第2話 掃きだめの街

「ん…………?」


 意識がぼやけ、瞼が重い。

 可もなく不可もない目覚めを迎え、寝台からのっそりと身を起こす。


 起き抜けで思考がボンヤリするなどいつ以来のことだろう。

 子ども時代には一度も無かった経験である筈だったが、こうして大人になってからは偶にあることであった。


 成長して年を取るというのも、喜ばしいことばかりではないらしい。

 この頭の中からナニカがするりと抜け落ちたような感覚も、汗で湿った肌着が貼りつくような気持ち悪さも、忙しない心臓の鼓動も全て慣れる気はしなかった。


「(うへァ……汗くせえしびっちょりだし最悪だな。部屋中に匂いが染み込んじまうんじゃねえかァ?)」


 室内に籠った湿気を追い出す様に、閉じていた窓を開け放つ。

 その瞬間、正面から飛び込んでくるのは肌を撫でる冷気と日の出を告げる光。風に乗って運ばれてくる腐臭も相まって、ねぼけた意識を整えるには十分な情報量だ。


 俺は邪魔になった服を脱ぎ捨て、机の上に置かれた水桶からタオルを取り出す。

 まずは顔、次に前、後ろと汗を順に拭きとっていく。


 言葉にすればそれだけのことが、心地よい気持ちにしてくれる。

 今回は肌がべたつく感触ともおさらば出来るとあって、感じられる爽快感もひとしおだ。


 いつもよりちょっと良い気分で、身支度にも少しばかり気合いが入る。

 黒のシャツ。迷彩柄のジャケットとズボン。足首まで覆う灰色のソックス。すっかりお馴染みになった普段着セットを纏って、念入りに見た目をチェックしていく。


 といっても、やっていることは細かな確認ばかりだ。

 右手首に巻いた布の結び目を確かめ、水桶を鏡代わりに表情筋を揉み解し、水に濡らした手で髪型を整える。


 こうして出来上がるのが、水面に映り込んだ白髪頭の不良顔である。

 乱雑に切り揃えた髪の片側をかき上げ、人相を露わにした姿は花街の嬢たちからのリクエスト。お世辞にも良くはない顔立ちが、マシになっているかどうかは彼女たちの親切心しだいだろう。


「よっと。ここは相変わらずの無法地帯だなァ」


 準備を済ませたところで、靴を履いてから窓より家の外へと飛び降りる。

 地上に降り立つと共に目に入るのは、打ち捨てられた廃墟が立ち並ぶ街並みだ。周囲にはゴミが散乱し、埃が舞って、視界の隅に骸が転がっている。


 ここがかつて栄えある王国の一部であったと、信じられる者はどれだけいるのか。

 物心ついた頃より難民や浮浪者の住処であった旧市街の光景は、今や全盛期の王都面積の三分の一を占めている。


 郊外区。王都リーセリアにおける汚点とされた廃棄区域。

 舞い戻って来たかつての古巣を眺めつつ、懐に抱えたハムサンドの一つに食らいつく。


 王都内で購入した名店の料理は、ゲロまずな景色を前にしても美味である。

 度重なる【大決壊】の被害を受けて、魔物と訳アリな人間しかいない切り捨てられた地では味わうことすら叶わないだろう。


 だからこそ、朝食兼釣り餌とするには十分すぎるほどで。飢獣の如き化物たちに囲まれ、今まさに命を狙われているのも納得しかない。


「グルァア!!」


 次々と襲い掛かって来る魔物たち。名称を”ウルフ”とされたコイツラは、獣型の中でも有名所だ。

 狼の特徴を色濃く有し、数を頼みに標的へ襲い掛かる厄介な手合い。戦闘力の目安である【等級】においては下位に属するが、駆け出しの冒険者を返り討ちに出来るだけの力を持つ。


 強みはやはり、数の利を知っていることだろう。

 魔物というのは弱い個体でも、成人の男性を一方的に屠れるだけの力がある。


 だというのに、”ウルフ”は常に群れで行動する習性を持っている訳だ。討伐する側からすれば、面倒な相手であることは間違いない。


 今のような状況なんか正に最悪だ。半壊した家に屋根、瓦礫など障害物や立体的な動きを可能とする足場がいくらでもある。

 その上パッと見で50の大集団となれば、攻め手に欠けることは皆無だ。


 180°全方位から絶え間なく攻撃が飛んでくる。しなやかな体躯を躍動させ、牙を剥き出しに突進を仕掛けてくる。

 流石に俺もこの攻勢の中では、食の片手間に反撃することは難しい。


 徐々に包囲網が狭まっていくのを、パンを咥えて見ていることしか出来ない。

 途切れることの無い連撃に、何度も朝食を取り落としそうになる。


 恐ろしい連携だ。いつ集中力が切れてしまうか気が気じゃない。まさかきゅうり・ハム・マヨネーズに粒マスタードを組み合わせるとは。

 くっ、美味しすぎて意識がトビそ……あれ、何の話してた?


