第23話
この日、事務所内はいつになくピリピリとしていた。
というのもが大型ライブが本日だからである。
朝早くからスタッフはどたばたと慌ただしく、その中でマコトが迅速かつ正確な指示を出す。
彼女という司令塔があってこそ、一度も滞ることなくスムーズに事が運んだ。
対するタイゾウはまるで落ち着きがない。
代表取締役としてあるまじき言動だが、多忙である彼女らがそれに構う素振りは一切ない。
もっとどっしりと構えていればいいものを、と雷志はそんなことをふと思った。
「いよいよですね、雷志さん!」
「うぅぅ~き、緊張してきたよぉ……」
「へーきへーき! 某らはいつもどおりにやればいいんだよ」
緊張した面持ちのフウカと違って、アカネとカエデ……この二人の顔には余裕で満ちていた。
一番手を務めるというプレッシャーはとてつもなく大きい。
滑り出していまいちな反響を呼んでしまえば、後に残るメンバーにとっても苦となろう。
そうした重責があるからこそ、フウカがひどく緊張してしまうのはむしろ当然の反応だった。
だが、それよりも一番緊張しているのが雷志であることにはなんら変わりなかった。
(すべては俺にかかっている、か……)
そう、真の一番槍は一期生ではなく彼である。
雷志の役目は、大型ライブの開始を告げること。
それはとても重要な役割であり、ましてやつい先日まで新人だったスタッフが担ってよいものではない。
ならば当然、他の誰よりも緊張から表情をしかめているのは言うまでもなかった。
すべては己にかかっている――雷志は握った拳にそっと、目線を落とした。
「――、そういえば雷志さん。その衣装すっごくかっこいいですね!」
カエデの何気ない一言に、雷志ははたと己を見やった。
そして微かに口角を緩めて、カエデに応える。
「あぁ、俺もそう思う。やはりハリマに頼んでおいてよかった」
「あ、それハリちゃんに作ってもらったんだ!」
「あぁ。あの人の腕前なら確かだからな、他の誰よりも信頼できる……一部を除けば、の話だが」
雷志の衣装は、彼が注文したどおりの仕上がりとなった。
上下共に白と黒で統一し、稲妻をイメージさせる刺繍が特徴的だ。
ジャケットの腰部分より伸びた黒い帯は、正に道着の帯をイメージしていてズボンも道着としての形を崩さず、それでいて違和感がないよう見事に洋服化している。
ただ一点だけ不満があるとすれば、それは正しく帯の部分にあった。
(やっぱり、かわいさを入れられてしまったか……)
帯にありありと――“ドリームライブプロダクション”の文字が入っていた。
挙句の果てに、色鮮やかなピンク色のハートマークのおまけつきだった。
今回は大型ライブという場であるからこそ違和感も差してないが、普段着としてはなかなかの抵抗感がある。
雷志がほとほと困ったのは、これが一着だけではないということである。
(まさか、本番ギリギリまで大量生産するとはな……)
果たしてそれは、やる意味があったのだろうか。
雷志はすこぶる本気でそう思った。
「とっても似合ってますよ雷志さん!」
「あぁ、ありがとうフウカ。それを言うのなら、お前達の歌とダンス時に着る衣装だってすごくよかったぞ」
「あ、えへへ~。雷志さん、ひょっとしてカエデちゃんに見惚れちゃいましたね? 駄目ですよカエデはアイドルなんですからお付き合いは――」
「ねぇねぇ某は!? 某は!?」
「アカネも同じく似合っていた。普段和服をイメージした衣装だからか、すごく新鮮味があったな」
「お、さっすがライちゃん。某の魅力ちゃんと理解してるな」
「ねぇちょっとカエデのこと無視しないでくださいよー!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐカエデに、釣られるようにしてフウカがくすりと笑う。
さっきまであった緊張の色は、もう微塵もない。
とても穏やかな表情でメンバーと話し合う姿に雷志もひとまず安心したところで――
「それじゃあ皆さん、そろそろ始まりますよ」
スタッフの一人が控え室に入ってきた。
「――、それじゃあ俺は先に言ってる。お前達も撮影スタジオに遅れずにな」
「はーい! それじゃあカエデ達は先に行っておきますねぇ」
「雷志さんもがんばってください!」
「某も応援してるぞー!」
「あぁ」
事務所内にある今回のステージは以前、一期生らがライブをした場所よりも更に大きい。
どうすればこのような大掛かりな施設を一事務所が設けられたかはさておき。
いくつものカメラが構える中、先に舞台に立つマコトが穏やかな、それでいてはきはきとした口調で言葉を紡ぐ。
「――、それでは皆様。長らくお待たせしました。ドリームライブプロダクション、創立10周年記念感謝祭ライブをここに開催します!」
彼女の言葉によって大型ライブの開催がたった今、告げられた。
すでにコメント欄には膨大な量のコメントが殺到して、もはや追うのさえも極めて難しい。
そして同時接続数は50万人という、破格の数字をあっさりと叩き出していた。
驚くべきは、開始してからまだ数分と経っていない内でこの人数である。
ライブという形式だからこそ可能な収容人数だ。
来場者数が更にどんどんと増加していき、このまま100万人を迎えるのも時間の問題だろう。
