第27話

 ドリームライブプロダクションの空気は、いつになく重苦しいものだった。

 そう感じているのは、雷志ばかりではない。

 スタッフを含む各々の表情に、いつもの活気はない。

 だからこそせっせと復旧作業などに入る彼らは、どうにかして空気を変えようと努力していた。

 禍鬼まがつきの襲来――この事件は全世界に多大な影響を及ぼした。

 幸いにも死傷者はなく、建物の一部が半壊した程度に済んだのは奇跡に近しい。

 肝心の禍鬼まがつきだが、未だ浄化されることなくどこかに潜伏している。

 その証拠に、最初の出現から今日で早一週間。

 ニュースで取り上げられるのは、毎日祓魔士がやられた、という悲惨なものばかりだった。

 犠牲者がどんどん増えていく中で、ここ最近になってある記事が出回る。

「――、社長。また雷志さん関連のことでお電話です」

「またですか……とりあえず、回答は控えているとだけ返してください」

「わかりました……」

「…………」

 古代人の和泉雷志いずみらいしの復活――。

 ドリームライブプロダクション内でも、ほんの一部しか知り得ない情報がついに全世界に報道された。

 当然ながら、彼らが私利私欲のためや咄嗟に情報を漏洩したわけではない。

 いったいこれはなんの偶然なのだろうか、と雷志は改めてそれに視線をやると小さく溜息を吐く。

 古代遺跡より、とある遺品が見つかった。

 これだけならば、特に何の感慨もない。

 あえて言うのであれば、雷志にはそれが懐かしいと感じれるものであることぐらいだろう。

 発見されたのは一冊の雑誌だった。

 とは言え、2000年以上も前の代物なのだ。

 外見はひどくボロボロで、手にしただけで簡単に崩れてしまうほど。

 それだけ劣化しておきながら、たった一ページだけは当時のままを奇跡的に保っていた。

 そのページこそ、雷志の存在が全世界に露見したきっかけだった。

「……いくらなんでもタイミングが良すぎる。まるで誰かが仕組んだようにすら思えるな」

「その、誰かって言うのは……」

「……おそらく、あいつだろうな」

 ドリームライブプロダクションで今話題沸騰中のスタッフが古代人だった。

 この情報は業界のみに留まらず、全世界を大いに震撼させる。

 そして現在、各機関や報道陣からの連絡が絶えない状況に陥っていた。

 中でも特に連日のように連絡してくるのが研究機関であった。

 古代人をぜひとも研究したい――包み隠すことなく、用件をこうもきっぱりと言った彼らはある意味すがすがしい。

 だからと言って雷志がそれに素直に承諾するはずもなし。

 いい加減しつこいからやめてほしい、とその都度言及しているが彼らがそれを受託する兆しは皆無であった。

 そして各メディアでは、毎日同じような内容を報道している。

「……社長。アンタに渡しておきたいものがある」

「……これは?」

「え? ら、雷志さんそれは……!」

 雷志が提出したのは一通の封筒だった。

 そこには丁寧な字で“辞表”の二字がしかと記入されている。

「――、社長。本日をもって俺はここを……ドリームライブプロダクションを辞める」

「そんな! いくらなんでもいきなりすぎますよ!」

 異を唱えるマコトに、雷志はふと優しく頬を緩めた。

 彼女はとても優しい。入ったばかりの新人に気遣うその姿勢は、理想の先輩である。

 少なくとも雷志はそう思っていて、だからこそその優しさに甘んじるわけには彼はいかなかった。

「あの禍鬼まがつきは――俺がかつて戦った奴だ。それがどうして今になって禍鬼まがつきと化けて出てきたのか。それはわからない、だが……あいつは確実に龍翔だった」

 これはあくまでも、仮説の域を脱しない。

 しかし雷志にはそれが答えであるという、確証なき自信があった。

 あれはきっと、自分と再戦を果たすためにこの世に蘇ったのだ、と……。

 ありえない話ではある、がそうであると断言するにはいささかこの世界では説得力がない。

 非現実的にして、非科学的事象がここでは日常茶飯事で起こる。

 ならば長き時を得て蘇ったとしても、違和感はまるでない。

 とにもかくにも、あれがかつてのライバルであるとわかった以上、雷志は楽観視することはできなかった。

(龍翔が禍鬼まがつきになったのなら……それを倒すのは確かに、俺の役目だ)

