第3話 魔法菓子の婆さん

 さて、今日のやることリストに思わぬ用事が追加されてしまったが、ひとまずそれは置いといて。

 ギルドへの手土産を用意した俺は、郊外区を自由気ままに駆け抜けていた。


 王都から無いものとして切り捨てられたこの場所では、ちょっとした粗相を見咎められることはない。

 常に薄汚れた野党紛いの住民が蹴落としあって、【ダンジョン】から溢れた魔物が闊歩するような掃き溜めだ。


 血に塗れた地獄絵図こそが日常となったこの地で、ボロい建物を足場に移動することの何が問題だというのか。

 そんな心持ちで人影のないボロ道を跳ねるように移動していく。


 眼下に広がる光景は相変わらず酷い。崩落した建物はそのままで、王都に向かう道を瓦礫に塞がれていても意に介されやしない。

 見捨てられたという言葉がピッタリな荒れ果てた環境がどこまでも続いていく。


 王都から【ダンジョン】へ向かう冒険者でさえ、遠回りになろうともこの場所を通ることは無いそうだ。

 子どもの頃から過ごしていた地元民としても、納得しかない意見である。


「お~、ようやっと見えてきたぜェ」


 だが、そんな現住民もびっくりな無法地帯は唐突に姿形を失った。

 倒壊寸前の家々を跳び移り、通行人のいない大通りをなぞるように進んでいた俺を出迎えたのは見上げるほどの壁。


 所々に傷がつけられた鋼鉄の大城壁が、正面にデカデカと立ち塞がっている。

 よじ登るのも困難なその高さは、同時に内と外を明確に分かつ溝。互いの印象が形になったかのような防壁はいつ見たって黒くて威圧的だ。


 だからこそ、明らかにスケールダウンした入場口の小ささに笑いが漏れそうになるのはしょうがないことだと思う。

 何でこんなに入り口がミニサイズな上に質素なんだよ。他所から来た人が最初に見るんだぞ? ケチかよ。


「お~い、そこの悪ガキ坊主。鼻で笑ってないで早く来い。ちゃっちゃと手続きすっから」


 どうやら、考えていることが顔に出ていたらしい。

 馴染みの門番に指摘され、軽く肩をすくめながらも声に応じる。


 この後の入場申請なりなんなりは、もはや慣れ親しんだ作業だった。

 身分証として冒険者の証である”ライセンス”を提示し、二人で世間話に興じながら申請書を埋めていく。


 飛び出す話題がおまえ本当に公僕かと言いたくなる内容であるのもいつものことだ。

 今日はお貴族様へのご意見や肥え太った心の贅肉への賛美だった。明らかに不敬です。


 正直なところ、語り口にガチな熱量を感じたからちょっと心配になったほどだ。

 ストレスが溜まってんだなと、何も言わずに賄賂としていくらかのエイルを送っておく。


 これで少しお高めの外食とかして鬱憤を発散してきてくれ。娘と奥さんへの家族サービスに使うのも可だ。

 だから下手なところで誤爆するなよ? あんたが門番じゃなくなるとこっちも面倒くさいから。


「んじゃ、また来るわ」


 一通りの手続きを終えて、機嫌のよい門番に見送られながら壁の内側へと足を踏み入れる。

 その瞬間、目に飛び込んで来たのは文字通りの別世界だった。


 大通りに活気がある。様々な露店が立ち並ぶ。人々は笑顔で行き交い、着ている服も綺麗なものだ。

 商業区。主に商売や飲食に関わる庶民向けの区画。雑多な街並みに統一感はなく、住民の思うままに環境が形成されている。


 これに居住区、保全区、中央区を加えた四つの地域によって構成されているのが王都リーセリアだ。

 とはいえ、郊外区に滞在する冒険者なんかに馴染みがある地区はこの商業区しかないだろう。


 なにせこの場所には冒険者を取り纏める【冒険者ギルド】が存在する。

 【ダンジョン】から産出されたお宝や資源の売買、討伐した魔物の素材買取、そして魔物や【ダンジョン】に関連した依頼の発注・受注手続きを行ってくれる。


 冒険者にとって無くてはならない施設だ。ソロ冒険者であろうと活動するには避けては通れない。

 そうなると、自然と商業区に足を運ぶ機会も増えるという流れになる訳だ。


 ――――最も、だから馴染んでいるかと言えばそうでもないのだが。


 チラチラと窺うような視線が肌に突き刺さる。こちらを見て声を潜める人の姿が目に映る。

 そんな群衆の中に潜む一部の反応が、どうにも気になってしょうがない。


 やはり旧市街住みのCランク冒険者だと、一般人も警戒してしまうものなのだろうか。

 放っておいて欲しいというのが正直な感想なのだが、身の上を考えると仕方ない状況で溜息しか出ない。


 Cランクというのは、常人離れした力を持つ冒険者の中でも上澄みに属する階級だ。

 ランクは基本的に七つの階級が存在しており、アルファベットでその位置づけを現している。


 最下級がGで、一番上はAだ。

 つまり俺の階級は上から数えた方が早いという訳で、当然ながらそれに見合った力も有している。


 だというのにわざわざ住まいを郊外区に定め、更に言えばあの”【終焉】の洗礼”事件の当事者。

