第29話
そこは政府より立ち入り禁止区域として指定された場所だった。
古代遺跡であるため、調査がまだ不十分であることに加えて崩落などの危険性も高い。
また、めぼしい物が盗まれるという恐れもある。
もっとも、それはあくまでも現地人の感覚であって当時を生きた雷志には懐かしさしかない。
(そもそも、ここにはそんなめぼしいお宝はないんだがな……)
形こそ若干変わってはしまっているものの、けれども当時の匂いまでもは失われておらず。
風の森……自然豊かなこの場所で、雷志は龍翔と出会い、そして互いの拳を交えた。
月光に照らされた森の静謐さは、夜であるにも関わらずとても穏やかなものである。
森をそっと吹き抜ける夜風は、大変心地が良い。
ここはあの時となんら変わらない。雷志は懐古の情に浸りつつも、森の奥を目指してひたすら歩く。
人の手が一切施されていないその道をしばし進むと、開けた場所に出た。
そこには雷志が生まれるよりもずっと昔から、小さな祠があった。
何故、かような場所に祠があるのか。そもそもなにを祀っているのか。
それさえも当時の人間にはわからなかった。
2000年以上もの時を経ても、祠は以前と同じ形でそこに鎮座していた。
そして今日、運命的な再会を果たす彼らの後見人となる。
「――、やはりここにいたのか。龍翔」
そう口にした雷志の表情は、これから戦う者としてあまりにも不相応なものだった。
敵手を前にして、彼はあろうことか笑みをそっと浮かべたのである。
敵意の類も欠片さえもなく、それこそ懐かしい友との再会を心から喜ぶかのよう。
当然ながら
殺すべき対象を目前にした途端、けたたましい咆哮をあげて身構えた。
凄まじい殺意が森をひどくざわめかせ、穏やかな空気も真冬のように冷たい。
それでも雷志が、顔から微笑みを絶やすことはなかった。
「……正直に言うと、俺は今も混乱している。お前とこうしてまた、再会を果たしたことはもちろんだが……
そこで雷志の顔からも笑みがふっと消えた。
鋭い眼光を放ち、拳を構えた彼のその姿はまるで阿修羅のごとく。
これより始まるのは仕合ではなく死合である。
そこにはルールなどという甘い制約は一切存在しない。
なんでもあり、例えそこでどちらか一方が命を落としたとしても罪にはならないのだ。
「2000年以上ともいう、気が遠くなるぐらい先延ばしになってしまったが、あの時の約束を今果たすとしよう――こい、龍翔!」
そこでついに、
地をどん、と力強く蹴ったのはお互いほぼ同時。
振るわれた両者の拳が交わった瞬間、森が激しくざわついた。
圧倒的破壊と破壊による衝突は、たちまち美しかった森を荒れ地へと変えていく。
かつての貴重な文化を壊す彼らは立派な犯罪者であるが、命のやり取りをする彼らにそのことを
ただ、目の前の相手をぶちのめす。
それだけが唯一、彼らが共通して抱いた感情だった。
激しく打ち合う彼らが止まる様子はなく、むしろ逆により凄烈なものへと化していく。
戦況は一進一退で、双方共に決定打をなかなか出せずにいた。
このままずっと膠着状態が続くかと思われた矢先のことである。
「ぐっ……」
雷志の顔に、徐々にだが焦りの
二人の実力は互角である。
しかし唯一両者には決定的違いがあった。
それは純粋な身体能力――特に体力の差が勝敗を大きく揺るがした。
いかに強大な力を有していても、元のスペック面はどうしようもできない。
長期戦になればどちらが優位に立てるか、それは火を見るよりも明らかだろう。
だからこそ雷志はより苛烈に攻めた。
一刻でも早く倒さねば敗北は必須である。
そうならないためにも一秒でも迅速に拳を、脚を雷志は動かす。
しかし、どれだけ打ち込もうとも
同じ人であればとうに決着もついていようが、相手は
(アラヒトガミではない俺では、やはりどうすることもできないのか……!?)
