第8話
ライブも無事に終えた翌日、雷志の表情はひどく怪訝なものであった。
今日から研修期間を受ける彼だが、突如としてそこに待ったがかかったのである。
もちろん、そう指示を出したのは他の誰でもない。夢見タイゾウその人である。
いったいどういう用件なのか。
重要な話があるとは、果たしてどのようなことなのだろう。
終始疑問を表情に滲ませながら向かった社長室にて、雷志はそれを遠慮なく当人へとぶつける。
「――、それで社長。俺に話というのはいったいなんなんだ?」
「えぇ、いきなり呼び出したりしてすいません。実は、今後の雷志君の動きについてなんですが……」
「……クビ、もしくは転属ということか?」
「いやいや! 違いますからね!? 雷志君には今後もスタッフとして働いていただきます、がタレントと同じようにも是非活動してもらおうと思ってまして」
「……は?」
タイゾウが発した一言は、雷志を困惑させるには十分すぎるものだった。
(俺が、タレントとしてだと……?)
当然ながら、雷志はこの決定に異を唱えずにはいられない。
「ちょっと待ってくれ。じゃあ俺も人前で歌ったりダンスしたりしろってことなのか?」
格闘大会に出場する以上、メディアがそこに介入するのはまず確認するまでもない。
特に世界を舞台とするほどのビックイベントであれば、尚更のことだと言えよう。
そう言う意味では、雷志は人目に晒されることについては慣れている。
とは言え、カメラの前で演じる時はあくまでも対戦相手と真剣勝負である。
いきなりダンスなどを披露しろ、とこう命令されたからと言って素直に彼が頷けるはずもなかった。
いくらなんでもこれは無理だ。そう否定の姿勢を見せる雷志に、しかしタイゾウは優しい笑みを浮かべたままだ。
「大丈夫ですよ、さすがに僕だっていきなり他の子と同じようにダンスをしたり歌ったりして、とは言いませんから。タレントのように、といったのはサブ……彼女達の補助約として出演していただきたいんです」
もちろんそれ用の研修にも受けてもらいますが、と一言を添えるタイゾウに雷志は沈思した。
(俺がタレントといっしょに出演する……か)
雷志にとってそれが未知の領域であるのは言うまでもない。
まるでイメージができないから、彼の胸中で不安が渦巻くのは致し方なく。
これならばまだ対戦相手と対峙した時の方がよっぽど気楽だ、とすこぶる本気で思った。
「昨日のコメントも、雷志さんについて人気っぷりはすごかったからですね」
「しかし、その……男である俺が出演してもいいものなのか?」
「大丈夫ですよ。雷志さん、かっこいいですけどなんていうか、かわいさもありますから」
「……素直に喜べない言葉だな」
雷志の容姿は、どちらかと言えば中性的な容姿だった。
格闘家としてはやや小柄な方に部類され、筋肉もすらりと細い方である。
しかしその実、彼が発する
こうしたギャップから女性からの支持率が極めて多かった。
そしてそこに嫉妬する者も決して少なくはない。
これまでに相対した者のほとんどが、そうした嫉妬という醜悪な感情に囚われた輩だった。
ごうごうと燃え盛る焔の如き赤き瞳に加え、
紅き闘神……かつてのリングネームを知る者は、もう存在しない。
「――、もともと、あの無人島での出来事が雷志さんの人気を集めたといってもいいぐらいですからね。それに、もう再登場してほしいとコメントしているリスナーさんもいますよ?」
「……俺のどこに需要があるんだか」
よくわからない、と雷志は思った。
とにもかくにも、会社からの決定であれば雷志にそれを拒否するだけの権限はない。
あくまでも彼は、一介のスタッフ……言うなれば平社員にすぎないのだから。
行く当てもない身であるならば、尚更この決定には従う他ない。
雷志は静かに首肯した。
「どこまでできるかわからないが、とりあえずやってみよう」
