マジンノハナシ

谷橋 ウナギ

マジンノハナシ



 玉座は権威を示すためにある。だが、その持ち主である人間は、床の上に倒れて死んでいた。

 護衛の騎士達も全て同じだ。彼等は皆殺し合いに敗れた。戦いの痕跡が玉座の間の、床や壁に深く刻まれている。


 その地獄のような光景の中──青年が悠々と歩いていた。謁見者が通る絨毯の道。その中央を怯むこともなく。倒れた鎧の騎士すら避けずに、むしろわざと遺体を踏みつけて。

 いや。遺体だと思っていたが、騎士にはほんの少し息が有った。


「お? 生きてたか。運の良い奴だ」


 踏みつけたことで青年は気づき、騎士を拾い、玉座の前に投げる。

 そして自らも玉座へと歩き、腰掛けて騎士を足で踏みつけた。


「絨毯三号、お前の名前だ。お前には我が足をその身に受け、痛みにもだえる栄誉を与える」


 青年はまるで王気取りだった。

 ただし本物は既に死んでいる。青年を咎める者など居ない。


「ふむ。ただ呆けるのもつまらんな。折角だ。小話を聞かせてやる」


 よって青年は自らの意思で、絨毯に向けて話を始めた。



 石のブロックで造られた通路。狭く明かりの一つすらもない。野放図に這いだした根や蔦が、この場所の特性を伝えて居る。

 しかし今この通路をただ一人、青年がゆっくりと進んでいた。魔法の光を直ぐ側に浮かべ、一歩一歩恐怖を払うように。


 すると青年の前に古ぼけた、金属製の扉が現れる。扉は見るからに頑丈そうだ。その上取っ手や鍵穴すらない。しかし青年は戸惑うことなく、金属の小さな板を取り出す。そして壁のブロックを一つだけ、当然であるように取り外した。


 ブロックの奥には金属の壁。そして中央に細い長いくぼみ。青年が板をくぼみへと刺すと、仕掛けが動く音が鳴り響く。歯車が回転しきしむ音。金属が刺さり、又は抜ける音。


 暫くして扉は右側に、スライドして壁の中へと消えた。いや、扉は一つだけではない。複数の扉達が開いてゆく。


 そして青年はまた歩き出した。扉が護っていたその先へと。

 通路の奥からは怖気を振るう、気配が風に乗り漂ってくる。それでも青年は足を止めない。目的地へと辿り着くまでは。


「ここが……?」


 暫くして現れた、空間に青年は息を吐いた。

 急に開けた広大な空間。闇の気配がもっとも強い場所。精緻せいちな魔法陣が彫り込まれた、床が青年の足を受け止める。青年が目指していた場所であり、この施設の所謂いわゆる終着点。


 青年が数歩中へと進むと、魔法の明かりが勝手に別れた。それらは設置された複数の、燭台に吸い込まれ部屋を照らす。この空間を造り出した理由。それを青年の目にさらすために。


