ライバル
夢魔満那子
ライバル
◻︎◻︎◻︎
「……カウントはツーストライク、スリーボール。ここで抑えればWBC優勝。ピッチャー柿谷、運命の一投——」
高校時代に通っていた地元のラーメン屋。
ビールを呑みながら注文した料理を待っていると、カウンター近くのテレビから興奮した実況が流れてきた。
「外角スライダー。空振りぃいいいい! 柿谷決めたあああああ。世界一だああああああ!!」
画面の方を見やると、チームメンバーに囲まれた投手の姿が大きく映っていた。その表情は晴れやかで、心底嬉しかったようだ。
それからテレビは、スタジオへと移った。どうやら、ニュース番組のハイライトだったらしい。
「はい。レバニラ定食大盛と餃子ね。……WBC見た? お父さんと見てたけど、おばちゃん興奮しちゃったわ」
タイミング良く、ラーメン屋のおばさんが注文していた料理を運んできた。
俺は皿を受け取りながら、おばさんの会話に相槌を打つ。
「ええ。見てましたよ」
「あの柿谷君がまさか試合を決めるなんてねぇ……ホント、ウチに通ってた頃から凄かったけど、感動しちゃったわ。荒田君も驚いたでしょ?」
「……いいや、予感はしてましたよ。『アイツなら世界を取る』って」
おばさんは意外そうな顔で俺を見ていたが、少ししてから「ああ、でも、『双璧』と呼ばれた荒田君なら分かるのか」と納得したようだった。
満足したのか、おばさんは厨房の方へと帰って行った。
「はは——双璧、ね」
俺は苦笑いしながら箸をレバニラ炒めへと伸ばした。
「うまっ」
あの頃と変わらない味のレバニラを食べつつ、俺はアイツと出会うまでの事を思い出していた。
***
俺は地元の高校へ入学した。
当時の生徒数は323人。偏差値45の何の変哲も無い普通の公立高校。
特に深く考えず、家から近かったのと野球部があったという単純な理由で選んだ。
「俺の夢は甲子園へ行くことです」
野球部へ入部した際に、そんな事を言ったのを覚えている。
「甲子園には出てみたい」と少なからず思ってはいた。そこに嘘はない。
だって、野球をやっていた少年なら一度は胸の内に思う事だろう?
でも、そこまで高校時代の全てをかけて臨もうと思ってもいなかった。
俺は野球がやれるんならそれで良かった。
……しかし、軽い気持ちで言った事が、早速実現しかかると思っていなかった。
一年の夏。野球部は甲子園出場まであと一歩という所まで進んで敗退した。
条件が揃っていたのだ。
第一に、前年に県予選ベスト16位へ入ったため学校や保護者達が協力的だった事。
第二に、選手の質が高かった事。
3年は今まで練習を真面目に取り組んでいたのか堅実に実力を備えており、2年にはセンスのある選手が揃っていた。そんな彼らに触発されて、入学したばかりの1年達もやる気がみなぎっていたのだ。
そして第三に、俺に投手としての才能があったらしい事だ。
県大会の決勝までの4試合、失点数は3。
決勝も7回に球数制限で交代するまでは一失点だった。
一応、野球が好きで小さい頃からずっと続けてはきたが、まさか自分がここまでやれるとは思っていなかった。
……夏の大会以降、俺は周囲から注目されるようになった。
チーム内や学校だけじゃ無い。他の学校、スカウトの視察もあり、甲子園出場やプロ入りも期待されるようになった。
俺は野球が出来れば良かったので、周囲の環境の変化には焦った。
でも、何となくの夢だった甲子園に可能性が出てきたし、注目されて悪い気分はしなかった。正直、最高の気分だった。
***
アイツが入部した日の事ははっきりと覚えている。
「柿谷進(かきたにすすむ)です。よろしくお願いします」
俺の身長は170後半で、決して低い方じゃない。そんな俺よりもアイツは更に身長が高かった。180は確実に越えていただろうか。ガタイも良く、見た目の威圧感もあった。
