第28話

 祓魔士には、禍鬼まがつきを浄化する力がある。

 これを体得しない限り、いくら強かろうとあれを倒すことは不可能だろう。

 カエデならばきっと、きっと力になってくれるに違いない。

 そう判断したからこそ、雷志は祓魔士であるクズノハ神社へと身を寄せた。

 雷志の申し出に対し、カエデはその端正な顔に難色を示した。

「う~ん、難しいですねぇ」

「そうなのか?」

「どう説明したらいいかなぁ。とりあえず、ちゃちゃっと手合わせしてみましょう」

 そう口にしたカエデの手には、いつの間にか一振りの太刀が握られていた。

 刃長はおよそ二尺四寸約72cmで、彼女の小柄な体躯では少々長い。

 陽光をたっぷりと浴びてぎらりと輝く刃は、雪のようにとても白かった。

 雷志は、それがただの刀でないと瞬時に見切った。

 いかに名刀であろうと、彼女が手にする刀のように純白な刀身は一度として目にしたことがない。

 この世界ならではの製法と素材が用いられている辺り、さすがファンタジーな世界だ。

 雷志は痛く関心した。

 それはさておき。

「ちょっと待て。どうして俺がお前と手合わせをする必要があるんだ?」

「まぁまぁ、聞くより見るよりやった方が楽だ、って言うじゃないですか」

「……それは、百聞は一見に如かず百閒は一触に如かず、のことか? まぁ、確かにお前の言うとおりではあるが」

「あ、古代だとそんな風な言い回しなんですね。なんかかっこいいですねぇ、次から真似しようっと」

「…………」

「まぁ、というわけでちゃちゃっとやりましょう。どうしてカエデが難しいって言ったのか、それがすぐにわかると思いますので」

「……わかった」

 拳を構えたものの、雷志の顔が乗り気でないのは言うまでもなかろう。

 戦いの場に出たからには、そこにはもはや性別という要素は路傍の石に等しい。

 これよりカエデと拳を交える。それについては雷志も特に何の感慨もない。

 相手が怪我人でなければ、彼の胸中にためらいが生じることもなかった。

 現にカエデは、左腕を庇うようにしている。

「……本当にいいんだな?」

「アイドルに……ううん、祓魔士に二言はありませんよ雷志さん。どうぞ」

「……いくぞ!」

 先の先を取った雷志が、回し蹴りを放った。

 鞭にようにしなる強烈な一打が、空を切り裂く。

 しかし、雷志が感じたのは――無である。

 カエデが見切り、身体をほんの少しだけ後ろにそらした。

 雷志の蹴りがわずか1cm先で大きく空振りをする。

「今のを避けるか!」

「雷志さん、本当にアイドルだろうと一切容赦ないですね。普通顔面容赦なくいきます?」

「勝負に置いてそんなものは、俺の知ったことじゃない」

「うわぁ。本当に戦いに関してはガチ勢だぁこの人――だから、いいんですけど」

 刀という武器は、対戦相手にとって脅威という他ない。

 刃物においてその切れ味は究極系といっても差し支えなし。

 身体のどこかに当たるだけで致命傷へとなり得る。

 それを達人クラスが振るえば正に、鬼に金棒だ。

 カエデの腕前は、左腕というハンデがあるなし関わらず強者に部類される。

 鋭い風切音が幾度となく奏でられ、その都度雷志の顔からは余裕の色がどんどん失われていく。

 実際のところ、日本刀を持った相手との仕合経験はあることにはあるが、他と比較すれば圧倒的に少ない。

(やりにくいな……!)

 雷志は、その中で一瞬の隙を突いた。

 鋭く打ち込んだ正拳はカエデの水月を見事捉える。

 確実にクリーンヒットだ。そうと確信した雷志の顔に不敵な笑みがこぼれる。

 カエデは――けろりとしていた。

 痛がる様子はおろか、ダメージを負った形跡すらない。

 その白く健康的な柔肌とすらりと細い華奢な腕のいったいどこに、これほどの力があるのか。

 雷志の正拳突きをあっさりと受け止めたカエデがにこりと微笑む。

 外見だけならばあどけなさが残る少女であるのに、不覚にも雷志は見惚れてしまった。

「やっぱりそうですね……」

「……なんの話だ?」

 カエデにもう戦意は欠片さえもない。

 手合わせは終わった、とそう察した雷志も大人しく拳を引いた。

 代わりに、彼女が発した意味深な言葉について尋ねる。

「雷志さんの力の根源……ずっと前から不思議に思っていたんですよ。どうしてアラヒトガミでもない、普通の人がここまで強いんだろうって。確かに修行とかしてる分、雷志さんは他の人なんかよりもずっと強いと思います。だけど、その根源は――禍鬼まがつきとどこか似ているんです」