「魔神ガウの封印。一族に……伝わる伝承は真実だった」


 空間の中央に在る台座。そこにはめ込まれた青い宝石。まだ封印は解かれていなくとも、既に瘴気が流れ出している。

 もし封印を解けばこの世界に大きな災厄を呼ぶことになる。青年はそれを知っていた。知った上でこの場所にやって来た。



 青年には大切な者がいる。彼と血の繋がった妹だ。妹の名はユリィ。聡明で、快活で、そして優秀でもある。

 辺境で封印を守りながら一生を終える定めの一族。しかし二人の子供が居るのなら、どちらかが定めを受け継げば良い。兄は喜んで定めを受け入れ、妹を外界に送り出した。

 彼女は大きな街で学問を、学びながら青春を謳歌する。兄である青年も望んでいた。いや、青年こそが望んでいた。


 しかし時に願いは叶わない。それは一年が経った頃だった。青年の元に知らせが届いた。妹が、病に冒されたと。

 医者が診ても原因は分からない。ユリィは死に向かって進んでいる。だが兄には彼女を救うことも、彼女の手を握ることも出来ない。


 だが手段はあった。だった一つ。封印された者を利用する。

 この地に封じられた魔神ガウは人知を超えた力を持っていた。闇を操る邪なる魔神。恐怖と破壊を司りし者。その魂は滅すこと叶わず、今も地底で眠りについている。



 青年は短刀を取り出すと、自らの腕を少し切りつけた。すると血液が流れ落ち、宝石を伝い台座を滴る。

 そして血液は床に辿り着き、魔法陣の溝を満たしていった。明らかに出血量より多い、どろりとした真紅の液体が。


「戦士グラズノの血脈をもって、第一の封印を解放する」


 そこで青年が唱えると、魔法陣が怪しく輝いた。その直後、台座が砕け散り、残された宝石が浮かんで行く。

 闇の魔力がにじみ出す宝石。やがて闇はぼんやり形をなす。それはまだ不鮮明である物の、どこか人の顔の形のようだ。


『私を解き放ったのはお前か?』


 その闇が青年に語りかける。

 低く反響しているような声。不安を煽るような男の声。


 しかし、青年は怯まなかった。


「そうだ。だが完全とは言えない。今なら再封印を施せる」

『なるほど。グラズノの血脈か。私を封じた者達の子孫』


 一方闇は青年の言葉で、笑顔になったように見受けられた。

 不気味で、不愉快な闇の魔神。青年は慎重に話しかける。


「僕がお前を目覚めさせたのは、僕の願いを叶えさせるためだ」

『面白い。欲するは権力か? 富か? それとも破壊の力か?』

「逆だ。お前には癒やしてほしい。僕の妹の抱える病を」


 青年は闇に飲まれないように、必死に闇を睨み付けていた。汗は噴き出し、足は震えぬよう全力で地面を踏みしめている。


 だが逃げ出すわけには行かないのだ。

 かつて勇者と共に戦った、祖先グラズノは勇猛であった。勇者の盾と呼ばれていた彼は背を向けることを恥としたという。

 その血が青年にも流れている。故に背を向けることなどはしない。


「お前に、妹が治せるか?」

『妹の名前は?』

「ユリィ・セラノス」

『ふむ。そのユリィは治せるだろう。私の封印を解きさえすれば』


 闇の言葉は常に甘美である。

 故に警戒を怠りはしない。


「証拠は?」

『貴様の腕の傷。無償で修復しておいた』


 闇に言われ青年が腕を見る。

 すると確かに傷は消えていた。


「しかし妹の病を治せる……」

『証拠にはならない? その通りだ』


 闇にしては殊勝な事を言う。無論その言葉には続きがある。


『だが貴様は私にすがりついた。故に貴様は我と契約する』

「契約?」

『魔法による契約だ。我々すら背くことは出来ない。対価は重いが、優しいだろう? 神々は約束を守らない』


 闇は歪んだ笑顔になっていた。

 彼の言うとおり選択肢はない。有ればこんな所には来ていない。


「わかった。それならば契約する」

『貴様が私の封印を解けば、私は貴様の妹を癒やす』

「それと……妹を傷付けるな。妹が救われねば意味はない」

『良いだろう。貴様の妹を、ユリィ・セラノスを傷付けはしない』


 契約は妥協の産物である。それでも契約は締結される。


『条件はこれで良いか?』

「構わない」

『では契約の魔法を使用する』


 闇が言うと光が蔦となり、青年の首へと──巻き付いた。

 だが不思議と苦しさは感じない。首に黒い痣が残っただけだ。


『契約は結ばれた。では履行だ。私はこれで自由を取り戻す』

「僕は妹を救う」

『それで良い』


 封印から逃れた魔神ガウは恐ろしい厄災となるだろう。死と苦しみが世界に蔓延し、破滅の道を歩むことになる。


「第二の封印を、解放する」


 それでも青年は怯まなかった。

 青年が両の手を差し出すと、宝石がその上へと降りてくる。その宝石に魔力を流し込み、呪文を唱えて──封印を解く。


「この地に封じられし者は魔神。命を冒涜し踏みにじる者。かの封印を解かんとする者よ、自らの愚かさを噛みしめよ」


 呪文を考えた者を思って、青年は少しだけ苦笑した。