見た目のインパクトもさる事ながら、これは筆舌に尽くしがたいもので感覚的になってしまうが、本能的に「強い」と思ってしまった。
緊張感の一切無い力の抜けた姿勢でありながらも芯はしっかりとしており、隠しきれない圧を放っていた。
真冬のグラウンドにいるはずなのに額や背中を水滴が走り、身体が知らず強張っていた。
何なんだコイツは。
本当に俺と同じ高校生なのか。
挨拶を聞いただけなのに、緊張で鳥肌が立ったのは生涯で初めての経験だった。
野球部では、全体練習とポジション毎の個別練習を時間を区切って行なっている。
最初に全体練習。
ウォーミングアップを兼ねて1周200メートルのグラウンドを、全員で列を組んで30分間走り続けるのだが、彼は最後まで難なくついてきた。
その後に行なった200メートルダッシュ十本も、チームトップレベルの速さを維持しながら走り切っていた。持久力はかなり高いようだった。
これだけでも凄いが、真価を発揮したのは個別練習だった。
柿谷は俺と同じ「投手(ピッチャー)」志望だった。
——投手というのはチームの絶対的な要だ。
野球はチームスポーツではあるが、たった一人のエースの存在によってそのレベルは飛躍的に上昇する。
実際、過去に甲子園に出場した高知県のある高校はそんな一人のエースの存在によって、夏の甲子園に初出場同大会優勝を果たしていた。
チームの今後を左右する程の重要な存在(ポジション)。
地方の公立高校の野球部とは言え、競争は熾烈だった。
そのポジション争いのレースに参入するのは相当な実力が無いと勝ち取れない。
自分で言うのもなんだが、当時は俺と言う強者(エース)もいた。生半可な実力ではマウンドにすら上がれないだろう。
……だから、あの日は監督やコーチだけでなくレギュラー全員がアイツの投球を見ていた。
俺も自分の練習を中断して見ていた。
チームメイトの実力を知っておくのは当然だ。
それに最初の直感がずっと気になっていた。「あれは何だったのか」と。
普通であれば多少なりともプレッシャーを感じる筈だが、そんな素振りは一切見せなかった。寧ろ、「もういいっすかー」と気の抜けた声でグローブをはめた左手を振ってすらいた。
監督の合図とともに、彼は大きく腕を振りかぶった。
瞬間、一筋の風が吹き抜けた。
投球フォーム自体は一般的なオーバースロー。
左足を上げて、全体重を右足へ預けるとそのまま地面を蹴る。
前に出した左足は確と地面を踏みしめると同時に腰も大きく捻り、エネルギーを効率よく下半身から上半身へ。
身体に無駄な力みも一切なく、蹴った際に生じる反動と前へ進んだ勢いをそのままに鞭のようにしなやかな動きで右腕を振るった。
手から離れたボールは鋭い風切り音と共にキャッチャーミットへとすっと吸い込まれると、皮と皮のぶつかる小気味良い音を響かせた。
速く。それにキレのある球だった。
高校生1年生ながら、既にプロへ挑戦できるレベルに至っているのが一目で明らかだった。
俺もあんな風に投げたい。
もっと強く、アイツに負けない投手になりたい。
胸の奥がふつふつと熱くなっていくのを感じた。
チームメイトに声をかけられ我に帰るまで、俺はずっと柿谷の投球に見惚れていた。
***
同じポジションだからか、柿谷とは比較的早く話をするようになったと思う。
帰りの方向も同じだったので部活終わりに駅までの道を歩いたのも一因だろう。
ただ、「仲が良いか」と聞かれれば、「それはない」と答えていただろう。
よく分からないが、アイツの事が気に食わなかった。アイツのフォームを見るたびに心の隅に黒い重りがのしかかった。
俺は気持ちを晴れやかにしたくて練習に打ち込んだ。
