第10話
翌朝、いつものように研修を受ける雷志にマコトがそっと声を掛ける。
「――、そういえば昨日見ましたよ雷志さん」
「何をだ?」
「カエデさんとの配信ですよ」
「あぁ、あれは……研修生という立場なのに、あんな風に出てしまって本当によかったのか。今となっても疑問だが」
「まぁ、本来であればあまりよろしくないですけど――でも、リスナーの皆さんも大いに盛り上がっていたし、カエデさん自身もあの後すっごく楽しそうにされていましたよ?」
マコトがそう口にしたとおり、昨晩の配信は異様な盛り上がりと共に無事幕を下ろした。
終始叫び続けもはや解読すら困難を極めるカエデと、対照的に冷静沈着に謎を解く雷志。
両者の対極的な反応が見事なまでに調和され、結果としてリスナーを大いに賑わせた。
雷志の再出演を願う声も決して少なくなかったのは、彼自身が確認済みだ。
(俺なんかが出ても、需要なんかないだろうに……)
リスナーの考えがいまいち、よくわからない。
雷志はそう思った。
「そうなのか? まぁ、俺の仕事はあくまでもスタッフだからな。次はもう出演しないが」
自分は配信者としての才能がまったくない。
それは他の誰でもない、雷志自身がよく理解していた。
人を楽しませる、ということに関しては彼はあまりにも不器用な男だった。
誰かといっしょならば、あるいはできなくもない……かもしれない。
いずれにせよ彼自身には、もう出演する気は毛頭なく。もくもくと画面に向かってキーボードを叩くことに専念していた彼に、その狐娘はふらりとやってくる。
「あ、雷志さん!」
顔を見るなり、ぱたぱたと駆け寄るカエデに雷志は溜息で出迎えた。
もちろん、彼女の来訪を快く出迎えていないことはその態度を見やれば一目瞭然である。
(今度はいったい何をしにきたんだ……?)
怪訝な眼差しを送る雷志に、カエデは終始ニコニコ顔だ。
「いやぁ、昨日の配信は盛り上がりましたねぇ」
「おかげさまでな。どこぞの誰かが大声を出し続けてくれたせいで、若干耳に違和感があるが」
「ちょ、カエデそこまで叫んでないでしょうが!」
「本気でそう言っているのなら、今すぐにでも見直してきた方がいいぞ」
「ふふっ、お二人ってなんだか本当に兄妹みたいで仲がいいですね」
「ちょ、まこっちゃん! 何言ってるんですかカエデはそんなんじゃ――」
マコトの何気ない一言に、カエデが猛抗議した。
心なしかその頬と耳はほんのりと赤みを帯び、時折雷志を見やる視線もどこか熱を帯びている。
対する雷志は、我関せずと言った様子で黙々とキーボードを叩き続けた。
女性スタッフが大多数を占めるここ、ドリームライブプロダクションにて男性スタッフは極めて少ない。
女性ばかりの職場だからこそ、過ちが行らないよう配慮するのは至極当然のことだ。
それについては雷志も特に異論はなく、だからこそあまりにも馴れ馴れしいカエデに彼は心配もした。
(コンプライアンスとか、そう言った研修をこいつらはきちんと受けているのか……?)
