第6話
その日、ドリームライブプロダクションはいつになく慌ただしい様子だった。
スタッフもタレントも、皆同等に落ち着きがない。
今日は葛葉カエデ、茨木アカネ、風見フウカ……第一期生にしてユニット『
その準備のため、朝からスタッフ達が慌ただしく動いているのは無理もない。
機材や音響などのチェックに余念がないのも頷ける。
肝心の『
振り付けや歌詞に間違いがないか、三人で確認し合う様子は正に真剣そのものである。
それを、ただ漠然と眺めることしかできずにいた雷志は居心地の悪さを感じていた。
(俺も、やはり何か手伝うべきなんだろうか……)
そう思う反面、技術もなければ知識も不十分である彼ははっきりと言ってここでは戦力外である。
下手な介入をしたことによって彼らの足を引っ張りかねない。
それはさしもの雷志とて、望まぬ結果だ。
だからと言って、何もせずぼんやりと彼らのあくせくする姿を眺めるというのも気が引ける。
自分はいったいどう動けばよいのだろうか……雷志は悩んでいたその時。
「これが実際の現場ですよ、雷志さん」
不意に背後よりぬっと姿を見せたマコトだが、その顔色は明らかに良好とは言い難い。
目の下には色濃い隈を作り、右手にはエナジードリンクがしかと握られている。
よくよく見やれば、左右のポケットにも予備と空き缶の両方がぎゅうぎゅうに入っていた。
(いくらなんでも飲みすぎじゃないか……? 死ぬぞ?)
心配する雷志を他所に、マコトがぐいっとエナジードリンクを飲んだ。
「ぷはぁ! あ~生き返るわぁ」
「……言っても無意味だろうが言っておく。その辺にしておかないといくらアンタでも死ぬぞ?」
「大丈夫ですよ、これは私にとっては生命のガソリンのようなものですので」
「そう言っている時点で重症だということをもっと自覚した方がいいぞ……」
「まぁまぁ、そんなことはどうでもいいんです。それよりもどうですか?」
「……正直にいって驚いている。現場がこんなにも忙しそうにしるなんて、ずっと知らなかった」
「それは仕方がありませんね。ですけどこうやって皆さんお互いに協力し合っているんです。すべてはライブを無事に終わらせるため、そしてそれを見ている人達に喜んでもらうため……」
「……俺は、どうすればいい? いくら研修生だからといってこのまま何もせずにしていいのか?」
「研修生だからこそ、まずはしっかりとこの現場をその目に焼き付けてほしいんです。ドリームライブプロダクションが、そこに所属する皆がどんな思いで取り組んでいるのか。まずはそれをあなたには知ってもらいたい……と、タイゾウ社長も仰られていましたよ」
「……この目に焼き付ける、か」
不意に「おーい!」と声があがった。
男性スタッフが機材を運ぼうとしているが、人数が足りないらしい。
次の瞬間、雷志は自らの意志で彼のもとへと駆け寄った。
機械操作はできずとも、力仕事ならば別段問題はない。
むしろ得意分野であると断言してもよかろう。
こういう時こそ己の力を発揮する時だ、とそう判断しての行動だった。
「どれを運べばいい?」
「あぁ、悪いな。それじゃあこっちの機材を頼むわ」
「わかった」
「言っておくけど、落とさないようにな。それ一台でもかなり高いんだから」
「了解した」
スタッフの中に混ざって機材を運んでいく。
彼――雷志が加わったことで、午前中にすべての機材がライブ配信部屋へと運ばれた。
部屋、と表現するよりかはちょっとしたステージと言った方が的確だろう。
100人以上は優に収容できるスペースは他の部屋よりも遥かに広い。
(ここでのライブ映像が全国に展開されるのか……)
まじまじと周囲を物色していた雷志に、ぱたぱたと三つの足音が近付く。
「あ、雷志さん!」
誰よりも先に駆け寄ったフウカは、先日と同じく満面の笑みだった。
ただし、その頬には汗が滲み呼気もわずかだが乱れている。
ついさっきまでずっと、当日練習をしていたのだ。疲労も蓄積されていよう。
「……休憩を取らなくても大丈夫なのか?」
「ウチらは体力がありますから、これぐらいどうってことはないです」
「そうそう、なんていったってカエデ達はまだまだピチピチな乙女ですからねぇ」
「でも某らもう71歳だから人間からすればもうおばあ――」
「シャアアラップ! 黙りんしゃいアカネちゃんや! カエデ達はまだまだぴちぴちなの!」
「……71歳? それは本当なのか?」
雷志が怪訝な眼差しを送ると、カエデは明後日の方向をぷいっと向いた。
「あはは~いやぁ、カエデちょっと何言ってるかわかんないですねぇ」
人は見かけによらない、とは正しくこの事を言うに違いない。
あからさまな嘘を吐き、しかし必死に隠そうとする当人に雷志は唖然とした。
それはさておき。
慌ただしかった事務所内も、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
もっともそれは、あくまでも準備が終わっただけにすぎない。
本番まで後数分と差し迫った瞬間から、再び一同の顔には真剣みが帯びた。
ぴりぴりと緊張の糸が張り巡らされたステージでは、今か今かと始まりの瞬間を楽しみにしている者がごまんといる。
待機視聴者数、およそ20万人……ライブ配信という形式だからこそ収容が可能だ。
後、少しでいよいよ始まろうとしている。
自分が出るわけでもないのに、ステージを見守る雷志のその顔は緊張によってひどく強張っていた。
「あいつらの方が、もっと緊張しているだろうに……」
そうもそりと呟いて、雷志は自嘲気味に小さく笑った。
「――、それじゃあ……いっきまっすよー!」
ついに始まったライブ配信は、開幕と同時に異様な盛り上がりを見せた。