焦りは雷志の拳を鈍らせる。
そうした心の余裕のなさがついに、勝敗を大きく左右させてしまう。
彼の放った右正拳突きに合わせての、鋭い
鋭く重々しい音が風の森に反響する。
「ぐぅっ……!」
ぐらりと大きく体制を崩した雷志へ、
怒涛の攻めに雷志は成す術なく、ひたすら攻撃を耐えるしかなかった。
防御をする上からでも、
あまりにも一方的すぎる展開を、いさめる者はこの場に誰一人として存在しない。
助けが入らない以上、彼に待ち構えている結末は一つしかない――死だ。
「ぐっ……!」
起死回生を狙った雷志の渾身の回し蹴りは、虚しくも空を切った。
そこに手痛い反撃がついに、クリーンヒットした。
水月へ重く突き刺さる
何度も地面の上を転がり、大木に叩きつけられる形でようやく止まった。
「がはっ……!」
常人ならば先の一撃でとうに絶命していようが、雷志だからこそまだ生きている。
とはいえ、重症であることに変わりはなく。
いずれも同等のダメージを受ければ、さしもの彼とて無事ではすまない。
じりじりと間合いを詰める
絶体絶命の危機に瀕し、もはや誰の目から見ても彼に勝ち目は一寸さえもない。
そんな状況に陥っていながらも、雷志はあろうことか不敵な笑みを浮かべてみせた。
「……あの時と状況が逆だな。だが、俺はお前と違って泣いてないし……それに降参もしていない」
ゆっくりと立ち上がる雷志だが、その足はひどく覚束ない。
立っているのさえもやっとな状況で、満足に戦えようはずもなし。
されど、例えボロボロの状態であっても雷志は拳を構えるのを決してやめなかった。
「……俺は、例えどんな状況にあったとしても降参するような真似だけは絶対にしない。降参するぐらいならば、俺はこのまま――」
お前に殺されたとしてもなんら悔いはない。
所詮自分は、この世界の……時代の人間ではない。
本来ならば2000年以上も前に、他の皆と一緒に滅ぶべきだった存在だ。
だからここで命を落としたとしても、悔いは何一つない。
やりたいのならばさっさとトドメを刺せばよい。
雷志はそっと瞳を閉じ――そして拳を構え直した。
再び激突する両者――のはずだったが、ここで予期せぬ乱入者がこの戦いの場に現れる。
「雷志さんから離れなさいっての!」
「なっ……!」
予期せぬ乱入者――カエデの登場に、雷志はぎょっと目を丸くした。
(何故カエデがここに……!?)
当然ながら行き先を告げてもおらず、だが彼女は実際彼の目前にいる。
「雷志さん、まこっちゃんたちから聞きました――どうして勝手に辞めちゃったりするんですか!?」
「……それは」
「カエデたちのことを思って、自分だけでどうにかしようとしてたんですよね? だって、世間は今は雷志さんに頼ってますから。だからって、一人でそれだけの責任を背負わなきゃって思わないでください!」
「……スタッフを辞めた俺にはもう関係のない話だ。ここにいるのはあくまでも俺自身の意志。だからお前は下がってろ、カエデ」
「お断りしますぅ!」
「おい、ふざけている場合じゃ――」
「ウチも今回はカエデちゃんに賛成ですよ!」
「某も同じだぞー!」
「お前達は……」
自宅待機中であるはずの一期生が、
アイドルとしての顔はすっかり鳴りを潜め、各々戦士として相応しい顔をそこに浮かべる。
(こいつらは、いったい何を考えてるんだ……!?)