(俺が出場した格闘大会でさえも、こんなに数の来場者はいなかったぞ……)
雷志は圧倒的すぎる数字を前に、思わずごくりと生唾を飲んだ。
「――、それでは、まずはこのライブの成功を祝って
「……いよいよか」
雷志はステージ上にその姿を晒した。
カメラ越しに数十万という数に自分は今、見られている。
改めてそう認識した時、雷志は言いようのない高揚感を憶えた。
一般人ならば緊張でうまく呂律も、きっと回らず頭も真っ白になっているだろう。
だが、不思議と思考はいつになく冷静で、魂だけが異様に昂っていた。
カメラの前で雷志は静かに一礼し、そして運ばれてきたそれに視線をそっと送る。
数人のスタッフが必死な様子で運んできたのは、いくつもの岩板だった。
注目すべきはその分厚さにある。
(薄いものを壊したところでしらけるだけだからな……)
厚さは優に20cmはあり、それが五枚積み重ねられる。
それを断った今からかち割ろうとするのだから、マコトが大いに驚愕したのも致し方ないだろう。
なにせ雷志自身、今日に至るまでマコトにはなにをするか、その一切を隠していたのだから。
報告しても、別段良かった。
だが、下手に報告して却下されればどうすればよいか完全に手詰まりとなってしまう。
そのため雷志は、ほんの少しそこに嘘を織り交ぜた。
「ちょ、ちょっと雷志さんこの岩板はいったいなんなんですか!? 瓦割って聞いたのに、これじゃあ……!」
「すまない。だが、アンタならきっと却下するだろうなって思ってたんだ」
「当然ですよ! こんなの、アラヒトガミや妖怪ならともかく。雷志さんにはいくらなんでも不可能ですって! それに……これ、全部本物ですよね!?」
「ある石材店に依頼して発注してもらった。手頃な価格だったぞ」
「そう言う問題じゃ――」
ここで雷志は、ふとコメント欄の方を見やった。
そこに記されたコメントは、案の定とも言うべき内容が次々と流れていく。
――いくらなんでも不可能じゃね?――
――盛りすぎwww――
――絶対に無理なやーつ。拳痛めるぞ――
――やめとけー手が壊れるぞ――
正論すぎるコメントに雷志はふっと静かに笑った。
誰しもが彼の行動を無謀だと制止する中を雷志は静かに拳を天高く伸ばした。
もはや彼の耳に外野の声は一切届かず、目前にある分厚い岩板を砕く。その一点にのみ集中する。
そしてついに――
「でりゃあああああっ!!」
渾身の一刀が打ち落とされた。
まっすぐと空を裂く彼の手刀は、さながら稲妻のごとく鋭く落ちる。
岩板にとうとう接触した――次の瞬間。
ステージにけたたましい破砕音がひどく反響した。
無残にも破砕された岩板の欠片が、大量の砂ぼこりと共に宙を舞う。
「――、ふぅ」
「…………」
「俺からは以上だ。俺がこの岩板を打ち砕くことができたように、今回のライブもきっと大いに盛り上がるだろう。それでは、大型ライブ……心から楽しんでいってくれ」
己の役目はこれでひとまず無事に終わった。
この後の雷志は各期生の企画に特別ゲストとして出演することとなっている。
彼に休んでいる暇は一秒たりともなく、そう言う意味合いでは他スタッフよりも極めて多忙だ。
少しでも時間を無駄にしたくないと、そそくさと舞台から去った雷志だったが、そこにマコトがぱたぱたと追いかけてくる。
彼女の表情はひどく驚愕に満ちており、紡がれる言葉にもいつもの冷静さがほとんどない。
「ちょ、ちょっと雷志さん!」
「どうかしたのか?」
「どうかしたのか、じゃないですよ! あれを本気で砕くとか……雷志さん何者なんですか!? え? 実はアラヒトガミだった、とかじゃないですよね!?」
「まさか、そんなわけがないだろう……」
「いやいやいやいや! 信じられませんから!」
「まぁ、無事にできたんだからそれでいいだろう。俺はあいつらの配信に出るから先に行くぞ」
未だ納得いかない面持ちのマコトを他所に、雷志はその場から静かに去った。
そう言えば、と雷志は何気なく端末に目をやった。
先の演武がどのような影響を生んだか。演者としてもスタッフとしても気になるところである。
――あれ砕くとかスタッフさんもうバケモンじゃん――
――これは下手に凸できへんで……――
――最強のスタッフさんやん。あんなん勝たらへん――
――俺の方が強いけど?――
――↑じゃあ試合動画うpよろしくな――
絶えず流れるコメントに、雷志が下した評価はまずまずといったところだった。
否定的なコメントもちらほらとあるが、大部分はさっきの演武に対する高評価で占められている。
いちいちたった一握りの批判的コメントを拾うぐらいならば、大部分のコメントを拾う。
それはどの業界にでも言えることであり、一部ではなく大部分を大切にすることが一番重要だ。
だからこそ雷志は特になんの感慨もなく、放置しておいた。
本当に文句があるのならば直接言いにくればいい、と彼はこうとさえも思っている。
もっとも、これまでの雷志の動画見て尚も挑もうとする、いわゆるアンチは恐らく。今後も現れることはないだろうが。
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