第5話

 雷志が偶然行き着いたその場所は、ダンスレッスン室だった。

 ダンスをすることを目的としているので、中はとても広々としている。

 すでに数名の入室者がいるものの、余裕はまだまだあった。

 その中には、雷志が唯一知っている顔もいた。

 トレーニングウェアに着替えているカエデ達は、その健康的な肌にうっすらと汗を滲ませている。

 どうやらついさっきまでずっとトレーニングをしていたらしい。

 さすがアイドルだから練習に余念がないな、と雷志は思った。

「この時の動画、すっごい反響だったらしいじゃない! 無人島にいた謎の格闘家、颯爽と現れてたった一撃で怪物をやっつけちゃう強さ! モエも見てたけどめっちゃすごかったよ!」

「いやぁ、あの時カエデ達本当にやばかったからなぁ」

「でも、雷志……さんだっけ? どうしてあんなに強いんだろ」

「無人島でずっと修行してたって」

「今思うと、某すごいとか言えないんだけど……」

 きゃあきゃあと姦しく会話に花を咲かす面々に、雷志はそっとその場を後にする。

 あくまでも己が一介のスタッフである、ということを理解しての行動だった。

 下心があるものならば、彼女達と少しでも近づきたい。

 こう思う輩がいたとしてもなんら不思議は話ではない。

 むろん、スタッフとしてその思考はあるまじきものだ。即解雇すべきだろう。

 必要以上に仲良くなるつもりは、雷志も更々ない。

 裏方として決して表舞台には出ない――そう自らに言い聞かせる。

 そんな彼を、ひょっこりと顔を覗かせた少女がにこりと笑みを浮かべると共に手を引いて制止した。

 またか、と振り返った雷志の表情だが、相手に対して若干呆れた様子だった。

「雷志さん! どうしてカエデ達に挨拶もせずに行こうとしちゃうんですか!?」

「……別に、俺はお前達に対して特に用はない。それに今はダンスレッスンの最中なんだろう。だったら尚更、お前達の邪魔をしない方が断然いいに決まっているだろう」

「いやいや! そこは普通、アイドルの近くで働けるもっとお近づきになりたいきゃっほー! ってなるところじゃないですか!?」

「お前はさっきから何を言ってるんだ?」

 一人興奮した様子のカエデを他所に、雷志はさっさと立ち去る。

(ここには人間のアイドルもいるんだな……)

 カエデ達が等しく妖怪であるから、ドリームライブプロダクションは妖怪専属とばかり雷志は思っていた。

 実際は、人間もアイドルとして起用しているし数も決して少なくはない。

 その興味も程なくして忘却の彼方へと追いやった雷志が次に屋上へと向かった。

 特にここへ訪れた目的は彼にはなく、強いて言うなれば……なんとなく。そんな実に曖昧極まりない理由からに他ならない。

 青々とした空の下、心地良い微風に頬を撫でられながら雷志は大の字に寝転がった。

「――、いつの時代、世界になろうと空が青いのも太陽がまぶしいのも変わらず……か」

 神話、古の日本、そして現代に近しい技術……これらが総合した世界は、雷志には正にファンタジーの一言に尽きた。

 実は異世界ではないのか、などという考えさえも脳裏にふとよぎる。

 現実は、非情だ。かつての名残がある分余計に質が悪い。

 どうして、とその問い掛けはもう今日だけで何度しただろう。雷志は自嘲気味に笑う。

 自分だけがあの無人島にいたから助かったのか、別の要因か。

 今となってしまっては確認する術はなく、いずれも生存している。この事実にはなんら変わりない。

「俺は……この先どうなるんだろうな」

 その呟きは誰かに向けて発したものではなく、しかし。

「それはあなた次第だと思いますよ、雷志さん」

 彼の呟きに応える者がいた。

 相変わらず大の字に寝転がったまま、視線だけをやれば優しい笑みをしたマコトの姿がそこにあった。

「……どうして」

「ここ、いいですよね。私もお気に入りの場所なんです」

「…………」

「雷志さんどうですか? ドリームライブプロダクションは」

「……正直にいってまだ、なんとも言えないっていうのが本音だな」

「まぁ、普通はそうでしょうね……だけど、大丈夫ですよ。雷志さんならきっと」

「……どうしてそんな風に言い切れるんだ?」

「それは、もちろん。タイゾウ社長の慧眼が本物だからですよ。あの人のお目にかかった人は、本当に宝石のようにキラキラと輝いていますから」

「……だとしたら、俺がハズレにならないように頑張るしかないな」

 のそりと立ち上がって、雷志は青空をぼんやりと仰いだ。

 未来がまるでわからない、そのことへの不安が未だ雷志の胸中でくすぶる。

 とは言え、彼ももうとっくに成人した立派な大人だ。

 与えられた仕事を放棄するような真似はもちろんしない。

(とりあえず、できるところまでやってみるしかない……か)

