第11話
その日の夜、社宅のエントランスにて雷志はのんびりとすごしていた。
自室にこもっていても特に予定はなく、かと言って誰かと交流する気もあまりない。
何より女性スタッフがほとんどを占めるのだから、社宅でもそれは言うまでもない。
よって彼に声を掛けようとする者はなく、強いて言うなれば皆一様に視線をちらちらと送るのみ。
しかし当の本人である雷志の意識に、彼女達への関心は皆無に等しかった。
彼の視線は常に、己の両手に纏うグローブだけに注がれていた。
「まさか、こうもあっさり手に入るとはな……」
大男との決闘にあっさりと勝利した雷志は、その対戦相手であった彼からグローブを贈ってもらった。
もちろん彼から強請ったわけではないし、匂わせたような真似も一切していない。
あくまでも大男からの贈り物であり、それと同時にこれは再戦の約束となった。
いつかまた、必ず拳を交えその時こそ勝つ――見かけとは裏腹にまっすぐで純粋な格闘家としての在り方に雷志も痛く感心した。
これは一生の宝物となってくれるだろう。
新しい玩具を買ってもらった幼子のように、飽くことなくジッとグローブを雷志は眺める。
彼是一時間が経過した。すでにエントランスに人気はない。
ぽつんと自分だけが残るエントランスに、一人の女性が不意に訪れる。
「あ、雷志さん!」
「マコト……?」
どこか慌ただしい様子であったマコトに、雷志ははて、と小首をひねる。
どうやら只事ではないらしい。彼がそう察したのは容易で、事の詳細を尋ねるべく雷志も席を立つ。
「……何かあったのか?」
「い、いえ。で、ですが雷志さんにこんなものがさっき届いてまして……」
「なんだ、これは……果たし状?」
「中身はまだ見ていないんですが……」
「…………」
果たし状……物騒極まりない文字とは裏腹に、中身を目にした途端の雷志の表情は一気に呆れ顔へと変わる。
「ど、どうしたんですか……?」
「……中身を見ればわかる」
「え、えぇっと……――って、これ。ウチのタレントの子達の仕業ってことですか?」
「送り主の名前が本当だったら、そうだろうな……」
果たし状の送り主――茨木アカネからの言伝は、つまるところゲーム配信のお誘いだった。
最初こそ真面目な文章だったものの、だんだん砕けた表現へと変わっていく。
おそらく面倒臭くなったのだろうな、と雷志はほとほと呆れた。
(というか、あいつらは俺が一介のスタッフだってことを忘れていないか?)
そんなことを思いつつ、雷志は再度深い溜息を吐いた。
「すまないが、これはアンタから断っておいてくれないか? 研修生の俺が言うよりも、長年ここに務めているアンタの方があいつらも納得するだろう」
「え? 行かないんですか?」
「俺の仕事はあくまでもスタッフ、裏方だ。あまり表舞台に立つような真似はしない方がいい」
それだけを言い残して、エントランスを後にした雷志が向かったのは自室ではない。
「……寝るには惜しいから、少しだけ散歩にでもいくか」
静かに、それでいてとても優しいほのかな月明かりに照らされた町へと雷志は赴いた。
時刻は午後11時前ということもあって、昼間にあった活気はすっかり鳴りを潜めている。
しんとした夜特有に静けさを堪能しつつ、当てもなく偶然にも雷志が行き着いたその場所は公園だった。
老若男女問わず利用する者が多いのは、昼間のみに見せる顔。
夜になると、数多くのカップル達で大いに賑わう。
つまり彼女なしの独り身がくることはすなわち、自ら心に傷を負うも同じであるということだ。
かく言う雷志も、独り身として十分に部類されるが本人は特に気にならない。
「……とりあえず、違う場所へいくか」
どうしてわざわざ、他人がイチャイチャとしている現場を見る必要があるのか。
立ち去ろうとする彼に、その男は横切るや否やぶつぶつとか細い声で呟く。
内容については、男の声量がとても小さかったからよく聞き取れず。
だからとわざわざ耳を近づけてまで聞く必要もなければ、道理すらもない。
よってここは無視をするのに限る――雷志の下した結論は、鋭い風切音と共に消失した。
「……何者だ?」
男の右手で怪しくぎらりと輝くナイフからサッとかわして、雷志は拳をゆっくりと構える。
「ふぅぅぅ……ふぅぅぅ……どいつもこいつも、イチャイチャしやがって……どうしてお前らばっかりいい思いができるんだよ……!」
男の目は、明らかに普通ではない。
ひどく血走った眼をぎょろりと動かし、犬歯を剥きだし荒々しく呼気をする様はまるで獣のよう。
狂人――なによりもこの言葉がしっくりとくるであろう男に、雷志は一歩前へと出る。
周囲にいたカップル達も、この騒ぎに気付きひどくどよめいている。
(さっさと逃げてくれれば、こちらとしてもやりやすいんだが……)
