第21話

 美桜と話をしたほうがいい。そう理解していても行動に移す勇気はそう簡単に湧いてはこない。傷つくのが嫌だとか、そんな理由ではない。ただ美桜が困る様子を見たくない。悲しむ様子なんてもっと見たくないのだ。

 自分は美桜のことが好きで、美桜の親友でいたくて、友達でいたくて、美桜もそれを望んでくれている。

 彼女が望んでくれている今の関係を壊すなどできるわけがない。美桜と話してみたところでこの胸に溜まった気持ちがどうにかなるとも思えない。

 松池と別れて教室に戻り、ぼんやりそんなことを考えていると着替えを終えたクラスメイトたちが戻って来た。いつの間にかチャイムが鳴っていたようだ。


「もー、三奈ってば結局サボったじゃん。ずるいよ」


 教室に戻ってきた友人が「ほんとだよ。見学すらしないってさ」と笑いながら三奈の机に集まった。三奈は「そりゃそうでしょ」と笑う。


「見学なんてひたすら寒いだけじゃん」

「まあ、三奈って寒いのムリだもんね」

「どこ行ってたの?」


 後から来た美桜が言いながら三奈の隣に立った。三奈は笑みを貼り付かせたまま「保健室」と答えた。


「ふうん」


 素っ気ない返事をして彼女はそのまま席に戻ってしまった。いつもなら休憩が終わるまでこのままお喋りをするのに。


 ――わかってる。これは自分のせい。


 そうだ。これは三奈の態度から察した美桜の答え。それは三奈が望んでいたもの。それでも悲しくて苦しくなってしまう身勝手な気持ちに苛ついてしまう。


「……美桜」


 三奈は一度深呼吸をしてから美桜の席へと移動した。そして借りていたモバイルバッテリーを机に置く。


「ありがと、これ」

「もういいの?」

「うん。充電満タンになったから多分それ空になったと思うけど」

「そう」

「うん……」


 それきり会話が途絶える。美桜は何か言いたそうに三奈を見てきたが、スッと視線を窓の方へと向けてしまった。


「え、なに二人とも。どしたの、いきなり」

「何かあった?」


 三奈は笑いながら「いや、何も」と友人たちに答えながら自分の席に戻る。


「何もって感じには見えないんだけど」

「美桜、体育で疲れただけじゃん?」

「たしかにマラソンとかマジで疲れたよね」

「あんた歩いてたじゃん」

「自分もでしょ」


 そんな友人たちの声を聞きながら三奈は美桜に視線を向けた。彼女はこちらを見てはいない。ただぼんやりと窓の向こうを見つめている。無表情に。

 こんな彼女の顔を見たのはいつ以来だろう。まるであの人と出会う前の美桜に戻ったようにすら思える。


 ――そんな顔をさせたい訳じゃないのに。


 三奈は思いながら美桜から視線を逸らした。大丈夫だ。次はあの人の授業。授業が始まれば、きっと美桜は三奈のことなんて忘れてあの人のことを見るのだろう。いつもみたいに幸せそうな表情で。

 チャイムが鳴った。間もなくあの人が入ってくる。三奈は美桜へと視線を向ける。彼女は授業の準備をするでもなく、あの頃と同じようにぼんやりと窓の外を見続けていた。

 そんなギクシャクした雰囲気のまま迎えてしまった放課後。あれから美桜とはまともに話ができていない。昼食は一緒にとったが、彼女は友人たちの話に相づちを打つばかりで何も話さなかった。三奈もとてもお喋りをする気分にはなれず、無言でスマホをつついていた。

 そんな気まずい空気は二人の間だけではなく、どうやら周囲にまで伝わっていたらしい。二人の様子に呆れた友人たちに「辛気くさいからさっさと仲直りして」と言われてしまうほどだ。


「二人がそんなんじゃ、うちらも調子出ないからさ。マジでなんとかして」

「そうだよ。来週は修学旅行なんだから仲直りしてよ? 何があったのか知らないけどさ」


 友人たちはそう言うと三奈と美桜を残して帰ってしまった。

 教室にはまだバラバラとクラスメイトが残っている。当然のように金瀬もいる。彼女はこちらの様子が気になるのか、たまに視線を向けてくる。いや、彼女だけではない。クラスメイトの誰もがこちらをチラチラと気にしていた。まるで腫れ物を扱うかのような雰囲気に苛ついて三奈は思わず彼らを睨みつけた。


