこの生活の中から抜け出して楽になりたい。そう思うことが増えた。

 ひとつ前の駅で大勢の人が降りていく。目の前の空いた席に座って外を見ると朝日がまぶしかった。

 いつも通りの社内の中で、光に目が眩む。瞑った眼を開くと一人の少女が目に入った。

「なんの話してるの?」

 近くにいた高校生に声を掛けていたが友達同士の話に夢中でまるで聞いてない。

 眠気に抗えなくなってきたので会社に着くまでにもう少し寝ようと思い目を閉じてうつ向いた。

「———ねぇ。お兄さん。」

 目を開いて顔伏せたまま腕時計を見るとまだ5分も残ってた。

 勘弁してくれよ。お前はと違って俺にはこの時間でさえ勿体ないんだ。

 無視を決め込むようにしてまた目を閉じた。

「お兄さんってば。」

 なんなんだよ。ほんとに。

「なに? 宗教勧誘なら他の人にやってくれ。そういうの信じてないから。」

 紺を基調とした服と帽子。アプリゲームから抜け出してきたんじゃないかと思えるほどに奇抜な恰好をしていた。外から差し込む日に照らされて輝く白髪が幻想的で関わるのが嫌になる。

「もしかして見えてる?」

 何言ってるんだこいつ。

「お兄さん私のことが見えるんだよね。やった。久しぶりに会えた。」

 喜んだ様子でその場を飛び跳ねる少女。

 うわ、地雷踏んだかな。無視し続ければよかった。

「俺に何を期待してるのか知らないけど多分、時間の無駄だよ。もう降りるから。」

「そんなこと言わないで話だけでも聞いてよ。あのね、ここだけの秘密なんだけど。」

 耳打ちをするために少女はこちらに顔を近づけた。

「私、天使なの。」

 やっぱりか。久しぶりにこういうの目にした。宇宙人だとか、選ばれた人間だとか。この年にもなってまだやってんのか。しかもそんな格好で。

「きゃー。言っちゃった。」

 ひとりでテンション上がってるところ悪いけど迷惑かけられるこっちの身にもなってくれ。

 まぁ、会社までの時間だと思えばこのテンションにも耐えられる気がしてきた。

「それで、話が終わりってわけじゃないんだろ。」

 もうこうなったら短い時間でからかってやるか。

「そう、そう。この電車を調査しててね。」

 車内を見渡しても不審なものは何もなかった。

「えっと、どういうこと?」

「ああ、説明不足だったかも。黒い髪の女の子を探してて。」

「そこにいるんじゃ。」

 先ほどまで話しかけていた女子高生たちを指さした。

「ちがう、ちがう。」

 鞄からノートを取り出してめくり始める。

「えっと、えっと、これ。」

 開かれたノートのページにはひとりの少女が佇んでいた。

「絵、上手なんだね。」

 写真のように鮮明に描かれた絵を見て答えると

「ん、まぁ普通だよ。」

少女はノートを見返して何の面白みがないようにそう言った。

「そんなことより見なかった? 電車の近くで見かけたって最近後輩から聞いたんだけど。」

「友達?」

「いや、違うよ。先輩。仕事嫌になっちゃったみたい。抜け出してこんなことしても何もいいことないのに。」

「仕事って何してるの。」

「だから天使だって。さっき言ったじゃん。」

 やべぇ、宗教にランク付けがあるタイプじゃないかこれ。マルチ勧誘かよ。

「あー、そうだったね。」

「もしかして先輩のこと知ってる? さっきから素っ気ない態度してたから。ほんとは隠してるんじゃないの。」

 やべぇ奴だからあんま親しいふりしてると目立つだろうが。お前は知らないけど明日からもこの電車乗るんだぞ俺。

 どう答えるべきかと迷っていると隣の電車のドアが音を立てて開いた。


 隣の電車から入ってきたのは一人の女性だった。

 肩できれいにそろえた黒い髪を揺らしながら一歩ずつこちらへと近づいてくる。

 懐かしい。別れる前によく見せてくれた無邪気な少女のような笑顔。

 何でここに。もう会うことなんてないって言ってたのに。

 今でも後悔してる。めんどくさいなんて理由で放り出してしまった告白した時の気持ちと束縛する彼女の不安を。

 あの頃の言い訳を考えればいくらでも出てくるけれどそうじゃない。

 一言だけ伝えたかった。疲れてやせ細った足に力を入れて立ち上がった。

「待って。」

 少女に腕を掴まれる。

「なんだよ。放してくれ。」

 どっか行っちまったらどうするんだ。もう会えることなんてないかもしれないのに。

 多分これが最後だっている確信がある。

 手を振り払って彼女の方へ歩を進めようとすると次は服を強い力で引っ張られた。

「駄目だって。周りの子が見えないの?」

 少女に言われた通り周りを少し見渡すとさっきまで話してた女子高生たちがうわ言のように名前をつぶやきながら彼女へと近づいている。

「たかふみくん。やっぱり好き。諦められない。もう一回だけ付き合ってよ。」

 優先席に座っていたおばあさんは目の焦点が合ってないまま重い体の残った力を振り絞るように彼女の足へと縋り付いていた。