もちろん、これが愚問であることは雷志とて重々理解している。
いかに年端もいかない――こう言ってよいものかは、実に微妙なところではあるが。
とにもかくにも、アイドルだからこそその手の研修は必要不可欠である。
そこには種族、性別、果ては年齢も一切関係ないのだから。
「――、それで? 雷志さんは実際のところ、どんな風に思ってるんですか?」
「まこっちゃん……!」
「手のかかる妹、あるいは娘って感じだな。昨日の配信を見返せば、俺の言い分もわかるだろう」
「あはは……まぁ、確かに」
「ひ、ひどい雷志さん! 昨日はあんなにカエデに優しくしてくれたのに……!」
よよよ、とわざとらしく泣き崩れたカエデに雷志はもう気にすら留めていなかった。
とりあえず研修中である今ばかりはどうか邪魔をしないでほしい、とその一心で仕事に励む彼の背を、カエデは恨めしそうに見つめた。
とは言え、頬をムッと膨らませている辺り恐怖は微塵もないが。
「――、それでは雷志さん。本日の研修はこれで終了です」
「え? もう終わりなのか?」
雷志がそう尋ねてはたと時計を見やれば、時刻はちょうど正午になったばかりである。
昨日は午後もあったはずの研修が、午前の部で終わったことに雷志ははて、と小首をひねる。
「実は今日、海外支部との打ち合わせとかがありまして。それで申し訳ないんですが、今日の研修は午前までとさせていただきました」
「なるほど、そう言う事情があるのか……」
「でも、雷志さん本当に初心者ですか? 一度教えたら完璧にマスターしちゃいますし、それに咄嗟の判断力や行動力も素人は思えないんですけど……」
「一応、これでも自分なりに復習はしている」
自宅に帰ったからといって怠惰にすごすことを、雷志はなによりも勿体ないと思う性分だった。
時間は有限なのだ、過ぎ去ってしまった時間は例え神であろうとも戻せない。
だからこそ一秒でも悔いがないように使う。それを遵守した結果が、研修の復習だった。
(修練以外に、これと言ってやることもないからな……)
雷志の回答に、マコトとカエデが揃って感嘆の声をもらした。
「はぇ~雷志さんって本当に真面目なんですねぇ」
「その姿勢は見習わないといけません……ね、カエデさん」
「……え? それ、もしかしてカエデに言ってます? やだなぁまこっちゃん、カエデはこれでも勤勉な方ですよぉ」
「いや、それはないかと」
「まこっちゃんが辛辣すぎて辛い……!」
「……とりあえず、研修がないのなら俺は先に上がらせてもらう」
ぎゃあぎゃあとやかましい事務室を後にする雷志がその足で向かったのは、町だった。
(そう言えばまだ、きちんと町の様子を見ていなかったからな……)
様々な人種が行き交う商店街は、正しく祭さながらの活気を誇る。
彼らにすれば、この光景はもはやすっかり見慣れてしまったものだろう。
大してた関心や刺激もないが、雷志までも同じではない。
ちょっとした露天商一つにおいても、それは雷志の好奇心を大いに刺激するものばかりであった。
中でも特に、彼の目を一際注視させたのは万事屋である。
「万事屋……なんでも売っているから万事屋だが、こんなものまで売っているのか……」
雷志がそう口にして関心の眼差しをやったのは、一対のグローブだった。
黒のレザーグローブで手の甲には鋼鉄製のプレート板がついている。
サイズについても、あたかも最初からそう作られたかのように雷志の手にしっくりと馴染んだ。
ほしい、と雷志はこの時すこぶる本気でそう思った。
とは言え、現在の雷志にはまとまった金が一銭もない。
つまりこの買い物はいわばウィンドウショッピングだった。
「……仕方がない。金が手に入るまでは諦めるか」
後ろ髪を引かれる思いで立ち去ろうとする雷志だったが、一人の男が待ったをかけた。
「――、少し待て」
「……誰だ?」
そう言って制止したのは、大男だった。
肉体はさながら鎧のように分厚い筋肉で覆われ、両腕も丸太のように太い。
そして男は人間ではなかった。頭より生やした一角が、彼が鬼であることを告げていた。
いったい何の用だろうか。雷志は怪訝な眼差しを静かに送る。
「お前だろう、
「……だったら、どうした?」
「……俺と少し手合わせをしてもらいたい」
「……なるほど。そういうことか」
納得した表情をする雷志だったが、彼は大男に対してくるりと踵を返す。
「どういうつもりだ?」
背中越しからでも、男の言霊には明確な怒りが孕んでいることを雷志はしかと感じた。
挑戦者としてきたのに相手にすらされなかった。
プライドを傷つけられた、見くびられたと憤慨するのも無理はなかろう。
肝心の雷志だが、彼にそのような気は一切ない。
むしろ大男からの挑戦を受けたいという強い気持ちさえあるぐらいだった。
では、何故雷志は男の挑戦を拒否したのか――二人の間にはそれだけの力量の差があるがためか?
確かにそれも一理あった。両者には天と地ほどの差があると断言しても、それは決して過言ではない。
雷志は、その程度の理由で自ら退くような男ではない。
「……すまないが、今の俺は私闘は禁じられている。それに、今の時代には決闘罪はないのか?」
「決闘罪? そんなもの生まれてこの方、はじめて聞いたが?」
「……そうか。なら、少しだけ安心した」
振り返り、雷志はその口元をわずかに緩めた。
「決闘が合法にされているのなら、こちらとしても遠慮なくできる」
青紫の稲妻を全身にほとばしらせて、雷志は静かに拳を構えた。
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