第3話

 その日、空は雲一つない快晴だった。

 青々とした空は、それだけで自然と心を穏やかにする。

 さんさんと輝く陽光は眩しくも暖かくて、その下では小鳥達が優雅に泳いでいた。

 時折、頬をそっと優しく撫でていく微風は大変心地が良い。

 今日のような天候はまさしく、絶好のピクニック日和であると言えよう。

 ここ、タカマガハラでは老若男女問わず多くの人でわいわいと賑わっていた。

 さながら祭のような賑わいの中、雷志ただ一人だけが呆然と立ち尽くしていた。

「これは……」

 そうもそりと呟いた彼の表情は、絶望にも似たものだった。

 これは決して誇張ではなく、事実雷志は目前に広がる光景にひどく狼狽していた。

 2000年以上の時を経て現在へと至った町並みは、記憶にある光景とはまるで異なる。

 見知った物は何一つなく、辛うじてかつての名残を感じさせるものが今では展示物扱いだ。

 加えて住人についても、雷志は驚愕するのを禁じ得ない。

(人間……ばかりじゃない。なんなんだ、この人外達は!?)

 タカマガハラに住まう者達は、人間だけにあらず。

 この情報については、事前に船の中で雷志は耳にしていた。

 浄化の力を有し奇跡を起こし人々を導く者――アラヒトガミ。

 身体能力に優れ、また不可思議にして独自の術を操る――妖怪。

 要約すれば、タカマガハラには数多くの人種が共存していた。

 もっとも、これらは雷志から言わせればすべて幻想的存在でしかない。

 妖怪などが実在する。

 これはもう、ファンタジーといっても過言ではなかろう。

 よもや生きている間に本物の人外と遭遇するなど、誰も想像すらしないだろう。

 そう言う意味では、雷志は現在とてつもなく貴重な体験をしている。

 その代償が、天涯孤独であるというのはいくらなんでも対価が対等ではない。

「えっと……大丈夫、じゃないですよね」

 そうおずおすと口にしたのは、腰まで届く金色の髪に翡翠色の瞳が印象的な葛葉カエデだった。

 燃え盛る金色の体毛に包まれた狐耳と尻尾も、この時ばかりは忙しなく動いている。

 そういう彼女だが、帽子にサングラス。果てはマスクとその出で立ちは極めて怪しい。

 これは彼女だけに該当せず、他の面々はもちろん。雷志でさえも例外ではなかった。

「これが……俺がいた地球――いや、日本なのか?」

「今はヤマトという名前ですけどね。そしてここが東のミヤコ『タカマガハラ』です」

「…………」

 ふらふらとした雷志の足取りは、ひどく覚束ない。

 今にも転んでしまいそうな大変危なかしい雰囲気をかもし出す彼を、誰も制止しようとはしない。

 厳密に言うなれば、彼女達はどう声を掛ければよいかがわからなかった。

 現在の彼はいわば浦島太郎のようなもの。

 一年と思っていたのが、まさか2000年以上もの歳月が経っていたのだ。

 その身を襲うショックは想像を絶するものなのは、言うまでもなかろう。

 だからこそフウカ達がどのように声を掛けたものか、わからなかったとしてもなんら非はない。

 それはさておき。

「…………」

 多くの住人から訝し気に見やられることさえも、まったく意に介さず。

 町中をふらふらと徘徊する雷志だったが、彼のその足取りはある方向を目指していた。

(確か……こっちにいけば)

 なにもかもがすっかりと変化してしまった町は、しかし辛うじてかつての面影を残してもいた。

 これは雷志にとっては、奇跡と言っても過言ではなかろう。

 それらを辿って、やがて着いた先にて雷志はがくりと両膝から崩れる。

 雷志の目前には、ごくごく普通の一軒家があった。

 そこに住まう親子のたわむれる様子は、とても微笑ましい。

「…………」

 そんな様子を外から眺める雷志は、傍から見れば不審者でしかない。

 それがわからないほど、彼も愚かではないがどうしても感傷に浸らざるを得ないだけの理由がある。

 なにせ、今雷志が目にしているその家こそかつては我が家があった場所なのだから。

 周辺の土地や地形もがらりと変化してしまえば、家自体にかつての面影は欠片さえもない。

「父さん……母さん……ッ!」

 地面を力いっぱいに叩いて、雷志は呪うように自問する。

 どうして自分だけがこうして生き残ってしまったのか、と――。

「……その、こんなことしか言えないですけど……元気出してください」

「……お前は」

 いつの間にか、背後にはカエデが立っていた。

 雷志の肩にそっと触れるその手からは彼女の優しい温もりが伝わる。

「雷志さんの気持ちは、なんとなくわかります。だけど、こんなことカエデが言う資格なんてないですけど……どうか、生きることを放棄しないでください。雷志さんだけがこうして生きているのにはきっと、なにか特別な意味があるはずですから!」