「――さっきから何なの? うざいんだけど」

「え、いや俺らは別に」

「なあ?」

「そうそう。二人がケンカなんて珍しいなぁと思っただけで」


 彼らは慌てた様子でそんなことを言うが、その表情は明らかに好奇心に満ちている。きっと金瀬もそうなのだろう。そう思ったが、彼女は三奈のことをただ心配そうに見つめていた。


 ――なに、その目。


 三奈は彼女のことも睨みつける。だが金瀬は視線を逸らさない。それどころかさらに心配そうな表情を浮かべていた。


「三奈」


 美桜に名前を呼ばれてハッと彼女に視線を戻すと彼女は帰り支度を終えて三奈と向き合っていた。


「一緒に帰る?」

「……帰る」

「ん。行こ」


 美桜は無表情に、だが優しい声で三奈を促す。教室を出る瞬間に金瀬を見ると、彼女はまだ三奈のことを見つめていた。

 廊下を美桜と並んで歩く。いつものように距離は近い。だが会話はない。ただ並んで歩いて昇降口へ向かい、そのまま靴に履き替えて校舎を出る。その間、三奈も美桜も一言も話さない。

 美桜とこんなに会話がないことは初めてだ。居心地が悪い。よくわからない罪悪感のようなものに首を絞められているような気すらしてくる。

 下校時間がずれたせいか、校門を出ると周りに生徒の姿はなかった。車の通りもない静かな通学路をゆっくりと歩く。離れないように。しかし互いの距離を保ったまま。

 三奈は横目で美桜を見る。するとちょうど美桜も同じように三奈のことを見ていた。彼女は薄く微笑むと「わたしのせいだよね」と呟くように言った。


「え、なにが」

「三奈が変なの」

「変って……」

「わたし、鈍いからさ。きっと三奈が傷つくこととかしてるんだよね」

「違う」

「違わないよ。だって三奈、最近ちゃんとわたしのこと見てくれない」


 言われて三奈は彼女を見た。美桜は悲しそうに微笑んでいた。三奈は笑みを浮かべると彼女から視線を逸らす。


「美桜は悪くないよ。全然」

「ウソだ」

「ウソじゃない」


 これはウソじゃない。美桜は悪くない。ただ三奈が上手く気持ちを整理できていないだけ。彼女を見ることができないのは辛くて嫌な気持ちが込み上げてくるから。


「悪いのはわたしだから美桜は気にしないでいいよ」

「無理だよ」


 彼女はそう言うと立ち止まった。三奈も足を止めて彼女を見る。美桜は泣き出しそうな表情で三奈のことを見つめている。そんな彼女に三奈は「なにその顔」と微笑んだ。


「なんで美桜がそんな顔してんの?」

「ねえ、どうしたらいい?」


 絞り出すような美桜の声に三奈は目を見開く。彼女は泣き出しそうな表情のまま「どうしたらいい? わたし」と繰り返した。


「どうしたらって……」

「わかってた。わたしのせいで三奈が笑えないんだって。わたしが三奈をずっと傷つけてるんだって、わかってた。でも、でもさ――」

「待って。待ってよ、美桜。どうしたの? 変だって」


 三奈は戸惑いながらも笑みを浮かべてみせる。


「ほら、わたしちゃんと笑ってんじゃん? 初詣のときも似たようなこと言ってたけどさ、わたしは全然平気だってば」

「ウソ」

「ウソじゃないって」

「泣いてるじゃん」

「泣いてる? わたしが? そんなわけ――」


 三奈は言いながら自分の頬に手をやる。すると指が冷たい水滴に触れた。空を見上げても雨や雪なんて降っていない。冷たいほどに澄んだ青が広がっている。


 ――じゃあ、これは。


 泣いている自覚なんてないのに勝手に出てくる涙を三奈は慌てて制服の袖で拭いた。


「いやいや、これは違うから。えーと、ほら、たぶんゴミが目に入ってさ――」

「三奈がずっと苦しんでるの、気づいてた」


 三奈は思わず手を止めた。彼女は三奈を見つめながら続ける。


「わたしが悪いんだってこともわかってた。わたしが三奈に死ぬまで友達でいてって、そんなこと言ったから……。三奈、優しいからずっと我慢してくれてたんだよね。きっともう、わたしと一緒になんていたくないのに」