「ごめん。ごめんね…。えみちゃん。ゆるして。」

 競馬新聞を電車の中で大きく見開いていたおじさんは少年のように彼女のそばで見上げながら語り掛けている。

「お父さん。次どこ行く?」

 なにいってるんだ。こいつは俺の彼女のはずだ。さっきまで力を入れていた足が竦んで前に進まない。

「だから言ったでしょ。これ見てみて。」

 2本指を出した少女が俺の目に合わせて指を開くと間に薄い透明の膜が出来た。

 そのままのぞき込むと女子高生と彼女だけが膜の中に収まって見える。

 さっきまでの彼女がいた場所には顔つきの整った好青年が立っていた。

 テレビで何度も見た顔だ。高校生にして映画の主役を務めた俳優。

「彼女の視点を借りてるの。私はそんなものなくてもわかるんだけどお兄さんはそうもいかないでしょ。」

 青年は、女子高生のあごに手をやると一呼吸おいてから喉奥へと無理やり腕を押し込んでいく。嗚咽を起こして悶え苦しむも関係なさそうに腕を揺り動かしていた。

 口から取り出した時、手には一つの丸い石が握られていた。

「搾りかすならこんなもんかな。」

 口の中に放り込んで飴玉をかみ砕くようにあっという間に飲み込んでしまった。

 捨ておくようにされた女子高生には目もくれずに、友達だと思われるもうひとりはカノジョの手を握りまだ目の焦点が合わないまま独り言を話している。

「先輩、それは規約違反ですよ。」

 隣にいた少女がカノジョを指さして言及する。

「それはお前のとこのルールだろ。私はもう悪魔だからさ。」

 カノジョは指を口元に入れて牙を見せつけるようにして笑って見せた。

 その声を聴いて周りの人が眠るように倒れていくのが最後に見た光景だった。


「まだ、大丈夫ですって言いに来たのに。それなのにそれ以上、逆らったら私でもきっと庇いきれないです。私も一緒に謝りますから。変な意地張っても何にもなんないって言ってたじゃないですか。」

「意地張るのやめたから自由にやってるんだろ。お前には関係ないじゃないか。だって付いてこなかったわけだし。優秀なお前がいればこっちでもまた楽しくやれてたのにな。」

「しょうがないじゃないですかそんな風に醜くなりたくなかったんですよ。黒い髪に小さい体。まるで人間じゃないですか。年を重ねて経験を積まないと髪が白くならないのに、年月が経つにつれて皴が出来て体も思うように動かせなくなる。そんな失敗作になるなんて吐き気がする。」

「いいじゃないか。人間で。こんな世界なのに無駄に抗って何にも成し遂げられずに息絶える。もう飽きたんだよ。ルールの中で縛られて何をしたってひとつ残らず捧げなくちゃいけない。何百年たった? 信仰が力になるってわかってるのに目の前にあるそれを無視してただ馬車馬のように働かされた結果がこれだ。何も成し遂げられないまま、ただ私より弱い奴がいなくなるのだけをずっと見てきた。」

「この羽も輪っかも力も借りてるものなんだから当たり前じゃないですか。」

「何で自分が頑張って手に入れてきた感謝を横取りされるのを呆然と眺めてきたんだ。これまで何もしなかったんだって後悔だけがずっとあるよ。全知全能でなんでもできるくせに私程度が抜けただけでここまでするのは異常だろ。お前はただ盲信してるだけなんだよ。」

「そんなこと当たり前じゃないですか。疑心を抱くこと事態が罪なんですから。」

「それが嫌だったから好きにやってただけなのに。ほっとけばいいじゃんか。」

「駄目ですよ。そうはいかないです。ルールですから。」

「ルール、ルールって。笑わせんなよ。どうせ私が大きくなるのが怖いだけだろ。あんなにも強大な力を持ってもまだ足りないってか。強欲って誰のことなんだろうな。」

「先輩は逆に感謝とかないんですか。この世に生んでをもらって永遠の命と力の引き換えにその身をささげることを誓ったのに裏切って。」

「生まれた時に勝手に決められただけだろ。期待ばっか背負わせてその責任も取らないのにちょっと意に沿わない事をしただけで怒り狂って責め立てる。自分が間違ってたって認める事が出来ないからな。お前が送られてきたのがその証拠だろ。」

「だから一緒に謝りに行こうって言ってるじゃないですか。」

「いやだ。そんなことしたくない。もう、これ以上仲間を見送るのも自分を殺すのももうたくさんだ。何にもしてくれないくせに、ちょっと間違ったことをした奴を悪魔って呼んで殺し合わせる。自分が生んだ子が死ぬ事に何も感じてない。お前も私を探すように言われて初めて知っただろ。私の時は後輩だったよ。何十年って付き添ったあいつの話もまともに聞かずに弓を引いた。今頃になって気が付いたよ。馬鹿だったのは私のほうだって。何にも考えずに言ってる事だけに従ってたそれが正しいって信じたくて。後輩の方がよっぽど人を幸せにしてた。だからそれを引き継いで夢を見せることにしたんだ。一番好きだった人が見える様に。最後くらい良い思い出でいたいだろ。」

