Game-2 ミステリア急行殺戮事件(1)


 (1)


『──ご乗車いただきありがとうございます。ミステリア急行は、ただいまアインス駅から発車いたしました──次は、ツヴァイ駅、到着は明日の予定です──』

 

 がたんごとん、とレトロな列車のブースで、凛は一人だった。

 四両編成の小さな短い列車。

 ブースの中に貼られている小さな案内板をじっと見ていると、不意にぶわっと3Dで四両編成が淡く空中に可視化される。ぐるぐると指で回してみた。

 それによるとここは一号車で、二号車、三号車、そして倉庫用の四号車があるらしい。


 それはそれとして──一人だ。 

 ログインしたら一人だったのである。なめし革のような深いワインレッドの座席、扉が閉まっているブースの中は個室としてとても静かだ。

 辺りを見回す。部屋の隅にやたらごついカメラがある以外は普通のブースだ。

 改めてARデバイスを空中に展開し、薄水色のウィンドウをすいっと動かしてゲームのルールを確認──しようとすると、カメラからぱっと光が差してルールブックが空中に形成された。


 なるほど、カメラ兼VR投影機だったか。案内システムがちゃんと動いている。


 空中に投影された本物みたいな本をぱらぱらと捲る。中を開いて読み始める。

 

 ミステリア急行殺戮列車──。

 プレイヤーの中に紛れた殺人鬼を探し出して『逮捕』すればゲームクリア。『逮捕』の権限は警察関係者のみが有する。

 列車の走行期間、つまりゲームの制限時間は三日。

『逮捕』された殺人鬼側は死んだものとされる。殺人鬼は一日に一人必ず殺しを行わなければならないので、時間が経てば経つほど証拠は増えていく。なお、『殺人』の能力は『殺人鬼』のみが有する。

 殺人鬼がプレイヤーの過半数を殺害すれば殺人鬼の勝ち。……つまり。


 (やっぱり絶対に誰かが死ぬ……犯人役のプレイヤーか、一日に一人殺される誰か……)


 前回のようには行きそうにも──。

 そこまで凛が考えた時だった。


 暫くしたらばーんと扉が開いて愛野がやってきたので、いつものように二人になった。

 今回のゲームはチーム制でもないのに、探しにきてくれたらしかった。


 凛くん!と顔を輝かせる愛野にちょっと絆されそうになりながらも、凛は改めて質問をした。


「やあ凛くん!やっと合流できて何よりだよ!!」

「……アイ……今、ルールを改めて確認してたけど、なんで受けたの」

「いやあの……凛くん?」

「なんで受けたの、こんなの」

「いや……いつものだよ!!!面白そうだったからに決まっているだろう!!!????」

「絶対殺人が起きるゲームってわかってるのに……」

「僕は愛と正義でデスゲームをクリアすることを史上目標としている!そこだけは揺らがないよ!」

「絶対殺人が起きるゲームってわかってるのに?」


 がたんごとん、がたんごとん、と振動が伝わってくる。

 愛野が横に座ったので、レトロな列車のブースに座る影は二つになる。


 二人は、いつもと服装が違う。

 片方はショートパンツにフリルシャツ、リボンタイ、そして刑事によくありがちな立て襟のコート、色は水色だが──に身を包んだ黒髪の少女。足元はすらりと長い編み上げブーツで美しい。瞳は不可思議な紫で見るものを惹きつける。

 もう片方は大人しめのロングドレスのご令嬢──めいた格好だがしっかりピンクフリルとストロベリーブロンド縦ロールの少女。頭に乗せた如何にもお嬢様らしい帽子のせいで人形めいた印象が強いが、瞳は冴え冴えと青かった。


 1900年代のロンドン系ライトノベルに出てくるような少女刑事とお嬢様のセットに見える。

 

 ゲーム開始まであと45分くらい、今は待機時間だ。

 ばん!と愛野が大人しめのロングドレスの膝を叩いた。


「──セイギくん、あのね、僕だって考えなしに受けたわけじゃない!」

「……ほんと?」

「ああ!!!」


 死者ゼロとかいうものを(多分)まあまあ目標にしておきながら、ミステリア急行殺戮事件とかいう物騒なゲームに飛び込んだ考えなしあいのまほうは勢いよく頷く。


「二度もデスゲームで死者ゼロを達成した僕らが!この絶対殺人が起こるゲームで死者ゼロを達成したら更に僕らの名声が鰻登りになると思わないかい!?」

「………今回、私とあなたペアでもないけど。しかもゲームのシステム上無理じゃない?それは」

「いやそうだけどね!!くそっ、ブラックジャックめ、僕とセイギくんをそんなに引き剥がしたかったのかい!?いやだけど!?」

「嫌なんだ……」


 ちょっとかわいい。


 今回のゲームは”ロール制”である。

 ひとりひとり、プレイヤーには別の役割が割り振られており、個人個人で勝利を目指す形になっている。一応は。故に協力関係ではない。一応は。


 今のうちにロールの確認もしておこう、という愛野に、凛は頷いた。

 

「私のロールは”刑事”……アイは?」

「”令嬢”だよ。病弱で金持ち、力はないが資金繰りは良い貴族のお嬢様だ。護衛を連れて旅の最中にこの列車に乗り込んだ──という設定がある。素晴らしくないかい?令嬢だよ!?まるで僕に誂えたかのような役じゃないか!ふふん、そこだけはロールを割り振ったものを褒めてあげたいね!」

「はいはい……」

「これはすごいところなんだけれど、このフリフリのトランクを開くと宝石とか金の延べ棒とか無限に出てくるよ!全部取り出しても無限に出てくる」

「ええ……」


 トランク一つだけで市場を崩壊させられる力ありそう。

 金持ち令嬢の極みみたいなトンチキな能力をもらっている。


 そう思いながら凛は与えられた設定を確認した。

 まだゲームが始まっていないので、腕につけられたARデバイスに機能制限はない。

 

「私は、有名な殺人鬼”ジャンキー”がこの列車に紛れ込んだことを知ってここへやってきた昔がたきの刑事。組織の中では一匹狼だから捜査も一人、凄腕。拳銃の腕が達者で、私が拳銃を使うときには補正がかかってほぼ確実に当たる……あと格闘能力全般のインストール、空手からバリツまである……バリツってなに」


 こっちもすごい。刑事のロール、世界全ての武術をインストールされているらしい。

 普通の刑事はそこまで強くないだろ感がすごい。

 

