第17話

 翌日、正式な修学旅行のしおりが配られた。そこに書かれてあったスキー班の名前に友人たちは予想通り不満そうな様子だったが、三奈が名前だけ入れたのだと説明するとすぐに納得してくれたようだった。


「一緒に行動とか言われたらマジでムリだったけど、まあ最初の講習だけならね」

「それくらいは許すよ。うちら優しいし」

「はいはい。ありがとうありがとう」


 昼休憩、三奈は頬杖を突きながらヒラヒラと手を振った。昼食を食べ終えて机にはお菓子と修学旅行のしおりが並べられている。


「でも三奈、よく入れたよね。普段の三奈ならあんな子グループに入れないでしょ」

「頼まれたからねー」

「頼まれたから入れてあげるなんて三奈らしくないって」

「どうせ頼んだのって美桜なんじゃん?」

「あー、なる」

「で、美桜はきっと明宮に頼まれたんじゃん?」

「あー。ぽいぽい」

「勝手に決めないでくれる? まあ、そうなんだけど」


 美桜が苦笑しながら言う。友人たちは勝手に予想が当たったと盛り上がってから自由時間にどこへ行こうかと話し始めた。美桜に視線を向けると彼女もこの話題に乗り気のようだ。


 ――結局どうすんだろ。


 あれから自由時間にどう行動するのか美桜と話していない。美桜は明宮と話しているのだろうか。示し合わせてどこかで隠れて会ったりするのだろうか。もしもう決めているのなら話してくれてもいいのに。

 三奈は深くため息を吐くと身体を倒して机に額をつけた。


「え、三奈。どした?」

「食べ過ぎ?」

「うざ」

「いや、それはひどい。普通に心配してんのに」


 友人は笑いながら言っているが、その口調からおそらく少し苛立っている。それくらいはわかるのだが、その気持ちを宥めてやろうという気にはなれない。


「なんか三奈、最近ノリ悪いよね」

「あんたたちはわたしの何を見てきたの。わたしはいつだってノリ悪いし感じ悪いでしょ」

「いや、んー? まあ、そう言われるとそうか」

「でも前より感じ悪いよ」


 三奈は「あー、はいはい」と顔を上げると「空気悪くしてごめんなさい」と謝った。


「まったく気持ち入ってないでしょ」

「おー、よく分かってんじゃん。正解」


 三奈は軽く笑うと席を立った。


「三奈。どこ行くの」


 黙って三奈のことを見つめていた美桜が静かに口を開く。


「保健室」

「わたしも一緒に」

「いい」

「でも――」

「眠いだけだから」


 三奈は美桜の顔を見ないようにして教室を出た。背後から追いかけてくる気配はない。


 ――ま、そりゃそうか。


 きっと美桜にしてみれば訳がわからないだろう。あるいはいつもの三奈の気まぐれとでも思ってくれているだろうか。

 三奈は歩きながらため息を吐くと階段の前で立ち止まる。そして上階を見上げた。

 この階段の先には屋上へと続くドアがある。その僅かな踊り場のようなスペースには、もうしばらく行っていない。

 すこし悩んだが、三奈は小さく首を振って階段を降りた。

 あの場所にはもう行くことはないだろう。行くと思い出してしまうから。触れた手の温もりを。その手に触れたときの自分の気持ちを。そして、今の彼女が見せることのない表情を。

 昼休憩に保健室が開いているのか疑問だったが、扉に外出中の札は下がっていなかった。扉を開けてみると中には養護教諭の木坂が席に座ってパソコンと向き合っていた。彼女は扉の音に気づいたのか振り返って三奈を見ると「あら」と首を傾げた。


「部屋に入るときは声をかけるくらいはしてほしいのだけど」

「あー、すみません」


 適当に三奈が謝ると彼女は苦笑した。そして「どうしたの?」と立ち上がった。


「保健室の先生も事務仕事するんですね」


 室内に入りながらぼんやりと彼女が作業していたパソコンを見て言う。すると彼女は笑いながら「そりゃね」と頷いた。


「養護教諭も教師ですからね」

「ふうん」

「それで? 今日はどうしたの? ずいぶん久しぶりな気がするけど、高知さんがここに来るのは」


 そういえば一年の頃にはたまに仮病をつかって保健室で休むことをしていたが、最近はまったく来なくなっていた。


「てっきり高知さんはしっかり更生したのだと安心していたのに」

「ちょっと。まるで最初からわたしがサボりに来てるみたいな言い方やめてくれる?」

「以前はそうだったよね?」

「……ダルい」

「みたいね」

「は?」


 予想外の言葉に三奈は眉を寄せる。木坂は三奈の顔を見つめると「しんどそうな顔してる」と言った。


「ウザい」

「はいはい。休んでいくんでしょ?」

「そうだけど」

「これに名前書いてね」


 言われるがまま手渡されたファイルにクラスと名前を記入して三奈はベッドに腰掛ける。


「ご飯は食べた?」

「食べた」

「そう。じゃ五限が終わったら起こしてあげるから」


 そう言いながらファイルを棚に戻す木坂を三奈は見つめた。それに気づいたのか彼女は「なに?」と不思議そうな表情を浮かべる。


「前から思ってたんだけど先生さ、仮病の生徒がいても普通にサボらせるよね」

「誰でもじゃないけど」

「いや、わたしは教室に戻れって言われた事ない気がする」

「一年の頃はたまに言ってたでしょ」

「そうだっけ?」

「そうよ。それに今のあなたはあの頃とは違うみたいだし」

「なにが」

「顔つき」

「は?」

「ここは体調を崩した人が休む場所だけど、それだけじゃないってこと」

「……意味わかんない」

「はいはい。先生は仕事するからしばらく寝なさい」


 言って木坂はベッドのカーテンを閉めてしまった。三奈は小さく息を吐くとベッドに横になる。

 室内は静かだ。たまに聞こえてくるのは木坂がキーを叩く音。しかしそれが少し心地良く感じる。不快なのは廊下を通り抜けていく足音だが、それもきっとチャイムが鳴れば静かになるだろう。


 ――落ち着く。


 天井を見ながら思う。

 誰もいない空間がこんなに落ち着くなんて思ったことは今までなかった。静かな空間が心地良いなんて思ったこともなかった。グチャグチャしていた気持ちが少し落ち着いてきた気がする。

 そのときポケットに入れていたスマホが短く震えた。取り出して見ると、そこには美桜からのメッセージ。


『何かあったの? 大丈夫?』


 三奈は思わず息を吐いて笑ってしまう。あんなに態度が悪かったのに彼女は相変わらず三奈のことを心配してくれる。美桜だけが三奈のことを見てくれる。


 ――三奈の表情の変化に気づかないほど美桜は鈍感じゃないって話。


 ふいに柚原の言葉が耳に蘇ってきた。三奈はスマホを握ったまま両腕で顔を覆う。


 ――だからどうしろっての。


 答えが欲しいのに誰もそれを教えてくれない。誰に聞くこともできない。この気持ちを誰が理解してくれるだろう。誰が……。

 考えているうち自然と涙が滲んでくる。


「……っ」


 声が出そうになり、三奈はグッと唇を噛みしめてこぼれ落ちた涙を乱暴に拭った。そしてスマホの電源を切って布団に潜り込む。その音が聞こえたのか、木坂のキーを打つ音が止まる。しかし、すぐにまたカタカタと聞こえ始めた。


 ――もうムリかも。


 真っ暗な布団の中、三奈の中で何かがプツンと音を立てたような、そんな気がした。


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