 世間では、雷志を英雄視する声が多々上がっている。

 なんの根拠があって、一介の人間にそれほどの期待を寄せるのか。

 その理由が、先日の大型ライブ配信での出来事が一番の原因だった。

 アラヒトガミでもない、ごくごく普通の人間が禍鬼まがつきと互角に渡り合う。

 それはかれらのこれまでの常識を根底から崩すものであり、そのため雷志に助けを求める声が殺到した。

 古代人である雷志ならば、きっとおそろしい禍鬼まがつきをやっつけてくれるに違いない。

 そうした声も相次ぎ、ドリームライブプロダクションは現在稼働がほぼ不可能な状況に陥っていた。

 タレントも今回の一件ですっかり恐怖し、現在はほとぼりが冷めるまで等しく自宅待機を命じられている。

 彼女達には心身共に休息が必要不可欠だ。

 特にあのようなおそろしい出来事を体験したのであれば尚のこと。

 タイゾウの判断は極めて的確で正しい。雷志は素直に称賛した。

(だが、これ以上俺のことで迷惑はかけられない)

 雷志は未だ納得のいかない様子のマコトに背を向けて、静かにその場を立ち去る。

 荷物を手早くまとめる傍らで、雷志は意識を過去へと巡らせた。

 今日に至るまで、様々な出来事があった。

 すべてが新鮮で、驚愕しなかった日は一日としてなかった。

 同様にとても新鮮で、そして雷志は楽しいと思えるようになっていった。

 とてもよい職場だった。

 心からそう思えるからこそ、雷志は皆を守るためにドリームライブプロダクションを出る。

「あれは……俺が倒さないといけない。いや、俺じゃないと駄目なんだ」

「雷志さん……」

「――、これまで世話になった」

 ドリームライブプロダクションを退職した雷志は、その足である場所へと赴く。

 自分が持てる力だけでは、現在の龍翔はおろか禍鬼まがつきさえも倒せない。

 祓うための力が、今の自分にはなによりも必要である。

 そう判断した彼が赴いたのが、クズノハ神社であった。

 都心より大きく離れ、標高1000mの頂に建つ。

 山頂までの道のりは決して容易なものではなく、しかし毎日参拝する者は決して少なくない。

「ここが祓魔士の中でもトップクラスで実力があるというクズノハ神社……カエデの実家か」

 神社はとても広々としていて、そして1000mの高さから見える景色は絶景……この一言に尽きた。

 周囲にあるのは自然ばかりで、言葉悪くして言えばとても田舎臭い。

 しかし、そうした自然の中にあるからこそクズノハ神社には神聖さで満ちていた。

 加えて雷志も、元々は田舎の出身であり彼の環境もド田舎である。

 だからこそ親近感を憶えた雷志は、穏やかな気持ちで周囲を一瞥した。

 彼が本殿の方へと向かった、その時である。

「――、あれ? あー! 雷志さん。今日はどうしたんですか!?」

 見知った顔に、雷志はまずホッと安堵の息をもらした。

(とりあえず、無事そうでよかった……)

 アイドルが怪我をした。

 これは決してあってはならない大事故である。

 禍鬼まがつきが撤退していったその余波によって、怪我人が何名か出た。

 その内の一人がカエデなのである。

 幸い命に別状はなく、怪我の度合いも極めて軽傷で収まっている。

 とはいえ、怪我をしたという事実にはなんら変わりはない。

 そして原因が己にもあるからこそ、彼はカエデに罪悪感を抱いてもいた。

 あの時もう少し早く動けていれば……それ以前に、龍翔を倒せていたならば。

 今更後悔したところでなんの意味もない、と雷志は胸中で自嘲気味に小さく笑った。

 過ぎてしまったことを悔いたところで、過去はやり直せない。

(龍翔は、必ず俺が倒す……!)

 決意を今一度胸に抱き、雷志は改めてぱたぱたと駆け寄るカエデを見やる。

 左腕に巻いた包帯が、とても痛々しい。

 当人はけろりとしている様子で、そして彼の視線にはたと気付いたのだろう。

 左腕にそっと視線を落とし優しく撫でながら紡ぐ彼女の言葉は、優しさで満ちていた。

「これぐらいなんとも大丈夫ですよ。禍鬼まがつきと戦っていたら怪我とかしょっちゅうしてましたから」

「……だが、今のお前の本業はアイドルだろう。アイドルが怪我をするなんて……いや、あの時スタッフとしていながらお前を守れなかった。それは俺が原因だ」

「そんなことないですよ! あの時雷志さんが真っ先に動いて戦ってくれたから、他の皆もすぐに避難することができたんです!」

「それは……」

 まっすぐなカエデの言葉に、雷志は目線をわずかにそらした。

 皆のために戦ったのは、確かに間違いではない。

 だが真実は、あくまでも己の欲を満たすために雷志は戦ったにすぎない。

 そうした真実を当然告げられるはずもない。

 純粋でまっすぐなカエデの言葉は容赦なく雷志の心にずしり、と重くのしかかった。

 決してそれは罵声ではないとわかっていても、今の彼には罪を追及された気分であった。

「あぁ、カエデか。少しお前に頼みがあってここにきたんだ」

 雷志は早速、本題へと入った。

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