「ホームズを読まないのかい?」

「……あれは架空の武術でしょ」


 架空の武術をどう使うんだと軽く唇を尖らせてからARデバイスの設定をざーっと見終わる。

 どうやらこの刑事、友達がいないらしい。アナログ機器全般に疎いのでネットも使わないらしい。ちょっと似てて嫌だな。

 

「凛くん………インターネット仙人なだけじゃなくてロールにも友達がいないんだね……」

「怒るよ」

「怒っている顔も可愛いね!」

「………」

 

 こほん、と凛は咳払いをした。


「この列車に乗り込んでる”警察関係者”は私だけじゃないから、実質チームだから」

「僕の口説きを綺麗に流していくじゃないか……」

「………」

「ゲームの話をしようか!!うん、他には警察関係者は探偵がいたね!事前に見たサイトの一覧に」

「そうそう」


 凛は事前に見てきた紹介サイトを思い出す。


 いかにもレトロな列車の中をモチーフにしたサイト。

 シルエットになった人物は全部で6人で、それぞれにロールが振られていた。

 探偵、刑事、商人、医者、令嬢、芸術家。

 そして誰かに付与された「殺人鬼」。原則として、殺人鬼以外は人を殺すことはできない。

 殺人鬼以外は殺人鬼を殺せない代わりに、終着駅まで犯人を捕らえて誤送すれば勝ちとなる。また、そうなった場合犯人役のプレイヤーはその後死亡扱いとなり、犯人役のプレイヤーはデスゲームをする権利を永久的に失う。


 犯人を捕らえれば犯人は死ぬ。

 犯人を捕らえなければ犯人に殺される。そういった構図だ。

 

 今ここに刑事と令嬢がいるので、残りの四つのロールの人たちはどこか別の所にいるのだろう。少なくともブースの外に。

 ざわざわ、とブースの外から伝わってくるざわめきはおそらく賑やかしのNPCのものだろう。人影が歩き回っているが、生きている人間の気配という感じでもない。


 ──列車の中にレトロなアナウンスが響いた。


『ゲーム開始まで、残り30分です──』


「……そろそろ他の人間を確認しておくかい?」


 凛はちょっと眉を寄せた。

 あんまり行きたくない。だって外に出たら、絶対──。


「ああ、”ブラックジャック”と会うだろうね!」

「……私、あのひとちょっと苦手なんだけど」

「僕もあいつは苦手だよ!顔しかよくない女だからね!あと、僕のゲームに毎回いちいち批判的なレビューを送ってくるから……」


 一番嫌なタイプのレビュワーだ。

 

「なにそれ……?」

「まあレビューはともかく。己の顔の良さを鼻にかけているんだよ!!やつは!!!僕らだってこんなに美少女なのに!!!」


 論点ずらしがすごい。

 

「──……現実でも顔が良いっていうのはステータスだと思うから」

「それはそうだ、VRDGのアイドルたちの中ではまあまあ珍しいタイプではあるか」


 顔を明かさないやつも多いからね、と言いながら愛野は立ち上がり──徐にブースの扉を開く。


 そこで、愛野魔法は静かになる。

 凛もちょっと眉をよせて外を見て──声が出なくなった。


「……え、……なにこれ」

「──……随分とこう……なんだろうね?わかりやすい”演出”だよね、ここにくる最中も思ったが」


 VRDG”らしい”というべきか。

 ブースの外を行き交っていたり、座っていたりする『NPC』は全員──木でできた、マネキンだった。

 デッサン人形みたいなやつだ。

 顔がない。けれどもそれぞれが1900年代のイギリスの一般人のような格好をしている。おしゃれな鹿内帽、ふわふわと揺れるラベンダーのドレス、カツカツと歩き回る人形のヒールの高いブーツ。どれもがとても美しかったがそれでもやはり彼ら彼女らは──人形だった。


「……プレイヤーとNPCが紛れないようにしているのかな」


 凛の言葉に、愛野は頷く。


「今回のゲームはプレイヤーの中に犯人が絶対にいるって話だったから……NPCは本当にただのNPCですよっていう演出──なのかもしれないね!あくまで脇役は脇役、主役クラスを邪魔しないようにと!僕らはこのマネキンだらけの中で数日間、殺人鬼と共に過ごすわけだ!」

「アイ、部屋に帰らせてもらう?」

「帰ったら死んじゃうじゃないか!いいや満喫させてもらうよ、この人形だらけの殺戮列車をね!」


 ふふん、と笑ってから、愛野魔法はそのばでくるりとターンしていつものようにカーテシーをしようとして──急によろめいた。

 凛は驚いて彼女を抱き止める。愛野は暫く目をぱちぱちとさせていたが、得心がいったように小さくため息を吐く。


「……そうか……なるほど、僕の役所は”病弱なご令嬢”だったな」

「つまり?」

「普段とは違って、下手に体を動かすと転んだり倒れたりする可能性がかなり高くなっているみたいだ、運動神経のパラメーターが下がっている」

「…………」


 凛は暫く考えてから、極めて気遣いに溢れた申し出をした。


「……お姫様抱っこで運ぶ?」

「無理じゃないかい?」

「ロールが刑事だし、いけるかも」

「君ってもしかして刑事は最強の生き物だと思ってる?」


 ロールがプロレスラーとかだったらいけたかもしれない。

 そんなことをぎゃいぎゃいといいながらマネキンだらけの中を通り過ぎていくと──複数人の”人間”が固まっているエリアがあった。

 どうやらすでに他のロールの人間たちは合流していたようだ。

 既に協力体制が出来上がっていそうで、嫌な感じを凛はふわっと受けた。


 ──人の中心になっているのは、──”ブラックジャック”だった。

 漆黒の鹿内帽。真っ黒な闇を模したようなマント。すらりとした体に纏う服は、まさにこの殺戮列車を光に導く存在、探偵役の服装だった。


 彼女はこちらを振り返ると、優美に微笑んだ。


「やあ、いらっしゃい──やっといらっしゃいましたね、最後のロールの二人が」


 仕草の一つ一つまでが優美で、洗練されていて微かな色香がある。

 エメラルドの瞳も、ショートカットの漆黒の髪も、少し長めの前髪もリアルの彼女をほぼ完全再現していて隙のない美しさだった。

 周りにいる人間の中からうおーっと声が上がる。彼女のファンがいるようだ、既に協力者を得ている。


 凛は丁寧に礼をした。

 それに反して愛野は腰に片手を当てて全く礼節を尽くさなかった。


「やあ、”ブラックジャック”。君がこのシナリオの”探偵役”というわけだ?よろしく頼むよ」

「かつてあらゆるシナリオを網羅していた貴女を差し置いて、私が探偵だなどと──恐縮ですが、皆のため、解決のために尽力させていただきましょう。ビューティーで健全な精神を持って皆を導いてみせますよ」