「もぐもぐ…………んぐっ。ふう。ご馳走さん」


 時間にしておよそ5分。余りにも至福な時間だった。ときおり爪が掠りそうになってヒヤリとさせられたが、結果として無傷でやり過ごせたのだから良しとしよう。


 美味しいハムサンドを思う存分に味わえて、自分の成長に繋がる経験をつめた。

 ひょんな思い付きから始めたことだったが、とても糧になる習慣である。これからも継続して自分を磨くことを忘れないようにしよう。


 目指せ【ダンジョン】の個人踏破。憎きあんちきしょうをぶっ潰せ。

 誓いを新たに、気合いを入れなおして俺はまず一匹目を蹴り潰す。


「ギャブッ!??!!」


 壁に叩きつけられた”ウルフ”の亡骸は、我ながら綺麗なモノだった。

 的確に喉元を抉り抜かれ、損傷の少ない状態で絶命している。


 これなら買い取り額にも少々色が付くだろう。

 代わりに背後の壁に放射状の亀裂が入ってしまったが、そこは気にしないことにする。


 どうせちょっとばかし傷が入ったところで、ここの住民は気にもしないのだ。彼らが住まいを選ぶ際に基準とするのは、雨風をしのげることとことである。

 景観や見た目などといったオマケ要素は、視界に入りもしないだろう。


 それよりも、残された魔物たちの方である。

 例え一匹やられたところで、飢えに染まったコイツラは止まらない。仕留められたらそれでいいと、犠牲になった同胞に見向きもせず狩りを継続する。


 だからこそ、片付ける時は全て討伐しておかなければいけない。

 意識を戦闘時のものに切り替えて、まずは十匹ほど数を減らすために迎撃していく。


 狙うのは包囲攻撃を仕掛けてきた瞬間だ。

 宙に浮きあがって身動きが取れない的が四~五個できあがるので、狙い目なものを蹴り穿つ。それを9回繰り返す。


 いくら飢餓感に支配されているとはいえ、正確に喉元を蹴り抜かれた同族の死体が量産されていけば攻撃を躊躇わざるを得ないだろう。

 徐々に動きはぎこちなくなり、隙の無い連携にも乱れが生じる。


「そこだ」


 狙うとしたらここだった。

 俺は敢えて留まっていた場所から一歩踏み出し、徐々に速度を上げて壁を踏みしめる。そのままの勢いで駆け上がって、状況を理解できずにいる魔物を一撃で沈めていく。


 一方的に攻め立てる立場であったヤツラは、この変化に対応できない。

 瞬く間に狩られる側に回ったことに驚き、相手の動きを捉えられない事実に絶望し、弱気が顔を出した頃には死がすぐそこまで迫っている。


 自棄になって特攻をしても返り討ち。逃げようとしても死期を早めるだけ。

 気付けば完全に立場が逆転してしまった”ウルフ”たちは、ただこちらの姿を仰ぎ見る。


 その瞳に映るのは1人の怪物だ。

 アイツラが数を頼みに行っていたことを、個人で為すことが出来てしまう格上の存在。


 地面、壁、屋根、天井と息つく間もなく跳び回り、無慈悲に命を刈り取る宿敵の姿に今わの際で何を思うのか。

 まるで魅せられてしまったかのように、魔物たちは目前の死を受け入れていく。


「終わり。今日はいつもより数が多かったなァ」


 残されたのは、物言わぬ50の骸だけ。

 無事に習慣を終えたところで、すぐに戦利品の回収に移る。


 毎日のように討伐を繰り返しているが、旧市街から魔物の姿が消えることはない。

 このまま放置していては、何処からか現れた新手に掻っ攫われてしまうだろう。


 だからこそ、報酬のために急ぐ必要があった。

 この作業を急ぐのにそれ以上の意味はない。淡々とやらなければいけないことをこなしていく。


 それだけの話なのだが、途中でふと思い出すことがあった。

 確か場所はギルドの受付。馴染みの職員が言っていた言葉だ。


 何でも、俺の出す魔物の死体は穏やかな顔をしているのだと。

 当時は冗談として受け取っていたのだが、この状況を見てしまうと思わず顔が引き攣ってしまう。


 損傷の少ない状態。眠るように閉じた瞼。

 そう思われても仕方ない物証を前に、急に申し訳なさが込み上げてきた。


 【ダンジョン】の外に出た理性なき怪物は狩るだけだ。

 人に仇為す魔物を狩るのは冒険者の役目で、残された物は全て自分の所有物。


 戦っている時に考えることなど、精々がこれくらいなのだ。

 日課のついでに相手どる時なんて、頭の中を占めるのはご飯のことばかり。


 そんなクソみたいな男に感謝して逝ったかのように思われるなど、もはや尊厳破壊にも等しい所業だろう。

 取り敢えず、心からの謝罪を送ることにした。帰ってきたら墓くらいは作ってやろう。

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