「俺の力が……禍鬼まがつきに似ているだと?」

「う~ん、まったく同じってわけでもなくて。だけど、なんていうかこう……敵をぶっ飛ばしてやるー! っていう気持ちが全面的にめちゃくちゃ出まくってるっていうか。破壊に特化した力、その波動が似てるなぁって思ったんです」

「…………」

「あ、でも! 雷志さんが禍鬼まがつきじゃないことはカエデも、皆もわかっていますからね! カエデ達のためにあれこれとしてくれる雷志さんには、本当に感謝してますから。そ、それにカエデは――」

「カエデ、どうすれば俺も祓魔士と同じような力を得ることができる?」

「雷志さんが……って、今カエデが喋ってる途中でしょうが!! まったくもう……ストレートに言っちゃいますけど、雷志さんにはおそらく不可能です」

 きっぱりとそう告げたカエデの瞳に、一点の曇りはない。

 祓魔士は誰でもなれるものではない、とカエデはそう言葉を続けた。

 生まれ持っての才能はもちろん、まずアラヒトガミであることが最低条件なのだ。

 雷志はそのアラヒトガミでもなければ、ましてや保有する力も禍鬼まがつきよりのもの。

 そのためカエデが不可能だと口にしても、致し方ないことだった。

「……そうか」

 愚直すぎるぐらいまっすぐな言葉であるから、雷志もそれが事実であると素直に受け入れた。

 受け入れるしか、なかった。

 一縷の望みをかけてやってきたが、どうやら徒労に終わってしまったらしい。

 結局のところ、自分だけの力でどうにかしてあの怪物を倒さねばならないようだ。

 雷志は踵をくるりと返して、クズノハ神社を後にする。

 雷志にはあまり悠長にしていられるだけの時間は残されていなかった。

 あれは、今か今かと、かつての約束が果たされるのを待ち続けている。

 一刻でも早く果たさねば、無関係な犠牲者が更に増えていくことだろう。

「――、あっ! 待ってください雷志さん!」

 カエデがぱたぱたと追いかけてきた。

「なんだ?」

「……カエデから雷志さんに一つ、プレゼントをします」

「プレゼント?」

「はい、これ。ウチの神社のお守りです。これでも結構御利益があるってことで、大人気なんですよ? いつもお世話になってる雷志さんに、カエデからのプレゼントです。ありがたく受け取るよーに!」

「……そうか。すまないな」

「それともう一つ――祓魔士の力の根源は、誰かを守りたい。誰かのために力になりたい。そう言った気持ちが糧になっています」

「守りたいもの、か……」

 お守りをそっと、それでいて守るように握りしめた雷志は今度こそその場を後にした。

 肝心の禍鬼まがつきがどこにいるのか、それを知る術は雷志にはなにもない。

 そもそも彼の場合、術というものは最初から必要などないのだ。

(もし、本当にあの禍鬼まがつきが龍翔だったのなら……多分)

 雷志の脳裏にあるのは、一つの情景だった。

 かつてそこで拳を交え、再戦を誓った――きっとそこにいる。

 もちろん根拠などは一切なく、しかし雷志には絶対にいるという自信があった。

「待たせたな龍翔。あの時の約束、今果たしにいくぞ……」

 目的地を目指す雷志の足取りは、いつになく勇ましく力強いものだった。

「――、守りたいもの……か」

 カエデの言葉について、雷志は道中でふと沈思する。

 守りたいもの、とは果たしてなんだろうか。

 そんなものが今の己にあるのだろうか。

(俺が、守りたいもの……)

 結局、思い浮かばぬまま時間だけが静かに流れていく。

 そして彼が目的地へと着いた時には、空はすでに漆黒に染まっていた。


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