第三章 想いの在り方

第16話

 翌週からはいつもと変わらない日常が戻っていた。三奈は美桜と一緒に行動したし、金瀬は教室で一人でいる。金瀬とは帰りにバス停で会うこともなければ休日に街中でバッタリ会うようなこともなかった。まったく関わりのない、いつもの日常だ。

 あえて三奈から声をかけるような用事もないし、きっと金瀬もそうだったのだろう。静かに学校生活を送っていた。

 そして二月に入り、いよいよ来週は修学旅行という頃の放課後。

 修学旅行に向けて買い物へ行くという友人たちを冷めた気持ちで見送った三奈は帰り支度を終えた状態で席に座っていた。

 教室にいるのは三奈と数人のクラスメイト、それと金瀬だけだ。今日は珍しく美桜が一緒に帰ろうと誘ってくれたのだが、彼女は日直。職員室へ日誌を出してくると行ったきり戻ってこない。


 ――話し込んでるのかな。美桜から誘ったくせに。


 思いながら三奈はコートのポケットに手を入れて椅子の背にズルズルともたれる。そのとき金瀬と目が合った。しかしその瞬間、彼女はふいと視線を逸らして再び前を向いていた。


 ――いつも放課後に何してんだろ。


 ぼんやりと思う。たまに三奈がこうして残っているとき、金瀬も席に座っている姿をよく見るのだ。何をするでもなく、ただスマホを見たり本を読んだりしながら。そしてさっきのようにたまに目が合ったりする。

 席の位置的に考えて彼女が振り返らない限り目が合うわけもない。それなのに目が合った瞬間、いつも彼女は逸らすのだ。さっきのように。


 ――構ってほしいのか、避けてるつもりなのか。


 どちらにしても三奈から話しかける理由はないだろう。そんなことを考えていると美桜が教室に戻ってきた。


「やっと戻ってきた。遅いよ、美桜」

「ごめん。ちょっと話が長くなっちゃって」


 三奈の席の前に立ちながら彼女は後ろへ視線を向ける。すると少し遅れて明宮が現れた。それを見て思わず三奈は眉を寄せる。


「なに。まさかここで話の続きやろうっていうの?」

「まあ、うん。そう」

「あっそ。だったらわたしは帰る」

「待ってよ。三奈にも関係する話だから」

「は?」


 三奈は明宮に視線を向ける。すると彼女は曖昧に笑って「修学旅行の話なんだけどね」と口を開いた。


「スキーの班決めがあったでしょ?」

「……あったっけ?」


 まったく覚えがなかったので三奈は首を傾げて美桜を見た。彼女は「あったでしょ」と呆れたように眉を寄せる。


「先週、修学旅行の細かい行程説明のあとにスキーの班決め」


 しかし三奈には心当たりがない。美桜は深くため息を吐いて「三奈。あのとき何かスマホばっか見てたから覚えてないんでしょ」と言った。


「……あー、もしかして限定のコスメの販売開始を待ってたとき?」

「知らないけど多分そう」

「高知さん、授業中にスマホを触るのはやめましょうね」


 それはその通りなので三奈は肩を竦めて「で? 班決めが何?」と先を促す。


「うん。実はその班の中に金瀬さんの名前がなくて」

「は? なにそれ。今気づいたの?」


 明宮は申し訳なさそうな顔で頷いた。


「それでわたしたちの班に金瀬さんを入れてほしいって。もちろん、金瀬さんと三奈たちが良ければなんだけど」


 美桜が言いながら金瀬に視線を向ける。いつの間にか金瀬はこちらへ身体を向けて話を聞いていたようだ。彼女は無言のまま美桜から三奈へと視線を移す。

 三奈はそんな彼女を見つめながら「わたしたちの意見次第ってことは美桜はいいんだ?」と聞いた。


「もちろん」

「ふうん……。あんたは?」


 金瀬が何も言わないので聞くと彼女は「わたしは――」と少し俯いた。


「ごめんね、金瀬さん。先生がもっと早く気づいていれば良かったのだけど」

「……いえ。班決めのとき、わたしがどこにも参加するつもりがなかったから」

「わざとだったんだ?」


 三奈が言うと金瀬は小さく頷いた。


「一人がいいの?」


 もう一度彼女は頷いた。


「じゃあ一人でいいんじゃない?」

「ちょっと、三奈」

「本人がそれでいいって言ってんだからさ」

「でもそれじゃ――」

「名前だけうちの班にいれとけばいいじゃん。それならあいつらだって別に何も言わないでしょ」

「え……?」


 金瀬と美桜が同時に声を上げた。三奈はため息を吐く。


「いくらわたしや美桜がいいって言ってもあいつら絶対にこの子をうちの班に入れると文句言うって。ノリも合わないしさ。一緒にスキーとか無理だって。でも名前だけ班に入れるっていうのなら別に文句言わないんじゃない?」

「それはそうかもしれないけど、でもそれじゃ金瀬さん一人になるじゃん」

「どうせ班でスキーっていうのも建前でしょ?」


 三奈は明宮に視線を向ける。


「別にスキー教室に参加するわけでもないし、最初の基礎講習終わったらあとは自由じゃん。仲良い子で班作っておけばだいたいみんな一緒に行動するだろうから見つけやすいってことでしょ?」