「……特別な意味、か」

「おっ、ねぇねぇそこのお嬢ちゃん。かわいいけど、今もしかして暇してる感じ?」

 不意にやってきたその男達を、雷志は気怠そうに視線をやった。

 数は六名で、にやにやとした笑みと言動から彼らが善良な市民であるとはお世辞にも言い難い。

 なにより、誠に善良なる市民であるのならばその手に刃物を携えてはいないだろう。

 刃長およそ6cmほどのバタフライナイフは、見た目からして安物極まりない。

 安物ではあるが、容易に手に入るだけでなく刃物という立派な凶器でもある。

 第三者からすれば、恐怖の対象となるのは至極当然だった。

「……失せろ」

「はぁ? なんだてめぇは」

「失せろ、と言ったんだ。今の俺は、すこぶる機嫌が悪い」

「おいおいなんなんだよこのクソ生意気な奴は。邪魔すんなら痛い目に遭う――」

 あくまでも、一般市民だったならばナイフは確かに恐ろしい武器と化そう。

 世の中には現存する武器よりももっと恐ろしい武器を持った輩がごまんといる。

 それらと相対した雷志だからこそ、たかがナイフ如きで怯みはしない。

 今、肉薄し男の水月に鋭く重い正拳突きを決めた挙句、顎を稲妻のごとき蹴り上げる動きは正しく電光石火だ。

 青紫色の稲妻を纏い、敵を屠る。雷志の猛々しくも勇ましい姿に誰かが雷神、とこう口にした。

「――、次に殴られたい奴はどいつだ? 生憎と今の俺に手加減なんて器用な真似は、できそうにない」

「な、なんなんだよこいつ……って、あっ!」

「ど、どうしたんだよ!?」

「こここ、こいつ! 昨日のドリプロのライブ配信に映ってた奴だ!」

 一人の指摘を受けて、雷志ははたと己を見やった。

 マスクやサングラスと、変装用のグッズがどこにもない。

 さっきのやり取りの中で外れたと彼が理解した時には、すでに遅い。

 素顔を晒したことで正体がバレた。

 もっとも、雷志としては最初からこのような処置に必要性を一切感じていなかった。

 正体がバレたところでなんら痛くも痒くもなく、邪魔するのであれば都度叩き潰すまで。

 そう考えていた彼と対峙した男達は、対照的に激しく怯えていた。

 怪物を素手で、しかもたったの一撃で沈めたような相手だ。彼らでなくとも恐怖を憶えよう。

「どどど、どうしてこいつがここにいるんだよ!」

「し、知るかよ! と、とりあえず逃げるぞ!」

「あ、おい待てよ!」

 ドタバタの逃げていく後姿を雷志はため息と共に見送った。

(どうしてあぁいう輩は、身の程を弁えないんだろうな……)

 たかだがナイフ如きでどうこうできる、今回の敗因は彼らのそんな傲慢さだろう。

「やっぱり、強いんですね」

「……あの程度の輩なら、どうってことはない。それよりも、どうしてここにきたんだ?」

「えっと、それはもちろん。ちゃんとお礼をしていなかったからですよ」

「……さっきも言ったが、俺は別にお礼をしてほしくて助けたわけじゃ――」

「社長に話したら、是非連れてきてほしいって言ってました! だから、私達と一緒にきてください!」

「あ、お、おい……!」

 手をグイグイと引かれる雷志と楓との間には、明確な体格の差がある。

 つまり、彼が振り払おうとすれば容易にその拘束から抜け出せよう。

 しかし、雷志がそれをすることはなかった。

(……とりあえず、ついていってみるか)

 今の彼に行く当てなどはなく、雷志は社長との邂逅に挑んだ。

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