第4話
都心にあるその建物は、周囲と比較して一番大きかった。
規模はもちろんだが、高さも十分高い。
(さすがはアイドル事務所……相当人気があるみたいだな)
辺りを物色する雷志を、周囲のスタッフが向ける視線はどれも怪訝なものだった。
事情を知らないのだから、このような反応をするのも致し方がない。
はっきりと言ってしまえば、雷志はこの場においては部外者にすぎないのだから。
「――、お待ちしてました。私はドリームライブプロダクションのスタッフをしている、マコトと申します」
黒縁メガネが良く似合う、が言葉悪くして言えば地味な女性がぺこり、と頭を下げた。
雷志もわずかに遅れて、小さく頭を下げる。
「すでに社長からお話は聞いております――どうぞ、こちらに」
「あぁ……」
「それじゃあウチらはこれで」
「また後でカエデ達に会いにきてくださいよ!」
「某も待ってるぞぉ~」
カエデ達を見送った後で、応接室にて相対したその男を雷志はジッと見やった。
「やぁ、はじめまして。ボクがこのドリームライブプロダクションの代表取締役。夢見タイゾウって言います」
自らをそう名乗った男は、一見するとどこにでもいそうな男だった。
(見た目は普通の中年男性……ってところだな)
しかし、見かけに反して代表取締役なのだから実力は本物であろう。
温厚な雰囲気に似合う優しい表情が、印象的な男だ。
雷志はそんなことを、ふと思った。
「……
「えぇ、まぁまぁ。まずはそこに腰を掛けて――じゃあ、改めて。今回はウチに所属しているタレントとスタッフを、危ないところから助けてくれてありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げたタイゾウを、雷志はどこか呆れ顔で見つめた。
彼自身もフウカに言及したように、謝礼が欲しくて助けたつもりは毛頭ない。
あくまでも偶然、危機的状況に遭遇しただけにすぎない。
故に今でも特に謝礼を雷志は求めておらず、しかしタイゾウは深々と下げた頭をなかなか上げようとしない。
「――、とりあえず頭を上げてくれ。アンタのところのタレントにもいったが、別にお礼を言ってほしくて助けたわけじゃない。だから気にしないでくれ」
「だけど、それでもお礼を言わせてください――ありがとう」
「……律義だな」
「――、さてと。それでは雷志君。君をここに呼んだのはお礼を言うためだけじゃありません」
「……まだ何かあるのか?」
「――、
「なに?」
タイゾウからのこの提案は、今の雷志には願ってもいないことだった。
彼という存在は、もはやここでは遥か遠い過去の人物でしかない。
2000年以上も昔の人間に、住民票や戸籍があるわけもなく。
よってタカマガハラにおいて雷志が第一にすべきは衣食住の確保である。
もちろん、それだけでなく今後のことを踏まえれば資金の調達もとても重要だ。
これらを一度に得るチャンスが、すぐ目の前にある。
これを逃す道理はなく――だが、いったいどういうつもりなのか。
雷志は疑問から眉をしかめた。
「どうして、俺にその話を?」
「理由としてはいくつかありますけど……皆からちょっとだけ話は聞きました。正直に言って、僕も未だ半信半疑ってところです」
「それは……」
「だけど、ウチのタレント達を助けてくれた恩人であることには変わりません――だから、どうですか? ウチでスタッフとして働いてみるというのは」
「……俺は、生憎と格闘家だ。パソコンを使った仕事はほとんどやったことがない。そんな人間でも務まるものなのか?」
アイドル事務所が特殊な職場であることは、誰しもが容易に早々しよう。
普通ではないからこそ、一抹の不安が雷志の胸中をぐるぐると渦巻く。
果たして、未経験者である自分がうまくやっていけるのだろうか。
雷志がそう思うのも無理はなく、しかしタイゾウは優しい笑みのままゆっくりと口を開いた。
そこより紡がれる言霊はとても穏やかで優しい。
「大丈夫ですよ、いきなり一人で全部やれって言ってるわけじゃありませんから。それに研修期間もありますし、担当にはウチの主戦力であるまこっちゃんをつけますから」
「まこっちゃん? あぁ、さっきの人か」
「それに、あの動画を見た時僕は直感したんです――彼はきっと将来、とんでもない大物に化ける、と」
「それは……いくらなんでも買い被りすぎじゃないのか?」
「ふふふっ、こう見えても僕の直感力はものすごく当たるんですよ? というわけで、改めてよろしくお願いしますね雷志君」
「――、あぁ。わかった。こちらこそよろしく頼む」
雷志は、早速ドリームライブプロダクションのスタッフとなった。
しかし、書類関連についてはさしもの彼もそのあまりのいい加減さに不安を憶えるのを禁じ得ない。
(確かに今の俺には住所もなにもないが……これで本当に大丈夫なのか?)