周囲に被害が及ぶ前に終わらせる。雷志は大きく踏み込んだ。
どんっ、という音はさながら大砲を連想させる。
そして敵手へと肉薄する彼もまた、放たれた砲弾のように凄烈に攻める。
たちまち間合いへと入った雷志は、狂人の水月に渾身の正拳突きを叩き込んだ。
ずしん、と鈍く重々しい音と共に彼の拳が深々と水月へと食い込む。
傍から見れば、誰しもが決着がついた――こう察するのは容易だろう。
そして雷志自身も、狂人の身を案じて幾分か手加減をしている。
殺してしまっては、過剰防衛として犯罪者となるのは雷志なのだから。
ましてや格闘技経験者であり、世界大会優勝者であれば余計に罪が重くなる。
(やはり、手加減というのはどうも苦手だな俺は……)
ぐぐもった声をもらすと共に、ゆっくりと前のめりになって倒れた男に雷志は小さく溜息をもらす。
「とりあえず、これで問題はないだろう――おい誰か、警察……っているのか? とにかく、この手の事件に精通している機関に連絡してくれないか?」
雷志が周囲の野次馬たちにそう言及した――次の瞬間である。
その野次馬たちから突如として悲鳴がわっと上がった。
彼らの視線は皆、等しく同じ方向へと向けられている。
「なんだ……!?」
視線を追っていった雷志の表情も、彼らと同様のものへと変わる。
狂人の身体がそれは音も気配もなく、本当に突然出現した。
黒いモヤが煙のようになって姿を民衆の前に晒せば、やがてそれは形を成す。
人型……身長は2m前後は優にあり、最大の特徴は本来ならば備わっているはずの器官が一切なかったこと。
目も口も鼻も、雷志の目前にいる黒き怪物には備わっていない。
代わりにすらもならない両手だが、指はなく鋭利な刃物のように鋭かった。
(無人島で見た時の奴とは、また全然違う……!)
正体不明の怪物の出現――これによって、ようやく公園には雷志と怪物の二人きりとなった。
観客なき公園にて、怪物と対峙した雷志は――不敵な笑みを顔に作った。
今の時代……世界にきてからというものの、刺激が常に絶えない。
それは忙しなく休まる暇がまるでないし、だが退屈しないとも言える。
「本当に元日本とは思えないぐらい刺激的な世界だな、ここは……!」
不敵な笑みを浮かべる雷志に、双刃が容赦なく襲いかかった。
鋼鉄製のポールを一太刀で両断するほどの切れ味である。
人体ならばもっと簡単にすっぱりと斬れるのは、確認するまでもない。
付け加えるならば、防御することも現時点では不可能。
同等の質を伴った武具があればともかく、雷志にはそれが一切ない。
一つだけ、あることにはある。
それこそ、彼が今正しく両手に装着したグローブだった。
店主曰く、術者の技量によってとんでもない力を発揮するという。
これを聞いた時の雷志の心境としては、まるでゲームのようだ、とすこぶる本気で思った。
現実はゲームと同じようにはいかない――かつての雷志ならばきっと、そう鼻で一笑に伏していただろう。
(ファンタジーが融合した今の世界ならば、あるいは……)
可能性がなきにしもあらず。
とは言え、それをいきなり実戦で試そうとするほど雷志も博徒ではない。
危険な賭けには出ない。そう自らを遵守させ、最適な回答を迅速かつ正確に彼は実行する。
刃物は確かに脅威だ。
それは直撃すれば、の話であって要するに当たりさえすればどうということはない。
鋭い風切音が奏でられる中を、雷志は俊敏な体捌きで避け、同時に拳を叩き込む。
彼の拳が、蹴りが、直撃する度に青紫色の稲妻が激しくほとばしる。
そしてついに、強烈な
天をも穿たんとする凄烈な一打に、怪物の巨体がぐらりと揺らぐ。
この隙を逃すほど、雷志もお人よしではない。
これは仕合ではなく、死合だ。急所への攻撃はおろか、命を奪う行為さえも許される。
そのため、雷志の一撃は仕合の時にはない鋭さと重さがあった。
喧嘩で振るおうものならば、即刻死刑すら免れない打撃に、怪物はとうとう背中から崩れ落ちた。
雷志の勝利に揺るぎはなく、完全決着した――もしここに、観客がいれば誰しもがそう思おう。
だが現実は少々、彼の想像とは少し異なるものとして顕現した。
「……あれだけ打ち込んでも、まだ倒れないのか」
すでにむくりと立ち上がった怪物に、雷志は拳を構え直す。
(普通だったら、今頃死んでいてもおかしくないはずだぞ……!)
雷志が狼狽するのも致し方なく、目の前の光景が現実そのものである以上は、これを受け入れざるを得ない。
怪物がけたたましい咆哮をあげて、再度雷志へと強襲する。
その時――突如としてわっと燃え上がった青白い炎が怪物の行く手を阻んだ。
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