 不安を押し殺して、雷志は自らに誓った。

「――、それでは雷志さん。本格的な研修は明日からとなりますので、今日はゆっくりと休んでくださいね」

「あぁ、そうさせてもらう」

「それと、もう一つだけ」

「――、ん? まだ何かあるのか?」

「……タレントの子達とは、もっと仲良くしてあげてくださいね。アイドルといっても、彼女達はまだまだ幼いし、遊び盛りな年頃ですので。皆も雷志さんとはもっと仲良くなりたい、そう思っていますよ」

「……一応、善処はしておく」

「えぇ、是非そうしてあげてくださいね」

 マコトが去った後の屋上で、雷志は未だそこにいた。

 何をするわけでもなく、先程と同じように空をぼんやりと見上げるだけ。

 しばらくして、短い呼気をもらすと共に彼は拳を構えた。

 そして、虚空に向かって鋭い正拳突きを打ち出す。

 これは、彼が昔からずっと行ってきたいわば癖だ。

 迷いが生じ、それがどうしても払えない時は思いっきり身体を動かす。

 やっていることはとても単純ではあるが、一度思考をリセットするにはちょうどよかった。

 なにより雷志自身、そうしている時間が好きだったこともある。

 静寂の中に、鋭い風切音を鳴らし続ける彼にまた、新たな来訪者がひょっこりと顔を覗かせた。

「あ、雷志……さん」

「ん? お前は確か……」

「か、風見フウカです。第一期生の……」

「レッスンはもういいのか?」

「は、はい! ついさっき今日のレッスンが終わりました」

「そうか」

 会話を早々に切り上げて、雷志はゆっくりと拳を解くと踵を返した。

 その一方では、フウカはおどおどとした様子である。

 練習は、あまり他者に見せるものではない。

 単純に気恥ずかしいし、集中できないというのも理由に含まれる。

 むろんそれだけではなく、最大の理由としては己の弱点を晒すことになりかねないからだ。

 技のその真価とは、初見だからこそ大いに発揮するものである。

 技を知らないからこそ、勝機はぐんと跳ね上がろう。

 今や、世の中になにかと形として残る時代だ。それは一巡した世界とてなんら変わらない。

 それ故に雷志はフウカの前で修練をやめた。

 再開は、彼女が屋上より去ったその時だろう。

「…………」

「あ、あの……雷志さん」

 フウカは、どうやらまだ屋上から去るつもりがないらしい。

 背後よりおずおずと尋ねる彼女に、雷志は今一度向かい合った。

「どうかしたのか?」

「あ、あの! ウチ、今度一期生のカエデちゃんとアカネちゃんといっしょにライブ配信をするんです! だからその、雷志さんもぜひ撮影現場にきてください!」

「撮影現場……というと、ここでやるのか?」

「あ、はい! 基本は配信という形でやるのがドリプロの方針なんです。もちろん、おっきい場所で実際にライブをすることもありますけど……」

「……それは、いつなんだ?」

 雷志がそう尋ねた瞬間、フウカの顔にパッと笑みが咲いた。

 さっきまで終始おどおどとしていた様子はなく、明るい笑みと共に饒舌になる。

「えっとですね、配信日は明後日の夜七時です。一時間ほどですけど、でもウチら一生懸命練習の成果を見せますので期待しちゃってくださいね!」

「……わかった。楽しみにしておくとしよう」

「はい! 頑張っちゃいますから!」

 フウカの屈託のないその笑みは、雷志の頬を自然と緩めた。

(そう言えば……アイドルとか、ライブとか。今まで一度も行ったことがなかったな)

 興味がまった湧かなかったものへと触れる、これはある意味いい機会だと言えよう。

 ドリームライブプロダクションのスタッフとして働くからには、よく知る必要がある。

 雷志はそう思った。

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