「さすが高知さん」


 明宮は笑いながら頷いた。そういうことを否定しないあたり、彼女の感覚はきっと生徒と近いのだろう。そのせいもあるのだろうか。最近の明宮が生徒から人気があるのは。

 三奈はため息を吐いて金瀬に視線を戻した。


「だから最初の講習だけ我慢できるっていうならうちの班に入ってもいいよ」


 金瀬は驚いたように目を丸くしてから美桜に視線を向ける。


「……あの、本当に?」

「三奈がいいって言うならいいよ。うちの班のリーダー、三奈だし」

「いや、なんでわたしがリーダーよ」

「そう決めたから。ね、先生?」


 美桜の声に明宮は頷いた。


「届けにはそう出てます」

「わたし知らないんだけど」

「一応聞いたのに上の空だった三奈が悪い」


 三奈はため息を吐くと「で?」と金瀬を見た。


「どうすんの」


 彼女はチラリと明宮の方へ視線を向けると「――お願いします」と小さな声で答えた。


「はい。じゃあ、スキー班は高知さんの班に名前を入れておくね」


 明宮は安堵したような笑顔で言いながら三奈を見てくる。何かを期待した目で。三奈は眉を寄せてそんな彼女を睨んだ。


「言っとくけど面倒は見ないから」

「ちょっと三奈」

「名前を入れてあげるだけ。それだけだから変な期待しないでよね」


 明宮から金瀬に視線を向けながら言うと、金瀬は特に動揺した様子もなく「わかってます」と頷いた。そして「それじゃ、わたしは失礼します」と席を立って出て行ってしまった。


「三奈」


 美桜が怒ったように見てくる。三奈はため息を吐いて「変に期待させちゃ可哀想でしょ」と肩をすくめた。


「それにしても言い方とかあるでしょ」

「じゃあ美桜なら何て言う?」

「わたしなら――」


 言いかけて美桜は眉を寄せて首を傾げてしまった。こういうところは美桜らしい。三奈は苦笑して「これで満足?」と明宮に言った。


「まあ、とりあえずは安心かな」

「美桜がいるからね」


 しかし明宮はそれには頷かず、ただ微笑んでから「それじゃ、先生は仕事に戻ります」と教室を振り返った。


「みんなも用事がないなら早く帰ってね。寒いから修学旅行前に風邪引かないように気をつけて」


 残っていた生徒たちがバラバラと返事をするが帰る様子はない。それでも明宮は満足したように頷くと「御影さんと高知さんも寄り道せずにね」と手を振って教室を出て行った。


「なにあれ。うざ」

「三奈」

「美桜もだよ」


 三奈が言うと彼女は驚いたように目を丸くした。


「金瀬が教室に残ってるの知ってたでしょ。だからわざわざあの人を教室に連れて来て目の前で話したんだ」

「バレたか」

「そうしたらわたしが断らないとでも思った?」

「断らなかったじゃん」


 美桜は微笑む。


「断っても良かった」

「でもしなかった」


 彼女はそう言うと三奈の頭をそっと撫でた。


「三奈は優しいから」


 ――またそれ。


 彼女は分かっているのだろうか。他の誰に言われるよりも美桜にそれを言われることがどんなに辛いことか。

 美桜は三奈が自分にしてくれたことを金瀬にもしてくれると期待している。三奈が誰にでもああいうことをする人間だと勘違いしている。

 三奈が優しいふりをしているのは美桜に嫌われたくないだけだったのに。

 今も、きっとこれからもそれは変わらないのに。


「……帰る」


 三奈は美桜の手を軽く振り払って立ち上がるとマフラーを雑に巻いて教室を出た。


「ちょっと三奈、待ってよ。一緒に帰るんでしょ」

「いい。一人で帰る」

「怒らないでよ。三奈」


 そう言いながら美桜が廊下を走って追いかけてくる。その気配を感じて三奈は無意識に歩くスピードを緩めていた。追いついてきた美桜は「帰りに何か奢るから」と微笑みかけてくる。


 ――どうしたら。


 三奈は彼女から視線を逸らしながら思う。

 どうしたら彼女の中にある『優しい三奈』を壊すことができるだろう。

 どうしたら彼女は三奈に期待することをやめてくれるだろう。

 どうしたら『三奈は優しい』なんて残酷なことを言わないようになってくれるだろう。

 どうしたら――。

 込み上げてくるやり場のない想いに三奈はコートのポケットに入れた手を握りしめる。


「――三奈?」

「前に言ってたカフェの期間限定メニュー。今週で終わるやつ。それ奢ってくれたら許す」

「あそこか……」

「今日くらい遠回りして帰って」


 三奈が低い声で言うと美桜は「わかった」と頷いた。そして何事もなかったかのように歩き出す。いつものように。

 隣を歩く彼女との距離が近くてたまに彼女の腕がコートの袖に触れる。彼女の香りが鼻をかすめる。それだけで嬉しい気持ちになってしまう自分が嫌だ。

 こんなに近いのに彼女に触れられない自分が惨めで嫌だ。


 ――親友って、なんだっけ。


 きっと一緒にいてこんな気持ちになるのは親友なんかじゃない。


「三奈、歩くの遅い」

「……美桜が早いだけでしょ」


 ポケットの中で手を握りしめたまま、三奈は床を見つめて歩き続けた。

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