 自分で言っておいて何だが、確かに怪しさしか感じない身分ではあるのだ。


 こちらの意図としては、変に波風立てないように王都外に居を構えようという軽い気持ちで行ったことだったのだが。本当にどうしてこうなってしまったのだろう。


「そりゃあんたが考え無しなバカだからだろうさ」

「酷え!? 確かに否定できねえがよォ……って、ニルネルの婆さん?!」


 言われたくなかった事実を突きつけられて、思わず振り向いた先にいた人物の姿に虚を突かれる。

 そこにいたのは、とんがり帽子を頭にかぶったイケてる婆だった。


 名前はニルネル。この商業区でも有名な店舗である”ニルネル婆さんの魔法菓子店”を切り盛りする店長である。

 綺麗な銀髪に紫色のインナーカラーを入れていて、不敵な笑みが良く似合う女傑だ。


 食べた人物に特殊効果を与える【魔法菓子】を発明した現役の菓子職人であり、彼女の作品は老若男女貴族盗賊まで虜にするともっぱらの評判らしい。

 そんなお菓子界隈に新たな旋風を巻き起こした御仁が、何故ここにいらっしゃるのか。


 確かお店の開店時間はそろそろであったはずである。こんなところで遊んでいる暇はないと思うのだが。


「ふふん。この天才お菓子職人である儂が、どうして商業区の端などという辺鄙なところにいるのかと不思議そうな顔じゃな?」

「……まァ、合ってる」


 視線が婆さんの頭上へと吸い寄せられてしまう。いつもの自信家な発言にも生返事しか返せない。

 大丈夫だと分かっていても、見た目的に気になって仕方なかった。


 だって、彼女を取り巻くように真っ白な蛇が絡みついているのだから。

 どうせ危険性のないものだと分かってはいても、捕食される間際の光景みたいで心臓に悪すぎる。


「実はのう。開店前にいくつか材料が足りんことに気付いてなぁ。散歩ついでと買いに出かけたのじゃよ」

「はァ。それで?」

「なんか途中で飽きて試作品で遊んでおった。そしたら動けんくなった。助けてくれ」


 めちゃくちゃ経緯を端折った説明を聞かされ、自己解釈ながら状況を察する。

 要は職人としての気持ちが暴走してしまったのだろう。


 買い物中だというのに、大勢の人を目にして新たな作品をアピールしたくなってしまったのだ。その結果、試作品が暴走。このように宙ぶらりんで拘束されているのだろう。


 出会い頭にこの状態だったから、咄嗟に何事かと思ったぞ。すぐにいつものことだと気づいたけど。


「……仕方ねえなァ。ついでに送ってくから、買い出し行く場所教えてくれ」

「おおスマンなぁ。まさか店まで運んでくれるとは」

「そこまで言ってなくね? いや、別にいいけどよォ」


 身体に纏わりついたお菓子の蛇をどかして、ニルネルさんを左肩に乗せる。

 自然とお願いが追加されていたが、そこはひとまずいいだろう。日頃からお世話になってる昔馴染みだし。


「ルイトよ。もう少し内側に寄せてくれんか。安定感がないとお披露目がのぉ」

「俺の肩で実演しようとすんの止めろよ。いやマジで。フリじゃねえからなァ?」


 遠慮のない言葉の応酬を繰り返しながら、俺はニルネルさんと大通りを行く。

 材料を購入しに行った店はどこも同じような反応だった。まず肩に乗った婆さんの姿に目を見開いて、次いで運んでいる俺に視線が向かう。


 それでも会計を済ませる店員の手際は淀みなくて、この場所の住民は逞しいものだと思わされた。周囲の視線を受けて懲りずに試作品の実演をしようとする婆さんは叱った。


 まるでかつてのような空気感の中で歩く商業区の街並み。

 あの視線は未だに背後に注がれているけれど、もう気にならなくなっていた。


「うむ。思い付きであったが中々に宣伝効果が高そうじゃな。ルイトや。三日後の来る時間を教えておくれ。孫とおばあちゃまのお披露目ショーの再演といこうぞ」

「おいおい。知らぬ間に俺が孫ってことにされてんだがァ?」

「ふふっ。おばあちゃまと呼んでも、いいんじゃぞ?」


 とはいえ、何事にも終わりは訪れるもの。

 益体の無い会話というのも楽しいものだが、目的地はもうすぐそこまで迫っている。


 視界の先には、行列を作る一店舗の姿。

 少し先にギルドの建物があることからしても、ここで間違いはない筈だ。


 俺はニルネル婆さんを地面に降ろし、別れを告げて【冒険者ギルド】へと歩き出す。

 ここからはお互いに仕事の時間。次は帰り際にでも会おうと、心の中に予定を書き加えて。


 ……気付いた時には、例の白蛇お菓子に捕まっていた。

 そして正面には何故だか”ニルネル婆さんの魔法菓子店”と記された看板が存在を主張している。


 どうやらまだ用件が残っているらしい。

 果たして他に何か心当たりがあっただろうか。俺は疑問に思いながらも、首根っこ掴まれた猫の体勢で店内へと拉致されていくのだった。


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