ライブ配信であるので、この場にいるのはあくまでもスタッフとタレントのみ。
ただし、画面越しに見ているであろう観客たちはどんどん増加の一途を辿っていく。
まだたった5分しか経過してないにも関わらず、更に10万人の観客が増員された。
「――、みんな今日はライブ配信にきてくれてありがとう!」
「ウチもこんなにたくさんの人から応援されて嬉しいです! ねぇアカネちゃん!」
「いやぁ、某らも超人気になったもんだねぇ」
「これからもドリプロ一期生として頑張っていくので、応援よろしくお願いしまーす!」
三人の愉快なトークも相まって、ライブが更なる盛り上がりを見せる。
何事もなく、順調に進んでいった。
誰もが無事に終わると確信し、安堵の吐息をホッともらした。
裏切りは、突然降りかかる。
「あっ!」
メンテナンスがきちんと行き届いてなかったのだろう。
照明とて、時には人命を奪う凶器へとなりかねない。
今正に、その凶器となってカエデの頭上へ落ちようとしている。
直撃すればどのようになるかは、幼子でも容易に想像がつこう。
危ない、と誰かが口火を切って吼えた。
そんな中で誰よりもいち早く行動に移す者がいた。
「ふっ!!」
雷志の放った跳び蹴りは、岩であろうと容赦なく破砕する。
その蹴りを受けて満足に立っていられた対戦者は、とても少ない。
それほどの破壊力を秘めた蹴りに、たかだか照明が耐えられようはずもなし。
結果、見るも無残な姿となった照明はこのままスクラップ行きは確実だろう。
「ふぅ……」
安堵の息を静かにもらす中で、雷志は……ハッと周囲を見やった。
しまった、と彼が後悔した時にはすでに遅い。
ライブ配信の最中でありながら、この乱入はアクシデント以外の何物でもない。
ましてやアイドルを目的とする彼らからすれば、男の介入は望まない展開だ。
たちまち炎上する、と瞬時に理解した雷志がすぐさまカメラ外へ逃れようとした、その時である。
「――、ちょ、ちょっとちょっとストップストップ!」
彼女の行動は、この場において適切とはお世辞にも言えない。
退散しようとする彼を制止したのは他でもない、カエデだった。
そこに便乗してアカネ、フウカの二人も加わる。
(こいつらは正気なのか……!?)
これはもう、立派な放送事故である。
せっかくのライブ配信が、たった一人の男によって台無しとなった。
その事実を目前に、雷志の表情にも焦りの感情がどんどん色濃く滲んでいく。
研修生、という立場であるからクビにすることだって会社からすれば容易なことだ。
そして、まさか入社した当日にクビになるとは笑い話にもなりはしない。
明日から無一文の根無し草であることを憂う雷志だったが、彼はすぐに違和感にはたと気付く。
他のスタッフから、特に何か指示が出ることはなかった。
マコトに関しては、そのまま続けろ、とハンドサインまで送る始末である。
何故、と問うよりも先にフウカが真っ先に口火を切った。
「えっと……ウチらからみんなに紹介するね。この人は今日からドリームライブプロダクションで働く、スタッフの
「危ないところを二回も助けてくれてありがとうございます~! いやぁ、さっきのはちょっと本気で危なかったなぁ……」
「お、おい……」
「大丈夫大丈夫! コメント見て、コメント」
巨大なモニターの中で、おびただしい数のコメントが絶え間なく流れていく。
それら一つずつ精査するのは極めて難しいが、雷志の動体視力は超人的だ。
例え弾丸であろうとも容易に避けることを可能とする彼の目は、的確にコメントを捉えていた。
内容については、雷志に対する批判的なコメントは一つしてなかった。
逆に、カエデを危機から救ったことに対する称賛のコメントが後を絶たない。
――この間の人じゃん!――
――改めて見ると、なんかこう……めっちゃかわいくない?――
――男の娘ですか?――
――とりあえずGJ! よくぞ俺らのアイドルを守ってくれた!――
この展開を、雷志は当然ながら全く予測していなかった。
好意的とさえ感じるコメントの多さが、よもや己に来るとは想像すらしなかった。
ひとまずライブが炎上せずに済んだとことに、雷志はホッと胸中で安堵の息をもらした。
とはいえ、ライブ配信は未だ継続している。
付け加えて、称賛の声とは別に異なる質のコメントも劣らず画面内をどんどん流れていく。
――是非一度、勝負してほしい――
――この動き……ただものじゃないぞ――
――俺の踏み台になってくれや――
――俺が本当の格闘技ってやつを教えてやんよ――
これらのコメントはすべて等しく、雷志に対するいわば挑戦状だった。
明らかに場違いにも程があろうコメントの質に、雷志はどうしたものかと沈思する。
この場で応えてよいものではない、が雷志自身現代の格闘家がいかなるものか。
格闘家としての性か、胸の内でふつふつと湧く好奇心を抑えられずにいた。
これが個人だけの問題であれば、雷志は遠慮なくすべての声を拾うつもりであった。
是非、戦おう――そう迷わず応えていた。
しかし、今の彼はアイドル事務所の一スタッフという肩書がある。
ましてや彼女達が主役である舞台を利用してよい道理にはならない。
何より雷志自身がそれをよしとしなかった。
だが、気になってしまって仕方がない――沈思する雷志に代わって、カエデがポンと彼の背中を叩いた。
「ほら、雷志さん! 雷志さんも自己紹介して!」
「…………」
屈託のない笑みに背を押された雷志は、ゆっくりと口を開く。
「――、
いささか固い自己紹介になってしまったかもしれない。
そんなことを思いながら、雷志は小さく頭を下げた。
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