厳格でないことは、今を生きる雷志にとっては大変やりやすい。
反面、いざ不祥事が発覚した際の危険性について彼は危惧する。
とにもかくにも、今後はうまく立ち回らねばいけないだろう。雷志はそう思った。
そうして書類関連も無事に終えた雷志は、現在――社員寮へと案内された。
ドリームライブプロダクションの事務所から徒歩10分。
並木道を越えたその先にて出迎えた建物に、雷志は思わず感嘆の息をもらした。
「……なんとなく想像はついていたが。いざ実物を前にするとすごいな」
例えるならば、一級の温泉旅館と言ってもなんら違和感はなし。
立派な中庭が見えるエントランスを通り、これからの居城となる自室を目前にした雷志はまたしても感嘆した。
部屋の広さはおおよそ8畳ほどで、ベッドや机などの必要最低限の家具も付属されている。
(一人暮らしをするのなら、この環境は広すぎるぐらいだな)
雷志は周囲をまじまじと物色した。
「――、それではこちらが雷志さんの自宅となります。一応、内装については自由ですけど破損とかしたらその時はもちろん修理代が発生しますから気を付けてくださいね」
「あぁ、もちろんだ――俺が前にいた場所よりもずっといいな」
「あの、無人島での洞窟暮らしですか? いや、それはさすがにそうだと思いますけど……」
「いや、それよりも前に住んでいたアパートだ。家賃は安いのが売りだったが、環境については最悪だったな」
雷志が以前居としていたアパートは、一言で言うなればなにもかもがボロボロだった。
外観は最悪の一言に尽きれば、内観も例外にもれることなく同様にひどい。
音漏れ、雨漏りは日常茶飯事で、加えて雷志の部屋は俗に言う事故物件だった。
そんな劣悪極まりない環境下で、よくぞ無事に生きていたものである。
雷志はそうすこぶる本気で思う反面、懐古の情に浸った。
一方で、マコトだけは頬の筋肉をひくりと釣りあげていた。
「よ、よくそんな場所で暮らしていましたね……」
「人間、慣れてさえしまえばどうということはない。住めば都、とはよく言ったものだ」
「それは……もしかして、雷志さんが生きていた時代で使われていた言葉ですか?」
「あぁ、そうだ」
「なるほど……勉強になります。古代については、未だ謎が多くありますからね。わかっていることと言えば、どうして古代人が滅んでしまったのか、これぐらいですし」
「…………」
マコトから社員寮でのルールをしっかりと聞いた後、雷志は再びドリームライブプロダクションの事務所へと戻った。
初日ということもあって、特に今日すべき予定は特にはない。
だからと言って、何もせず自室で怠惰に過ごすのはあまりにも時間がもったいない。
なにより雷志自身が、とにもかくにも身体を動かしたい。そんな気分に苛まれていた。
「しかし、ここは本当に規模がすごいな……まるで迷路だ」
「――、ねぇねぇ。この動画見た? すっごいよねぇ」
「ん?」
不意に耳に入ったその言葉に、雷志は視線をそちらへとやった。
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