 ピリリとした空気がその場に走る。

 漆黒の王子様探偵と、ピンクのご令嬢の間に火花が弾けた。

 それを遮って、のんびりとした声がその場を制する。


「若いもんは元気でいいですなあ……まずは、そう、自己紹介から始めるといたしましょうか……」


 凛は振り返る。

 大きなトランクを数個足元に置いた、腰の曲がった老人。

 ダイナマイトボディで真っ白な白衣、黒い長い髪の女。

 カラフルなインクだらけの服を着て、ベレー帽を被った青年。


 今回の殺戮列車の同乗者たちが、そこに揃ってこちらを見ていた。



 (2)


「やあやあ、お嬢さん方……まずはわしから自己紹介をさせていただこうかのう」


 ふぉふぉふぉ、と笑った男は腰の曲がった痩せぎすの老人だった。

 茶色の旅慣れた雰囲気のコートを羽織り、足元には本当に様々なものを積み上げた旅行用の荷物。ロールを紹介されなくともわかる。


「わしはジルコンという……ロールは商人ですじゃ。ははは、商人がこんな場で何ができるか分かりませんが、なかよくしていただければありがたい。皆孫より若いのでのう。そうそう、荷物の中を漁ったら砂糖漬けの金柑がありましてのう、みんな食べなさい、若いもんはいっぱい食べんといかんから……あと最中とかみたらし団子も漁ったらありましてのう……」


 彼はポケットから銀貨を一枚取り出す。

 銀貨を一枚入れて手を突っ込むと菓子の箱が十くらい出てきた。

 トランクの中にはとても入りそうにない。愛野が目をぱちりとしてトランクを見る。


「これ、貨幣を入れればなんでも出せるのかい?」

「ええ、そのようで」

「……天蓋つきベッドとかでも?」

「後でお嬢さんのブースで試してみましょうかのう」

「ああ、是非やってみてくれ!!!」


 宝石とか金の延べ棒が出せるタイプのお嬢様とはめちゃくちゃ相性が良さそうなロールだ、商人。

 

 荷物の中から食べ物を出してめっちゃ配り始める。

 それの一つを横から受け取ってがりっと噛み砕いたダイナマイトボディの女性がぐっと胸を張った。黒髪と赤い瞳で厨二病感がある。

 

「あたしはルビイ!ロールは闇医者だ。犯人も、やべえことするやつも全部あたしが処してやるからな!技能を見たらなんかあらゆる拷問技が揃っててすげえぜ!強いぜ!!あとあれ、苦しませねえ殺しの方法とかもめっちゃあったぜ!!!」


 トンチキ性能を付与する決まりでもあるんだろうか、このゲーム。

 闇医者って言ってるのにやれることの殺意が高い。

 

「さっきから思ってたけどルビイちゃんめっちゃ可愛くね?超タイプなんだけど〜!」

「テメエはさっきからうるせーーー!!!」


 速攻彼女に絡んで殴られた猫目の男がけらけらと笑う。全身鮮やかなペンキだらけの服を着ていてなんともわかりやすい。

 何より特徴的なのが、彼は毛並みの良いお上品な猫といった風情で、猫耳が生えていた。ふわふわとした青い髪の男で猫耳アバターとはまた珍しいが、ちゃんと猫耳用の穴が空いたベレー帽を被っている。


「オレはただ可愛い女の子が好きなだけだよぉ〜、オレはキャッツブルー、どうぞよろしくね。お嬢ちゃんたち。ロールは芸術家だよ〜。何ができるかな?って色々やってみたら紙を一瞬でお金にできちゃったしハンカチをりんごにできたのすごくない?」


 もうマジシャンの域である。


「偽札めっちゃ完璧に作れてぇ、これで女の子とのデート代作り放題〜〜やった〜〜〜」

「詐欺では?」

「詐欺だな」

「詐欺じゃのう」

 

 普通に詐欺。

 横から愛野がずいっと割り込んだ。

 

「こほん!僕はアイ!病弱なご令嬢だよ、仲良くしてくれ!君のことは詐欺師と呼ぼう!!!!」

「やだやだぁ、キャッツブルーだよ、キャッツくん♡って呼んでぇ」

「キャッツくん♡ちょっとだけ口を閉じていてくれ」

「えぇ、つめたぁーい、マジありえなーい」


 呼び方と指示の乖離。

 

「言葉に攻撃力あるな?闇医者になるか?」

「ならないよ!!!」


 埒が空かない感じだったので凛は横から割り込むことにした。

 

「私はセイギです。ロールは刑事です、警察関係者として頑張ります」

「セイギさん──相変わらず素晴らしくビューティーですね。また会えましたね、アイではなく私のパートナーになりませんか?」


 誰もを蕩けさせるような笑みをブラックジャックに向けられて、凛はちょっと顔を顰めた。

 

「なりません」


 商人の老人、ジルコン。

 闇医者の女性、ルビイ。

 芸術家の青年、キャッツブルー。

 令嬢、アイ。

 刑事、セイギ。

 そして探偵──ブラックジャック。


 役者は揃った、という感じであった。

 ぱん、とブラックジャックが両手を合わせる。そんな仕草すら優雅で麗しかった。


「これで自己紹介は済みましたね。──ではとりあえず……まずはこの浪漫溢れるビューティーな車両を見て回りましょうか?それぞれブースで目を覚まして、その後なんとなく合流したので我々も列車内のことはよく分かっていなくて」

