再起者たちの英傑続譚 ~バッドエンド後の冒険を~

御伽之ネムリ

第1話 追憶のデッドライン

――――”冒険者とは、命を賭け金に博打を打つロクデナシである”。


 生家である孤児院を飛び出し、ギルドの門戸を叩いた時。誰が呟いたとも知れぬこの言葉が、何故だが胸に残っていたのを覚えている。


 冒険者。この世界において最も有名な職業。現世とは異なる摂理や環境を形成し、人に仇為す魔物を産み落とす【ダンジョン】を攻略する者達。


 地位も経歴も問わず、誰でもなることができるお仕事というのは自分たちにとって都合が良かった。知力も財も後ろ盾もないみなしごの集まりでしかない者達でも、力と戦う意思は持つことが出来たから。


 腕っぷし一つで成り上がって、いつか日の当たる場所で堂々と生きていこう。その誓いを胸に、弱者であった俺たちは夢に向かって駆け抜け続けた。


 幸いというべきか、ただ身を寄せあうばかりであった幼子たちには生き抜ける力と才があった。

 ≪ギフト≫――――カミサマから与えられたという、人々が魔物に抗うための術。


 限られた者しか持ち得ない恩恵を駆使して、冒険者としての功績を着実に積み上げていった。

 様々な【ダンジョン】へと挑み、時に制覇して、数多の魔物を屠っていった。


 ……そうして、いつしかあの言葉は記憶の片隅に追いやられて。

 ただ薄汚い孤児に過ぎなかった彼ら彼女らは、見違えるほどの成長を遂げた。


 大通りを進む度に向けられる賞賛の声。同業者からの憧れとやっかみの視線。

 尊敬できる先達から目を掛けられ、周囲からの期待を当然だと受け入れられるだけの自信と格を身に着けるに至った。


 もう薄汚れた襤褸布を衣服とする生活とは無縁だ。腐りかけの食物を無理に飲みこむ必要もない。教養を学ぶ機会に事欠くことはなく、その気になれば珠玉の財にすら手が届くことだろう。


 人々から賞賛を浴びるに足る英雄としての生活。名実ともに至った魔物退治のエキスパートとしての地位。

 遠き日の理想はもはや通過点でしかなくて、俺たちは当たり前のように【ダンジョン】に潜り続ける。


 思えば、この時には既に駆け出しの頃にあった恐れは無かったのかもしれない。最初は希望を叶えるための手段でしかなかった人外魔境を、夢の詰まった大舞台かのように錯覚していたのだから。


 数多の苦難と険しい旅路を越えた先にある絶景。魔物との命を懸けた闘争。現世ではお目に掛かれないような現象に宝物。

 そういった理外の冒険譚の果てに、自分たちの名声が高まっていくのを実感するのが嬉しかった。


 俺達ならばどこまでもいける。もっと上に、見果てぬ先に。いずれは全ての【ダンジョン】を攻略し、この”イルステリア”を蝕む病巣を根絶しようなどと大言壮語まで吐いて。


 ――――ついぞ、ここに至るまで命を懸けるという意味を実感することがないままに。


 今になって、ようやくあの言葉が心の裡にストンと落ちる。

 なるほど命を懸けた博打とは言い得て妙な話だ。


 戻って来るリターンが余りにも甘美なものだったから。失うモノなんて何もないと勘違いしていたから。

 いつしか危険と隣り合わせの生活を当たり前のものとして受け入れてしまっていた。


 だから、この状況に陥ってしまったことは自業自得でしかなくて。割に合わない賭けに挑み続けたロクデナシ達が、遂にツケを支払わされる時が来たというだけなのだろう。


『GIIIIIIIIAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?!?』


 だというのに、俺は未練がましく何度も繰り返している。

 過去の焼き増しでしかない追憶の世界で、消耗しきった武器を手に携えて。


 耳障りな咆哮から背を向け、振り返った先の光景を目に焼き付ける。

 まるで記憶の中で抱えた怒りが、衰えていないかを確かめるように。決して薄れることのない濃密な血の匂いを、心へと刻み付けるように。


 溶解した地面。底の見えない穴。薙ぎ倒された木々。ズタボロになった壁。

 それらの惨状が横たわる中で、懐かしの面々を瞳に映す。


 破壊の影響が色濃いその場で、彼ら彼女らは満身創痍であった。

 不滅を誇る剣士は膝を付き、流星を射貫くとされた弓使いは立つことすらままならず、策謀を得手とする魔術士は片足を奪われ、創造の担い手は血に塗れている。


 共通しているのは、皆一様に力尽きる寸前であること。万夫不当の活躍を為してきた者達が、為すすべなく追い詰められているという事実。


 その全てを目にして……無意識に反らしそうになる視線をアイツらにも向ける。

 俺の無力を証明する者達。力が及ばなかったばかりに、傷つき倒れた仲間たちの姿を。


 ――――”だ~いじょうぶ! お姉さんが守ってあげる♪”