「過ちは認めないんですね。これが最後ですよ。」

「ああ。何が悪いのかが分からない。そうやって罪を下す側でいるつもりだけどお前も私がある程度有名になったから呼ばれたんだよ。浅ましいな。感情に振り回されてる奴が生んでんだから子供にまで完璧を求めんなよ。」

 放たれた矢がまっすぐと飛んでいく軌跡の奥で先輩は笑ってた。


 頭が痛い。床に打ち付けたようだった。体を起こして呻きながら周りを見渡すと奥の方で赤いペンキが叩きつけられた様に見えた。

 倒れてる人たちを起こさないと。

「大丈夫ですか。」

 顔を覗き込んできた少女の顔は真っ赤に染まっている。

「わっ。」

 驚いて後ろに下がると手にまとわりつくような感触を覚えた。

 赤黒い。近くにカノジョの顔の半分が溶けて爛れたようになりながら転がっていた。

 肉片になったカノジョを見ると涙が自然とあふれ出してくる。手を伸ばし触れた彼女の頬にはまだ体温が残っていた。抑えようとしても隙間を縫ってこぼれ落ちてくる。

「だから、それ彼女じゃないって言ったのに。」

少女が笑いながらこっちに近づいてくる。

「くんなよ。それ以上近づくなよ。」

「そんなこと言われても。もう着くから。」

 意味が理解できなくて言葉が出てこなかった。

「だから、降りるんだよ。電車から。」

 頭の奥を波打つように痛みが走る。後頭部を触れると手に何かがこびりついていた。

「あーあ。あんま触らないほうがいいのに。思い出しちゃうから。」

 

「———お客様にお知らせいたします。先ほど当駅におきまして、列車とお客様が接触したとの情報が入りました、このため、この列車は次の△△駅に一旦停車して運転を見合わせます。また、運転再開時刻など、詳しい情報が入り次第、その都度車内放送に———」

 頭の奥がぼぅっとして上手く聞き取れなくなってきた。

「はい。すみません。今日は遅延で遅れます。」

 ホームから見下ろす視線が突き刺さる。

「っ。何やってんだよ。空気読めよな。」

 顔だけが仰向けのままスマホを向けているのが見えた。

「うーわ、これは。」

 好奇心と嫌悪感が入り交ざった顔。こんな時までそんな目で見るなよ。

 視界がぶれる。目なんか悪くないはずなのにぼやけてうまく見えないことに今、気が付いた。

 電車が甲高いブレーキ音を立てながら車体を止める。

 揺られた車内の中で体が水音を立てて崩れ落ちる。

「知ってる? ニュースで聞きなれた全身を打つって言葉。あれさ今のお兄さんのことだよ。人としての形を保ててない。」

 笑い声が電車の中に木霊する。

 扉が開いて少女と同じ格好をした少女たちが寝ている人たちを運び出していく。

 少女は車内に乗り込んだ一人からスコップを受け取ると手押し車へと俺の体をざっかざかと放り込む。

「なぁ、何してるんだよ。」

 あらかた積み入れると髪の毛を掴んで体の上に載せてから歩き出す。

「ほら、行かないと。」

 電車から運び出された横で窓から彼女の体液に塗れた床をモップで洗い流しているのが見えた。

「やめろよ。放せって。」

 少女の手を止めようにも遮るための腕が無い。

 少女から逃げ出そうにも足が無い。

「大丈夫だって。安心してよ。ばらばらになるのは一瞬だから。」

「なんだよ、それ。天国って嘘かよ。」

 抗えないという恐怖に子供みたいに癇癪を起こすことしかできなかった。

「嘘なんてつかないよ。人の心と私たちと同じものから出来てるから。分解された人の心が私たちの傷を癒すんだ。一緒になれるなんて最高の気分でしょ。」

 少女は諭すように話す。さもそれが当然の事のように。

「ふざけんな!」

「はい、はい。わかったよ。そんな照れなくていいって。」

 少女は階段を上っていく。どうにかして抜け出せないかと思案を巡らせたが何の意味もなかった。顔が斜面で転がり落ちないように肉に向かって顔を押し付けられる。その匂いで吐き気を催すだけで何もできなかった。

「よし、着いた。綺麗でしょ。」

 顔を起こされた先には奥が霞んで見えるほどの大きい金色の鍋が置かれている。底の方には虹色の液体が浮かんでいた。

「ほら向こうの方でもやってる。あれは車で、その隣がバスで、向こうは飛び降りだったかな。もう気持ちも落ち着いた? ここから生まれたんだからまた元に戻るだけでしょ。不安なんて持つのは人間くらいだよ。」

「やめてくれよ。」

 懇願なんて何の意味もないけれど縋ることしかできなかった。

「よっ、しょっと。」

 自分の体の水音を聞きながらに鍋へとずり落ちていく。

 落ちていく中で最後に見た少女の顔はこれまで見た誰よりも笑ってた。

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