「それは私たちも同じです……歩き回る前に、アイと合流してたし」

「おや?お二方、もしや作戦会議でも?」

「してないよ!!へんな勘ぐりをするな、ブラックジャック。僕とセイギくんはただとっても仲良しなだけだから!!」

「いえ、業務上のパートナーです」

「セイギくん!?」

「ふぉふぉふぉ」


 仲良しですなあ、とジルコン老人が笑って腰を浮かせるのを見て、全員はぞろぞろと立ち上がる。


「ブラックジャックちゃんが言うなら列車の中見て回る〜、あとからREX教えて?DMで話そ?」

「構いませんが、私のビューティーな公式アカウントでしたらフォロワーが五万人ほどいるのでDMは光速で流れ去ります」

「有名人のREXこわ〜」

「おい、邪魔だ!シャキシャキ歩け!!!」

「いったぁ!」


 後ろからルビイにど突かれて、猫耳画家はふにゃっと表情を歪めながら外に出る。

 相変わらず外はデッサン人形みたいなNPCたちがぞろぞろと動き回っていたが──。

 何故か。

 本当に何故か、一つのブースだけが、人形が溢れていた。


 入り口あたりに人形がひしめいているのである。

 まるで砂糖に群がる蟻のように。

 こわい。


「……なんです?あれ」


 凛は顔を顰める。

 愛野が首を捻った。


「この列車のNPCは、おそらく挙動としては”一般人”だよね」

「ええ、そうでしょうね。──一般人、があんなにも群がっているとなると……」


 顔を険しくしたブラックジャックが颯爽と真っ黒なマントを翻してずんずんと奥へと歩んでいく。

 立てばイケメン、座れば美人、歩く姿はモデルウォーク。


「──」


 ブースの中を覗き込んだ彼女は、声をなくしたようだった。


「………みなさん、こちらへ」

「なんだなんだぁ!?」


 勢いよくルビイがブースに駆け込む。

 一瞬でUターンしてきた。


「キショ!!!なんだよありゃあ!!!!」

「え?そういう感想なのぉ?」


 キャッツブルーが宇宙猫みたいになった。

 ここって死体を見つけて騒ぐタイミングなんじゃないの?みたいな顔をしながらブースの中に入っていく。彼の後に続いて、他の面々もブースの前にいる一般人を押し除けて中を覗いた。


 凛は──絶句した。


 人形が。

 デッサン人形が。山と積まれていたからだ。

 一人とか二人ではない。五、六人でもない。ブースの中に詰め込まれるようにして、結構な数だ。

 しかも、服を着ていない。全ての人形が、服を着ていなかった。服は部屋中にまるでアートのように吊り下げられ、飾られ、リボンみたいに結ばれて部屋中を飾っていた。

 大量の、木製の人形。ブースの中に積み上げられた、人形の山。

 それはこのゲームの中では──大量殺戮と同義だった。

 木の人形は、”一般人”なのだから。


「──どうやら開幕から派手にやってくれたようだね!」


 愛野の声に、凛は我に返った。


「……そ、そうだ……捜査しなきゃ」

「その通り、まずは警察関係者のビューティーけんぜんな捜査からですね、セイギさん」


 一つ優雅に頷いてから、”探偵”は”刑事”に手を差し伸べる。


「ここからは私と貴女はパートナーというわけです」


 そっと手を取られ、手の甲に唇を寄せられた。

 愛野がぎょっとした様子でそれを見る。

 それにも構わず、ブラックジャックはエメラルドの瞳で凛を見てその長いまつ毛をゆっくりと瞬かせるようにウインクをした。


「──どうぞ、仲良くしてくださいね」


 凛はちょっと動揺して固まってしまった。

 なんでこんな王子様みたいな人にこんなタイミングで迫られているんだろう、意味がわからない。

 目の前には木製の死体がいっぱいなのに。

 しかも配信されてるのに。


 ──いや、だからこそか。

 彼女は見せ場として、皆に見せるためにこういったムーブをしているに過ぎない──それだけなのか。


 VRDGのアイドル、ブラックジャックは──元某歌劇団に所属していた女優。

 モデルであり、インフルエンサーでもある。他人に自分をよく見せる術に長けていて、ハイブランドのイメージモデルも務める。歩き方、笑い方、その全てが完璧すぎて、ついたあだ名は生ける芸術。トランプのゲーム、ブラックジャックというゲームの最強の手に引っ掛けて『VRDGアイドルブラックジャック様は、リアルでもゲームでも最強のカード』と呼ばれるほど。

 ただ、その名声の裏で色々と黒いこともしているのだとか。

 

 顔しかよくない女、と愛野が言っていたのを思い出して、凛は少しため息を吐いた。

 一筋縄ではいかなさそうだ。


 手の甲に口付けられた唇が静かに離れるのを確認して、凛はそっと手を引っこめる。

 

「──ええ、そうします。……アイ、それからみなさん、ここは私と探偵さんがとりあえず捜査します。知り得た情報は全てみなさんにお教えします」


『刑事』としてロールするなら──これで、いいはずだ。

前回のロール制だった”白亜の塔”でも、凛はこうやってきっちりと騎士のロールをした。そこが世間に受けたこともある程度分かっていた。

 皆によく見えるように演技をするのは、何もブラックジャックだけじゃない。

 自分だってそうだ。


「では、わしらは一旦隣のブースにいよう、何かあったら教えてくださいですじゃ」

「ええ、必ずお教えしましょう、この素敵な刑事さんと一緒に知り得たことをね」


 麗しく微笑むブラックジャック。絶対フォアユーチャットが飛び交ってるんだろうな今……と思いながら、凛は愛野のそばへ素早く寄って、それから少し躊躇ってからその青い瞳を見た。


「……あの、ちゃんとアイにもあとで全部教えるから。別に、ブラックジャックさんとペアになろうって感じでもないから」

「セイギくんそんなことを気にしてたのかい!?」

「いや、だって……」


 こっちは、彼女に一緒に『デスゲーム』に参加してくれ、と言われてここにいる身だ。

 VRDGの人気者に相棒扱いされたからといって、すぐそうなろうという気は微塵もないよと、先に伝えておきたかった。言うなれば義理だ。契約をちゃんと守ってることを伝えたかった──のだが……。

 愛野はちょっと目を見開いてから、いきなり──思いっきり抱きついてきた。

 なんだ!?


「な、なに、」

「セイギくんは僕だけのパートナーだよ!分かっているとも!隣の部屋で待っているから、情報が手に入ったらすぐに返ってきてくれたまえ!」


 ちゅ、と頬にキスをしてから愛野は颯爽と去っていった。

 凛はちょっと呆然としてそれを見守った。

 開きっぱなしだったARデバイスに無限にフォアチャが流れまくっている。


 “セイギちゃんブラックジャック様にキスされた後アイちゃんにもキスされて修羅場で笑う”

 “白亜の塔の騎士様モテモテすぎでは?”