部活が終わって家に帰ってからも筋トレやフォームチェックは欠かさなかったし、休日もどんな用事があってもランニングを欠かさなかった。
俺は着実にレベルを上げていったと思う。
持久力は増えたし、筋肉がついたのか球速も以前より少し上がった。コントロールの精度も落ちていない。
一年の夏よりも間違いなく投手として自信があった。
……だけど、アイツも同じように上達していた。いいや、俺以上だった。
身体は更に大きくなり、球速が上がった。最高速度は百五十七キロだった。
ストレートだけだった変化球も、スライダーやシンカーも投げられるようになっていた。
アイツと俺は学内外でいつしか『双璧』を呼ばれるようになっていたが、俺の心から黒い物が晴れる事はなかった。寧ろ、どんどんと積み重なっていく。
それでも、俺がアイツと普通に接していられたのは俺が背番号「1」だったからだ。
「エースは俺で、アイツは違う」。
その事実が俺の自身になり、快い優越感を抱かせた。
「——柿谷。背番号1だ」
グラウンドで行われた県大会のメンバー発表。
俺の目の前を通り過ぎた監督は、すぐ隣に立っていた柿谷へユニフォームを手渡した。
「はい」とグラウンドに響き渡る程の声で返事した彼の手には『1』の文字。
「何かの間違いか」と俺は視線を自分の手元に移すが、そこには大きく記された『10』文字。
これは本当に現実か。悪い夢でも見ているんじゃないか。
俺だってアイツに同じくらいかそれ以上に練習してきたし、前回の冬の大会でエースとして県ベスト4に入る成績も残している。
今回だって、俺がエースなんじゃないのか。
目の前で見せつけられている光景に、否応にも認識している本能と最後まで抗っている理性で混乱していた。
分からない。
俺で良いじゃないか。俺なら甲子園も夢じゃない。
どうしてだ。
どうして俺のユニフォームがアイツの手の中にあるんだ。
「……おい。どうした?」
チームメイトに右肩を叩かれて、俺は我に帰った。
もう既にメンバー発表は終わっていて、練習が始まるところだった。
気がつくと俺の両手は「10」を固く握り締めていた。
×××
あの頃は会話どころか、学校でヤツの顔を見ただけで気分がイラついていた。
喧嘩をふっかけたり嫌がらせをしたりするのは「違う」と流石に解っていたが、必要最低限の会話を除いてヤツと話をする事はなかった。
向こうの気持ちは今も知らない。だが、あちらも俺の顔を見て不機嫌な顔をしていたのは覚えている。
本来であればチームの団結力を高めねばならない時期であったのに、アイツとの仲は最悪なまま夏の大会が始まった。
チームは幸運にも順調に勝ち上がっていった。俺も先発投手として出場することもあり、その時はしっかりと仕事は果たしたが、黒い感情は晴れなかった。寧ろ、大会でアイツが活躍する度に増していった。
最終的にチームは難なく、レギュラー陣全員の頑張りもあり決勝まで進んだ。
決勝当日、俺はずっと緊張していた。
決勝の舞台である県立スタジアムに入り、ウォーミングアップをし、試合開始の挨拶が終わった後も心臓の鼓動は早鐘を打っていた。
去年は阻まれた甲子園への切符を目の前にして、俺は緊張していたのだ。先発投手として出場したが、試合中も緊張は解れなかった。
当時の事はあまり覚えていない。
事実としては、三回までは無失点で抑えたものの、四回で崩れた。いつも以上に疲労が早くまわって制球が定まらなくなったのだ。
何とか失点は一に抑えたが、俺はそのまま柿谷と交代させられた。
情けなくてベンチに戻るまで顔があげられなかった。
途中で柿谷とすれ違った時、「あとは俺に任せろ」と背後から聞こえた。
柿谷がマウンドに立つと会場が湧いた。
俺は俯いていたい気分だったが、すれ違い様の一言が気になって投球練習しているアイツから目が離せなかった。