雷志はもう、ドリームライブプロダクションのスタッフではない。
スタッフとしての付き合いも半年にも見経っていない――質は、そこそこ濃厚な方だったと言えなくもないが。
「雷志さんはもうスタッフさんじゃないから、カエデ達が言うことを聞く義理はありませんよーだ」
「言っている場合か! 早く――」
「じゃあまた戻ってきてくださいよ、ドリームライブプロダクションに……カエデ達のところに!」
「……ッ」
「そうですよ雷志さん! ウチ、これからもずっと雷志さんにスタッフやってほしいです!」
「ライちゃんじゃないと某は納得しないぞー!」
「お前ら……」
「……だから、あれはカエデたちがちゃっちゃっとやっつけちゃいます。雷志さんは、帰る準備をしていてくださいね?」
彼女らが一介のスタッフを助ける必要など、どこにもないのだ。
いかに力があろうと、彼女たちはアイドルなのである。
アイドルの仕事は、人々に夢や希望を与えることにある。
だからこそ、この場にいるのは不相応極まりない。
ましてやその行動理念が、かつてのスタッフを守るためであるのだから尚更だ。
雷志は、痛む身体に鞭打ってなんとか立ち上がる。
カエデたちでは、あの
決して三人の実力を疑うわけではないが、長年の経験と勘から雷志はそうだと確信した。
自分が止めなければならない。しかし雷志の思いも虚しく、三人は
「いっくよー! フウカ、アカネ!」
「うん! ウチも今回ばかりは本気で行くから!」
「某に任せておけ! でも某はあれを払えないからよろしく!」
一期生の絆は、鋼よりもずっと固くそれでいてとても自然体だった。
事前に打ち合わせをしたわけでもなく、見事な連携を披露してみせる。
互いをカバーし合い、そして次に何をすべきか迅速かつ正確に遂行する。
阿吽の呼吸がこうも見事な輩を、雷志はこれまでに目にしたことがない。
(これが、ドリームライブプロダクションの一期生の力ということか……)
さっきまでの劣勢が嘘であるかのように、戦況をたちまちがらりと変えてしまったカエデ達を雷志はジッと見つめた。
彼の格闘家としてのプライド的には、今回の戦いは無様という他なかった。
やられそうになった挙句、アイドルに命を救われたのだから当然だ。
(俺は、この世界ではまだまだ弱いな……)
いずれにせよ、この戦いは彼女たちによって無事に収束する。
ドリームライブプロダクションのタレントが
しかし、人生とは何事もそううまく運ばれない。だからこそ人生なのだ。
「うっそぉ!」
「ウチらの攻撃をこれだけ受けてるのに、まだ倒れないのぉ!?」
「もぉぉぉぉ! こいつ硬すぎるぞー! 運営バグってんじゃないの!?」
「いや言ってる場合じゃないから!」
アラヒトガミの力を受けて尚、
雷志と相対していた頃と比較すれば確かに、その肉体には痛々しい傷跡がしかと刻まれている。
とはいえ、せっかく与えたダメージも致命傷には至らず。
付け加えるならば、傷はもう再生を始めてさえいた。
おそるべき回復力と自己治癒力には、さしものカエデたちも驚きを禁じ得ない様子である。
そして、その一瞬の隙を
「きゃっ!!」
「カエデ!」
容赦ない一撃が、狐娘の小さな体躯を軽々と吹き飛ばした。
幸い、彼女は手にした刀を犠牲にしたことで辛うじて致命傷は回避している。
とはいえ、まったくのノーダメージというわけではない。
壁に背中から激突し、ゆっくりと地面に落ちたカエデはすぐに体制が立て直せない状況にあった。
そこへ
「カエデちゃん!」
「カエデ早く立ち上がって!!」
「ぐ、おぉぉぉぉ……!」
フウカとアカネ、両者が救援に入るにはあまりにも距離が遠い。
二人が応援に駆け付けるよりも先に
唯一、この場においてカエデと近い距離にあるのは誰か――雷志は、すぐにカエデの下へと走った。
走る度に、彼の肉体には現在強烈な痛みが絶え間なく駆け巡っていた。
熱した鉄の棒を体内に入れられたかのような、常人ならば意識を保つことさえも難しい。
すなわち雷志が現在、こうして意識を保つだけでなく自らの足で走る。
これができているだけでも奇跡なのだ。
それだけでも十分奇跡に値するのだ。
(動け……もっと早く動け、俺の肉体――!)
痛みは気力で強引に抑える。
正直に言うなれば、彼の足取りはふらふらとしてひどく安定性がない。
今にもちょっとした拍子に転びかねない雰囲気をひしひしとかもし出す。
それでも、雷志は決してその足を止めることを止めようとはしなかった。
カエデの下へどうにか着いた時、雷志の表情は過去一番最悪なものだった。
血の気が失われた顔は青白く、呼吸もぜぇぜぇと激しく乱れている。
満身創痍でむしろ彼にこそ、早急な治療が必要であろう。
「ら、雷志さん……!」
「はぁ……はぁ……カエデ……お前は、俺の後ろにいろ……」
肉薄してくる
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