「では、よろしくお願いしますね。それじゃあ今日から研修、頑張ってください」
「あぁ……」
そうして途方もない不安を抱えたまま始まった研修だが、雷志は常に上の空だった。
せっかくのマコトの指導もほとんどを聞き流し、しかし一応できるという才能っぷりを見事に発揮する。
結果としてはよくとも、対人関係において彼の言動はあまりいただけたものではない。
それがわからないほど雷志も幼くはないが、彼の脳裏は未だにタレントとしての活動……ただこの一点だけに縛られていた。
「――、大丈夫ですか雷志さん。なんだか顔色が悪いですよ?」
さすがに見かねてか、マコトがそう尋ねた。
「……すまない。ちょっと悩みというか、考え事ばかりをしていた」
「社長との話し合いでなにかあったんですか……?」
「……ここのスタッフはタレントといっしょに出演したりとかするのか?」
「あ、もしかしてそのお話だったんですか? 入社してまだ三日も経ってないのにすごいですよ雷志さん」
「……すごいものなのか?」
「普通、タレントとスタッフがいっしょになって出演することはありませんから。声ぐらいならたまに入るでしょうけど、でも実際に出演するのは、社長やタレント達からのよほどの信頼関係がなければ不可能ですね」
「……その信頼関係を、まだ三日も経過していない相手に寄せていいものなのか?」
ドリームライブプロダクションの面々は、いささか警戒心が薄すぎる。
ほとほと呆れながらも研修は滞ることなく進み、やがて訪れた昼休み。
各々が食堂や外で昼を食べる中で、雷志だけが屋上にいた。
屋上に人気は一切なく、しんとした空気はどこか物寂しい。
それも人よりけりで、雷志はこの静寂に心地良さを憶えていた。
もくもくとした雲が青空をゆったりと流れ、頬を撫でる微風は大変優しい。
平穏な時間の中でもくもくと食事をする傍らで、雷志は物思いにふける。
「スタッフ業でさえもどうなるかわからないのに、今度はタレントとしても活動する、か……」
あまりにも事態が目まぐるしく動きすぎているから、雷志は思わず第三者の介入を疑ってしまう。
事実は小説よりも奇なり、という諺があるが果たしてこうも起こるものだろうか。
なんだか物語の主人公の気分だ、と雷志は自嘲気味に小さく笑った。
(俺は主人公、なんてガラじゃないな)
主人公に相応しい人物ならば、他にももっとたくさんいる。
少なくともここ、ドリームライブプロダクションにはすでに数多くの主役であふれていた。
そこにモブが介入できる余地は微塵もない。
「どちらにしても、俺にやる以外の選択肢はないか」
溜息を一つして、雷志は屋上を後にする。
そうして始まった午後の研修も無事に終えて帰宅しようとする彼に、一人の少女がたったったっと駆け寄った。
「こんくずー! 雷志さん」
パタパタと忙しなく尻尾を揺らす狐娘――もとい、葛葉カエデに雷志ははて、と小首をひねった。
カエデのスケジュールでは、この後すぐにゲーム実況配信があることを、雷志はしかと記憶していた。
その時間まで後30分もなく、悠長にしていられるだけの余裕がないはずのカエデを雷志が疑問視するのは至極当然だった。
「こんなところで何をしているんだ? お前はこれからゲーム実況配信があるんだろう?」
「えぇ、ありますよ。そこでちょっと……ちょぉぉぉっと雷志さんにお願いがあるんですけどぉ。カエデのお願い聞いてくれたら嬉しいなぁって思ったりぃ~思わないようで、でもやっぱり思ったりぃ~?」
「……とりあえず用件をさっさと言ってくれないか?」
「じゃあ今日カエデといっしょにゲーム配信しませんか?」
「なんだと?」
あまりにも突拍子もないカエデからのこの誘いは雷志の顔をひどく驚愕に歪ませた。
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