 三奈は呆然と彼女の言葉を聞いていた。冬の空気が容赦なく三奈の身体から体温を奪っていく。美桜の言葉が優しく三奈の心に突き刺さっていく。


 ――違う。ぜんぜん違う。


「わたしは三奈のこと好きだよ。だからずっと友達でいてほしい。だけど三奈はきっと違うんだよね……。わたし、自分の気持ちばかり押しつけて最低だ」


 美桜が目に涙を浮かべながら微笑む。美桜はウソを言わない。だからこそ傷つきやすい。

 そうだ。わかっていたではないか。美桜は強い。だからこそ脆いのだ。変わってしまったけど傷つきやすいところは変わっていない。そんな美桜のことを守るのは自分だと、そう決めていたのに。

 三奈は彼女を見つめ、小さく首を横に振った。


「そうじゃない」

「でも――」

「違うって言ってんじゃん! わたしだって美桜と死ぬまで友達でいたいって思ってるから! 一生友達なんでしょ? わたしはそう言われて嬉しかった! すごく嬉しかった!」


 思わず三奈は声を荒げた。自分で吐いた言葉に胸が苦しくなって深く息を吐き出す。


「だから、これからもずっと美桜と一緒にいたいよ」


 ――美桜のことが好きだから。


 三奈は溢れそうな涙を懸命に堪えながら「ただ、やっぱりわたしはあの人のこと嫌いだからさ。美桜と一緒にいるのを見るのが嫌なだけで」

と思いついた言葉を必死に口に出していく。


「それが最近ちょっと溜まっちゃってイライラしてんの。ね? いつも通り全部わたしが悪いってだけ」

「でも三奈――」

「あー、もう! 気にすんなって言ってんの!」


 三奈は思わず美桜の頬を両手で挟んだ。美桜は驚いたのか目を見開いて動きを止める。


「わかった? 全部わたしが悪い。美桜は悪くない。わたしが変なんていつものことでしょ? 今さら気にするなんて美桜の方こそ変だから。あ、でも要求するなら一つだけ」


 美桜は頬を挟まれたまま視線で問いかけてくる。三奈は彼女に顔を近づけると「わたしのこと優しいなんて言わないで」と言った。そして彼女の頬から手を放す。

 美桜は頬をさすりながら「なんで?」と不安そうに三奈を見つめてくる。三奈は肩をすくめた。


「わたしが優しいのは美桜にだけだから。他の人にもそう思われたらウザいじゃん」

「でも三奈は――」

「はい終わり!」

「え……」

「この話は終わり! 明日からはいつも通り! いい?」

「え、あ、うん」

「じゃあ帰る! バイバイ!」


 三奈は勢いに任せ、美桜に背を向けて駆け出す。しかしその手を美桜が「ちょっと待って」と掴んだ。


「なに。まだ何かあるの?」


 振り向くこともできず、地面に視線を向けながら三奈は言葉を絞り出す。


「――友達でいてくれるの? こんなわたしと」

「なにそれ」

「わたし、自分に都合の良いことばかり言ってるってわかってるよ」

「へえ。悪い女だね。美桜は」

「三奈が三奈らしくないのは、わたしのせい」

「いや、だからなにそれ。わたしはわたしだよ」

「それでも友達でいてくれるの……? こんなわたしと」


 掴まれた手は軽く振り解くことができるほど弱々しい。その不安そうな手は、あの日掴んだ手と同じようにひんやりとしていて冷たい。三奈は地面に視線を向けたまま微笑む。


「そんな美桜だから、だよ」


 今の美桜なら友達なんてすぐにできるだろう。親友と呼べる相手だってきっとすぐにできる。三奈よりも良い奴なんてその辺にたくさんいる。それでも三奈と一緒にいたいと言ってくれる。死ぬまで友達でいたいと嘘のない言葉で三奈をつなぎ止めようとしてくれる。その言葉が残酷だと理解していても求めてくれる。


 ――そんな美桜を守れるのはわたしだけだから。


 そっと美桜の手が離れた。三奈は俯いたまま「バイバイ」と声を絞り出すと俯いたまま駆け出した。

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