決勝という舞台にも関わらず、実に楽しそうな笑みを浮かべてボールを投げている。緊張など一切感じさせなかった。
「あの時と同じだ」と俺は思った。
……初めてアイツの投球を見た時のように。
試合が再開してからも、柿谷は平常通りだった。
一人、二人、三人。
あの綺麗なフォームで三振を奪っていく。
回が進むと疲労が溜まるもので、流石の柿谷も大粒の汗が滲んでいたが、それすら楽しんでいるようだった。
「……ああ」
伸び伸びと投げている柿谷を見て、俺はやっと心の黒いものに目を向けられたような気がした。
俺はずっとアイツに嫉妬していたのだ。
「嫉妬する」という事は「自分の実力が劣っているというのを認める」のと同じだ。
そんなのエースと呼ばれた人間からしたら、悔しいじゃないか。
でも、この時の俺は自分の情けなさを痛感し、アイツの活躍を見てやっと認められた。
「今の俺は、アイツのようには投げられない」と。
……試合は九回まで両チーム無失点のまま進行していったが、延長戦二回で相手チームから四点を奪い勝利した。
***
「……ご馳走様でした」
レバニラを食べ終わった俺は、スマホを見た。
そろそろ約束の時間だった
……しかし、酒が入っているせいか感慨もなく昔の事を思い出してしまった。
もしかしたら、少し浮かれているのかもしれない。
ついでではないが、決勝戦の後の帰り道を思い出した。
あの日の帰り、俺は柿谷に今までの酷い態度を謝った。そして、自分が嫉妬していた事を告白した。
柿谷は少し驚いた様子で俺を見ていたが、「投手なら当たり前だろ」と言って笑ったのを覚えている。
俺が過去の回想を終えるのを待っていたように、店の扉が開いた。
「おおっす。待たせて悪かったな」
ユニフォームではなく私服であったが、そこにはさっきまでテレビに映っていた顔があった。
「ああ。全くだ。腹減ったから先に食ってたぞ」
「え、マジ酷くない?」
「時間を勘違いしてたお前が悪い」
俺の悪態を「はいはい。そうねー」と聞き流しながら、アイツは「おばちゃん。ビール。あ、二つね」と言っていた。
「……WBC決勝テレビで観たぞ」
「お、マジ? どうだった」
「相変わらず良い投球してた」
「だろ? いやー、あれでも緊張したんだけど、身体が動いて良かったわ」
「いやー、本当に見ててムカついたわ」
「おい!」
ツッコミを入れる柿谷の顔を肴に、俺は半分ほど残っていたジョッキをぐいと煽った。
「……ま、ムカついたにはムカついたが、負けなくて良かったよ」
「お、おう。サンキュー」
その時、ラーメン屋のおばさんがビールのジョッキ2つと色紙を持ってやってきた。
「柿谷君。久しぶり。観たわよぉ決勝戦。優勝おめでとう!」
「ありがとうございます」
目の前に座る柿谷は、にっこりしたまま色紙にサインを書いていた。
「今日は優勝祝いで来たの?」
「それもですけど……そうそう、おばちゃん。こいつ来月からチームに復帰するんですよ。怪我が治ったんで、そのお祝いも兼ねてます」
「あら、そうだったの。知らなかったわぁ」
「ええ、まぁ」
「なら、言ってくれれば良かったのに。もっとサービスしちゃうのに」
「いや、本当悪いですって。さっきも定食におまけの餃子つけてくれたのに」
「良いのよ良いのよ。WBC優勝にプロ復帰ですもの。それぐらいしなくちゃ地元のスターに悪いわよ」
「マジっすか。じゃあ、餃子10皿くらい貰っちゃおうかなあああああ」
「おい自重しろ酔っ払い」
半分の量で既に顔を真っ赤にした世界一の投手にツッコミを入れながら、俺は2杯目のジョッキに手を伸ばした。
おわり。
ライバル 夢魔満那子 @MUMA_NAKO
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