 “ブラセイ派とアイセイ派で戦争起こるだろこれ”

 “アイ×セイギが正義”

 “照れてるセイギちゃんかわいい〜!”


 なんだか恥ずかしくなってしまって反射で閉じた。

 ルビイが去っていったアイの背を見送り、横で猫耳画家のキャッツブルーがにやにやする。


「ええ〜?なに?セイギちゃんとアイちゃんってそんな感じ?オレも入れてよ〜!」

「おい!!!テメエ!!百合に挟まる男は死ね!!!!」

「いたいいたいいたぁあい!あっ、でも美女から受ける暴力ちょっときもちい〜!」

「お前キショいな!!顔がよくなかったら許されてねえからな!!!」

「ふぉふぉふぉ、若いものは元気でいいですのう、金柑食べますかのう」

「食わねえ!!!」


 ルビイがキャッツの猫耳を引っ掴んで隣の部屋へ移動していく。

 ジルコンが笑いながらついていく。


「……百合なのですか?」


 二人きりになったブースで麗しく微笑んだブラックジャックに問われて、凛は即座に首を振った。


「違います」

「おや、残念」


 それなら私にもチャンスがあるかと思ったのですが……と色香たっぷりに言われて、凛は頭が痛くなった。殺戮列車に乗ってるはずなのに!お人形さんみたいな美少女と、王子様みたいな美女に取りあわれている、なんで。配信映えするムーブのためだろうと分かっていても頭が痛い。


 凛は咳払いをして、刑事っぽい水色のコートの襟を立てた。


「……とにかく──捜査しましょう、最初からこんなに死体が出ると思ってなかったので、あの……私、あんまり心構えが、できてませんが」

「大丈夫、初めてはそんなものですよ。ついてきてください、迷った時は私がなんとか致しましょう。戸惑う顔もビューティフル──いいえ、キュートですね」


 手取り足取り、全て教えて差し上げます。 

 これでも”VRDG”は、私は百戦錬磨ですから。


 とブラックジャックはしなやかに微笑む。

 その名前の由来に相応しい、トランプによって作られる最強の手札のように、最強に強く美しい微笑みだった。


「……ブラックジャックさんって、ポーカーお好きなんですか」


 なんとなく呟くと、彼女は美しく笑った。


「いいえ。法外な値段を提示するタイプの闇医者が好きです」


 そっちかあ。

  


 (3)

 警察関係者の捜査のスキル、とは言っても──。

 凛は普段とあまり変わらない視界で、じっとものを見た。

 注視したものの情報がぱぱぱ、と半透明のウィンドウで浮かび上がってくる。三つある刑事のスキルのうちの一つ、『観察』だが──正直現実のARインターネットの応用である。

 見たものをその場でぱっと検索できる小型ウィンドウが全てのものに対して使える感じ。


 積み上がったたくさんの死体──否、裸の木のマネキン。

 じっと見ていくと、ぽんぽんと情報が与えられる。

 見る、や、手をかざす、で擬似的に調べたことになるようだ。


 30代女性、20代男性、60代男性、30代男性、20代男性──。


「……このマネキンたち、一応年齢設定あったんですね」

「そのようですね……服を着ていればすぐわかることだったんでしょうが、こうも綺麗に脱がされているとなかなか判別が難しい」


 凛は顔をあげ、辺りを見回した。

 ブースのあちこちに投げ出され、あるいは飾るように付けられた人形たちの服。

 ドレスもあれば、庶民らしいベスト、靴、黒いスーツ、白いシャツ、赤いスカート──。

 色とりどりのものが辺りにばら撒かれている。


「……犯人は誰なんでしょう」

「おや刑事さん、ふふふ、気が早いことを」


 辺りを捜査していた”探偵”──麗しのブラックジャックは面白そうに笑う。


「まだわかりませんが──我々は最初目が覚めた時、どうやら全員があのビューティーなブースの中にばらばらにログインをしたらしく。キャッツブルーさんによると、暫く外に出られない時間があったと」

「そうなんですか?……気づかなかった……」

「そのようです。──まあ、ともかくこの死体の山は……運営が最初に犯人に作らせた”チュートリアルの死体”なのでしょうね」


 すごい響きだ。

 ちょっと眉を寄せてブラックジャックを見ると、彼女は淡々と人形たちの傷つけられた部分──首がなかったり片手片足が飛んでいたり胸に一突きされたナイフの痕だったり──を見ながら微かなため息を吐いた。


「おそらくその時間、犯人のブースだけが『開いていた』のでしょう。犯人だけが自由に歩き回り、殺人を侵す時間があった」

「……じゃあ、結局誰かわからないんじゃないですか……」

「その通り」


 そう言いながら、じっと凛は倒れた木製の人形たちを見る。

 ちょっと触ってみると嫌に感触がぐにゃっとしていて顔を顰めた。


「……なんか木でできてる割に、感触だけ変にリアルでいや」

「感触まで全て木ならば、そうですねえ、ビューティー鋭利でないナイフなら刺さったら抜けないでしょうし、犯人側に対する配慮なのかもしれませんね」


 ふふ、とブラックジャックは面白がるようにしながら人形のあちこちを確かめた。


「……死因は大体撲殺のようですね、ビューティーでない」

「私たちの技能があってよかった、そうでなかったらこの人形から死因なんて分かりませんよ……」


 凛はぼやきながらじっとそれぞれの木の人形に目を合わせていく。

 『刑事』のスキルによればどれもこれも頭部を殴打されて死んでいるらしいのだが、なにせ人形なので殴られた痕が陥没するとかいうこともないようで死因がよくわからない。

『闇医者』を後で呼んできた方がいいだろうか?