 全身に酷い火傷を負った状態で倒れ伏す女性。

 彼女は戦いの場においては勇猛な騎士だった。堅牢な護りを以て味方を守護する鉄壁の盾。


 でも、争いから遠ざかると愛情深い母親のような人物で。孤児院にいた時から、最年長として家族を守り続けてくれた皆のお姉さんだった。


 だから、全滅の瀬戸際でどういった行動に出るかなんて、十分に予想できていたはずなのに。

 豪炎の中に身を投じ、その身一つで仲間を護る姿を見ていることしか出来なかった。


 ――――”僕は無力だ。一人じゃ何もできない……戦えるのは、皆がいるからなんだ”


 腹部を貫かれた少年。

 彼は驕りとは無縁な性格だった。自分を卑下することも多くて、気弱だと侮られることも多い。


 けれど、俺たちは知っていた。こいつは誰かのために頑張れる凄い人だ。

 その類まれな≪ギフト≫で様々なものを見通し、勝利へと導いてくれる頼れる存在なんだって。


 そう思っていたのに、守り切ることが出来なかった。

 リーダーであることを相手に見抜かれ、背後からの不意を突いた一撃によって地に伏せた。


 ――――”ねえ見てお兄ちゃん! 私こんなことが出来るようになったよ!”


 身体中の骨を折られた意識不明の少女。

 彼女は無邪気で、快活で、戦いを遊びと思っている困った子だった。


 それでも、闘士としての腕前は一流で。強烈な拳の一閃は戦況を切り開く力を秘めていた。

 兄として慕われている身の上としては複雑だったが、いざという時は守ってやろうと誓っていた。


 だというのに、守られたのは俺の方だった。

 敵の猛攻に晒され、徐々に追い詰められていくところを身を挺して庇われてしまった。激痛に苛まれているはずだというのに、俺の無事を見て微笑む姿が胸に痛かった。


 ――――”あァ、この辺りまでくると、流石に痛えなァ”。


 後悔の記憶を一つずつ確かめ、悲鳴を上げた心が想いを零す。

 愚かで情けない男の声だ。聞く耳を持つ価値もない。聞き流して、最後に残された彼女へと目を向ける。


『ひぐ、ぅ……! あ、あ゛ぁ……っ! い、ぎ……!』


 その少女は、腕の中で激痛に喘いでいた。

 閉じた瞼から血を流し続け、衣服を自らが吐いた吐しゃ物で汚して。襲い来る痛みと恐怖に耐えながら、幼子のように震えている。


 背後にて吠え猛る巨獣に対し、ただ一人有効打を与えた唯一の存在。

 死の淵にあった仲間たちを瀬戸際まで引き上げる奇蹟を起こし、代償として痛みと傷を肩代わりした聖者の乙女。


 ……強い女の子だった。悪いことは見過ごさない性分だった。

 魔が差して何かをしでかす度に、どこからか飛んできて正面から滔々と説き伏せられた。それでも納得いかずにいると、容赦なく鉄拳を見舞われた。


 体格に勝る俺にすら、真っ向から対峙する恐ろしい奴。コイツだけは敵に回さないようにしようと、心から思わされる凄い人。


 だから……これは違う。見てはいられない。

 確かに泣くことはあるだろう。弱音を吐くことだってある筈だ。でも、それは己に見せぬように隠していた面だ。こうして無理やり暴き立てられていいモノじゃない。


『へっ……何だ。あるじゃねえか理由』


 そうして、俺はただ一人ヤツに立ち向かう。もはや終わってしまった思い出の中で、無駄と知りながらも剣をとる。

 結末の決まったこの勝負を、いくら挑んだところで意味はないのだろう。それでいい。それでもいい。


 山脈にも等しい巨躯を睨み、刃を振るうのは勝つためではないのだ。

 いわばこれは意地であり、恨みであり、ただの八つ当たりなのだから。


『……≪■■≫ッ!』


 朝焼けと共に消えゆく泡沫の私闘場にて。少しでも傷を、アイツらの痛みを返さんと着実に一閃を刻んでいく。


 けれど、例え記憶の中でも災厄の獣は甘くない。あの子の奇蹟によって視力を失って、眼窩より血涙を流していようと圧倒的強者として君臨し続ける。


 迫り来る攻撃は全て強烈であり、終焉の運び手の名に恥じぬ致命の一撃。

 少しのミスで肉が抉れ、腕が軋み、耐えきれなくなったところで此度も幕は下りる。


 後はいつもの流れと変わらない。

 夢幻の舞台は忘却の彼方へ。薄れゆく意識に突きつけられるのは苦い記憶。


 ズタボロになった俺たち。身の程知らずな真似をされたことで怒り狂う異界の主。

 這う這うの体で逃げ出した敵対者を追撃するように、【大決壊】と呼ばれる魔物の大量流出現象は引き起こされて。


 一時期は英雄と持て囃された者達は、王都に災害レベルの脅威を呼び込んだとして世間からの失望と避難を浴びる落伍者となった。

 新興の【ダンジョン】を調査するという依頼も、この結果では失敗としか言いようが無い。


 新進気鋭の冒険者たちが起こした余りに無様な結末は、一大スクープとして世に広まり。

 ”【終焉】の洗礼”事件などと銘打たれたこの一件の責任をとるような形で、俺たちはCランクパーティ”最果てに至る者”を解散した。


 三年の月日が流れてなお、何とも忘れ難い過去。

 俺――――ルイトがソロ冒険者へと転向する前の、仲間たちと過ごした最後の冒険譚だ。

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