 しかし直ぐに表情を立て直し、呪文の詠唱を、完了する。


「魔神をこの土地より解放する。魔神をこの時より、解放する。かの魔神の名はガウ。魔神ガウ。その復活を遍く知らしめよ」


 言い終わり青年は息を吐いた。

 その直後宝石が砕け散り、封印された闇が噴出する。闇は青年の口を開け広げ、嵐となって内部に入り込む。

 青年は苦痛で絶叫したが闇の流入が止まることはない。


 唯一青年に許されたのは大切な人を思うことだけだ。その思いすら闇に塗りつぶされ、漆黒の安寧に溶けていった。


 残されたのは青年だった者。そして今は青年ではない者。


「ふう。まあ、悪くない気分だ。この体もそこそこ気に入った」


 青年は伸びを一つして言った。

 そして崩れはじめた地下施設を悠々とした様子で立ち去った。



 玉座に座っている青年は、兵士を踵でキツく踏みつけた。


「どうだ? 暇つぶしにはなっただろ? まあまあ楽しいし、教訓もある」


 青年は地下施設を出た足で、彼の妹の体を治した。

 そしてそのまま近くの王城へ。力で玉座を奪い取ったのだ。


 彼を阻もうとした兵士達は、彼や彼の分身に殺された。青年の足の下に居る者は、今や数の少ない生き残りだ。

 故に青年は彼を殺さずに、まだ暫しの暇つぶしを続ける。


「この青年は俺を恐れたが、妹のために勇気を奮った。しかしこうは考えられないか? 妹の死に向き合えなかったと」


 青年は一度足を組み替えた。


「大切な物を失う恐怖を、克服せずヤツは俺にすがった。勇猛なる愚者とは素晴らしい! まさしく俺の体にピッタリだ」


 ここで青年は唯一の友を、転がる兵士を無造作に蹴った。

 兵士は吹き飛び転がって死亡。青年は気にせずに立ち上がる。その行動には理由が有った。暇つぶしに飽きたという以外に。


 玉座の間にあるステンドグラスを、突き破りながら現れた少女。青年の妹であるユリィだ。彼女は諸刃の剣を持っていた。なんのためかは聞き出すまでもない。


 直線的に飛んでくる妹。青年へと振り下ろされる剣。しかし剣は見えない障壁に、弾かれて妹も後退する。


 しかし彼女は怯んでいなかった。


「お兄ちゃんを返して!」

「妹よ。行動が矛盾してはいないかな?」


 青年は両手を拡げ、答えた。


「これは君の兄が望んだことだ。私はその願いを成就させた」


 恐ろしい程の──歪んだ笑顔で。


「確かに、君の病は漏れ出した私の力が引き起こしていた。しかしそれを教える理由は無い。彼が君の命を救ったんだ」


 青年は心底楽しんでいた。それこそが彼の存在理由だ。


「悪魔……」

「まあ同類ではあるがね。魔神の方が少しは品がある」


 青年は両腕を開いたまま妹のユリィへと歩み寄る。


「さて。ここで一つの朗報だ。私は君を傷付けられないが、傷付けなくとも無効化は出来る。石の中でゆっくりと眠るんだ。なに思っているほど悪くないさ」


 青年が妹に辿り着けば、彼女は封じられてしまうだろう。

 しかしユリィは剣を構えたまま、青年を斬り付ける気配はない。彼女の目は涙を湛えている。兄を斬り殺す覚悟などは無い。


 しかし──ここで変化が生じた。ユリィではなく、青年の方に。


「ユリィ。斬れ。お前なら出来る」


 青年は一度足を止め言った。

 これは無論魔神の意思ではない。この体の元々の持ち主だ。


「意識の残りカスか。面白い。腐っても血統と言う事だな」


 だが魔神の言うとおり残りカス。間も無く完全に消え去るだろう。

 ユリィもそれを解っていたらしい。剣が青年の胸を貫く。


「本当に……面白い」


 青年の肉体が駄目になれば、魔神は闇となって抜け出すのみ。

 だがユリィもまた青年と同じ、封印を守り続ける一族。彼女の所持して居た宝石に、闇の全ては吸い込まれていった。


 残ったのは死にかけの青年と、彼の返り血を浴びた妹と。


「お兄ちゃん……! お兄ちゃん!」


 妹は青年に呼び掛けるが、青年は小さく微笑むだけだ。

 彼は結末に満足していた。故に無言で息を引き取った。



 とある大統領の執務室。革張りの椅子にふんぞり返って、ひげ面の男は笑顔で言った。


「実に素晴らしい、最高のオチだ。妹の死に向き合えない男、妹に自らの死を与える」


 ひげ面の男は魔神であって、肉体すら大統領ではない。

 この部屋の主人は壁に逆さで、貼り付けられ血を垂れ流している。


「それに比べて今日は退屈だ。絵画七号。何か芸をしろ」


 魔神が足と手を同時に組んで、大統領に向けて言い放つ。

 しかし大統領は磔だ。魔神に答えることすら出来ない。


 魔神は仕方なく溜息を吐き、ナイフを大統領に投げつけた。


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マジンノハナシ 谷橋 ウナギ @FuusenKurage

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