「──そう、犯人の話ですが」


 急にブラックジャックから切り出されて、凛はふっと目をあげる。

 まつ毛が長い、麗しの瞳。本当に綺麗な人だ、真っ直ぐに見つめられた時の圧の強さがすごい。


「私はね、犯人は格闘術に長けた人間の可能性がある、とも思っています。この撲殺の痕はあまりに野蛮ですが、綺麗に後頭部を全て殴りつけている」


 じっとこちらを見られる。

 凛は自分が疑われていることを一拍置いて察した。

 けれど、ここで変なことを言うのもよくない、言葉を慎重に選ぶ。


「……誰を候補として考えているんです?」

「こういったロール系のゲームでは、職業と能力はわかりやすく結び付きます。つまり、刑事の貴女と──強いていうのならば裏社会に通じる闇医者の彼女。格闘術をスキルとして有する可能性があります。つまり、貴女が犯人の可能性は大いにある」


 そっと胸に指をさされる。

 鋭い目で見られて、肌が粟立つのを感じた。美人の真顔は殺傷力が高い。


「いえ、もしかしたら特異な能力を持つものかもしれません。この列車のデッサン人形たちは”一般人”ですからね。令嬢役の彼女が金で買収して間接的に人形同士間の殺人を行なわせた可能性もあります」


 急に範囲が広がった。


「もしかしたら商人があのトランクの角で殴り殺したかもしれず、芸術家が作った石膏像で殴り殺したかもしれません」


 あり得なくもなさそうなところを話に出しているようでそうでもない。

 もしかしてこの美貌で天然なのだろうか。それとも全ての言動は計算なのだろうか、腹が読めない。

 その指を不意に彼女は自分に向けた。


「そして私のスキルにも格闘術がある、私が犯人かもしれません」

「はい?」


 なんか流れ変わってきたな。


「探偵が犯人!だとしたらとてもビューティーじゃありませんか?」


 天然なんだろうか………。

 そう思いながらも、凛はツッコミを放棄した。

 

「ええ、ああ、そうですね……あの、でもそれって私に言う必要は……言ったら疑われるのに」

「いいえ、私は自分の全ての情報を開示した上で捜査に挑むのがビューティーだと思っていますので。それが”探偵としてかくあるべし”だと思うのですよ」


 そう言いながら、彼女はいくつかの服を拾い上げる。

 煙に巻くような喋り方をする。話があっちこっちにすっ飛んでいって帰ってこない愛野とは、また違うやりにくさを持つ女だった。

 

 女物、男物──紛れてしまって、もはや誰が着ていたかもわからないそれを、女は持ち上げて笑う。


「……私はね、このゲームの中では最高にビューティフルな探偵であるつもりです。私こそがこのゲームを美しく制するために。極めてこの私が公平である事は、”探偵”に対する心象をよくするでしょう?そして私が犯人を逮捕することで、物語は美しく終わる。間違いなく、私のファンの皆が熱狂するでしょう。私のスートたちが」

「スート?」

「あ、私のファンの呼び名です」


 ブラックジャックのファンネーム、スートって言うんだ。

 無駄知識が増えてしまった。


「……ブラックジャックさんは……人が死なないデスゲームというものを、良しとはしないんですか」

「ええ、基本的には」


 ブラックジャックはいとも容易く頷く。

 探偵役は、今回『犯人』を『指名』できる権限を持っている。

『犯人』にとっては、『指名』されること──そして刑事役に『逮捕』されることも同様に──死を意味する。つまり、デスゲームプレイヤーとしての権利を永遠に失うのだ。

 探偵や刑事が勝つ未来は、必ず死人が出る未来だ。


 凛はそれを、今回ロールを与えられた時から嫌と言うほど理解していた。

 自分は人を撃ち殺せる正義の拳銃を持たされ、殺せとゲームシステムに言われているのだと。


「私たちが犯人を逮捕したら、犯人役のプレイヤーは死にます……私は、できたら、それをあまりしたくないと、思っていて」 

「けれど貴女の理想と愛野の理想は、この娯楽デスゲームに与えられている”正しい形”ではない」


 ばっさりとブラックジャックは切り捨てた。

 

「皆はきっと誰が最初の被害者になるのか、そして探偵は事件を解決できるのか──そういったスリルを楽しみに配信を見ていることでしょう」

「………でも!私は、人が死なないゲームの方が、好きなんです」

「何故?こんなゲームに参加しておきながら」


 スリルがないじゃないですか、と緩く首を傾けるVRDGのアイドル相手に、凛は静かに言った。


「……私は、娯楽でこのゲームに参加してるわけじゃない。お金のために参加しています。そういった人は、私以外にもいると思うんです」


 VRDGは、社会弱者に一発逆転のチャンスを与える。

 大量の名声や人気、そして──何よりも賞金。生きるための力を。


「だから人が死なず、みんなが賞金をもらえたら私も嬉しい。プレイヤーは基本、参加理由を公言しません。でも私と同じような理由で参加している人がいるなら、”誰も死ななかった”のならそういった人たちも必ず救われるから」

「なるほど、他人と自分の立場を重ねて慈悲をかけているわけですね、流石”白亜の塔の騎士”はお優しい」


 ふふ、とからかうように笑われて、凛は少しだけむっとする。

 それから、吐息を吐いた。


「あと、──これは、アイに影響を受けてるって、わかってるんですが」

「ええ」


 凛は小さく、小さく言った。


「絶対に人が死ぬゲームで、誰も死ななかったら……知恵を尽くして、頭を回して、誰もが平和なエンディングを掴めたら……それは、とても理想的なことだから」


 暫くブラックジャックは黙り込んだ。

 綺麗な指を口元に添えて考えこみ、そしてすっとエメラルドの瞳を細める。漆黒の探偵装束に、その仕草はとてもよく似合っていた。

 

「なるほど──デスゲームで人を殺さないことが、貴女の思うエンターテイメントの一つの形であると?」

「エンターテイメントかどうかは、わからないんですが……」


 ブラックジャックは微かに微笑む。

 木のデッサン人形だらけの空間で、こんな異質な場所なのにそれでも彼女は美しかった。


「それが貴女の思う”理想ビューティー”なのですね」

「………はい」

「愛野についていくだけではなく、貴女は貴女の理想を持って動こうとしている。私はとてもビューティーな瞬間に居合わせたのかもしれませんね……」


 ふふ、とブラックジャックは微笑んだ。

 そっと指先が頬を伝う。探偵役の彼女の唇は、色香を漂わせて紅い。


「やはり私は貴女が好きです。揺らがぬ倫理観を持ちながら、貴女なりの理想を求めてこの死と裏切りの蔓延する世界で足掻いている。なんてビューティーなのでしょう……」

「あ、あの」

「なんですか?セイギさん」

「く、すぐったいんですが……」

「ああ、申し訳ありません。実にキュートだったので……」


 ブラックジャックは微笑んでから、ふっと中空を眺めるような目つきをする。

 何かを思案しているようで、捜査の手を止めている。

 なんだかつやつやに羽根の美しいすらりとした黒鳥みたいだった。

 

