第9話
個々に与えられた配信部屋の防音対策はばっちりである。
加えて、何名ものタレント同時によるコラボ配信が可能となるよう室内もとても広い。
そこに主役となる彼女――葛葉カエデを除いて、彼という存在は不相応極まりない。
どうして自分はここにいるのだろうか、とこうすこぶる本気で悩む雷志を他所にカエデはカメラに向かって手を振った。
アイドルとして画面越しにいるリスナーへと向けたその笑みは、太陽のように眩しかった。
「はいはーい! 皆さんこんくずー! ドリームライブプロダクション所属、一期生の葛葉カエデだよ~! 今日はですねぇ、早速……というか本当にみんなのこと恨むからね? ホラーゲームをやっていきたいと思います……」
(突然、テンションが一気に下がったな……)
さっきまでの明るい雰囲気が、一瞬にして皆無となった。
彼女の周辺だけが、薄墨をぶちまけたかの如くどんよりとしてひどく重々しい。
ここでようやく、何故自分が招かれたのかを雷志は理解した。
要するにホラーゲームを一人でするのが怖かったらしい。
とは言え、いくら怖いと訴えられたところで雷志にはどうすることもできなかった。
強いてできることと言えば、無理をしなくてもいいのでは、と身も蓋もないアドバイスを送ることぐらいか。
いずれにせよ、下手なアドバイスや指示は視聴者だけでなく彼女……カエデにとっても気持ちがよいものではない。
故に彼は静観することを選び、しかしそんな雷志の目前でこれより始めんとするカエデはすでに恐怖していた。
まだタイトル画面なのに、とはあえて口には出さなかった。それは野暮というものである。
「えっとですね、それでカエデはご存じのとおりホラーゲームが大の苦手なので今日は強力な助っ人を読んでます! もうカメラに映って……って、めっちゃ不機嫌そう!
「…………」
「あの、雷志さん? お願いですからなんか喋ってくれませんでしょうかねぇ……」
「……ホラーゲームが怖いから俺を呼んだのか?」
「いやぁ、あはは……お恥ずかしい限りでして」
「……俺からは頑張れ、としか言いようがないぞ?」
他のことであるならばともかく、他人のホラーゲーム実況に対してできることなど限られている。
せいぜいが声援を送るぐらいで、代打はさしもの彼も担うつもりは毛頭ない。
この配信はあくまでも、主役はカエデであって己ではないのだ。
見ず知らずの、かつ一介のスタッフのゲーム実況をリスナーも求めてはおるまい。
「えぇ~! そんなこと言わずに助けてくださいよ!」
「そもそも、ホラーゲームの何が怖いんだ?」
雷志ははて、と小首をひねった。
「実際に襲ってきた相手ならともかく、相手はゲームでこっちは死ぬことはないんだぞ?」
「あ、それいっちゃいけないやつ~! どうしてそういうこと言うんですかねぇ! 雷志さんはタレント以前に、女の子の扱いが全然なってないですよ!」
「事実だからな。驚きこそするかもしれないが、恐怖で脚が竦みはしないだろう」
もっともすぎる正論に、カエデは真っ向から噛みつく。
彼女の場合は感情論にすぎないが、雷志はまるで動じることなく淡々と冷静に返した。
(それに、ホラーゲームよりももっと怖い目に遭っているだろうに……)
ゲームと現実とでは、まるで話が違う。
現実だからこそ痛みもあれば、死という概念も常に付きまとう。
自身の命が消えていく時の恐怖は、想像を絶するものだ。
それを一度経験している雷志だからこそ、
ふと、視界にて流れたそれに雷志はジッと凝視した。
――このスタッフ、アイドルにまるで容赦がない……!――
――カエ虐待助かるwww――
――草草草――
「ほら! コメントだってどうしてカエデちゃんを助けないんだって苦情のものが殺到してますよ!」
「……俺が見た限り、そんなものは一つとして流れてないが?」
「流れてるんですぅ! だから雷志さんはいざってなったら助ける必要があるんですぅ!」
「それよりも、そろそろやらなくていいのか? 明らかに導入部分に時間を使いすぎているだろ」
「ひど!」
開始してからすでに5分が経過していた。
雑談枠ならば、それも許されようが今回はゲーム実況がメインである。
いい加減始めなければだれるリスナーが出たとしてもなんらおかしくはない。
ましてや
そうと危惧しての雷志の行動だったが、カエデは痛く立腹した様子である。
頬をムッと膨らませて抗議の眼差しを送る姿は、外見相応で大変かわいらしい――が、精神は71歳だ。
――辛辣で草――
――なんだろう……好感がとても持てます――
――というか、顔かわいすぎなんだが?――
――このスタッフさんも推せるわwww――
――もっとカエ虐おなしゃす――
「ちょっとぉぉぉぉぉ!? ここにはカエデの味方が一人もいないのぉぉぉぉぉ!?」
「いい加減諦めろ」
「うぅぅぅ……それじゃあ早速、やっていきたいと思います……」
すっかり意気消沈したカエデがプレイするゲームは、俗に言うVR体感型だった。
(時代が流れても、こういった娯楽はある……か)
唯一過去との相違点をあげるとすれば、その技術力は遥かに凌駕していよう。
アラヒトガミや妖怪……非科学的エネルギーが実在する現代であるからこそ、創作でしかなかったものが実現している。
雷志が生きていた時代の技術力も、素人ながらも優れたものばかりだった。
その認識も、超越した技術力をこうもまざまざと見せつけられては雷志も感嘆する他ない。
如何にあの時代がレトロであったか、そう思い知らされる中で始まったゲームを雷志は静観した。