 この間に自分ができる限りのことをしようと、凛はもう一度殴打された死体の後頭部を探って調べてみることにした。時間は大事だ。このゲームは三日間しかないのだから。

 殴打、撲殺。それ以外の情報はない。死亡推定時刻も、どれくらいの陥没の具合なのかも、探ることができない。スキルの限界だろうか。


 傷跡があるらしい部分を凛は暫く触っていたが、不意に気がつく。

 手に、血がついた。

 虹色の血だ。

 その木の人形の後頭部からは出血なんて当然していないのに、そんなところだけ丁寧なディテールを守っているらしかった。普通に嫌だな。



 (4)


 色々操作が終わって自分用のブースに戻ると、なぜか愛野がいて足をぶらぶらさせながら待っていた。ここのブースはそれぞれ個室のような扱いだ。各自に与えられた部屋みたいな感じなのだと勝手に思っていた凛は、家に帰ったら普通に友達が勝手にベッドで寝てたみたいな気分になった。

 しかもブースの中にフリルの布団と枕があるし。

 どうやらあの後ジルコン老人から買ったらしい。


「……アイ」

「うん?なんだいセイギくん!」

「枕と布団の量がすごいんだけど」

「この金目のものならなんでも出てくるカバンの中に金の延べ棒があってね!」

「金の延べ棒」


 金の延べ棒????


「それを渡したら好きなだけ持っていきなさいってもらったんだ!!!」

「……よかったね」

「うん!!!」


 めちゃくちゃ嬉しそうでなによりである。

 しかし──愛野の布団があふれすぎて、凛は寝るところがなかった。

 

「それはいいけど、……今日の捜査は終わったから、私、ここで寝たいんだけど」

「僕も一緒に寝るよ?」


 寝るよではない。

 もしかしてこの、布団まみれの部屋の中で最も布団がもこもこになってるところに二人で寝るつもりで詰めたんだろうか?

 ……出会って一ヶ月の人間と二人で……?

 凛はできる限り言葉を選んだ。


「……私たちまだ出会って一ヶ月くらいだと思うんだけど」

「そうかもしれない」

「私の個人的な主観では、友達同士ってそんなに早く一緒に寝たりしないと思う」

「──……」


 頑張って言葉を紡いだ凛に対して、愛野はまじまじと顔を見ていたが、やがて大真面目に頷いた。


「そうか、では僕は凛くんの意思を尊重──したいところだができない!何故ならここは殺戮列車の中だよ!君が死んじゃったら僕はどう一人でやっていけばいいんだい!?君が一人でいるときに殺される可能性が充分にあるじゃないか、僕なら捜査能力を持った奴なんて速攻で殺るよ!」


 さっき、アイに影響を受けて──云々──と語りまくってしまったことが急になんか間違いに思えてきた。こんな甘えん坊でわがままで扱いづらいタイプの人間をちょっと内心美化しすぎたかも。

 凛は咳払いをして己の情緒を整えた。

 

「……天才ゲームプランナーなんでしょ、一人で窮地なんて切り抜けてきたんじゃないの……」

「いいや?そもそも白亜の塔が僕はゲームとしては最初だったし」

「…………」

「セイギくんがいないゲームを僕は体験したことがないんだから!君が死んじゃったら困るじゃないか!せっかく見つけたこれ以上にないパートナーを殺人鬼なんかに取らせないからね!僕、NTRとBSSはちょっと食べられなくて……」


 BSSってなに?と聞いてみると、『僕が先に好きだったのに』の略らしかった。


「僕が先に好きだったのに誰か他の奴にセイギくんのプレイヤー人生を取られるなんて許せないだろう?」

「私別に、アイにプレイヤー人生を捧げたつもりはないんだけど」

「ブラックジャックが出てきて君を狙ってるじゃないか!つまりあれはね、世間的に君は僕のもので、僕のパートナーだと思われているということさ!」

「ブラックジャックさんは──……私のことを盗ろうとか、そういうひとじゃ、ないと思うけど」


 ゆるゆると夜になっていくブースの外を見ながら、凛は小さく呟く。

 あの人は案外話がわかるし、頭もそれなりに柔らかくみえた。愛野魔法の理想、そして正義凛の理想を、完全に否定したりはしなかった。

 

 一方の愛野は梃子でも動かずどうしても今日はここで一緒に眠る気のようで、広めのブースの椅子の隅っこにちょっと寄って、凛を手招きする。

 隣に座る。座ったら思い切りくっつかれた。なに。


「……どうしたの」

「昼の間ずっとブラックジャックと一緒に行動していたじゃないか、夜くらい僕と一緒にいてくれてもいいんじゃないかい?」

「私が彼女と一緒に行動してるの、気にしてないって言ってたのに」

「皆の前で下手なところは見せられないからああ言っただけさ!内心は突然家にやってきたやつを噛みちぎるオコジョ」


 例えが怖い。

 それが彼女らしかった。

 ふふ、とちょっと笑うと、愛野は顔を顰める。


「……なんだい?」

「なんでもない」

「セイギくんは僕のパートナーなんだからね!誰にも殺させないよ!」


 そう言いながら愛野はフリルいっぱいついた布団の中に凛を招いた。

 それを二人を包むようにばさりと広げて、一緒にくるまる。窓の外を、走る列車を追いかけるように流れ星が流れていた。


 ぎゅっとおしくらまんじゅうのように寄り添った愛野は、どうやら護衛のつもりでそばにいてくれるらしい。

 今はこっちは世界全ての格闘術をインストールしているから最強の生き物だというのに。


 ふっと隣を見る。

 彼女は腕だけは思いっきりこっちにくっついたまま目を伏せていた。

 一瞬だけ垣間見えた静かな表情の人形のような雰囲気に凛は静かに息を止める。

 

 ピンク色の巻毛に、ピンクのお嬢様みたいなドレス。青い瞳、その目を伏せて考える様は、まるでお人形みたいだった。無表情、無機質、無感動。何者にも動じないように見える少女は、目を閉じて何事かを考え──いや。


「……え、寝てない?」


 さっきまであんな騒いでたのに。

 一瞬で寝たのだろうか。某青いロボットアニメの主人公もびっくりな寝落ち速度だ。

 それか遠足に行った後の子供だ。

 眠れない!眠れない!と騒ぎ散らしたあと一瞬で寝るタイプのやつ。


 凛は少し考えてから軽く相手をこづいてみる。

 愛野は目を閉じて、静かになっていた。

 そういえば運動神経が低下していると言っていたし、体力も落ちているのかもしれない、今の彼女は。疲れているのだろう。

 もし夜中に何か変なやつがきたら、自分がなんとかしよう。

 そう思いつつも、凛は重い愛野のトランクを扉の入り口へと押しやった。

 こうしておけば内開きの扉は中へは開かないだろう。とりあえず安心安全である。


 寄り添った愛野は、なんだか花の匂いがした。

 何の花だっただろう、この匂いは。


 相変わらず彼女は人形みたいに静かだ。眠っているようだ。

 そう思いながら眠る愛野にちょっと顔を寄せると、急に目がパチっと開いた。


「ああ、これはサクラローズの香りだよ………」

「………」


 ゆるっとちょっと眠そうな声が言った。凛くん?と首を傾けてこちらを見てくる。

 起きてたらしい。しかも考えていることを当てられた。

 顔をしっかり寄せてしまっていたので頬に一気に血が上ってくる。

 これじゃなんか、寝てる間になんか、こう──。


「……えへへ、いい匂いの配合だろう……?最近はVR内部でも香水文化が流行っているんだ、凛くんにもつけてあげよう」

「ちょ、ちょっと……」


 変な疑われ方を全くしなかった上に、めっちゃくちゃぐりぐりくっつかれた。

 彼女はARのウィンドウを呼び出し、軽く指先をウィンドウの中に漬けてから凛の手の甲をすっと撫でる。夜の時間は、比較的自分のデバイスが自由に使える。

 途端にふわりと甘い薔薇のような、サクラのような不思議な香りが広がる。いつもふわりとアイのそばに広がっている、不思議な匂い。


「……この香水、リアルでもつけてない?」

「つけている。VRの香りを最近はリアルにも持ち出すサービスがあるのさ。やっぱり天才ゲームプランナーたるものいつだって素敵な服と素敵な香りを身に纏っていないとね……」

「……ふうん」


 同じ女子高生でも、全然違うんだな、と凛は静かに思った。

 病気の家族がいて、家の資金繰りは常にぎりぎり。結構今は穏やかに暮らしてはいるものの、愛野と出会う数ヶ月前はすごかった。借金と学費で回らないクビ、バイトを掛け持ちする日々で勉強もおろそかにはできなくて──。

 ふっと過去の深淵に沈みそうになった凛を、愛野の声が引き上げた。


「そういえば凛くんはいつもとっても良い香りがするけど、どこの香水をつけているんだい?君と初めてリアルで会った時も、素敵な爽やかな香りがすると思ったものだよ……やはり白亜の騎士はこんなに可憐で可愛くて凛とした女の子だったんだと──」

「……え?」


 なにもつけてないけど、と続けると、愛野は眠気が少し覚めたようでぱちりと瞬いた。


「……きみ、いつも爽やかなりんごみたいな素敵な香りがするよね?」

「……。気のせいだと思うけど……」


 柔軟剤やら、石鹸やら、日々食べている果物の香りが混ざったのかもしれない、とぼんやり凛は思う。レトロな列車の中、寄り添った相手からは甘い桜と薔薇の香りがする。ペールピンクの香りだ。


「──ふうん……では、ただ僕がキミに好意を持っているから良い香りがするのかもね」


 ちょっとだけ照れて、はにかむように言った彼女は青い瞳をきらめかせて凛を見つめていた。


「そういうオカルトが世の中にはあるらしいよ、フェロモンがどうとか……いや、あれは異性限定だっけ……?」


 ぎゅうぎゅうとくっついてくる。

 柔らかい毛布に包まれる。

 あったかな甘い香りの空気に包まれたまま小さくつぶやかれて、凛は微かに息を止めて照れを隠した。なんだ、なんなんだこの状況。


「……ありがと」

「ふふん、僕は君を見込んでいるんだよ!今回のゲームもきっと──僕は死者を必ずゼロにしてみせるから、傍で見ていてくれたまえ!」


 瞳が鮮やかな青にきらめいている。

 窓の外では、列車の速度と競い合うように流れ星が落ちていき、月がゆっくりとレトロなその線路と並走している。

 凛はゆっくりと、眠気が来るのを感じていた。


「……うん、楽しみに、してる……」

 

 うとうとと、瞼が落ちる──。

 


 

 数時間が経った、あと。

 朝の光に包まれる中で。 

 ──遠くの方で、人のあげる最大限の悲鳴が聞こえた。


 二人ともが弾かれたように目を開いた。

 結局あのままうとうとと二人で寄り添って眠ってしまったのだ。

 ブースの中の時計は、──朝の九時だった。もうゲームは二日目に突入している。


「……なに……!?」

「見に行こう」


 音は、隣の車両からのようだ。

 隣の車両に移り、扉を勢いよく引きあけると──ブースが木っ端微塵になっていた。

 正確に言うと扉だけが木っ端微塵になっていたのだが。


 ルビイが。

 闇医者の女性が、へたりこむように破壊されたブースの前に座っていた。


 こちらを見ると、唇を震わせて何かを言おうとするが言葉は出てこない。

 勝気そうだった赤い瞳は大きく見開かれ、完全に動けなくなってしまっている。

 その美しい顔は顔面蒼白で完全に色を失っていた。


「……っ、し、」

「どうしたんですか、しっかりしてください」


 真っ先に彼女を気遣った凛に、ルビイの赤い瞳に一瞬正気が揺らぐ。

 彼女は放っておいて先にブースの中を確認しにいった愛野が鋭く息を呑む音がした。


「──凛くん、」

 

 愛野と凛は奥を覗き込む。


 ──虹色だった。


 鮮やかなまでに、毒々しいまでに、そこは虹色だった。

 木の人形が折り重なって倒れたその上。


 その上に。


「……し、んでる……」


 凛は陳腐な感想を溢した。

 死んでいる。

 死んでいる。


 まるでキャンバスに塗りたくった絵の具のように飛び散った鮮やかな色。

 その中で倒れ伏す、青年の姿。

 青いふわふわとした髪、ベレー帽、猫耳。

 

 どうしようもなく、キャッツブルーが、そこで死んでいた。


 たくさんのデッサン人形と共に、人間が倒れている。

 それは、凛が久々に見た、”他プレイヤーの死体”だった。

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