「あ……あ……」
「……まだ始まったばかりだろう」
「それでも怖いものは怖いんですぅ! というか、雷志さんも動いてくださいよ!」
「どうして俺が?」
「これ、協力プレイをする奴です。ほら、画面上にカエデとは別の体力ゲージが出てますよね?」
「おい、俺はいっしょにゲームをするなんて一言も言ってないぞ」
「お願いだからカエデを一人にしないでくださいよぉぉぉぉぉ……!」
必死すぎるその懇願に、雷志は小さな溜息をもらした。
(こうなったら、俺もやるしかないのか……)
余談ではあるが、雷志はゲームの類についてはほぼ経験がない。
ずっと格闘家としての道を歩み、修練するのに余念がなかったことももちろんある。
しかし、実際のところは彼にはゲームをする腕前が一部を除いて壊滅的だった。
わかりやすい事例だと、キャラをまっすぐ歩けさせない。
つまりドがつくほどの下手くそでもあるから、雷志はカエデといっしょにしたくなかった。
これも立派な理由として含まれる。
もっとも、今回は体感型であるのでコントローラーの操作は、ほとんど必要としない。
専用の周辺機器を突如として渡され、カエデの隣を歩く。
「しかし、なかなかすごいな。この台の上を歩けばキャラも動くんだろう? それに行き過ぎないようにしっかりとアームで身体も固定されているが不快感もないし、装着しているという感じも一切しない。本当に自然のまま、歩いている気分だ」
「ふっふっふーこのゲームの面白さに気付きましたね?」
「……だったら尚更、一人でも十分できるんじゃないのか?」
「それは無理なんでほんと勘弁してください」
「情けない奴だな……」
舞台は鬱蒼とした森の中だった。
空は漆黒に染まり、唯一の灯りは手にした懐中電灯のみ。
その灯りさえも弱々しく、今にも消えてしまいそうな雰囲気をひしひしとかもし出す。
周囲に人の気配が皆無であるように、建物らしきものも特には見当たらない。
ただ木々がずらりと並ぶ一本道を、雷志はひたすら歩いていた。
時々頬を撫でる微風は妙に生暖かく、それが不快感となって雷志の眉をわずかにしかめさせた。
一方で、カエデはというとすっかり引け越しで足取りについてもひどく弱々しい。
「あっあっあっあっ……!」
「……カエデ、お前はさっきから何をやってるんだ?」
「だって怖いんですもん! というかカエデのこと置いてかないでくださいよ!」
「お前が遅いんだろう……」
――カエ虐ここに極まれりwww――
――マジでこのスタッフさん容赦なさすぎwww――
――カエデちゃんの悲鳴たすかるわぁ――
――というか、スタッフさんのメンタル鋼鉄すぎてワロタ――
コメントに煽られながらも、少しずつ前へと進むカエデ。
対する雷志は、すでに彼女から遠く離れた位置にいた。
置いていくつもりはさしもの雷志にも毛頭ない。
あくまでもこれは索敵である。
ホラーゲームである以上、プレイヤーはなにかしらに襲われる運命だ。
(突然目の前に現れたりでもしたら、カエデの奴は心臓発作でも起こすんじゃないか……?)
あくまでも可能性の域を脱しず、むしろ過剰な心配だと言えなくもない。
だが、開始してからおよそ15分……未だスタート地点の付近にいるカエデを見やればそれもありえなくはなかった。
そんなに怖いのならば最初からしなければよかったものを。
すこぶる本気でそう思う傍らで雷志は彼女が来るのをジッと静かに待つ。
例え、そこから更に数分が経過しようとも決して苛立ちを顔に出すことはしなかった。
「ふぅ……ふぅ……な、なんとかここまで合流できましたぁ」
「……感動の雰囲気を出しているところに水を差すが、まだ序盤も序盤だろう」
「カエデにしたらもうこのままエンディングを迎えたい気分ですよ!」
「…………」
「でもぉ、えへへ。これってなんだかデートみたいじゃないですか?」
「デートをするのにこんな場所を選んでいる奴はただの馬鹿だろう。それに、俺からすればこれはデートじゃなくて子守りだな」
「あー! それってカエデが子供っぽいって言いたいんですか!? これでももう立派な妖狐じゃい!」
「わかったわかった。それよりも早く行くぞ」
「うぅ……ウチの新人スタッフが冷たいよぉ管狐くん……」
「なんだ、それは?」
「ウチのリスナーさんです」
雑談を交えつつ、雷志はゲームを進めていく。
その間、視聴者数は未だ留まることを知らず。すでにこの配信だけで5万人ものリスナーが集った。
コメントも彼らのやり取りについては、まるで漫才のようだ、本当の兄妹のよう、と大変あたたかい。
そして主役……特にカエデについては、もう余裕の欠片さえもなかった。
「いやぁぁぁぁぁぁ! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
「……まだ何も起きてないだろうに」
「もう無理だぁ……うへぇぇん……怖いよぉぉ……」
「とりあえず、怖いのなら早く終わらせてしまうこと――ん? おい、あの赤いフードの男はなんだ?」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ! 出たぁぁぁぁぁぁ!!」
「だからいちいち叫ばなくてもいいだろうに……まったく」
どかどかと床を蹴り必死の形相で逃げ惑うカエデの後を追うようにして、雷志もまた床を蹴る。
こんなことをしていていいのだろうか、とそんなことをふと思った。
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